私が私であるために。
――新しい朝が来た。希望の朝かどうかは定かではないが、自室の窓から見る限り今日も天気は大丈夫そうだ。
とにかく、遅刻しないように身支度を始めるか。制服に着替えて、さくっと朝食のパンを食べ終え、時間の掛かる髪のセットに取り掛かる。これがまた面倒なんだよな。櫛を使ったり、ヘアアイロンを使ったり。世の女性は毎朝この作業をしてるとか……。もし、これに化粧まで加わるとどんだけ時間掛かるんだよ……。
胸の上近くまで伸びた髪を弄りながらため息をつく。そろそろ髪を切った方が良い気もするが、千円カットは駄目だって言われたしなぁ。短時間で終わるし、安いしで何が悪いんだ? いや、確かに切る人によってはすげー髪型にはなるけどね! かといって美容室に行く勇気も無いので、この問題は先送りにすることにしよう……。
ようやく髪のセットを終えて、リビングに置いてあった鞄を取りに行くと、朝のニュース番組内の占いコーナーがちょうど始まるところだった。
「ついでだから見ていくか……」
今日の運勢が良い星座順に次々と発表されていき、残すは一位と最下位のみとなった。ちなみに俺の星座はまだ出てない。自分の星座が出たら学校に行こうと思ったのに結局最後まで見ることになってしまった。
『では、今日の占いランキング一位の発表で~す! ――今日の一位はおひつじ座のあなた! 悩んでたことが解決したり、運命の出会いもあるかも?! 最下位はうお座のあなた……。絶対絶命のピンチ到来?! ちょっと? いや、すごく? 痛い目に遭いそう……。でも、大丈夫! 友達が助けてくれるかも?! 以上、今朝の占いコーナーでした! 皆さん、今日も一日頑張りましょう!』
「ふっ、やったぜ。予想通りの展開だ。何も問題はない」
言うまでもないが下から数えて一位、ようするに最下位である。てか、ちょっとなのか、すごくなのか、助けてくれるのか、くれないのか、どっちなんだよ! はっきりしろよ! どっちにしろ嫌だけどな! とにかく、俺は良い結果しか信じないったら信じない。運命は自分で切り開いて見せる! よし、今日は陸哉にジュースでもおごってやるかな! 別に恩を売る訳じゃないです。
鞄に入ってる財布を取り出し、ジュースが買えるぐらいの小銭が入ってるのを確認した後、俺は自宅を後にした。
教室へ入り、クラスメイトに挨拶をしつつ、自分の席へと向かう。すると、うつらうつらと首をがくがくしていて眠そうな一佳の姿が見えた。
「おはよ。何かすごい眠そうだな?」
「おっはー……。うん。脚本書くのに悩んでたら寝るのが遅くなった……。授業中に寝るから問題ない……」
「いや、授業中に寝るのは問題あると思いますが……。結局、書き上げることはできたのですか?」
俺の後ろから一佳への突っ込みの声が入る。振り向くと苦笑いをしている栞奈さんの姿があった。
「完成した。放課後に皆に配る」
「おー、ついにできたのか。お疲れさん。出来栄えはどうだ?」
さっきまで眠そうだった一佳の顔が急に強張ったものとなり、視線も落ち着かなくなった。あれ、何か不味いこと聞いてしまったのか?
「正直不安。それに怖い」
「一佳が一生懸命作ったのですから、きっと大丈夫ですよ!」
「んだんだ」
「二人ともありがとう」
少し表情を和らげ俺と栞奈さんに返事をする一佳であったが、それでもまだ不安そうな顔をしているのが気になるのだった――。
キーンコーンカーンコーンと、昼休みを告げるチャイムが教室のスピーカーから流れる。ようやく午前の授業が終わった。さて、昼飯ついでに今朝からずっと頭に残ってる懸念事項を片付けるじゃなくて、久しぶりに陸哉と飯でも一緒に食べるかな~。
いつも一緒に食べている栞奈さんと一佳に、今日は陸哉と一緒に食べるからと断りを入れる。栞奈さんが少し悲しそうな顔をしていたので若干申し訳ない気持ちになりながらも、弁当を手にして陸哉の席へ向かう。陸哉の席の周りにいたクラスメイトから注目が集まるが、特に気にせず声を掛ける。
「おーい、陸哉。付き合ってくれ」
「え、そんな急に言われても……。こんな公共の場で恥ずかしいよ優人……」
いや、俺は普通に昼飯に誘っただけなんだが、何でそんな反応になる? 回りのクラスメイトも何故か驚いた表情を浮かべている。
「マジかよ瑠璃原……。教室の中心で愛を叫ぶだと! やっぱりお前らできてたのかっ!」
「はぁ? 何言ってんだ。寝言は寝て言えよ……。俺はこいつを昼飯に誘っただけだ」
「え? あ、あぁ、そうなんだ。もちろんオッケーだよ」
「紛らわしい言い方すんなよ! ま、お前らが付き合うなんてありえないよなー」
「当たり前だろ。俺とこいつはただの腐れ縁だ」
全くこいつらは何考えてんだ。俺と陸哉が付き合うなんてありえないだろ! 確かに顔も性格も悪くないし、何か大事にしてくれそうだけどさ。いやいやいや、何考えてるんだ俺は!
頭をブンブンと振り回してリセット! とにかく、飯だ。飯。
教室で人に注目されながら食べるのも嫌なので屋上へと向かう。ちなみに、飲み物は食堂で調達済みだ。あ、お金を出したのは私です。
建てつけが悪いのか、ギィギィとうるさい扉を開けると、幾人かの生徒がベンチに座って弁当を摘んだり、寝転がって本を読んだりしている姿があった。天気は良好だが肌寒いためか、いつもよりかは人が少ないようで、まだベンチには余裕があった。
適当な近くのベンチに腰掛け、母手製の弁当を広げる。お、今日はハンバーグだ。少しテンションの上がった俺は早速食べ始めようと箸を手にしたが、陸哉が目の前に突っ立ったままだった。え、こいつ何してんの?
「え、お前立ち食い弁当?」
「違うよっ! さっき教室で言われたこと気にするかなって思って」
「もう済んだことだし、お前もそんな気ないだろ?」
「あーもうっ。気にした俺が馬鹿だったよ! 俺ももう気にしないからね!」
顔を手で覆い、ため息をつきながら俺の隣に腰掛ける陸哉。そりゃ意識しないことはないけど、俺はもうリセットしたから大丈夫なのだ。
「それで急にどうしたの? 飲み物も奢ってくれたし……。もしかして何か悩み?」
「ちげーよ。気が向いただけだ」
「そっか。ま、何かあっても俺は優人の味方だからね?」
またそうやって小っ恥ずかしいことを言う……。折角、リセットしたのに。少し熱を持った顔を見られないように目の前の弁当に集中する俺だった。
しばらく、互いに弁当を食べ進めることに集中していた俺達だったが、飲み物に手を伸ばした俺の手を陸哉が指差す。
「その手に着けてるやつどうしたの?」
う、どうしよう。ちょっと答えるのが恥ずかしいぞ……。ま、別に隠すことでもないし、素直に答えるか……。
「あ、あー、これか。栞奈さんが作ってくれたんだよ」
「そうなんだ! なんだかんだ言って女の子と仲良くできてるじゃん!」
「まぁな。ただし一部を除く」
「うーん、相場さんかぁ。理由は分からないけど、彼女はすごく男が嫌いみたいだね。優人だけじゃなくて、俺や他の皆にもあんなだし。でも、優人はもう女の子なのにねぇ」
「ま、別に嫌いならそれでもいいけどな!」
「そんなこと言ってー。実は仲良くしたいくせに」
「あんな暴言吐くようなやつとは仲良くしたくもないし、仲良くもなれねーよ」
「確かに、今のままじゃ無理そうだね……。きっとまだフラグが立ってないんだよ! イベントをこなしてないとか、ステータスが足りないとかさ!」
「お前な……。恋愛ゲームじゃないんだぞ……」
「いや! ゲームだって現実だって共通する部分はあるはずだよ! やっぱり、ヒロインの過去に何かがあるのが定番だよね! そこを解決することから全てが始まるんだよ! ツンデレヒロインの氷のような心を溶かした後のデレ具合が最高なんだ! 昨今のツンデレの定義は何かが違うと思うんだよね。好きな人と一緒にいたらデレるとかじゃなくて――」
「あー、はいはい。休み時間も終わりそうだし、俺は教室に戻るからな!」
何かのスイッチが入ってしまったのか、ヒートアップした陸哉を無視して、弁当を片付ける。まだぶつぶつ何か聞こえるがほっといて教室へと足を進めるのだった。
――そして、迎えた運命の放課後。
緊張した面持ちの一佳から台本が皆へと配られる。俺は手元に届いた台本を開き、旧台本では白紙であった部分を探して目を通す。
書き加えられた部分。それは白雪姫の最大の山場であり、俺にとって最大の危機を迎えるシーンだった。そう、リンゴの毒で眠りについた白雪姫が王子の口付けで目を覚ますという所だ。すっかりこんなシーンがあることが抜け落ちてたな……。いや、考えないようにしていたって方が正しいのかも……。
思い出されるのは、いつぞやのプリクラ撮影の際に至近距離で見た相場さんの横顔。綺麗で艶やかな唇をしていたように思う。顔だけは綺麗なんだよな。本当に。あれが真正面から迫ってくるらしい。いやいや! 実際にする訳じゃないし! てか、こんな恥ずかしいシーンに耐えられるだろうか等と考えていた俺だったが、そんな心配は杞憂だった。
ざわついていた教室に、不意に大きな音が響いた。その音の発信元に目を向けると、そこには一佳を静かに睨み付ける相場さんと床に叩きつけられた台本があった。
「絶対に嫌よ。こんなことなんて絶対にやらない」
冷たい声だった。全てを拒絶し、受け入れることなどありえないような。その声、その表情を見ただけで意見を覆すのは不可能だろうと誰もが感じる程に。一佳が心配してたのはこれだったのか……?
「えっと、凛花は照れてるだけですよね?」
「うん。凛花は素直になっていい」
先程までの浮ついた雰囲気は霧散し、息苦しくて張り詰めた空気の中、あえてその空気を無視するかのように栞奈さんと一佳が相場さんへと話し掛ける。
「栞奈。一佳。茶化さないでくれる? 私は本気で嫌がってるの」
だが結果は無残に終わった。取り付く島がないっていうのは、正にこのことだろう。俺もいつもとは違う相場さんの拒絶の仕方に戸惑いを覚えた。確かに俺に対しての態度は酷かったけど、今日のは何か違う気がする。怒りの質が違うとでも言えばいいのだろうか。
「で、ですが凛花、白雪姫というお話は最初から知っていましたよね? それは最初からこういった展開になることを了承してくれていたのではないですか?」
「もちろん知ってたわ。けど、それは脚本しだいでどうにかなると思ってたし、実際に貰った脚本にはそこのシーンが空白になってたから、一佳が変えてくれるんだと思ってた。けど、これは何?」
「凛花が優奈に苦手意識があるのは知ってる。だから、私も最初は変えようと思ってたから、こんなギリギリになるまで悩んでた。けど、昨日の二人の姿を見て、やっぱり本来のお話の通りにしたいと思った。その方が良いお話になると思ったから」
「私も一佳を支持します。ここを変えたら白雪姫じゃなくなってしまうと言いますか、上手く言えませんが、ここは物語の中でも特に重要だと思うんです」
「それはあなた達の自己満足だわ。たかが文化祭の演劇程度で良いお話? 何を言ってるの? どうせ見に来てる人達だって学生のお遊びだって期待してないわよ。なのに真剣になっちゃって馬鹿じゃないの? 大体――」
「――黙れよ」
それ以上の言葉は聴きたくなくて思わず俺は言葉を挟んでいた。栞奈さんや一佳、それにクラスの皆が高校最後の文化祭を成功させるために一生懸命やってたのを見てた。それはこいつも同じはずだ。昨日も劇の成功を願って栞奈さんが作ってくれたミサンガも受け取ってたじゃねーか。なのに何で、何で今まで積み上げてきたものを無駄にするようなことを言うんだよ。少しは我慢しろよ。俺のことはどうでもいい。けど、他のやつらの想いを踏みにじるような言葉は言わせたくない。
「は? 何? そっちが黙りなさいよ」
「俺のことが嫌いならそれでもいいよ。けどな、クラスの皆が一生懸命やってたのはお前も見てただろ! それをお前の都合で無駄にする訳にはいかねーだろ!」
「――さい」
「は? 何だって? 文句があるなら言えよ」
「うるさい! うるさい! うるさい! あんたに、あんたに何が分かるのよ!」
俺の言葉を遮るように大きな声を上げ、背を向けて教室から出て行こうとする相場。俺はその手を思わず掴んだ。
「――いやっ! 触らないで!」
――パンと、乾いた音が鳴った。思わず手を離してしまう俺。自分が叩かれたという事実を認識した瞬間に熱を帯び始める頬。痛みよりも人に手を上げられたということのショックで視界が歪み始めるが、それが零れない様に、歪んだ視界の先にいる相場をきつく睨み付ける。
「優奈さん! 大丈夫ですか!」
「凛花! やりすぎ!」
怒っているようにも泣いているようにも見える複雑な表情を浮かべる相場だったが、クラス中の非難するような視線に背を向けるように走り去っていった。
「凛花! 待って! うああぁぁ、ど、どうすればいいんでしょう……。あぁ優奈さん泣かないでください……」
「っぐ、泣いてない! 叩かれた時に目にゴミが入っただけ!」
まるで自分が叩かれたのように泣きそうな顔をしながら、そっと俺の目元にハンカチを当ててくれる栞奈さん。一佳も心配そうにこちらを見ている。
「えっと、今日はもう練習できる雰囲気じゃないね……。皆、片付けて今日は解散にしない?」
石のように固まっていたクラスの皆だったが、陸哉の提案に皆が同意し、教室の片付けが始まった。それを確認した陸哉が近付いてくる。
「優人、大丈夫? 彼女の態度は何かおかしい。なんだろう。怒りだけじゃない。何かに怯えてた気がするんだ」
「はぁ? 怯えてたやつがビンタかましてくるかぁ?」
「初めてです。あんなに怖い顔をした凛花を見たの。何か理由があるのだとは思いますが……」
「うん。凛花は本気で怒ってた。優奈、ごめん。私のせい」
「いいえ、一佳のせいではありません。私に責任があります。私が軽い気持ちで凛花をあの役に推薦してしまったばっかりに……。優奈さんも凛花も傷付けてしまいました。ごめんなさい」
「それは違うだろ。悪いのはあいつだ」
そりゃ嫌なやつとやりたくないだろうし、恥ずかしい場面だと思うけど、あれは流石に過剰反応だろ! ちくしょー、理由ぐらい言えよ! どうしようもねーだろ!
「あーあ、何かやる気なくすよな。何であいつ瑠璃原殴ったの」
「だな。マジなんなのあいつ」
俺と同じでクラスメイトも相場に対してイラついてる。本番を前にしてクラスの雰囲気は最悪だ。今の時期、モチベーションは最高潮に達してないと駄目なんじゃないだろうか? 折角、羞恥心を押し殺して姫役として一生懸命に練習したのに無駄になっちゃうのか? それは何か悔しい……。
「なー、片瀬。別にあいつが王子じゃなくてもいいんじゃね? 誰か別のやつがやればいいじゃん。時間はねーけどさ、あいつは駄目だろ」
「それは……。うん、考えてみる……」
クラスメイトからの言葉に考え込む一佳。確かに今から配役を変更するのであれば急がないと間に合わない。
片付けが終わったやつから次々と教室へと出て行き、いつの間にか、俺と陸哉と栞奈さんと一佳の四人しかいなくなっていた。
「私も帰ります。今日は何も手につきそうにないので……。明日になれば凛花も落ち着いているかもしれませんし、また話をしてみますね」
「うん。私も脚本や配役についてまた練り直して見る」
「俺は何もしないってのも落ち着かないし、確か追加の背景の資材が足りなかったはずだから買いにいってくるよ。先生、車出してくれないかなー。優人は?」
「俺は……。ちょっと残って落ち着いてから帰るよ。俺は大丈夫だから、皆は先行ってくれ」
「そっか」
三人はまだ心配そうだったが、俺が手を振って促すと、ゆっくりと教室を出て行くのだった。
誰もいなくなった教室で一人、席に着き、まだ熱の残っている気がする頬を冷たい机の上に押し付ける。そのまま、何も考えずにしばらく過ごすことにした。
どれくらいの時間が経っただろうか。顔を上げて時計を見ると、思ったよりも時計の針は進んでいなかったが、外はもう暗くなりつつあった。
「そろそろ帰るかな」
荷物を纏めて学校を出た。帰ると決めたが、でも何だか真っ直ぐ帰りたくなくて、いつもとは違う道を通って帰ることにした。
考えないようにしても、やはり頭に浮かぶのは先程のこと。どうしたものかと歩きながら考えていたら、違う道を通って帰るにしてもかなりの遠回りをしていることに気付く。ま、いいかと再び思考の海へと潜り込もうとした瞬間、誰かの声が聞こえた。どこかで聞いたことがある声のような気がして聞こえる方に近付く。
男女の大きな声、何だか言い争っているようだ。曲がり角の先から聞こえるため、どのような人物かは分からない。
これ以上トラブルを抱えるのは嫌だけど、もし暴力事件だったらヤバイよな……。覚悟を決めて、そっと曲がり角の先を覗き見た俺の視界の先に入ってきたのは、男に殴り飛ばされ、倒れ伏す女の姿だった――。
ちょ、これは警察を呼ばないと! 混乱しながらもスマホを取り出す俺だったが、よく見ると殴られた女が自分と同じ制服を着ていることに気付く。え? うちの生徒?
長い髪に遮られて見えなかった顔が不意に露になる。その顔を見た瞬間、俺はスマホを操作する手を思わず止めてしまっていた。
――なぜなら、それが、その女生徒が、相場だったからだ……。俺は躊躇してしまった。自業自得なんじゃないかと。嫌われてるし、平手も受けたのだからと。でも、もう声さえ出せずに蹲るだけの彼女を見て、泣いている女の子を見て、
――ほっとける訳ないだろ!!




