第9章 手紙の中身
アリアズナが駆けてきた。
「マリヤ……怪我してる」
腫れた頬をひんやりとした指が触れた。
「殴られただけだ。冷やせば治る」
アリアズナの目は潤んでいた。
「馬鹿な子だね。何で出てきた?」
「だって……あの子に、謝りたくて」
彼女の後ろでシロンもうなずく。
「アリーは、クラブの破綻を自分の責任だと思ってる」
「あんたのせいじゃないって何度も言ったじゃないか」
「ううん。わたしの名前をつけたクラブを立ち上げた時点で、もっと積極的に動くべきだったの。どんな活動をしようとか、集めた会費は何に使うとか……。そしたら、詐欺だって言われることもなかったかもしれない」
マリヤはアリアズナの肩を抱いた。
「あいつはきっとまた来るよ。その時にゆっくりと話してみればいい」
アリアズナは小さく頷く。
「ところで、コーリャは大丈夫?」
「うん。すぐに止血したから」
シロンは周囲を警戒しながら言った。
「戻ろうよ。誰に見られてるか分からないから」
派手に割れた窓から、風が部屋の中に吹き込んでくる。細かいガラスの破片を苦労しながら拾い集め、外のゴミ捨て場にぶちまけた。
シロン曰く、もう何年も回収されていない資源ごみの墓場だ。
「あいつ、盛大にやってくれたな」
もはや何の役割も果たしていない窓ガラスの残骸を眺めてマリヤは唸った。
「ガラス代も稼いでこなきゃ」
「いいよ、そんなの……」
シロンが肩をすくめる。「僕の家だし」
「あたしたちの隠れ家でもある」
マリヤとコーリャが稼いだ金を数えても、ガラスを一枚買える値段には届かない。アリアズナが玄関マットを窓の桟に立てようとした。コーリャはそれよりも段ボールの方がいいと提案した。
「食材と一緒に、店でなんか塞ぐ物貰ってくる」
コーリャと共に買い物に出ようとしたマリヤを、シロンが引き留めた。
「何?」
「あなたたちが出かけている間、僕とアリーで調べたんだ」
シロンはマリヤの耳元で囁いた。
「ジナイーダ・アカトヴァの住所。ここからそう遠くない。地図がなくても辿り着けるよ」
「ほんと?」
「アリーが行ったことあるって」
マリヤはたじろいだ。
「そうか、簡単に行けるのか……」
「もしかして、怖がってる?」
「はあ!?」
憤慨するマリヤを、外で待っていたコーリャが呼んだ。マリヤは躊躇っていたが、やがて決然とシロンの顔を見上げた。
「明日だ。明日、こいつに会ってみよう」
「コーリャに手紙の内容は話す?」
「そうだな……コーリャ本人にいつまでも黙っておくことは不誠実と思う」
その時、アリアズナが口を挟んだ。
「でも、きっとコーリャはひどいショックを受けるわ」
「僕も……なるべくコーリャには教えたくないな。ろくな結果にならない気がするよ」
マリヤにだって分かっている。あの手紙に並べ立てられた、コーリャを傷つける言葉の羅列を思うと心が凍りつきそうになる。彼女__彼かもしれない__顔の見えない送り主に会わせるために危険を冒してコーリャをモスクワまで連れてきたのは、大きな間違いだったのではないかと思う。ジナイーダ・アカトヴァなる人物に会ったところで、コーリャにとって喜ばしい流れになるはずがない。
だが、それでもマリヤはコーリャの為にジナイーダに会いたいのだ。コーリャが原罪のように背負い続けている、死んだ母親への後ろめたさをすっかり追い払い、何も思い患うことなく未来へ進むために。
ジナイーダ・アカトヴァは、コーリャの母の死の真相を知っている。
コーリャ宛の手紙にはそう誇示する言葉と、母親の暗い秘密が知りたければモスクワに来いと挑発的な誘い文句が書かれていた。何て思いやりのない、不躾な文面だっただろう。だが、母親が死んだのが自分のせいと責めているコーリャがいて、彼の出生についてまことしやかに尾ひれをつけて噂し合う親戚がいる以上、手紙の主を無視することはどうしてもできなかった。
痺れを切らしたコーリャが、とうとう扉を開けてマリヤを呼ぶまで、三人は狭い廊下で互いの暗い顔を見つめていた。




