四品目
「ミルアちゃん、邪魔よ」
「そんな事、言わないでよ。アイリスさん、私のお話、聞いてよ。忙しい時間帯を手伝ったでしょ。労働には対価、対価が必要って、レスト様がいつも言っているもの」
「確かにそうかも知れないけど、この後、1番忙しい時間があるのよ。その仕込みをしないといけないの」
「相談に乗ってくれたら、仕込みも手伝うから」
レスト様からの宣戦布告の後、再び、強制的に取らされた有給休暇。
今回も友人達と時間が合わなかった私は独身仲間である3つ年上の『アイリス=フォスター』さんが切り盛りしている酒場兼宿屋を訪れた。
元々、このお店は彼女のお父さんがやっていたのだけど、彼女の父親も5年前の流行り病で失った。
アイリスさんのお父さんは街の皆に愛されていたのだろう。多くの人達がアイリスさんを助けるために力を貸してくれた。
時期は違ってもお父さんを流行り病で失った私は彼女に親近感を抱いてしまい、アイリスさんも私の事を妹のように扱ってくれる。
そう、実の妹のように扱ってくれるから、私の座っているイスの足を平然とした顔で蹴るのだ。
「仕込みを手伝ってくれるなら、話を聞いても良いかな? それで、話を聞いてって何? また、あの顔面が固まりきった当主様にいじめて貰って悦んでいるの? 私は変態じみた事の相談には乗れないけど」
「い、いつも悦んでいるわけじゃないよ」
「……悦んでいるところを否定しなよ」
女性1人で切り盛りしているお店のためか、訪れた時間が悪かったようで私は強制的に手伝わされたのだ
お昼も過ぎて仕事が一段落した事もあり、アイリスさんはまかないだと美味しそうな料理を、いや、美味しそうなではなく美味しい料理を出してくれる。
その匂いにお腹が小さく悲鳴を上げた。
私の顔が赤くなるのを見て、アイリスさんは意地悪な笑みを浮かべる。
このお店を1人で切り盛りしている彼女は多くの人を見ている事もあり、私がMだと完全にばれているのだが今、そこは関係ない。
「それで何があったの? 私はミルアちゃんのドMな趣味はわからないから、さっきも言ったけど、アドバイスなんてできないからね」
「エ、Мな事は認めるけど、ドはつかないよ。えーとね……レスト様にケーキを焼いているのがばれそう」
「……何の問題があるの? あの、不機嫌そうな当主様だから、ケーキを焼いている事がばれたらクビにでもなるの? それなら、うちで働く? うちも人手が足りないのは事実だし、ミルアちゃんの掃除、配膳、料理の腕は信頼しているし。それに住む場所さえ提供すれば低賃金でも働いてくれるでしょ」
「……レクサス家と同等の労働条件を希望します。有給休暇、その他福利厚生は保証してください」
「それは無理ね。接客業なんてどこもそんな物はないわよ。噂になっている喫茶店も行ったんでしょ。休憩時間が取れているように見えた?」
「……見えなかった」
アイリスさんは私の向かいに座るとどこかうんざりとした表情をする。
それもよりにもよって『ドM』と強調してだ。
私はそこまで変態じみた相談をしていないと思うんだけど、どうしてここまで言われるかがわからない。
それに……レスト様が甘党って話して良いのだろうか?
外交官となると時には有無を言わせない威圧感は必要だと思う。
外交の事はわからないけど……いや、威圧感は充分すぎるくらいにレスト様は持ち合わせているか?
それとも私がこの間、あの笑顔に萌えてしまったように相手の外交官達はレスト様のあの笑顔を知っていてギャップできゅんきゅんしてしまっているのかも知れない。
……なんとなく、レスト様のあの笑顔について教えてしまうのはもったいない気がする。
頬張っていた料理を飲み込み、少し考えた後、空いた時間でケーキを焼いていた事がレスト様に見つかりそうだと説明する。
アイリスさんは私の相談事を聞いても何も問題ないと思っているようでため息を吐かれてしまうが私が相談に来た事やレスト様の印象から私のクビが飛ぶと思って心配してくれてはいるようだ。
「クビにはならないなら心配ないじゃない」
「クビにはならないと思うけど……レクサス家のお屋敷、使用人を大切にしてくれるし」
「それなら、何の問題があるの?」
私がもしかしたらクビかもと先輩達に相談したら笑い飛ばされてしまった事やケーキを焼いている事がばれてクビになるなら、すでに私は何度もクビになっているだろうし。
……クビにはならないと思う。そう思いたい。
希望を込めて答えるとアイリスさんは呆れ顔でため息を吐く。
確かにクビになる可能性が低いなら、問題は小さく思える。
「問題はえーと、レスト様は外交のお土産や大事なお客さんを迎える時にケーキとか甘い物を振舞うんですよ」
「そうね。外交の事はわからないけどお菓子くらいはないとあの顔の前だと絶対に萎縮するわ。外交の場って元々、緊張感があると思うけど、レスト様がいるって考えると恐ろしい場ね」
「確かにそうかも知れない。あの目で見られるのはごほ……息がつまるよね」
レスト様が外交に甘味を用いる事を問題として話をしてみるのだが、アイリスさんは別のところに食いつかれてしまう。
確かにあのレスト様と一緒の部屋で外交問題の話をできる他国の外交官がそれだけでも尊敬できる。
……が、問題はそこではない。私はこの話で気が付いてしまったのだ。
下手をしたら、私の焼いたケーキが外交の場に出される可能性があるのだ。
無いとは思うが下手な物を焼いて、外交問題にでもなると言う可能性はないだろうか?
私が焼いたケーキで外交が失敗……いくら、労働条件や福利厚生が完璧なレクサス家だと言っても外交が失敗すれば1使用人などクビになる可能性が出てきた。
いや、クビならまだましだ。戦争などになってしまう可能性だって。
考え始めると悪い事しか頭に浮かばない。
「……私が焼いたケーキでこの国が戦争に巻き込まれるかも知れない」
「何があって話がそこまで飛ぶの?」
頭によぎった不安が無意識に口からこぼれてしまった。
絶望的な表情をしていたのか、私の頭の上にはアイリスさんの手があり、彼女は私の頭を撫でる。
どこか呆れた様子ではあるけど優しい声をかけてくれるのだから、アイリスさんは本当に頼りになると思う。
「……私のケーキが外交の場に置かれて、アレルギーがある外交官の人が食べたら、毒を盛ったって言われて戦争に」
「外交官の人は頭が良いんだから、自分がアレルギー持ちだって知っているでしょ。と言うか、あの優秀なレスト様ならそれくらいは調査しているでしょ。むしろ、ばれたら、アレルギー持ちの人でも食べられるような物を作らされるんじゃないの? そっちの方がレスト様らしいでしょ」
戦争が起きてしまうかも知れないと言う不安をアイリスさんに相談してみる。
彼女だって酒場兼宿屋の店主だ。
戦争になってしまえば、お客が減る。
売り上げに響くはずだ。
何か良い案を出して貰おうと懇談するように聞いたのだけど、私の考えはあまりに馬鹿げているように見えたのか、先ほどまで頭を撫でていてくれたはずの手でチョップを頭に落とされてしまう。
それも軽くではなく、なかなか強力なやつをだ。
涙が出たようでアイリスさんの顔が歪んで見えるけど、彼女がため息を吐いているのが見える。
完全に呆れられているんだろうなと思っているとアイリスさんは私がケーキを焼けるとレスト様が知った場合には他の仕事を押し付けてくると言うのだ。
……確かにありえそう。だけど、それはそれで問題だ。
私のケーキや料理は元々、お父さんが残してくれたレシピである。
簡単な料理は出来るけど、オリジナルのレシピなど何もない。
「……私、お父さんのレシピ以外でケーキも料理もできない」
「それなら、自分でも何か作ってみたら良いじゃない。休みの日には他のお店でケーキを食べているんでしょ? ヒントだってあるでしょ」
「食べているけど、再現なんてできないよ。お父さんの味だって再現出来てないのに? それにアイリスさんのケーキと同じものも焼けないし、何より、そんな事を考えて食べてない」
「……そうだね。ミルアちゃんは全力でケーキの味を楽しんでいるよね」
自分にオリジナルレシピなどできるとは思えずにため息を漏れる。
アイリスさんから普段の食べ歩きから何かヒントを得てみてはどうかと言ってくれるのだけど、自分にそこまでの才能があるとは思えない。
何より、研究のためにケーキを食べていた事などない。
先日もケーキの味より、レスト様の初めて見た極上の笑顔を堪能していた記憶しかない。
私に向上心が無いように見えたのか、アイリスさんは大きく肩を落とす。
「それは女の子だから、仕方ないのです。それに今は他のケーキよりもお父さんの味に近づく事を優先したい」
「お父さんの味に近づきたいって言うのはわからなくもないけど、ミルアちゃん、レクサス家のメイドなんだから、そこまでケーキの腕を磨いてどうするの? お店でも出す? ライバル?」
「そんなお金ないです。それにアイリスさんの腕に勝てる気なんかしませんよ」
「私だって、簡単に負けるわけにはいかないわよ。それより、そろそろ、仕込みを始めたいんだけど」
「う、うん」
アイリスさんにお店を開くのかと言われるとまだそこまでの実力はない。
そう思っている私にアイリスさんは仕込みの準備をしたいと笑う。
あまり、相談の内容が最初とは変わってしまった気がするけど、アイリスさんに迷惑をかけるわけにも行かないため、残りの料理をお腹に詰め込む。
……慌てて食べたから、思いっきりむせてアイリスさんに背中をさすって貰う事になりましたけど。