二品目
「有給休暇ですか?」
夕飯後、お皿を拭いているとメイド長から有給休暇を使うようにと言われた。
レクサス家では定期的な休みがあるためか、特に気にする必要はないのだけど、全員がしっかりと使わないと他の使用人が使いにくいと言う事であり、1年で何日かは強制的に取らされる。
他の使用人達は家族の用事で使う事が多いのだけど、家族のいない私にはこれと言って使う用事もなく、普通の休日だけで事足りるのである。
年頃の娘としては寂しいとは思うのだけど仕方ないじゃないか。
「用事がないんなら、街のお店でケーキでも食べてきたらどう? ケーキ作りの参考になるんじゃないの?」
……市場調査か。
美味しいケーキは食べたい。
確か、アイリスさんが街に美味しいって評判の喫茶店があるって言っていたような。
メイド長には私がやる事が無いと考えているのがわかったようで街でケーキを食べてはとアドバイスをくれる。
確かに興味はそそられるのだけど……女1人が喫茶店でケーキを食べて歩く?
年頃の娘としては寂しすぎないかとは思うけど、独り者の女友達でも誘うおうと思う。
1人はさすがに寂しいし。
……って、思っていたんだけどね。
メイド長から指示されて有給休暇を取らされたわけだけど、平日の昼間に突然、喫茶店に付き合ってくれるような友人はいなかった。
それはそうだ。普通はこの時間帯は労働時間だ。
それに私はレスト家のメイドと言う立場上、商売をしている家の娘達と知り合う事が多い。
みんな、家の手伝いをしたり、生まれた子供の相手をしたりしているから、突然の私の相手ができるわけがない。
仕方ないと思いながらも住み込みでレクサス家の屋敷に住んでいるため、1人寂しく自分の部屋に閉じこもっているのは情けない気がする。
……仕方ない。寂しいけど、人気のお店なら、休日だと込んでいるだろうし。
1人で人気店に行くのは恥ずかしいのだが、それでも人気店、休日に行けばケーキが食べられない可能性が高い。
そう考えて、覚悟を決める。
1度、決めてしまえばもう怖い物はない。
なぜならば、私はレクサス家のメイド。
最凶の恐怖がすぐそこにあるのだ。
……平日なのに込んでいる。さすがは人気店。これは期待できそう。
店の前に付くとお客は道まで溢れかえってはいないが、店の中は混雑している。
店員に相席でも良いかと聞かれて、1人だしとお願いする。
そして、すぐに相席を後悔する事になる。
……見てはいけない物を見てしまった。いや、私は何も見てはいない。
店員に案内されてテーブルまで歩くと目の前には普段とは違って表情筋を緩ませてケーキを頬張っている金髪碧眼の美しい青年が1人とテーブルの上一杯に並んでいるケーキ。
「……ミルア、なぜ、お前がここにいる? 一先ず、座ったらどうだ?」
……目が合うと同時に緩んでいた表情筋は引き締まり、いつもの私が見ている不愛想な表情に変わってしまう。
青年は私が仕える屋敷の若き当主であり、その不愛想だが優秀な手腕で国内外に名前が知れた『レスト=レクサス』様である。
レスト様は何事もなかったかのように私に声をかけるが、その口元には頬張っていたケーキのクリームが付いており、格好はついていない。
……レスト様って甘い物を食べるの? お屋敷では見た事が無かったけど、と言うか、見る限り、完全に甘党だ。それも重度の。
見ないふりをした方が良いと思いながらも、喫茶店は込み合っており、それに気が付いたレスト様は冷たい視線で目の前の席に座るようにと命令をする。
私はしがないメイドの1人であり、レスト様に名前を憶えられている事に驚きながらも雇い主の命令に逆らう事ができずに席に着く。
「あ、あの、本日はお休みいただいたので、噂のケーキを食べようと思って」
「1人でか? 寂しいな」
「……申し訳ありません」
レスト様の表情筋が固まっているため、尋問されている気しかせず、胃がキリキリと痛み出してくるが黙っているわけにも行かない。
何とか、言葉をひねり出すとレスト様はため息交じりで紅茶に大量の砂糖を入れた後、口へと運ぶ。
見目麗しいわりには不愛想なため、睨まれるともの凄く胃が痛くなったり、背中が薄ら寒くなったりもするのだが、とりあえずはプレッシャーに耐えきれなくなった私は額をテーブルに付けて謝罪する。
「……何を謝っている。それより、注文しないのか?」
「し、します。えーと、その前にレ、レスト様」
「ここでは様は付けるな。他の者達に見つかると面倒だ」
「レ、レスト? あの、口元にクリームが」
「そうか……これで、取れたか?」
レスト様の眼力は心臓に悪いのだが、少し心臓が高鳴ってしまう私もいる。
表情が緩みそうにはなるけど、何とか表情を引き締めるとレスト様の口元にクリームが付いているのが目に映った。
それを見て、噴き出しそうになるがレスト様の顔を見て笑ってしまえば、突き刺さるような冷たい視線を浴びてしまう。
それはそれで……いや、あまり攻めすぎると路頭に迷う事になるかも知れない。
しばらくは食いつなぐくらいの余裕はあるけど、特にこれと言った才能の無い私には次の仕事が見つかる可能性は低い。
自分の労働条件を守るためにクリームだけでも取って貰おうと彼の名を呼ぶが、レスト様にとっては甘党と言うのは隠したい事柄のようであり、呼称を外すように強要される。
正直、恐れ多いのだが突き刺さるような視線に反論はできない。
それに、少しだけ役得のような気もするし、私の心臓は恐怖と他の感情でドキドキと高鳴っている。
それを抑え込むように小さく深呼吸をした後、びくびくとしながらもレスト様の希望通りに呼び、ポケットからハンカチを取り出して彼に渡す。
それなのになぜかレスト様はハンカチを受け取る事なく、指で口元を拭うと拭ったクリームを1度、見た後、口へと運んでしまう。
その様子に唖然とする私にかまう事無く、レスト様は表情を小さく緩ませて聞く。
……これがギャップ萌えか?
先ほどは見なれない表情に恐怖しか感じなかったのだが、2度目になると耐性が付いたのか少しだけ可愛く見えてしまう。
それでも、拭い切る事ができなかったクリームがまだ口元に付いており、このままにはしておけず、私は身体を伸ばして彼の口元のクリームをハンカチで拭く。
「あ、あの、レストは1人で喫茶店に来るのですか?」
「……なかなか、ケーキなどは他人をもてなす時や他家に訪問する時に有効な物だからな」
「そ、そうですか」
店員を呼び、噂になっているケーキを頼むとレスト様は私の注文に乗っかるように追加注文をする。
私達の様子は店員にも見られていたようで私達は知り合いだと認識されたようで店員は特に気にする事無く、自分達の仕事を行っている。
しかし、雇い主であるレスト様と2人っきりの私の胃はキリキリと痛んでいるのだが沈黙はさらにきついため、レストが喫茶店を訪れた理由を聞く。
あくまで人間関係を円満に進めるために必要な事だとは言うが、先ほどから彼の胃の中に収まっているケーキの数を見ていれば、完全にケーキがレスト様の好物である事はわかる。
「ふむ」
「どうかしましたか?」
「いや、いつもは1人でこのような視察をしていると声をかけられるのだがな。今日は声をかけられないと思ったんだ。うっとうしくなくて良いな」
「そ、それはレストが1人なら声をかけるでしょうね」
レスト様はケーキを頬張りながらも周囲を見ていたのか、何かに気が付いたようで小さく頷く。
その姿に首を傾げる私にレスト様はいつもとは何かが違うと不思議そうに首を捻っている。
そうでしょうよ。いつもの、不機嫌そうな表情と違って、嬉しそうにケーキを頬張っている姿を見ては誰があのレスト様だと思おうか。
元々、見た目は金髪碧眼の美しい青年なのだ、そんな人間が表情を緩ませてケーキを頬張っていては年頃の女の子達から見れば目の保養や狩猟対象になる。
女の子達の行動の意味がまったく理解できていないレスト様は最後のケーキを頬張るとケーキと一緒に注文していた紅茶に大量の砂糖を入れた後に平然とした表情で飲み干してしまう。
しかし……今回だけではなく、何度も1人で喫茶店を渡り歩いているのか?
レスト様は自分の立場をわかっているのだろうか?
レスト様はレクサス家の若き当主様なのだ。若いながらもクロード様の地盤を受け継ぎ、このシュゼリア王国の外交を牛耳る人間。
敵だって多いはずだ。
「私が一人ならか……良い事を思いついた。ミルア、今度、私が視察に来る時は同行しろ。喫茶店と言うのは男1人でくるのはどうも違うようだ。それで声がかけられないのなら、私も都合が良い」
「わ、私にもお仕事がありますから、無理です」
「これも仕事だ。メイド長には私から伝えておく。これは命令だ。わかったな」
「わかりました」
「それでは次の店だな」
私がレスト様の事を心配している事など気にする事はなく、無表情のまま、飛んでもない事を言い始める。
レスト様は若い男女が2人で喫茶店のケーキを食べていると言うのがデートと認識されると言う事はまったく頭にないようであり、私をお供にすると決めたようだ。
この状況は私の胃的にはあまりよろしくないため、断ろうとするが雇い主の命令は絶対であり、頷く事しかできない。
けして、このドキドキがご褒美だと思ったわけではない。
どうして良いのかわからない私を気にする事は無く、レスト様は2人分の伝票を持って席を立って行ってしまった。
おごり? と言うより、次の店?
……あれ? 私のお休みは?
その後、喫茶店を3店ほど周り、解散したのだが私の休日は完全につぶれてしまいました。
ただ、他の人が知らないケーキを頬張っているレスト様の表情を見ていられるのは少しだけ、得をした気分でした。
後、レスト様に付き合った日は普通の勤務扱いになったようでメイド長から改めて、有給休暇を取らされる事になりました。