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第8章 12 投石

「遅い!」

 待ち構えていたマリヤがコーリャを叱る。

「ごめんよ。あの子は?」

「路地に隠れてる。ついてきて」

 建物と建物の狭い隙間にアリアズナはうずくまっていた。うつむいて豊かな髪ですっかり顔を隠してしまった彼女の肩を、マリヤが優しく揺さぶった。

「ほら、泣かないで。あのおっさんはもういないよ」

 耳を澄ますと、ボイラーの重低音や人の足音に混じってアリアズナのすすり泣く声が聞こえる。マリヤが地面に膝をつき、アリアズナを繰り返し呼んだ。

「ねえ、あんな奴の言うこと、気にしちゃいけないよ。よくよく聞いてるとあんたは広告塔に使われてるだけじゃないか。それを全部あんたのせいだなんて。あたしもコーリャも、あいつのことなんて信じないよ」

 アリアズナが一層激しく泣き声を上げた。

「でも……皆、本当のことなの。あのクラブがインチキなのも、私の動画が嫌われてることも、全部分かってる」

 しゃくりあげるアリアズナをマリヤは抱きしめた。

 マリヤの肩をそっとつつき、コーリャはちょうど3時を指す時計を見せた。マリヤが黙って首を横に振る。

 コーリャだって、放っておけないのは分かっている。だが、ただでさえ不安な異国で、唯一の知り合いとの約束を破るのは、計り知れないほど心細い。命綱を自分から断ち切ったような気分になる。

 こつんと何かが足元に飛んできて、コーリャは目を瞬いた。小石だ。戸惑っているうちに、アリアズナが痛そうな悲鳴を上げた。

「どうしたの?」

 はっと身を起こしたマリヤが、転がっているビー玉大の石に気づいた。さっきまでなかったものだ。アリアズナがまた、頭を押さえた。今度は、路地の奥から飛んできた石が彼女の頭に当たるのがはっきりと見えた。

「誰だ!」

 マリヤが鋭く叫ぶ。小石を投げてきた人物の姿は見えない。3人は狭い路地を引き返し、明るい表通りに飛び出した。たたたっと軽い足音が路地に響く。誰かが追いかけてくる。

 カフェから出てくる記者を見つけ、アリアズナが小さく悲鳴を上げた。迷わず彼女の肩を抱いてマリヤはコーリャに命じた。

「逃げるよ」

「どこへ?」

「さあね」

 その時路地から勢い良く出てきた、背の低い何者かから身をかわす。バランスを崩してよろめいたそいつは、体勢を立て直すと迷わずアリアズナにとびかかった。だが、マリヤが彼女に近づかせない。華麗に足を上げて、そいつを蹴り飛ばした。


 マリヤの足が直撃した胸を押さえて呻くのは、コーリャたちと似た背格好の少年だった。あばただらけの不器量な顔が憎しみに歪んでいる。アリアズナが恐ろしさにすくんでしまった。


 記者が近づいてくる。彼は笑っていた。恐怖に口をあんぐり開けたアリアズナと、小石を拾って振りかぶる少年を見比べて。愉快げににたにた笑っている。


 コーリャとマリヤでアリアズナの両腕を掴み、少年と記者に背を向けて走った。何個か投げつけられた石は、今度は命中しなかった。



 赤の広場を走り抜け、似たような建物ばかりの住宅地で一息ついてからまた闇雲に走って、とうとう誰も歩いていないような寂しい町まできたところで体力の限界がきた。胸を押さえて深呼吸するコーリャの傍らで、平気な顔のマリヤがアリアズナの頭を看た。

「ちょっと血が出てる。ひどい奴だね。痛い?」

「……少し」

「じゃあ……手当てしなきゃ……」

「あんたはまず自分の体調を心配しな、コーリャ。……絆創膏を買わなきゃね」

「ううん、大丈夫です」

 アリアズナがか細い声でそう言った。

「ごめんなさい、巻き込んでしまって。きっと、私のことが嫌いな視聴者だと思います。しょっちゅうあんなことがあるんです」

「いつか殺されるよ」

 マリヤは、前にコーリャに言ったのと同じ言い方をした。

「あんたはそれでいいの? あの記者に賛成するんじゃないけど、アリアズナ・クラブがあんたのやりたいこととは思えないんだけど」

「やめて、その名前を出すの」

 アリアズナが驚くほど強い口調で言い返した。

「誰かの口から出るだけで、恥ずかしくて死にたくなる。アリアズナって名前も大嫌い。皆がその名前を知っているから」

「じゃあ、アリー」

 コーリャは明るい声で呼んだ。

「ちょっと休も。誰にもじろじろ見られたり怒られないところで」

「休むのはいいけど、ぼんやりしてるとすぐ日が暮れるよ。ヤサを見つけた方がいい」

「ホテルに泊まる?」

「未成年3人を泊めてくれるホテルがあればね」

 マリヤは溜息をついた。

「あの社長には頼りたくないけど、知り合いがいない街で夜を明かすのは危険過ぎる」

「あの……よかったら……わ、わたしの家に……」

 言いかけてアリアズナは首を振った。

「家には帰りたくないの?」

 返事は聞かなくても明らかだった。

「仕方ない、また金を稼ぐか。チップさえはずめばホテルもうるさいこと言わないだろ」

「待って、マリヤ。1つだけあてがあるよ」

「ほんと?」

 コーリャは唐突に思い出した「あて」に顔を輝かせながらうなずいた。大事にしまい込んでいた紙切れを取り出し、2人の女子の目の前に突き出した。

「だけど、どこに住んでるのか分かんないんだ。家に着くまで手を貸して、アリー!」


 


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