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第12章 2 タチアナ

 ドミトリーが何故か顔を歪めた。その理由はシロンたちには分からない。

「だ、誰?」

 オレグは溜息をつき、

「小さな報道だったからな、知らないのも無理ない。でも、お前らにも関係あると思うぜ」

「君たちの知り合い?」

「いや。会ったことはない。もうこの先、会える機会はこない」

 オレグの目がコーリャを刺す。

「タチアナは、モスクワに住むウクライナ人だ。家族と一緒に、昔の戦争から避難してきたらしい。……そして今朝、撲殺された」

 コーリャがひっと息を呑んだ。

 シロンは冷静だ。

「どこで? 犯人は?」

「ここだ」

 地面を指差し、オレグは一言一言区切るように言った。

「正にこの公園で、俺たちと同じウクライナ人の女子が殺された。下手人はまだ見つかっていない。全身の傷のひどさから、複数犯だとの見方もある」

 シロンは立ち上がる。

「もう帰ろうよ。そんな不吉な場所にいちゃ駄目だ」

「不吉と言うのか、お前は。知らない誰かが被った理不尽より、縁起の悪さが気になるか?」

「そりゃそうだよ。知らない子だもの」

 やおらオレグが右手を振り上げ、シロンの頬をはたいた。

「お前みたいな奴は、家族に守られてぬくぬくと生きてきたんだろうな」

 頬を押さえるシロンの目が揺れた。見当違いな怒りだ。シロンが生まれてから今までどんな目に遭ってきたか__それを知る者はこの場ではコーリャしかいない。

 コーリャは咄嗟に立ち上がり、オレグの頬をはたき返した。

「君だって、シロンのこと何も分かってない」

「ロシア人の肩を持つのかよ」

 赤くなった頬を指で触り、腫れ具合をシロンは確かめる。決まり悪さが頬に集まってくるようだ。さっきの言葉は、確かに死んだ子に悪かった。

 シロンはオレグやドミトリーが怖い。優等生然とした立ち振る舞いも、時折見せる粗野な態度も。自分を下に見ている同年代と話していると、次第に心が冷えていく。マリヤのようなぶっきらぼうな優しさや、ベグが見せる人恋しさもなく、ただ自分の敵としか思えない。

「シロンはロシア人じゃないよ」

「コーリャ、やめて」

 ドミトリーが首を傾げる。

「タタール系かな。うちのクラスにも一人いるよ、大人しくて目立たない子だけど」

「だったら尚更、何故タチアナの無念が分からない」

 多分、オレグの方こそ、生活を脅かされたことがないのだろう__痛みと共にシロンはその発見を噛み締める。彼には親友がいる。立派な学校に通わせて貰える資金力がある。健在で、少なくとも孫を見捨てて家を出て行きはしない祖父がいる。コーリャと出会うまでは一人も友達などできなくて、唯一頼りにしていた母親が消えた今、明日生きる金にすら不安があるシロンにとっては、知らない子の心配までしていられない。

「怖いんだよ」

 オレグはシロンをまっすぐ見て言った。

「こうしてロシアで生きてるだけで、俺たちは危険に晒されている。自分がウクライナ人だってバレたら、俺だってタチアナみたいに殺されたって何の不思議もないんだ」

「僕はそんなこと絶対にしないよ」

 ドミトリーが宣言する。

「ウクライナ人だって、オレグは大事な親友だ。有象無象と一緒には出来ないよ」

 オレグは呆れたように溜息をついた。

「それを天然で言ってるのが、正にドミトリーって感じだな」

「オレグは、いつロシアに来たの?」

 コーリャが尋ねた。

「二歳の頃に、電車でモスクワに連れて来られた。俺を引き取った親は何年かして警察に捕まって、それ以来出てこない」

「じゃあ、おじいさんと暮らしてるのは……」

「息子夫婦がパクられたと聞いて家にすっ飛んできたじいさんが、取り残された俺を見つけたんだ。__血がつながっていないから、俺のことはずっと嫌いだってさ」

 口を閉じたドミトリーの顔が辛そうで、オレグは無性に腹が立った。だが、彼が口を開く前にシロンが言った。

「それでも、僕は君が特別可哀想だとは思わない」

「俺が、同情されるためにこんな話をしたと思ってるのか?」

「その通りじゃないか。タチアナじゃなくて君自身の話ばっかりしてる。彼女が死んだのが悲しいんじゃなくて、自分が殺されるのが怖いだけなんだろ」

 ドミトリーとコーリャが反射的に動いた。互いの親友を押さえ、ベンチから立ち上がって無理矢理引き離した。コーリャにされるがままのシロンに対し、オレグは今にもつかみかかりそうに猛ってもがく。

 シロンは叫んだ。

「臆病者!」


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