トトと“声のない森”のなぞ
犬のぬいぐるみ・トトは、においをかぐのが得意でした。
落とした紙切れも、消えたおてがみも、すぐに見つけられる。
だからみんなからの信頼はあつく、困ったときはまずトトに声がかかります。
けれど、そんなトトにも、誰にも言わない悩みがありました。
「……最近、においが“聞こえない”ときがあるんだ」
トトは感覚が鋭い犬のぬいぐるみ。
においをかぐというより、“においの気配がわかる”と言ったほうが近い。
でもここ最近、ときどきその気配が急に消えてしまうのです。
ある夜のこと。
ぬいぐるみたちが動ける時間になると、トトはそっと窓の外を見つめていました。
ひんやりした夜気の中で、淡い霧が庭を包んでいます。
その霧の奥から――かすかに、呼ぶ声がした気がしました。
「……トト……」
「だれ?」
トトは耳をぴくりと動かしました。
声はすぐに消えてしまったけれど、霧の向こうに何かあるような予感がする。
「なにか、まぎれてる……」
鼻先で空気をすんすんと探ってみても、なぜか“におい”が分からない。
「へんだな……ぼくの鼻、こわれちゃったのかな」
トトが心細くなっていると、
「トト?」
モモとハリーが近づいてきました。
その後ろには、ニコと兄さんもいます。
「どうしたの?」
「顔がいつもより真面目だぞ」
とニコ。
トトは少し迷ってから、打ち明けました。
「……最近、においが聞こえないことがあるんだ。さっきも霧の中から何か呼んだ気がしたのに、気配が追えなかった」
「えっ……トトの鼻が?」
「そんな……!」
ぬいぐるみたちは顔を見合わせました。
「……森みみが出たあとだし、もしかして庭の森のほうで何か起きてるのかも」
ハリーがぽつりと言いました。
「行ってみよう!」
とニコ。
「でも無理はしないでね」
と兄さん。
トトは小さくうなずきました。
「うん。霧の奥で、だれかが呼んでる気がするんだ」
五匹はそっと窓をすり抜け、庭に降り立ちました。
霧は白く、静か。
足元の草のにおいさえ薄くなっていて、トトの鼻は不安にゆれます。
「こわくない?」
とモモ。
「ちょっとだけ……でも、みんながいるから大丈夫」とトト。
古い木の根元に来たとき、ふいに、霧が割れました。
そこには、小さな木の穴。
その奥が、いつもより深い闇に沈んでいます。
「あ……声のない森だ」
ハリーが小さくつぶやきました。
「声のない森?」
「森みみに教えてもらったんだ。森には“音が消えるとき”があって、そのときは森がみんなの声をしまいこむんだって」
トトは胸がざわっとしました。
「だから、においも気配もわからなかったのかな……?」
トトが穴に近づこうとしたとき、中からひゅうっと冷たい風が吹きました。
「……トト……」
また声だ。
でも、だれの声か分からないほど弱い。
「だれ!? ぼくを呼んでるの?」
トトが呼びかけると、穴の奥で光がゆらりと揺れました。
すると、小さな影がひょこっと出てきました。
木の葉の体をした、ちいさな犬のような精霊。
耳は葉っぱ、しっぽは枝の先でできています。
「わあ……かわいい……!」
とモモ。
「森の犬……?」
とニコ。
「……ぼく、“きこりん”」
ちいさな犬の精霊は、震える声で名乗りました。
「森のみんなの声が弱くなっちゃって、さがしてたの……森の外で“気配を聞ける”子を……」
トトの胸がちくんとしました。
「ぼくを呼んでたの?」
「うん……あなたは森の声を聞けるはずだったの。でも、森が“声をしまった”から、気配が消えちゃって……だから、助けを呼びたかったの」
トトはふいに気づきました。
「じゃあ、においが聞こえなかったのは……ぼくが悪いんじゃなくて、森が静かになってたから?」
「そう……! あなたの鼻は、ぜんぜんこわれてないよっ」
その言葉に、トトの胸がほどけていくように軽くなりました。
「よかった……!」
きこりんは申し訳なさそうに耳をしゅんとさせました。
「ごめんね。こわがらせちゃった」
「ううん。呼んでくれてありがとう」
トトはきこりんの葉っぱの頭をそっとなでました。
その瞬間、ぽっとあたたかい風が吹いて、霧が少し薄くなりました。
「……森が、返事してる」
ハリーがつぶやきます。
きこりんは嬉しそうにしっぽを揺らしました。
「トトの“聞く鼻”が触れたからだよ。森はね……聞いてくれる子が大好きなの」
「聞く鼻……」
トトはしっぽをふり、ほっと笑いました。
「ねえ、森は元気になる?」
モモがたずねると、きこりんはこくりとうなずきました。
「うん。声を聞いてくれる友だちができたから」
きこりんはトトの手を小さく握り、木の穴へ戻りかけて、ふり返りました。
「またよんでもいい……?」
「もちろん。いつでも会いに来るよ」
「やった! ありがと!」
きこりんはぱちんと葉っぱをはじくように笑い、木の根元の奥へと帰って行きました。
霧はゆっくり晴れていきます。
「トト、すごいね……森に呼ばれるなんて」
「トト兄ちゃん、かっこいい!」
「うん。トトは“守る鼻”なんだね」
みんなの言葉に、トトはちょっと照れました。
「ぼく……においをただかいでただけなのに」
「それがすごいのよ」
とモモ。
「聞くこと、感じること……ハリーが“音”を守るなら、トトは“気配”を守るんだよ」
兄さんがやさしく言いました。
トトは胸の奥でゆっくり息を吸いました。
草のにおい、夜の空気のにおい、みんなのあたたかい気配が、ひとつひとつ戻ってきます。
「……あ、ちゃんと聞こえる」
「うん、戻ったね」
とハリー。
トトはにっこり笑いました。
「ぼく、また呼ばれたら……森の声を探しに行くよ。でも、一人じゃいやだ。みんなと一緒がいい」
「もちろんだよ!」
「うん、ぜったい!」
ぬいぐるみたちの声は、夜の庭にやさしく広がり、古い木は、木の葉をそよがせて答えました。




