三品目
……レスト様が甘党なのを知らないのは私だけだった。当然と言えば当然か。
レスト様と喫茶店で鉢合わせになった翌日、私は先輩達にレスト様が甘党だと話してはいけないとびくびくしていたのだが、知らないのは私だけだった。
考えてみれば当然だ。レスト様を子供の頃から見ていた人達である知らないわけがない。
1人だけ知らなかった事実に少し恥ずかしくなった私は肩を落とすと先輩達からは私を励ますように優しい声がかけられる。
でもね。正直、その優しさが痛かったです。
優しい声がかけられるたびに私の顔は恥ずかしさで真っ赤になっていただろう。
その顔を見られたくなくて逃げ出した私は中庭の掃除を勝ってでましたよ。
実際はすでに仕事が完璧なレクサス家の使用人達である。掃除する場所もないけどね。
それでも1人ならこの傷ついた心を癒せると思って、それなのに、それなのに、逃げてきたはずなのに……なぜか、今現在、レスト様の視線が私の背中に突き刺さっています。
……物理的なダメージは無いはずなのにすごく背中が痛い気がします。
これは声をかけるべきなのか? また、視察と言う名の甘味めぐりが繰り広げられるのか?
私もケーキを焼くくらいだ。当然、甘い物が好きだ。むしろ、愛している。
だけど、それが体重になると考えると簡単には頷けない……どうして、脂肪は胸に付かずにお腹に付くんだろう?
ケーキを食べすぎて膨らむであろうお腹はすぐに想像が付くのに残念な胸が膨らむ気はしない。
若干、寂しい気がするのだけど、今はそれより、背中に突き刺さる視線が痛い。
「あ、あの、レスト様、私に何かご用ですか?」
「いや、無い」
背中に突き刺さる視線に耐えきれなくなった私はゆっくりと振り返ると笑顔を作る。
彼はいつも通りに金髪碧眼で綺麗な顔立ちをしているにも関わらずに愛想などなく、その表情は固まっており、妙な不気味さを醸し出している。
……何もないなら、見ていないで欲しい。あの目で見られていると掃除が一向に進む気がしない。
何もないと言うから掃除を続けようとするのだけど、レスト様の視線が外れる事はなく、突き刺さる視線に動きが硬くなってしまう。
「あの、見られていると掃除がしにくいんですけど、本当に何もないんですか? レスト様もお忙しいでしょうし、時間を取らせるわけには」
「そうだな……それなら、先日、私の部屋に運んできた物はどこの店の物だ?」
プレッシャーに耐えきれず、もう1度、レスト様に私を見ている理由を聞いてみる。
レスト様は少し考えると先日、私が運んだケーキの事を聞いてくるのだ。
……なぜに?
どうして、そんな事を聞きたがるのだろう?
まさか、美味しくなかったのだろうか?
口に合わなかったから、その店をつぶす気になったのか?
あの感情のないような目で見られては悪いイメージしかわかない。
「ど、どうしてですか? お口に合いませんでしたか?」
「……いや、以前から街の喫茶店などを見て回っているのだが、あれと同じ味の物がないのだ。メイド長にどこの物かと聞くとミルアに聞けと言われた」
「ひょっとして気に入られたんですか?」
「そうだな……」
悪い事しか浮かばない私は自分で焼いたものだとは言い出しにくく、なぜ、そのような事を知りたいのかと聞いてみる。
レスト様はケーキを楽しむだけではなく、しっかりと味の確認もしていたようであり、私の焼いた物とは違うと言うのだ。
メイド長がわざわざ私のところまでレスト様を向かわせた事に若干、嫌がらせだとも思えるのだが……どうするべきか?
別に教えても問題はないはずなのだが、少しだけ内緒にしておきたい気もする。
「……秘密と言ったらどうします?」
「確かにあれほどの味なら、知れてしまえば人を呼び、簡単に買う事ができなくなるか」
「そうですね。レスト様はお客人をもてなす時に甘い物を使うと言っていましたし。あまり知れ渡ってしまうと必要な時に用意できなくなりますよ」
少しだけいたずら心が湧いたとのかも知れないが、様子をうかがうように聞く。
私の問いにレスト様は固まっていた表情を小さく歪めて考え込み始めてしまう。
あまり表情は変わらないにしても私の焼いたケーキがよほど気に入ってくれた事実に私の表情は緩んでしまったのだろうか、レスト様の目は鋭い物に変わった。
ま、不味い。怒らせた?
その目に睨まれた瞬間に私の身体は硬直する。
緊張から上手く呼吸ができている気がしない。
息苦しくなり、背中に冷たい汗が伝うのがわかる。
私がそんな恐怖に怯えているなか、レスト様は何を思ったのかゆっくりと私に近づいてくるのだ。
お、終わった……クビかな?
迫りくる恐怖に私は覚悟を決めてしまい、目を閉じるが……レスト様からの死刑宣告はない。
ゆっくりと目を開き、目の前のレスト様へと視線を向ける。
……相変わらずの美形ですよ。ドキドキするじゃないですか。
目に映る綺麗な造形とこれから告げられるであろう死刑宣告に私の胸は小さく高鳴る。
「あ、あの。レスト様」
「しかし、ミルアが知っていて私が知らないと言うのは納得できない物があるな。外交に必要になる情報も民の噂には含まれているから、積極的に集めているのだが……」
……それ、完全に甘味めぐりするためですよね?
レスト様は無表情のまま、外交官として多くの情報を集めていると言うが、その情報の多くは外交官として必要な物には思えない。
そして、自分の屋敷の使用人の1人にライバル心を出さないで貰いたい。
「……必ず、レクサス家の名において、その店を見つけ出してやろう」
「レ、レスト様、そこまでやる気にならなくても、それにレスト様に無駄な時間を使わせるわけにも」
「何を言っている。これは私のプライドの問題だ」
……そんな物にプライドなど持たないで欲しい。
レスト様は自分が知らないケーキを私が知っていると言う事に大変、プライドを傷つけられたらしく、宣戦布告をされてしまう。
彼の様子に私は慌てて、自分が焼いたものだと話そうとするが鋭い視線で私の言葉は遮られてしまった。
レスト様は言いたい事はすべて言ったと言いたいのか、私に背を向けると屋敷に向かって歩き出す。
……なんか、大変な事になった。私が焼いているってばれたら、どうなるんだろう? 笑って……笑う事は無いだろうけど、許して貰えるかな?
「……ミルア」
「は、はひ」
「何を驚いている。店は教えるな。ただ、今度、その店のケーキを手に入れた時は私のところにも運んでくるように、1度では味の照合ができない」
真実が知られてしまった時に罰があるのではないかと考えて顔を引きつらせているとレスト様は何か感じ取ったのか振り返った。
声を震わせる私に彼は小さくため息を吐くと上から目線でおかわりを要求するのだ。
「わ、わかりました」
「……後、その時の領収書はレクサス家で切っておけ。私がその店を見つけるまでは私が出そう」
「え、えーと、それはさすがに」
「安心しろ。店の名前を見ると言った不正はしない。食糧の材料などと一緒に処理する」
当然、おかわり要求に私は逆らう事はできずに返事をするとレスト様はケーキ代金を自分が持つと言う。
代金を持つと言われるのはありがたいのだが、自分で作っている手前、材料費で領収書を切ってしまえば、絶対にばれる。
何とか誤魔化そうとするが、この国の外交を担う優秀なレスト様である私程度が意見を述べる事などできない。
だ、だけど、小分けで代金なんて出せないから、どうやって申請すれば良いの?
レスト様の事だ。私がケーキを運んだ時に領収書が切られているか確認はするだろう。
さすがにケーキ1つと材料費と考えると金額が適正だとは思えない。
……どうしたら良いの?
逆らう事はできないけど、真面目なレスト様がしっかりと物事を運ぶのは想像がつく。
嘘を嘘で固めてしまった手前、どうにか乗り切る方法を考えなければいけない。
「不正はしないと言っているのだ。何か不都合でもあるのか?」
「あ、あの。そのケーキはホ、ホールだったり、ある程度の量が無かったりしないと売ってくれないんです。私が買ってきた時は皆さんと一緒に食べていたので」
「……そうか。それなら、その分も領収書を切れば良い。この屋敷に関わる者達は充分に働いてくれている。ケーキの1つや2つ振舞っても何ら問題はない。これで問題は解決したな。ただ、水増しなどの不正は許さん」
私の様子を怪しいと思ったのかレスト様が疑いの視線を向ける。
量を誤魔化して先輩達に口裏を合わせて貰えば何とか誤魔化せると思った私はまくし立てるように言う。
レスト様は私の言葉の真偽を確かめるように少し考え込むと嘘は無いと判断したのか私が焼くケーキに関する費用はすべて自分で持つと言うと不正しない事に念を押してから、屋敷に戻って行く。
だ、だましているようで胸が痛い……いや、実際、だましているわけだけど。
彼の背中を見送った後に罪悪感が出てきたのか胸がちくりと痛む。
それと同時に嘘がばれた時の罰が怖い……背中がぞくぞくする。
消して、その時の罰を期待しているわけではない。
……掃除しよう。いや、その前に口裏を合わせる事が優先か。
気分を切り替えようと掃除の続きをしようとするが、中庭はキレイになっている事や口裏を合わせておかないとレスト様に私がケーキを焼いている事がばれてしまう。
私は手を止めると急ぎ足で使用人達の休憩場所に駆けこむ。
……そして、また、生温かい目で優しい言葉をかけられましたよ。私、おかしな事をしたのかな?