二十品目
レスト様と約束通りに午後からケーキ屋めぐりの予定です。
レスト様が馬車を用意してくれたため、馬車に乗って街に向かう。
馬車から降りるとレスト様は迎えの時間を指定したようで馬車はお屋敷に帰ってしまった。
警護もいないのは危険なのではと思いながらもレスト様はケーキ屋めぐりの時に警護を連れて行く気がないのは何度も見ている。
行ってしまえば、私はすでに諦めの境地にまで来ています。
本当に何事もなければ良いなと思います。
私の心配など気づく事無く、レスト様は周囲を1度、見回した後に私に向かい手を伸ばしてくる。
……これはつかめと言うのか?
確かに人通りは多いけど、私はいつも街を歩き回っている。
迷子になどなるわけがない……いや、この年で迷子になるわけにはいかない。
何より、手を握って歩くなどデートみたいじゃないか。
私はメイド、レスト様は雇い主。それ以上もそれ以下もない。
もし、レスト様に好意を抱いているどこかのご令嬢の耳にでも入るとレスト様に良い人が見つかるのがさらに遅れてしまう。
おかしな噂が立つような事はできない。
「レスト様、今日はどこに行く予定なんですか?」
とりあえず、どこのお店に行く予定なんだろうか?
手を取るわけにはいかないため、隣に並んでレスト様に声をかける。
レスト様は自分の手を1度、見てから手を引っ込めた。
なんとなく、寂しそうな気がするけど、私はメイド、レスト様のためにも勘違いされるわけにはいかない。
「先日のミルアの友人の店に行こうと思うんだが……」
レスト様は手を引っ込めた後にゆっくりと歩き始める。
彼の少し後ろを歩こうとするのだけど、レスト様は歩く速さを調節しているのか私の隣に並ぶとアイリスさんのお店に行きたいと言う。
……何ですと?
なぜ、アイリスさんのお店に?
レスト様の目的のお店がアイリスさんのお店だと聞き、顔が引きつる。
やはり、この間、ケーキが食べられなかったのが心残りだったのだろうか?
しかし、レスト様がお店に行くと絶対に売り上げに響く。
先日、少し訪問しただけでもお客さん達が怯えてしまったんだ。
何度も顔を出すと私が出入り禁止になってしまう。
ど、どうしよう。レスト様を他のお店に連れて行く方法はないかな?
「……何か不都合でもあるのか?」
「ふ、不都合と言いますか……あまり、アイリスさんにご迷惑をかけたくないです」
「迷惑? なぜだ。売り上げに貢献するんだ。問題ないだろう」
頭を悩ませている私を見て、レスト様は怪訝に思ったようである。
なぜ、レスト様が訪問するとアイリスさんに迷惑がかかるかは一先ず、伏せておく。
でも、レスト様は自分がお店に訪れる事で起こりうる欠点を理解していないようです。
……話してしまうか? 1度、食べているなら、他のお店に行くかも知れない。
可能性に賭けてみよう。
アイリスさんに迷惑をかけると後が大変だから、他の物が食べたいと言えば私が買って帰れば良いわけだし。
方針は決まった。
「……何をしているんだ?」
そして、疑われてしまった。
苦笑いを浮かべるとレスト様は不振に思っているのか、私の顔をじっと見てくる。
せめて、表情を変えて欲しいです。
「あ、あの。白状します。この間、馬車でお屋敷に送っていただいた時に持っていたのはアイリスさんのお店のケーキです」
「……何だと?」
レスト様の考えが変わる可能性に賭けて先日のケーキの話をする。
私の言葉にレスト様は驚きの声を上げた。
そこまで驚くほどの事だろうか?
あれか? もしかして、火を点けちゃった?
「と言う事で、他のお店にしませんか? 1度、食べたところではなく、新しいお店を開拓しましょう」
「……いや、他の物も食べてみたい」
……作戦は失敗に終わりました。
誤魔化すように他の店に行きましょうと提案してみるのだけど、完全にレスト様はおかしなやる気を出している。
絶対にアイリスさんに怒られる……出禁にならなければ良いなあ。
やる気を出したレスト様の視線はアイリスさんのお店の方に完全に向いている。
こうなっては止められる術はなく、心の中でアイリスさんに謝り、レスト様の隣を歩く。
しばらく歩いていると見なれたお店の看板が目に映った。
出来れば、レスト様より先にアイリスさんに話をしたいけど……無理そうです。
レスト様はアイリスさんのお店の看板を見るなり、先ほどまで合わせていてくれていた足が速くなる。
アイリスさんのケーキに心奪われているようにしか見えない。
「……失礼する」
「いらっしゃいませ!?」
レスト様がお店のドアを開けてホールに入るとアイリスさんが出迎えてくれるのだけど、現れたのがレスト様だと気づいたようで声を裏返す。
……この間、聖騎士様達の事をお願いした時には少しなれてきていたけど、やはり、突然は対応できないようだ。
レスト様から少し遅れて、お店の中に入るとアイリスさんからは非難するような視線が向けられるのだけど苦笑いを浮かべる事しかできない。
お店の中を確認すると今日はあまりお客さんがいないようであり、私をお客さんが来た時に邪魔にならないように席を選ぼうとするのだけど、レスト様はアイリスさんのいるカウンター席に座ってしまう。
アイリスさんからはレスト様を避けて欲しいと言う視線を向けられているのだけど、こうなったレスト様を動かすのは私には無理です。
首を横に振るとアイリスさんは諦めてくれたようで大きく肩を落とすと視線で私にも座るように言う。
なんとなく、肩身が狭いのだけど素直に従うしかない。
「それで、今日は何の用?」
「……」
「アイリスさん、機嫌悪そうですね」
アイリスさんは2人分のお水を出してくれるのだけど、すでにレスト様は何を頼むか真剣に考えている。
レスト様が甘党だと先に話してしまおうと思ったのだけどなんとなくだけどアイリスさんの機嫌が悪そうに見えた。
……レスト様を連れてきたせいで今日の売り上げが期待できなくなったせいだろうか?
彼女の機嫌が悪い理由を聞いてみるのだけど、アイリスさんはあまり言いたくないのか眉間にしわを寄せている。
「……やっぱり、レスト様を連れてきたのは不味かったですか?」
「そう言うわけじゃないけど……それより」
「あ、あのですね。レスト様、本当は甘党なんです」
「……それは意外ね」
原因が私達にあるのではないかと思い、疑問をぶつけてみるとアイリスさんは首を横に振ってくれる。
付き合いが長い事もあり、その様子からアイリスさんが私達のせいで機嫌が悪いわけではないとわかり、安心して胸をなで下ろす。
アイリスさんは自分の態度で私を不安に思わせたと考えてくれたようでごめんと言いたいのか、小さく舌を出して笑うと真剣な様子でメニュー表を覗き込んでいるレスト様へと視線を向ける。
彼女の疑問に答えないわけにはいかず、アイリスさんに耳打ちで真実を話す。
その真実はアイリスさんが持っていたレスト様の印象を完全に破壊したようで苦笑いを浮かべた。
そうだろう。私だって初めてケーキを頬張っているレスト様を見た時に自分の目を……いや、世界を疑いました。
それほどまでに衝撃的だったのだ。
「そうすると、今日はケーキをご所望?」
「そうなります」
「……それもあるのだが、アイリスさんに聞きたい事があった」
アイリスさんはレスト様の目的を理解してくれる。
私は頷くと隣に座っていたレスト様は他にも用事があったと言う。
……他の用事? 初耳です。
初めて聞いた事に私は呆気にとられるのだけど、レスト様はアイリスさんにケーキを注文し始める。
最初はアイリスさんも頷いていたのだけど、頼むケーキが10個目を超えた時、間違ってはいないのかと聞きたいようで私へと視線を向けた。
肯定するしかできないため、小さく頷くと想像以上の甘党だと気づいたようでアイリスさんは顔を引きつらせるが手は動かさないといけないため、注文されたケーキをレスト様の前に並べて行く。
「い、以上でよろしいでしょうか?」
「……とりあえずはこれで良い」
カウンターの前に大量に並んだケーキを見て、アイリスさんは顔を引きつらせているがレスト様は気にする事無く、ケーキを1つ頬張る。
それと同時に彼の普段は固まっている表情筋は一気に緩んだ。
うん。やはり、アイリスさんのケーキは口に合うようです。
笑顔になったレスト様の様子につられるように笑顔が漏れてしまうのだけれど初めてレスト様の表情が緩む姿を目の当たりにしたアイリスさんは目の前で何が起きたかわからないようで口をパクパクさせている。
そうだろう。私だって初めて見た時はどう反応して良いかわからなかった。
「……アイリスさん、これとこれをおかわりで、ミルア、お前も頼まないと無くなるぞ」
「……レスト様、どれだけ食べるつもりですか」
アイリスさんの姿に自分が初めてレスト様の表情が緩んだところを見た時の事を思い出してしまう。
その時の事を思い出しているとレスト様は私にもケーキを注文するように言うのだけど、言葉がおかしい。
とりあえず、他の用事にはまだまだ時間がかかりそうなので私も少なめにケーキをいただきたいと思います。




