第9章 5 ベグ
痛みに呻きながら外を覗くと、やぶにらみの小柄な少年が石を握って振りかぶろうとしていた。
「下がれ!」
マリヤが叫び、コーリャの襟首を後ろから引っ張った。同時にまた石が飛んできて窓を粉々に割った。
「迂闊に近寄るな! 危ないじゃないか」
「怪我してる……」
シロンは、血が滲むコーリャの足の裏を調べた。
「あんたはこいつの手当をして。アリーもだよ。この家から出ないで。いいね?」
「マリヤ? 何を……」
しかしマリヤは、止める暇もなく外に飛び出して行った。
アパートの外にいたのは、醜くみすぼらしいあの少年だ。飛び出してきたマリヤを見て一瞬ひるんだが、石を拾い直し、また投げようとした。マリヤはせせら笑った。
「石を投げるだけ? よっぽど腕っぷしに自信がないのか。せっかくあたしが出てきてやったのに!」
少年が怒りで顔を歪めた。あばたの痕が顔いっぱいに残っているのが、離れていても分かる。背丈はマリヤの顎ほどしかないだろう。マリヤが拳を固めぶんと振ると、黄色い歯を剥き出した。
「出てきたのがアリアズナだったら、ぶちのめしてやった!」
「今はあたしが彼女の代理だ。あたしを倒して中に入ってみなよ。それとも、負けるのが怖い?」
少年はわめきながらマリヤに向かって突進した。マリヤは避けることもなく、正面から受け止めて少年の顔を力一杯はたいた。彼の顔が大きく左に揺れる。
「あんた、赤の広場にもいた奴だね? どうしてここが分かった?」
「ずーっと、後をつけてきたんだよっ!」
少年もマリヤを殴ろうと拳を振るう。何発か当たって頬が腫れた。
「アリアズナをやっつけられるチャンスなんて、もう来ないからな!」
「やっつけてどうする。彼女の母親に騙されたのか? あの子はただの操り人形だ!」
「嘘つけ! あいつが、おれをクラブに入れた! おれが反社の使いっ走りをして稼いだ小遣いを、全部奪いやがった!」
「入らなければ良かったじゃないか」
「ばばあが、無理矢理入れたんだよ」
少年は憎しみを込めて吐き捨てた。
「アリアズナ・クラブに入れときゃ、おれが大人しくなるって信じてるんだ。おれが誰の言うことも聞かないから」
「ひどいね」
思わずマリヤは呟いた。「あんたもウクライナから来たの?」
「だからどうした。ウクライナ、ウクライナって、どっかの家に拾われてちやほやされてる奴と一緒にすんな」
マリヤの髪を引っ張ろうとする少年の手を強く握った。少年は、くすんだ色の顔を突き出してみせた。
「おれが醜いから、誰も貰いたがらないんだってよ。せっかく攫ってきても、おれなんか要らないんだって。孤児院じゃ、ずーっと厄介者扱いだ! じゃあ家に帰せっつーんだよ! 本当の親は、少なくともおれを可愛がってくれたよ!」
マリヤは少年を押さえ込みながら、心の中で呼びかけた。戻れるよ。あんたが本当に望むなら、ウクライナに帰るのは不可能じゃないはずだ。
だが、マリヤの実父母は、金持ちだった。だから、マリヤを取り戻す話し合いを養父母と持った時、最終的に金を渡すことで解決したのだ。一刻も早くマリヤを取り返したいと母が望んでいたから。
あの時は、結局金かと養父母にうんざりしていたし、金持ちをひけらかす実父も信用できなかったが。そこまでして取り返した娘に逃げられた実父母は、今頃どう考えているんだろう?
少年の動きが弱まった。マリヤは、自分もいつの間にか押さえる力を抜いていたことに気がついた。少年はマリヤを待っている。油断している彼女を叩くこともできたのに。
マリヤはそっと少年から手を離した。
「あんた、名前は?」
「……ベゲモート」
「あたしはマリヤだ。ベグ、あたしもアリアズナも、あんたと同じような立場なんだよ。訳も分からない年頃でこの国に連れてこられて、それぞれの地獄でもがいてる。動画で見るアリアズナは、大人に作られた偽物だ。本当のアリーは、あんたの苦しみを理解できるよ。あんたをこき使う反社や、孤児院のヒトよりもずっと……」
「理解__なんて」
「あんたには仲間は必要ない? だけど、一人より集まった方が、いろんなことができる」
「子どもばっか集まったところで、何の意味もない」
「楽しいよ」
マリヤはゆっくりと言った。
「あたしたちの他にも二人男子がいる。アリーと和解できるなら、あんたを歓迎するよ。あたしたちは仲間になれるはずだ」
「それ、何てクラブ? マリヤ・クラブか?」
ベゲモートはにやっと笑っていた。マリヤも笑い返す。
「そんなダサい名前じゃないことは確かだよ」
2号室の扉が開く音がした。はっと振り返ると、アリアズナとシロンが顔を覗かせていた。
ベゲモートは顔をこわばらせ、逃げ出すように走って行ってしまった。マリヤは彼の背中に向かって「また来い!」と呼びかける。




