最終話「花束の約束」
それから、2年の月日が流れた。
少し大人びた雰囲気をまとった桜谷は、まだ着慣れない黒いブレザーの制服に袖を通し、新しい学校へ向かって歩いていた。
「おはよう、瑠璃子ちゃん!」
「おはようございます、お母さん」
相変わらず、君野の母は家の前をほうきとちりとりで掃除している。
肩には、桜の花びらが1枚乗っていた。
「あら~、その制服いいじゃない!可愛くてすごく似合ってるわ!」
「ありがとうございます」
軽く会釈をして、歩き出す。
君野の母は、桜谷が君野と距離を置いていることを知っていた。
今ではもう、家の中へ入ることもない。
交わすのは、朝の挨拶くらい。
それでも以前と変わらず、優しく接してくれる。
その一言だけで、1日の始まりが少し温かくなった。
新学期。
新しい学校。
少しだけ浮き立つ気持ちで歩いていたはずなのに、気づけば、あの公園の前まで来ていた。
「……綺麗」
雲1つない快晴。
公園一面に桜吹雪が舞い、まるでスノードームの中へ迷い込んだようだった。
吸い寄せられるように中へ入る。
スクールバッグをベンチへ置き、その隣へ腰掛けた。
目を閉じると、この数年の出来事がゆっくりと蘇ってくる。
あの日のあと。
席替えをして、クラスも変わった。
そして桜谷は、君野と堀田から距離を置いた。
もう桜谷が君野にキスをしなくても、彼が悪夢や潜在意識に苦しめられることはなくなった。
本当に、ただの同級生になった。
幸せそうに寄り添う2人を遠くから見るのは、最初こそ苦しかった。
でも。
――君野くんを、絶対に幸せにしてほしい。
そう堀田へ頼んだのは、桜谷自身だった。
それでいい。
そうすれば、君野も。
堀田も。
そして自分も。
過去ではなく、未来を見て歩いていける。
そう思っていた。
その時。
強い風が吹き抜けた。
桜の花びらが、一斉に空へ舞い上がる。
制服のスカートが揺れ、耳元の髪が頬をくすぐった。
小さな花びらが手や足へ舞い降り、ワッペンのように張りつく。
桜谷は払おうともせず、ただその景色を見つめた。
「ああ……」
本当に。
全部、夢だったみたい。
「なんで……この公園に入っちゃったんだろう……」
もう大丈夫。
時間が、全部解決してくれた。
そう思っていたのに。
「……っ」
胸の奥へ押し込めていたものが、一気に溢れ出した。
眼鏡越しの景色が滲んでいく。
「あれ……」
頬へ。
涙が落ちた。
「……っ、ああぁ……ああぁ……!」
止まらなかった。
彼は。
桜谷の人生だった。
何よりも大切な、宝物だった。
近づいて。
離れて。
忘れられて。
また出会って。
互い違いにすれ違い続けた、不思議な運命。
もう泣いたって仕方がない。
何度も。
そう言い聞かせてきたはずなのに。
「ありがとう……」
涙を拭う。
でも、また溢れてくる。
「学校……行けないじゃない……」
自分が馬鹿すぎて。
泣きながら、少し笑った。
このまま。
桜の花びらと一緒に。
どこか遠くへ飛んでいけたらいいのに。
そう思った。
その時だった。
「大丈夫?」
「……」
不意に。
あどけない少年の声がした。
桜谷は、ゆっくり顔を上げる。
「……っ」
目の前に。
少年が立っていた。
もう。
桜谷のことを覚えていないはずの少年。
それなのに。
その手には。
どこかで1輪ずつ摘んできたのだろう。
小さな野花の花束が握られていた。
「……」
声が出ない。
少年は、驚いたまま動かない桜谷を見て。
少し照れくさそうに笑った。
そして。
首を傾げ。
もう1度。
花束を差し出す。
「ねえ」
あの日とは違う。
知らない少年。
それなのに。
「この花は、笑顔の君に似合うと思うよ」
「……」
まるで。
天使のような笑顔だった。
桜谷は震える手を伸ばす。
そして。
小さな野花の花束を。
今度こそ。
そっと受け取った。
END




