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第17章 7 ベグ

 すっかり待ちくたびれた。ベグはアカトフたちと向き合う前に、ぬるい牛乳を一瓶飲み干した。出番を控えているのは、自分とあともう一人だけだ。戻ってきたアレクスが、澄ました顔でベグに合図した。

「余計なこと、言うんじゃねえよ」

 アレクスの最後の言葉を指してベグはぼやく。

「あんたの話を聞いたら、きっとあいつら縮み上がるわよ」

 ベグは握りしめたしわくちゃの紙を見下ろした。手汗で文字が滲みかけている。へたくそな自分の文字が、さらに読み辛くなっている。

 ほっと長い息を吐いて、ベグは紙のしわを伸ばしながら扉を開けた。


 ベグは、自分が他人から侮られやすいことを知っている。醜い容姿に、一向に伸びない背丈。まるで童話に出てくる悪役の小人だ。ジナイーダやコーリャのような可愛い良い子たちに意地悪をするが、結局最後は悲惨な目に遭う。

『お前はいつか、地獄に落ちるよ』

 ベグに向かってそう言った大人がいた。孤児院で、ベグが癇癪を起こして窓ガラスをたたき割った時のことだ。孤児院によく顔を出す、裕福な老婆だった。ベグや、他の子どもたちにしょっちゅう手製の菓子やセーターをくれた。今でも、何でもないタイミングでその強烈な味が口の中に蘇る。小麦と砂糖の量を取り違えたかのように、激烈に甘いケーキ。ねとねととしたアイシングが歯にくっついてとれなくなったクッキー。モスクワのマザー・テレサと崇められた老婆は、ベグに籠いっぱいの菓子を食べさせるのが好きだと言っていた。

 お前は地獄に落ちるよ。心を改めない限りね。いいかい、私の言うことをよく聞くんだ、ベゲモート。貰い手のないお前を引き取った孤児院のお母さんたちには、一生感謝しなくちゃならないよ。

 そう毎日毎日言い聞かせられながら口に詰め込んだ菓子は、吐き気を催すほどに不味かった。


 椅子の上で落ち着きなく身じろぎしていたアカトフは、やってきたベグを見て吹き出した。顔面いっぱいに広がるあばたを見て、びっくりしたのかもしれない。あるいは、やぶにらみの目が蛙そっくりだと思ったのか。ベグはそわそわと髪の毛をつまんだ。珍しくとかした髪が、またぼさぼさに乱れ広がっていないか気になってしまう。

 笑い転げるアカトフから三歩という所まで来て、ベグは突如動けなくなった。オレは、今から何を言えばいいんだっけ?

 いつまで経っても話し出そうとしないベグを、とうとう余裕を取り戻したアカトフが野次り始めた。ジナイーダも、その隣で白けた視線を彼に注いでいる。ますますベグは硬直してしまう。

 だがその時、ノックの音がして扉が再び開いた。


「失礼します!」 

 大きな声で挨拶して、ずかずかと入ってきたのは、一番手のオレグだった。小物を入れたビニール袋を左手に提げている。

「申し訳ない__うっかりして大事な小道具を忘れてしまいました」

 オレグは悪びれもせずそう言って、袋をベグに差し出した。

「すまない、ベグ。お前にこれを渡すのを忘れていた」

 オレグはベグに向かって四角い礼をした。小道具を忘れたのはベグの方だ。廊下に置きっ放しにしていたこと、今の今まで忘れていた。

「では、続きを」

 オレグが促す。ベグはゆっくりうなずいた。

 帰り際に、オレグは小さく親指を立てて見せた。


「オレの話、そんなに面白いって訳じゃないけど」

 ようやく、ベグは持ち分にとりかかることができる。

「ジナイーダの友達が消えた理由も知らないし」

 アカトフの顔に、あからさまな安堵が浮かぶ。

 まだだ、まだ早い。心の中でベグはアカトフの無邪気さを哀れんだ。

「オレは、アカトフが働いている工場に行った」

 アルミサッシや缶を作る、中規模な会社の工場だ。工員はアカトフを含めて三十三人。経理担当の社員が二人いて、工場に併設された事務所で働いている。

 ベグとアレクス、それにオレグの三人で、この事務所まで足を運んだ。大きな建物の純白の壁に耳を当てると、毎日毎時間稼働し続ける親機のうなるような音がした。

「事務所にいた、会社の人間が、オレたちに会社のことをいろいろ教えてくれた。会社の歴史や、やってる仕事、休みとか給料はどれくらいくれるのか」

 身近な大人のお仕事について、学校の宿題で調べているんです__アレクスやオレグがそう説明すると、社員はあっさりと信じた。さらには、工員の中に親せきのおじさんがいるのだと言うと、社員の集合写真まで見せてくれた。

「社長は物好きだな。会社を創立してから、毎年記念写真を撮ってるんだとさ。全部見たけど、案外皆すぐ辞めてくんだ。給料安いせいなのかな」

 お前は将来、ろくな仕事につけないだろうね__孤児院の職員や慈善家の老婆は、よくベグにそう言った。勉強嫌いを治すためだと言って、物差しや教科書で彼を叩いた。

「だけど、あんたは最初からずっとそこで働いている」

 全ての写真に、アカトフは写っていた。どれも、ぶすっとした赤ら顔で。ある年隣に並ぶ女性社員は明らかに彼とは距離を空けていた。

「会社ができたのは十三年前__あんたがウクライナから帰ってくる頃だよな」

「だったらどうした?」

 アカトフが素早く切り返す。ベグは首を振った。

「特に意味はないぜ。捕虜の身から解放されて、戦場に戻る気もしなかったあんたの周りにたまたま出来たての工場があったから、そこで働き始めただけなんだろ。大事なのはそこじゃない」

 今の工場は、二代目なんだ。去年、最初の工場を取り壊し、今のぴかぴかの建物に移転した。社員がそう言っていたし、定礎碑も確かめた。図書館で見つけた当時の新聞にも小さく載っていた。

「昔の工場の写真なんかも、見せてもらった。アルミの品物を作るだけじゃなくて、リサイクルやゴミの埋め立て事業を専門にやってたらしい。ゴミの処理って、結構大事だもんな。手を抜いたら、街がゴミだらけになっちまう。役所や製鉄業者と提携して、かなり安定した利益を出してたんだってな。ちっさな町の会社にしては、儲かってた。羽振りもかなり良かった。ツアー旅行の写真も昔のアルバムに結構載ってる」

 だけど、何故アカトフの会社は、この事業から撤退したのだろう?

「最初は、ライバルに負けたのかなって思った。けど、ライバルになるような企業は同じ町にはなかった。社員がきつい作業を嫌がった? 古株だっていう事務のおばさんに聞いたけど、そんなこともないってよ。ゴミを扱う分衛生には割に厳しくしていたし、健康被害が出た例もない。じゃあ何で会社は、ゴミの埋め立てをやめたんだろう? あんた、ゴミ処理の責任者だったんだろ? 教えてくれよ。何で、そんなに割の良い商売を会社はやめた?」

 アカトフは答えない。ジナイーダが、ちらちらと父親に視線を走らせている。彼女の指先が、神経質に動く。

「オレたち、かなり野次馬でね。スキャンダルかな__と思ったら、顔突っ込んでみたくてたまらなくなった」

 ベグたちは、会社の最初の拠点と、街から離れた場所にある埋め立て地を訪れた。

「元の工場には、大して面白いモンはなかった。だから、オレたち、埋め立て地にはかなり期待してた」

 めいめいシャベルを担いで、ペレットでできた黒い山脈まで遠足に行った。うっちゃられたパワーショベルに、少しだけガソリンを注ぎ、大胆なオレグがエンジンをかけた。

「近くにいたおっさんに見つかって怒られたけど、大事な物を探してるんだって言ったら、手伝ってくれたよ。一週間くらいかけて、ゴミの山をすっかり掘り返した」

 ベグは、アカトフをじっと見つめた。アカトフも彼を凝視している。

「何が__見つかったと思う?」

 ベグは、そこでやっとビニール袋を二人の前に突き出してみせた。

 袋の中にあるのは、汚れた人形だ。少し昔に流行った、へんてこなピンクのウサギ。

 ベグは低い声でゆっくりと言った。

「これが埋まっていた地面の更に下から、骨みたいなのが出てきた」

 強引に折り曲げられた、小さな体格の骨だった。土をはらうと、白く虚ろな頭蓋骨がはっきりと見えた。居合わせた可哀想な男は、腰を抜かしていた。

「オレたちはそこで、一旦作業をやめた。掘り返したのは埋め立て地のほんのちょっとの範囲だ。誰がこれを埋めたのか、その骨が誰なのか……オレたちには分からない」

 けれど、知る権利がある人たちがいる。

「モナやイヴァンたち、行方不明になった子どもの家族には、この事実を伝えるつもりだ」

 アカトフが動く前に、フョードルがその腕を押さえた。

「死体を隠した犯人が誰であれ、正体不明の子どもの死体が見つかったのなら、モナたちじゃないかと確認するのが当然と思う」

 そこまで言い終えて、ベグは大きくのびをした。普段使わないような堅苦しい言葉ばっかり並べ立てて、いささか疲れた。まだ、ゴミの山をあてもなく掘り返している方がましだ。

 しかし、ベグはそこで人骨を見つけた時のことを思い出し、ぶるりと身を震わせた。あの時は日が暮れかけて、薄暗かった。そういうものが見つかるだろう、見つけなければと期待をかけていたのに、実際に目の当たりにした時の恐ろしさったらなかった。

 アカトフは__と、一歩ずつ後ずさりしながらベグは考えた。一体どんな肝の太さをしているんだろう。ジナイーダもだ。散々仲間たちで嫌な話を聞かせた後なのに、ちっとも動じていないように見える。

 その時、扉ににじり寄るベグに向かって、ジナイーダが微笑んだ。思わず小さく悲鳴を上げて、ベグは仲間たちの元に逃げ帰った。

アカトフは、一度も口を開かない警官服の青年を見上げた。

「あんな、子どもの作り話を信じているのか?」

 フョードルは黙ってアカトフを見下ろした。

「冗談じゃない! 全部でたらめだ。あいつらは砂場で遊んでいるだけだ! 一体どこの誰が、あいつらの言い分を信じる?」

「誰も信じなくても」

 声変わりのまだしない、少年のやや高い声が凛と響いた。

「この国では僕たち「ソビエト」が正義です」

 コーリャだった。



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