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第17章 1 オレグ

 オレグが客間に戻って来たのとほぼ同時に、別の扉からフョードルも客間に入った。振り向いたアカトフが、フョードルの制服姿を見てぎょっとして腰を浮かせた。

「座って下さい」

 オレグはアカトフに呼びかける。

「彼は、この場では警官ではありません。ただの仮装だと思って下さい」

「仮装……か」

 アカトフは椅子に座り込み、がぶりと勢いよく紅茶を飲んだ。

「では、私のささやかな戯言を聞いていただきましょう。__まずは、これをご覧ください」

 オレグは黄色がかった大判紙を一枚ずつ、アカトフとジナイーダに配った。受け取って読み始めたジナイーダの目がぐるりと動いた。

 新聞のような体をなした、文字だらけの紙だ。ところどころにかなりぼやけた写真が印刷されている。白黒の、男の子の写真だ。ジナイーダが眉をひそめた。この場で写真の子の正体を知らないのは、彼女だけだったから。

 文章を読む前に、アカトフは当惑と警戒を剥き出しにしてオレグに問いかけた。

「何だ、これは。どういうことだよ、え? こんな写真、どこで手に入れた?」

 アカトフが動揺していることを、ジナイーダは不思議に思う。何の変哲もない人物写真だ。野外と思しきぼんやりとした背景の真ん中で歯を見せて笑う少年。まだ五、六歳だろう。手にしているのは飛行機の玩具だ。

 オレグが話し出す。

「写真に映っているのは、セルゲイ・アカトフ君。まだ五歳の時の写真です。特に何の記念日でもない曇りの日に撮られた写真ですが、残っているあなたの子ども時代の中で最も顔が鮮明なので、この写真を選ばせていただきました。セルゲイ・アカトフは、一九九二年四月二日、モスクワ州ローブニャ市で誕生しました。母親はワーニャ、父親はアントン。兄弟はいませんね。子どもの頃好きだった遊びはシューティングゲームやレスリングの真似事です。七歳の時、猫を飼っていたこともありました。母親から買い与えられたお気に入りのペットでしたが、面白半分に火のついた爆竹と共に木箱に閉じ込め、死なせてしまいました。

 あなたは十二歳まで同じローブニャ市で育てられ、父親の転職を機にモスクワ市内に引っ越しました。幼少期から、あなたは乱暴で、学校では後輩をしばしば苛めてました。中でも深刻な問題としてあなたの両親と学校の間で協議されたのが、女生徒をしつこく追いかけ回す性質だそうですね。魅力的に映った女生徒に強引に関係を迫り、断られると彼女たちの家にまでついてきた。彼女に濡れ衣を着せ、周囲から孤立させるなど周到な計略を練ったことがあった。それほど__彼女はあなたにとって魅力的だったのでしょう」

 オレグが、あなたの気持ちはよく分かりますよとでも言うように微笑みかけた。

「誰が、そんな話をお前にした。お袋か? 学校の奴らか?」

 ぶすっとしてアカトフは尋ねる。

「どうだっていいことです。義務教育を終えたあなたは、陸軍に入隊した。あなたは昔から腕っ節が強く、学生時代には格闘技の選手になったこともあった。きつい軍隊の訓練も、あなたはよく我慢して、脱走を図った同期を尻目に軍隊生活に馴染んで行った。特に好きなのは銃火器を扱う訓練でした。子どもの頃の趣味と変わっていませんね。2010年までにあなたは何度か紛争地域に投入され、実戦経験を積みました。戦闘はあなたの肌に合っていたのでしょう、戦場でも竦まない度胸の良さと、強い肉体が秘めた持久力で、あなたは上官から重宝されるようになります。

 ところが、2012年、あなたは突然軍隊から追い出されてしまいます。はて、何があったのでしょう?」

「知るか」

 アカトフは、磨き上げられた床に唾を吐いた。それでも席を立とうとしないのは、フョードルがじっと彼を見つめているからだ。

「べらべらと、下らないことばかり並べ立てて。それがお前の余興か? 時間の無駄だ。コーリャをさっさと呼べ」

「私の分はもうすぐ終わりです」

 オレグは、先ほどから直立したまま一度も体を揺らがさない。鉄のように。

「戦友たちの耳に入ったのは、あなたに関する不名誉な噂でした。あなたが、上官の愛人に手を出したとか。それが事実かどうかは、あなたのみがご存じなのでしょう。

 モスクワに戻ってきたあなたは、一時的に糧を得るために、公立学校の用務員となりました。そしてその職場で、今のご夫人と出会いました。彼女はあなたの、男らしく、細かくこだわらないところが好きだったそうです。また、今でも面影は残っていますが、若い頃のあなたはとてもハンサムで、かなり女性にもてたようですね。街をあなたと並んで歩くのは、奥様にとって誇らしいことだったようです。

 ですが、あなたは彼女と結婚してみて、すぐに彼女の欠点に気がつきました。それは、」

「やめろ」

 アカトフが身をよじって呟いた。オレグは一瞬言葉を切ったが、すぐに気を取り直した。誰かの誇りを傷つけることに今さら臆病になってはいけない。

「あなたの奥様が、性的な交渉を汚らわしいものとして嫌っていることです」

 フョードルがさっと動いた。アカトフが怒りに任せてカップを投げ割り、オレグにつかみかかろうとしたのだ。間一髪、フョードルがアカトフを抑えた。オレグは少し多くまばたきをするだけで動揺をねじ伏せた。

「その問題が解決しないままに、あなたと、ロシアは2022年を迎えました」

 私の話は以上です。オレグはそう締めくくり、まだ息を荒げているアカトフに礼をした。それから、ジナイーダにも。彼女の頬に少し赤味がさしている気がしたが、気のせいかもしれない。


 客間を辞してから、オレグは待機していたシロンの肩を叩いた。

「上々だ。安心して行け」

 シロンは黙ってうなずき、ノックもせずに客間に入って行った。


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