十品目
「窃盗団? そんなのがこの国に? それも王都に?」
「そうらしいです……やっぱり、甘い系のパンは無いんですね」
「ブライが焼きたがらないからね……ミルアちゃん、ダイエットはもう良いの?」
レスト様の書斎に紅茶と料理長が来客用にと焼いてくれていたクッキーを運んだ後、私は先輩達におつかいを頼まれた。
痛む身体を引きずりながら、頼まれた物を買った後、私はレクサス家に毎朝、焼きたてのパンを納品してくれているパン屋さんに顔を出す。
店主である『ブライ=カーチス』さんはお店の奥にいるため、相手をしてくれているのはブライさんの幼馴染で毎日のようにこの店に入り浸っている半従業員の『リトス=ラクリマ』さんだ。
他のお屋敷のメイドさん達とも機会があって交流しているのだけど、レクサス家はおかしいらしい。
料理人を抱えているようなお屋敷では料理人達が自分達の腕を見せつけるようにパンを含めて料理の腕を磨いているのだけど、レクサス家は先代のクロード様からここのパン屋さんを気に入り、パンを届けさせている。
代替わりしてもそれは変わらず、料理長達はパンを焼かなくて良いから楽ができると喜んでいる始末である。
正直、それはどうなんだと思うのだけど、私もこのお店のパンが好きだから反対はしない。
ただ、1つ納得ができないのは店主であるブライさんはこだわりがあるようで甘いパンはまったく焼いてくれない。
ダイエット中だろと言うのは気にしないで欲しい。だいたい、昔の話だ。
1度だけ、生クリームが入ったパンだけでも生クリームを持ち込んで頼んだ事があるんだけど断ると一言で一蹴されましたよ。
「……残念です。絶対に美味しいのに」
「ダイエットに関しては聞かないふりするのね。まぁ、別に良いけど、甘い系のパンね。ブライの腕だから美味しい物は焼けると思うわよ。私は甘いのが苦手だから、食べないけどね」
見た事の無いブライさんの焼いた甘い系のパンを思い浮かべてため息が漏れる。
しかし、リトスさんは乙女として私とは別の考えを持っているようで甘い系のパンなど食べる気などないと言っている。
考えは人それぞれだとしても、私としては甘いパンも食べたい……そう思うのはわがままなんだろうか?
「それで、ミルアちゃん、窃盗団ってどういう事?」
「良くわからないです。レスト様とロゼット様が少し聞いただけですから」
「そうか……何かあったら、教えてね。この店は常時、閑古鳥が鳴いているから襲われる事はないと思うけど」
リトスさんは窃盗団に興味があるようだけど、私も少し話を聞いただけだ。
そんな話をばらしてしまって問題にならないだろうかと若干、思うのだけど、王都で商売をしているブライさんと従業員のリトスさんには大問題だろう。
……ただ、私が窃盗犯なら、ブライさんのお店は狙わない。
良くわからないのだけど、ブライさんは有力な商家の跡取り息子に睨まれているらしい。
それで、嫌がらせを受けているらしいのだけど、本人もあまり気にしないし、レクサス家のようにブライさんの腕にほれ込んでいる人達もいるから潰れはしない。
ただ……売り上げはあまり良くないって話です。
「……襲うなら、あのバカの店を襲えば良いのに」
……なんか聞いてはいけない言葉を聞いた気がした。
リトスさん、窃盗団に襲って欲しいところがあるみたいだ。
だけど、さすがにそれは言ってはいけない気がする。
「……ロゼットと言うのはロゼット=パルフィムか?」
「は、はい。レスト様のご友人だったようです」
「……レスト様、友達いたの?」
「それに関して言えば、私も同じ事を思いました」
その時、店の奥から焼きたてのパンを持ってブライさんが顔を出す。
私とリトスさんの会話はブライさんの耳にも届いていたようでロゼット様の事を知っているようで小さく首を捻っている。
なぜ、一介のパン屋さんがロゼット様の事を知っているかと思うけど、最年少で聖騎士の部隊長に選ばれるくらいの人だ。
知っていても不思議ではないのか……ただ、レスト様にご友人がいる事は驚きだったようでリトスさんは眉間に深いしわを寄せている。
それに関して言えば、私も同意見のため、苦笑いを浮かべるしかないのだがブライさんは私達の様子に呆れているのかため息を吐くと焼きたてのパンを紙袋に詰め始める。
「あの……」
「研究中のパンだ。味を見てくれるか。こっちはレクサス家の人達に渡してくれ」
「は、はい。ありがとうございます」
「1個だけ? 足りない」
「……もう少しすれば夕飯だろう」
焼きたてのパンは良い匂いがしており、小さくお腹が鳴る。
私のお腹の虫の音はしっかりとブライさんの耳に届いており、ブライさんは紙袋に入る前のパンを私とリトスさんの前に差し出してくれる。
恥ずかしいのだけど、ダイエットにもなりはしなかったのだけど運動したのだから、お腹が減るのは仕方ない事だ。
1個くらいなら問題ないかと葛藤している私の隣でリトスさんは文句を言っている。
リトスさんは女性なのにかなりご飯を食べる。
それなのに出るとこは出て、出なくて良いところはほっそりとしている……なんて羨ましい。
後で……リトスさんにダイエットの仕方を聞いておこう。
「しかし、窃盗団の事で聖騎士の部隊長がレスト様に相談か……」
「何かおかしい事があるの?」
「外交官のレスト様に話を聞きに来るんだ。他の国から流れてきた可能性だってあるだろう」
焼きたてのパンを食べるべきか葛藤している私を余所にブライさんは窃盗団が他国から流れてきたのではないかと言う。
そんな事があるのか、私にはわからない。
その問題よりは今はこのパンを食べるかどうかが私にとっての大問題だ。
「ミルアちゃん、食べないなら、私が食べるけど」
「た、食べます……やっぱり、美味しいです。それももちもちです」
悩んでいると頬に何が触れる感触がある事に気が付く。
感触の原因を確かめようと視線を移すとすでに新作パンを食べ終えたリトスさんが私のパンを狙っている。
その目は喫茶店でケーキを頬張っている時のレスト様を狙う娘達と同じ目をしており、私は大きく首を横に振るとパンにかじりつく。
予想通り、美味しいのだけど、私がかじったにも関わらず、リトスさんの視線は私のパンに注がれている。
ど、どうすれば良いの?
「……私も夕飯がありますから、半分、食べてください」
「ありがと。ミルアちゃん、好き」
「は、はい」
重圧に耐えきれず、パンを半分に割ってまだ食べていない方をリトスさんに渡す。
リトスさんは笑顔でパンを受け取った後、そのパンはすぐに彼女の胃の中に消えてしまう。
……レスト様と言い、リトスさんと言い、どう言う胃袋をしているんだろう?
彼女の胃の中にパンが消えて行った様子に顔が引きつるのだけど、よく考えればレスト様がケーキを食べている時と変わらない。
「ねえ。ブライ、何か変えた?」
「……抽象的過ぎて質問の意味がわからない」
「いや、いつもと何かが違うから、研究中って言っていたし」
「小麦粉だ。今年はシュゼリア王国の出来が良くないと言う話も出ているからな。収穫量も減ると言う噂もある。そうなると輸入品を使わないといけないかも知れない」
私はいつも通り美味しいと思っていたのだけど、ブライさんのパンを常時、食べているリトスさんは何か違和感を覚えていたように見える。
彼女の質問にブライさんは呆れ顔ではあるけど、彼は小麦粉が違うと言っているのだけど、私にはそんなわずかな違いがわからない。
「そうなんだ。輸入とかになるとそう言うのってレスト様の仕事でしょ。安く仕入れたりとかできるようにならないかな?」
「わからないな。他国の収穫量もわからないし、相手だって商売だ。こっちに良い条件ばかりは出ないだろう」
「それもそうだよね……ミルアちゃん、レスト様に頑張って貰ってね」
「む、無理ですよ。そんな事、それにレスト様の事ですから、私が何か言わなくてもきちんとこの国のために働いてくれています」
私は状況がわかっていないだけど、ブライさんとリトスさんの中では大問題のようである。
笑顔でリトスさんは無理難題を私に押し付けようとするのだけど、外交の事など私にわかるわけがない。
そんな私がレスト様におかしな忠告でもしたら、大変だ。
それに小麦粉が高くなってしまってはケーキにもいくつか問題が出てくるだろう。
値段はレクサス家の当主様だ。それほど気にはしないだろうけど味が変わればどう変化するか……いや、表情は変わらないな。
けど、私のケーキの練習にも問題が出てくるか……しばらくは、レスト様持ちだから気にしなくても良いよね?
「小麦の収穫量が減りそうなのか……何年か前もあったよね?」
「そうだな……ただ、あの時は農村で病が流行ったせいで育てていた人の多くが亡くなったせいだったはずだ。レスト様なら詳しいだろうが」
「別にそこまで知りたくはないわ。私はブライのパンが美味しければそれで良い。高くなっても踏み倒すし。ミルアちゃんもレスト様に踏み倒すように言っといて」
「さ、さすがに踏み倒すのは不味いですよ」
私が小麦粉の件でレスト様がどのような反応をするかと考えているなか、2人の話では何年か前にも小麦の収穫量が落ち込んだ時があると話している。
その中で聞こえた流行り病と言う言葉に小さく表情が歪んでしまった。
リトスさんは私の表情の変化に気が付いてしまったようで、先ほどまで真面目な話をしていたのに笑顔を作り、私の肩を軽く叩く。
それが彼女なりの励ましだと言う事は直ぐに理解でき、笑顔を作ろうとするのだけど、ぎこちなかったのか、ブライさんは私の頭を撫でてくれる。
「だ、大丈夫です」
「……そうか」
「わ、私、そろそろ、帰ります。お仕事も残っていますし」
「ミルアちゃん、忘れ物。ちゃんと感想を言いに来てね。待っているから」
「は、はひ。ありがとうございます」
このままでは泣き出してしまいそうなので、私は頭を下げると逃げるように店から離れようとする。
そんな私の背中をリトスさんは優しく抱きしめてくれるのだけど、その優しさに胸が小さく痛んだ。




