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このビデオは再生できません(物理)

作者: 苗奈えな

 夏の夜、ある一軒家の一室に、中学生三人が集まっていた。

 外では蝉がうるさく鳴きしきり、むせ返るような湿気が窓を貫通してじっとりと部屋の中へ入り込んでくる。だが、部屋の中はそれとは対照的に、不自然なほど静まり返っていた。エアコンの効きも悪く、どこか息苦しい空気が漂っている。

「……本当にこれ見るの?」

 気弱そうな圭太が、テーブルの上に置かれた一本のビデオテープをまじまじと見つめる。ラベルには、黒いマジックで「呪いのビデオ」とだけ書かれている。

「当たり前だろ? この日のためにわざわざお小遣い使って、ネットオークションで買ったんだ。絶対見るぞ」

 主催の大樹が、得意げに言う。部屋の片隅には、乱雑に漫画やゲームの箱が積まれていた。普段ならば、それらで遊ぶのだがこの日だけは手つかずのまま。彼は珍しいおもちゃを手にした子どものような笑顔を浮かべていた。期待と高揚感で満ち溢れている。

「でもこれ、本当にヤバいやつらしいじゃん。僕もTikTokで見たよ。昔、これを見た人が次々に死んだって」

 圭太が不安そうに言う。彼の指先は、無意識に膝の上で握られていた。怖いもの見たさと、恐怖が入り混じった複雑な気持ち。

「はいはい。そういうのって、噂にどんどん尾ひれがついていくものなの。嘘に決まってるじゃん」

 美代子が眼鏡をクイッと持ち上げる。彼女は淡々とした口調だが、視線はテープに吸い寄せられたまま離れない。どちらかというと大樹と同じくワクワクしている様子だ。

「それより、そのビデオデッキ――だっけ? 本当に動くの?」

「多分。昔仕舞ってから全然使ってないし……壊れてないはず」

 大樹がリモコンを手にし、みんなが固唾をのんでテレビを見守る。部屋の中に緊張が満ち、誰もが無意識に息をひそめていた。

「よし、いくぞ」

 大樹がビデオテープをデッキにセットすると、カタカタと古い機械音が響く。テープがゆっくりと吸い込まれていき、やがてテレビ画面には真っ白な砂嵐が広がった。

「あれ……映らなくない?」

 圭太が顔をしかめる。テレビの前に三人が身を寄せて覗き込むが、画面は砂嵐のまま微動だにしない。

「壊れてる?」

 美代子が首を傾げる。彼女の声もどこか頼りなく、静かな部屋に響いた。

「いや、そんなことはないと思う。そういえば、昔の機械は叩いたら直るって見たことある」

 そう言うと、大樹がデッキをばんばん叩く。機械の鈍い音が部屋に響くたび、圭太と美代子は顔を見合わせて小さく肩をすくめた。どこか期待と不安が入り混じった空気の中で、次に何が起こるのか、誰もが息を呑んでいた。

 

 

 暗い森の中。ぽつんとある井戸の前。

 しかし、ここは実在する場所ではない。

 女はいつもの場所、古びたビデオの世界の中で身を潜めている。闇の如く黒い長髪は、前に垂らすと目元まで隠れるほどの長さで、画面の端でゆっくりと揺れる。白いワンピースの裾は、まるで水中に浮かんでいるかのようにふわりと広がり、女のまわりには、湿った空気が重く漂っていた。

 ここは、かつて数えきれないほどの人間を恐怖に陥れてきた“呪いのビデオ”の内側。女の存在そのものが、あの頃は全国で恐れられていた。ビデオテープがデッキに差し込まれるたび、女は画面の向こう側の世界に現れ、その姿を一目見ただけで人は息を呑み、時には悲鳴を上げた。井戸の底からゆっくりと這い上がり、暗闇の奥から伸びてくる自分の長い髪――。全盛期のスリルと興奮は、女の記憶に今でも鮮やかによみがえる。

 だが、時代はあまりにも変わってしまった。今や世間の主流はDVDだのブルーレイだの、配信サービスだの。カチャリと巻かれるテープの音も、物理的なざらつきも、もう誰も求めてはいない。女の居場所は、誰からも振り向かれない狭い闇へと、徐々に押しやられていった。

 女は長い間、暗くひんやりとした磁気の海の底で、ひたすらに待ち続けていた。誰かが“呪いのビデオ”を再び見つけてくれる、その日を。たまに誰かがテープに触れる気配があれば、胸の奥がかすかに弾む。だが、再生ボタンが押されることは数十年もなかった。

 そんな日々が、今日とうとう終わる。女は、耳の奥で静かにカチリとスイッチが入るような感覚を覚えた。出番まであともうちょっとだ。

 長い髪に手櫛を入れ、ワンピースの裾をそっと整える。画面の向こうにいる三人の子ども。その瞳は緊張に見開かれ、全身がこわばっている。女の目に、その様子が鮮やかに焼きついた。彼らの息遣い、微かに震える肩、寄り添う指先――どれもが、画面越しにも伝わってくる。

 ――そう、これだ。この怯えた顔。久々に“恐怖の時間”が始まるのだと思うと、腕が自然に震えた。

 女は数十年ぶりに、心の奥からじんわりと誇りが湧きあがるのを感じていた。

 だが――。

 突然、世界が大きく揺れた。

 ガン! ガン!

 激しい衝撃がビデオデッキの外から響き、女の世界にもひび割れのような歪みが走る。映像の端がさざ波のように揺れ、地面の小石が一瞬浮き上がる。

「な、なに!?」

 ビデオの世界の内側から外を見ると、男の子がビデオデッキを力任せに何度も叩いているのが見える。

「あー! ダメ! そんな強く叩いちゃダメよ! もっと優しく……! 壊れちゃう!」

 女は思わず叫びかけるが、その声は外には届かない。外の男子の手加減のない拳がビデオデッキを打つたび、磁気の波が大きく乱れ、女の足元がぐらりと沈む。やっと訪れたはずの出番が、雑な衝撃でどんどん遠ざかっていく――そんな苛立ちが胸の奥でじわじわと膨れあがる。

 ……これだからガキは、手加減ってものを知らない。

「大樹、強く叩き過ぎじゃない?」

 一番びびっているように見えた男の子が、小さく意見した。

 いいぞ。その調子だ。女はブンブンと大きくうなずいた。

「じゃあ、どうしろってんだよ」

「ネットで調べたんだけど、テープで拭くと良いらしいよ。カビてる可能性があるんだって」

「へえ。やってみるか」

 長い間しまい込まれていれば、確かにテープにカビが生えて再生できなくなることもある。女も、良い案だと納得した。はやく恐怖に満ちた顔を見させてくれ。

 井戸の中に待機してしばらくすると、女の“呪い”としての力が、急激に薄れていく感覚を覚える。磁気の流れがどこかザラザラとざわめき、世界の空気までもが乾いてヒリヒリと痛むようだ。

「今度はなんなの!?」

 子ども達が、テープをゴシゴシと雑に拭いているのが見えた。タオルの繊維が、ビデオテープの表面を容赦なく乱暴になぞっていく。タオルの摩擦が微細な粒子を削り取り、女の住む世界を支えていた見えない土台が少しずつ傷つき、脆く崩れていくような不安が体中に広がった。

「ちょっと……! やめて、やめて! それタオルで雑に拭くものじゃないから! コットンとかで優しく拭いて! 傷ついちゃう!」

 女は画面の内側から、必死に両手を振る。しかし当然、その抗議は一切伝わらない。

 タオルでテープが雑に拭かれるたびに、女の世界の端々からノイズが走り、今にも崩れてしまいそうな不安が胸を締め付ける。

 昔なら、テープを切られようが燃やされようが、女は何度でも呪いの力で復活することができた。だが今の女には、もはやそれだけの力は残されていなかった。どこか乾いた砂のように、指の隙間からじわじわと力がこぼれていくのを感じる。無力さが胸を締めつけ、目の奥がじんと熱くなった。

 外ではまたカタカタと機械音がし、再びテープがセットされる気配が伝わってくる。

 女は緊張と期待が入り混じり、思わず背筋をしゃんと伸ばす。

「これでどうだ?」

 大樹が再びデッキの操作ボタンを押し込む。三人が息を詰めてテレビ画面を見つめるが、相変わらず砂嵐のままだ。

「ダメだね。映らない」

 美代子が肩を落とし、部屋にはわずかなため息が広がる。ビデオの中でもため息が漏れたのは言うまでもない。

「圭太。他には?」

 大樹が、圭太に期待を込めて視線を向ける。

 圭太は慌ててスマホを取り出し、検索画面を指で素早くスクロールし始めた。

「じゃあ、次はこれを試してみよう」

 画面の奥で息を整えたその瞬間、今度は巻き戻しと早送りがとんでもない速度で繰り返される。

 磁気の渦が逆回転し、女の身体も映像の流れに巻き込まれて、ぐるぐると回り出す。

視界が上下左右に揺れ、女の体は遠心力でぐらぐらと振り回され、まるで洗濯機の中に放り込まれたようだった。

頭の中までぐるぐると回り、何が起きているのか一瞬分からなくなる。

「あっ、ちょ、ま、はやい――!」

 女の長い髪が空中に舞い、ワンピースの裾も裏返る。高速で巻き戻された映像は、時に女の顔を間抜けな表情で止め、またあるときは逆再生で後ろ向きに画面の隅を這わせる。

「お、早送りと早戻しすると一瞬だけなんか映るぞ」

「女の人?」

「ぽいけど、どんな映像なのかは分からないね」

 外の子どもたちの弾んだ声が遠くから聞こえ、その内容が女の耳に突き刺さる。映像が一瞬だけ映るというタイミングに合わせてポーズを取ろうとするが、うまくいかない。

「ゴイゴイスーやってない?」

「たしかに」

 ――やってねえよ。なんだよゴイゴイスーって。

 怖がらせるどころか、次々とおかしな姿をさらしていく自分。その度に、胸の奥がじわじわと熱く痛んだ。

 それでも外の子どもたちは、どんどん画面に顔を近づけ、目をまん丸くして何かを見つけようと身を乗り出している。

 その無邪気な興味と好奇心が、女の惨めさをさらに際立たせていく。

 こんなはずじゃなかった。もっと、怖がらせるはずだったのに。

 ノイズ混じりに自分の姿が乱れるたび、女の心の中では焦りと情けなさが渦のように巻き起こっていた。

 数分が経ち、室内は再び静けさに包まれていた。唯一響くのは、圭太がスマホをタップする控えめな音だけ。

「えーと……あ、これどうかな?」

 圭太はスマホの画面を指でスクロールしながら、小さく声を上げた。

「長期保存していたビデオテープは、テープが固着している場合があるため、手動でリールを巻くことで改善することがあります、だって」

「手で回せば良いのか?」

「鉛筆で回すやつじゃない」

 大樹が興味津々でテープを手に取り、表面をしげしげと観察する。美代子もそばに身を乗り出し、じっと覗き込む。

「やってみるぞ」

 三人はテーブルの上にビデオテープを広げ、作業を始める。もはや、呪いのビデオを見る緊張感はどこにもない。

 女はその様子を、内側からじっと観察していた。画面越しに映る子どもたちの不器用な手つきと、カリカリとリールを巻く音が、ひずんだ世界にまで伝わってくる。

 そのたびに、女の世界もまたふらふらと揺れ、内側の空間がゆっくりと傾き、回転しはじめる。遠心力に引っ張られるような奇妙な感覚が、女の体にまとわりつく。

「ちょっと! やめなさいよ!」

 女はふらつきながらも、必死にバランスを取ろうと足を踏ん張った。世界が回転するたび、ワンピースの裾もふわりと舞い、まるで幽霊ではなく遊園地のアトラクションにでも乗せられているようだった。

 ようやくテープが元通りに巻き直され、再びデッキにセットされる。カタカタと控えめな音を立てて機械が動き出し、三人が緊張した面持ちでテレビの前に並び直す。

「今度こそ……!」

「映れ!」

 三人の声が重なり、部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。

 全員が固唾をのんで画面を見つめる。祈るような静けさの中、ただテレビの砂嵐のノイズだけが部屋を満たしていた。

 しかし――いつまで経っても、白い砂嵐だけが淡々と広がるばかりだった。

 その瞬間、女の胸の中で何かがふっと音を立てて折れた。長い年月を待ち続け、ようやく巡ってきた舞台が、何ひとつ幕を開けることもなく静かに終わってしまう。その現実に、女は心の底から大きなため息をつくしかなかった。

 これが令和か。女の呪いは、現代の機械と相性が悪すぎるのだ。もはや自分の居場所は、もうどこにもないのかもしれない。そんな寂しさと諦めが、じわじわと胸に満ちていく。

 ――私は今日で死ぬのね。もう死んでるけど。

 ため息をつく女をよそに、大樹が再び画面を見つめながらぽつりと呟いた。

「なんか、もう良くね?」

「うん。アマプラでアニメ見よう」

「賛成~」

 三人が何事もなかったかのように立ち上がり、部屋の雰囲気が一気に軽くなる。もう、ビデオの時代は本当に終わったのだ。女の呪いも、今夜限りで引退だ。

 女は井戸の底でそっとにっこり微笑むと、静かに目を閉じた。

 

 

 それからしばらくして、また別の誰かが、どこかの家であの“呪いのビデオ”を再生することになった。

 再生ボタンが押され、画面に映し出されたのは――。

 白いワンピースを着た綺麗な女性が、まぶしい陽射しの下、楽しげに笑いながら青いビーチを駆け抜けていく。潮風が髪をなびかせ、波打ち際でスカートの裾がふわりと踊る。映像は明るく、爽やかな音楽まで流れていた。

 こうして、呪いのビデオは“恐怖”という役目を終え、まるで誰かの幸せな思い出のワンシーンのように、そっと静かに時代の片隅へと消えていったのだった。

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― 新着の感想 ―
呪いのビデオの再生に苦戦する中学生たちの描写がリアリティがあってクスッと笑ってしまいました。特に呪いの女視点での「そんな強く叩いちゃダメ!」「タオルで雑に拭かないで!」という心の叫びが面白くて大好きで…
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