一品目
「ミ、ミルア=カロンです。これから、このお屋敷でお世話になります。一生懸命に働きますのでよろしくお願いいたします」
「……知っている」
私、『ミルア=カロン』は12才になってしばらくしてレクサス家にメイドとして雇われた。
レクサス家を選んだ理由は簡単だ。お給金の高さと住み込み可と言う条件だった。
喫茶店をしていた、たった一人の家族だったお父さんが流行り病でなくなってしまい、家や店は差し押さえられて住む場所もなくなってしまったからだ。
借金は家と店を片付ける事でほとんどなくなったのだが、それでもこのままでは野垂れ死にだったなかで何とか見つけた職場だった。
レクサス家は優秀な外交官一家と小さな頃の私でも噂では聞いていた。
私を雇ってくれた当主の『クロード=レクサス』様は私の境遇を聞いて快く、私を雇い入れてくれた。
だけど……一人息子であり、レクサス家の後継者である『レスト=レクサス』様に出会った時、私の息は止まりそうになった。
金髪、碧眼の美少年、年が私より、3つ上の15才。
誰の目から見ても美少年と言い切られるだろう。
ただし……表情筋にはまったく動きがない。
見ようによっては精巧な人形がそこに置いてあって、誰かが腹話術で動かしているようにも見えた。
目に映った美しさに私は息を飲んでしまった……もしかしたら、それは一目ぼれだったのかも知れない。
その時の私はすぐに正気を取り戻して挨拶をしたのだが、レスト様の表情はまったく変わらなかった。
後から先輩達に聞いたのだけど、レスト様の表情はあれが通常らしい。
表情からは喜怒哀楽は全く読めず、せっかくの綺麗な顔立ちをしているのにも表情が変わらないと言う不気味さがある。
その不気味さから古くから仕えている者以外は雇われてもすぐに辞めてしまい人手が足りなくなってしまうと言う事であり、私もなれれば大丈夫だからと先輩達に言い聞かせられた。
不安には思っていたけど、私は仕える者が不気味だからと言って仕事を投げ出すわけにいかない。
仕事を放棄できるのは逃げ場所がある人達だからだと思う。
ご子息が怖かろうが、私はこの屋敷を出るわけにはいかない。
お父さんの店を手伝いながら、身に付けたのはわずかばかりの料理の腕くらいだった。
……それくらいしか私にはない。
学もお金もない、住む場所すらない私にはこの屋敷を追い出されたら野垂れ死にか娼館のドアを叩くしかないだろう。
まあ、胸はその時だけではなく、今も現在進行形で残念だから需要があるかはわからないけど……
だから、必死に働こうと心に決めた。
それから10年、本当に良く働いたと思います。
失敗するたびにタイミング良くいるレスト様の私を見下すような視線や、話しかけても反応無く、それどころかゴミ虫を見るような視線を向けられてもです。
それにレスト様は、確かに怖いところもありますけど表情を読めないだけで感情があるのはわかりましたし、多少の失敗はしてもクビを言い渡される事はなかったし。
先輩達は年の離れた私をかわいがってくれたし、クロード様も後を継いだレスト様もお給金だけではなく、有給休暇や使用人の体調管理など気にかけてくれる人達だった。
……ただ、視線は背中に冷たいものが伝うくらいに冷たいのだけど。
使用人達の勤務条件から考えてもレスト様には優しいところもあると思う……けっして、私がレスト様の冷たい視線に喜びを感じているわけではない。
そこだけは間違えないで欲しい。
私はドМではない……Мかも知れないが『ド』はきっとつかない。そう思う。
後はまあ、表情は無くとも年を重ねれば、美少年から美しい青年になって行く。
当然、目の保養も考えればなれてしまえば最高の職場なのである。
そう考えて必死に働きました。
……ただ、働き始めて10年が経っても新しく入った使用人達はレスト様の不気味さに負けてすぐに辞めてしまうため、後輩は育っていません。
それどころか10年経っても私は一番下っ端の使用人だったりします。
「ミルアちゃん、ミルアちゃんってば」
「え?」
「……ケーキ作りながら、眠れるの? ミルアちゃんは時々、凄い事をするね」
「お、起きていた。起きていたよ。ちょっと、集中していただけだよ。それより、お父さんの残してくれたレシピを見て作ったんだよ。お父さんほどの味は出てないと思うけど、休憩に食べよう」
……どうやら、ケーキを作りながら昔の事を考えていたようだ。
私の様子を怪訝に思ったようで先輩メイドさんが身体を揺すってくれたようで、私は現実へと引き戻される。
身体を揺すってくれたためか、クリームの配置が歪んだけど、このままだとクリームを使い切るまでケーキに乗せていただろうから感謝するべきだろう。
レクサス家の使用人達は熟練である。
一番下っ端の私でさえ、10年間の勤務実績があるのだ。
仕事の手際はすでに完璧だ。
そのため、休憩時間もそれなりにあるため、私は厨房を借りて趣味と実績を兼ねてケーキを作っている。
……もちろん、材料代は実費だけど。
それでも、他の食材と一緒に注文して貰っているから、まとめて買って貰っている分、お安くなっている。
さっきも言ったけど、このお屋敷に勤めてから10年にもなる。
年頃の娘として……ええ、世間ではすでに生き遅れ扱いされていますよ。
仲の良い友人達のほとんどもすでに結婚して、子供まで居ますよ……寂しくなんてないから。
仕方ないじゃないですか。
生きるのに一生懸命だったわけだし。
それに10年も働けば、レスト様の不気味さにさえ耐えられれば勤務条件の良さでは最高峰の条件のレクサス家のメイド。
それなりに蓄えもできる。
蓄えができて、いざ、何かをしようとした時、自分は生きる事に必死で何もない事に気が付いた。
別に夢などを追いかける気などは無いし、恋愛でも……とも考えたけど、出会いがあまりないし、良く考えると興味も薄い?
い、いや、そうじゃない。レスト様にもお相手がいないのだから使用人の私が先に良い人を見つけるわけにはいかない……そういう事にしておいて欲しい。
それに余裕ができてから、思い出してしまう時がある。
お父さんと一緒に家族2人でやっていた喫茶店。
そして、家を追い出された時に持ってきたお父さんの料理やケーキのレシピ。
あの店の建物はもう無いけど、いつか、また、できれば良いなと思う。
でも、レシピ通りに作っても記憶の中にあるお父さんの味には程遠い。
先輩達には子供の頃に食べた味だから美化しているんじゃないかとも言われるし、厨房を預かっている料理人達もケーキやデザートの腕は私に敵わないとも優しい事を言ってくれる。
……まあ、自分達の子供や孫のような年の娘が頑張って作っているんだから、それはべた褒めでしょうよ。可愛がられていると言うか甘やかされている気もする。
自分が先輩の使用人達に別の意味で可愛がられている事も知っているし、家族がいない私にとってはこの人達が家族だと言っても過言ではないと思っています。
「ミルアちゃん、これ、レスト様にも持って行かない?」
出来上がったケーキを切り分けていると私のケーキを現当主であるレスト様にも持って行ってどうかと意見が出てくる。
……いや、レスト様は食べないと思うけど。
お食事の様子を見ている限り、あのレスト様がケーキを食べるなど思えない。
レスト様は見た目から言って、ケーキなど甘い物は嫌いなタイプだ
実際、食事でデザートを食べているところを見た事はないし。
私が作ったケーキを持って行ってあの冷たい目で『いらん』とか切り捨てられたら……良し、持って行こう。最近の私にとってはご褒美と言っても過言ではない。
ただ、喜んで行ってしまってはみんなに私がドМだと思われてしまう。
それは出来れば避けたい……そうだ。とりあえず、意見を求めてみよう。そうしよう。
「でも、レスト様、食べてくれますかね? レスト様って甘いものがお嫌いなんじゃ」
手を止め、わざとらしくないくらいに演技をして、食事の時のレスト様の姿を思い出したふりをする。
……あれ? なんで、私、笑われているの?
それもなんか、優しい目で……ばれているのか? 私がドエ……マゾだと言う事を?
さすがに10年も可愛がってくれていると気づく物なのか?
……気づかれてしまうとすごく恥ずかしくなってくる。
だけど、顔に出さないように小さく深呼吸をし、気持ちを落ち着ける。
「それじゃあ、持って行ってみます」
「食べてくれると良いね。ミルアちゃん」
平静を務めると切り分けたケーキとすでに用意してくれていた紅茶を持って、レスト様の書斎へと向かおうとする。
背中越しに先輩達の生温かい空気を感じるのだけど……これはあれか? 私がМだとばれているのではなく、まさか、レスト様に好意を持っていると思われているのだろうか?
……無いな。さっきも言ったけど、私は現在、恋愛になど興味はない。
何より、今の私にとって重要なのは少しでもお父さんの味に近づく事なんだから……一応、後で否定はしておこう。
……お仕事中だよね?
レクサス家現当主であるレスト様の書斎のドアの前に立ち、小さく深呼吸をする。
もちろん、なれたとは言え、準備もせずにあの不気味さは心臓に悪いからだ。
私がレクサス家の門を叩いた時に当主だったクロード様は3年前に亡くなってしまった。
レクサス家は代々、シュゼリア王国の外交面で支えてきた家であり、クロード様が亡くなった事で地位を落とすはずだった。
しかし、クロード様はレスト様が学生の頃から外交に必要な事を充分に叩きこんでおり、彼が亡くなって直ぐにレクサス家の地位を落とすために仕掛けられた困難な外交もレスト様は表情1つ変える事無く、乗り切ってしまったのである。
レクサス家の弱体を企んだ者達は当然、舌打ちをしたようだがクロードと懇意にしていた者達はレストの優秀さを喜んだ。
喜んでくれた人の中にはレスト様と同じ年の第1王位継承者もいると噂を聞いた事がある。
……まあ、あの表情では人間関係など築けるわけがないから、絶対にデマだと思っているけど。
しばらく、書斎のドアの前に立っていると覚悟が決まった。
「……レスト様、ミルアです」
「……入れ」
もう1度、深呼吸をした後、ドアへと手を伸ばす。
2回ドアをノックしてから中からの返事を待つ。
すぐに返事があり、私はゆっくりとドアを開く。
レスト様は書斎の机の前に座り、忙しそうに多くの資料を広げて調べ物をしている。
彼はよほど忙しいのか、私に視線を移す事無く、手を動かしており、冷たい言葉がない事に少しだけほっとするような気もするけど、残念な気もする。
「何のようだ?」
「は、はい。ケーキと紅茶を運んできました。忙しいとは思いますけど」
「そうか……おいて置け」
「は、はい」
残念に思っているところにすぐに冷たい視線が私に突き刺さった。
その瞬間に私の身体は小さく震えるが、何とかケーキを運んできた事を告げたのだけどレスト様は忙しいようで私の事を見る事無く、調べ物を続けている。
邪魔をしてはいけないため、私は深々と頭を下げると書斎を後にする。
「……緊張した」
廊下に出てすぐに緊張が解けたようで声が漏れる。
10年仕えてきたのだから、レスト様が悪い人では無い事は知っている。
それに若干、Mっ気がある私だ。
ご褒美な面もあるのだけど、おかしな事をしてクビになってしまっては困る。
表情が読めないため、どこまで失礼な事をすれば、レスト様を怒らせるかもわからない。
そのギリギリを見極めるのも私の目標の1つだ。
……だからと言って、おヒマをいただきたいわけではないけど。
と、ここに居ても仕方ない。ケーキの味見をしないといけない。上達の1歩はしっかりと自分が作った物を味わってこそだ。
確か、お父さんも言っていた気がする……と言うか、全部、食べられるわけにはいかない。
作ったケーキが無くなっては困るため、私は急ぎ足で調理場に戻る。




