異世界に来たら、うさぎに追われたんだが
風が、やけにやさしかった。
草の匂い、陽の光、虫の声。どこか懐かしいような、でも見たことのない風景。青々とした草原がどこまでも広がり、すぐ近くに小さな川が流れていた。
「……あれ、俺……?」
起き上がった俺、天宮ヒロは、自分の服を見て首をかしげた。
どこか“RPGの村人A”みたいな、ダボっとしたシャツに革のベルト、半ズボンに近いズボン。それにブーツ。寝起きのクセ毛が風にふわりとなびく。
「まじか……夢、だよなこれ。っていうか、腹減った」
とりあえず立ち上がる。足元の感覚ははっきりしてるし、鼻も効く。草の匂いも、風の冷たさもリアルすぎて夢じゃない気がする。
周囲をぐるっと見回すと、森がある。川もある。なんか動物の鳴き声もする。
胃袋がキュルル、と鳴いた。
「……〆ラーメン、食っときゃよかったな……」
数歩歩き出したそのときだった。
──ガサッ。
「……ん?」
茂みが揺れた。
その方向を振り返った瞬間、目が合った。
……なんだ、うさぎ?
と思ったのも束の間。
「ぴぎゃあああああああああああ!!?」
こっちに突っ込んできたそれは、ウサギの形をしているが、耳が二股に分かれ、目が赤く、牙が生えていた。前脚の爪がやたらと鋭い。
「お、おい待て!話し合おう!俺まだスキルもわかんねーから!」
叫びながら逃げる。全力で。
草原を転がり、転び、転げ回る。
息が切れる。振り返ると、やつはめっちゃ跳躍して追ってきている。しかも笑ってるように見える。何がウサギだ、モンスターじゃねぇか!
「……やばい、詰んだ」
岩に足を引っかけ、盛大に転倒。背中から地面に叩きつけられ、息が抜けた。
ウサギ魔物が跳ね上がる。
今度は、本気で狙ってる。
(ああ……やっぱ“なんとかなるっしょ”じゃならなかったか……)
そのときだった。
──ズバァッ!
音がした。
風を切るような、鋭い一閃。
「おぉ、間に合ったかい」
ゆっくりと近づいてくる老人がいた。
白髪のオールバックに、ちょっとくたびれたコックコートみたいな服。手には、長い包丁のような……剣?
その先には、真っ二つにされたウサギ魔物が転がっていた。あれほど暴れていたのが嘘のように、静かになっていた。
「お、おじいさん……?」
「ようやるのぅ、若いの。よく逃げたもんじゃ」
俺はしばらく、何も言えなかった。
命を救われた安堵と、現実感のなさと、そしてなにより――
「……めっちゃ腹減った」
思わず口から漏れたその一言に、老人はケタケタと笑った。
「腹が減ってるなら、ちょうどええ。ちと、ワシの小屋に来んか?」
俺は、抵抗する気力もなく、ふらふらとその背中を追った。
◇
木々の合間を抜けた先に、こじんまりとした木の小屋があった。
軒先には干された香草、窓からはふわりと肉と香味野菜の匂いが漂ってくる。
「おお、ちょうどええ。さっきのウサギ魔物を使って、もう一品足してみるかのう」
そう言って老人は、台所に向かい、手際よく鍋に火を入れ始めた。
「さっきの、食べれるんですか……?」
「ああ、魔素はちと濃いが、ちゃんと処理すれば立派な出汁になる。ワシの腕を信じるがええ」
薪がパチパチと鳴る。
野菜と香草と、魔物肉のうま味がひとつの鍋の中で踊る。
ああ、なんだろう。
俺、今、異世界で、
──めちゃくちゃいい匂いのスープに見とれてる。
「さて、できたぞい。最初の一杯じゃ」
老人が鍋をかき回しながら、ニヤリと笑った。
「……この島のスープは、ちと特別なんじゃよ」
✦To be continued✦