第8章 10 アリアズナ
コートも服も、鞄も高級品だとマリヤは気づく。スカーフからこぼれ落ちる栗色の髪はパーマをあてているのか、ゆるゆると彼女の顔を縁取っていた。
少女は記者たちの席に近づいてきたが、見知らぬ子がいることに戸惑ったようだった。通路で立ちすくむ彼女のために、コーリャは記者の隣の席に座り直す。少女は記者に促され、マリヤの隣に腰掛けた。辺りをおどおどと見回し、誰も自分たちの卓に注目していないことを確認して、やっとコートを脱いで膝に置いた。サングラスを取ると、長い睫毛に半ば隠れた緑色の瞳が現れた。顔立ちはとても可愛い。街を歩いていたら、同年代の男子から声をかけられるだろう。ただし、素人のコーリャにも見てとれるほど化粧は厚い。
マリヤが少女の横顔をしげしげと見て、何事か考え込んだ。少女は3人からの視線を避けるようにうつむいた。
「アリアズナさんだね」
記者が確かめた。少女はうなずく。メニューを差し出され、か細い声でオレンジジュースを注文した。
「今日は取材に応じてくれてありがとう。多忙な君に時間を貰えるとは光栄だ」
アリアズナと呼ばれた少女は、髪の毛先をいじりながら返事をした。
「こちらこそ……よろしくお願いします」
「私はジャーナリストのボンダレンコ。この二人は……まあ、私の友達だ。驚かせて申し訳ないが、君に興味があると言うものだから」
コーリャは記者を横目で窺った。意図のある嘘か、ついさっき知り合った間柄をこの上なく雑に説明しただけか。
コーリャとマリヤを代わる代わる見比べて、アリアズナはわずかに微笑んだ。
「いいえ、お構いなく……。雑誌の取材ですよね。わたしでお役に立てればいいのですが」
「雑誌? 少し誤解があるようだな。私が書こうとしているのは本だ」
「本?」
「タイトルを知りたいかい? 『ウクライナに戻れない子どもたち』だ」
それを聞いた瞬間、アリアズナは大きく身震いした。
「どんな内容でしょうか」
「君も自分の動画で何度か言及したことがあるだろう。13年前の戦争で、ロシア軍は多数のウクライナの子どもを誘拐し、ロシアに連れて来た。彼らの殆どは速やかに養子縁組みの手続きをされて、ロシア中の家庭に放り込まれた。そして彼らは、ロシア語を話し、ロシアから見た歴史を信じ、マクドナルドを食べたことがない生粋のロシア人に仕立て上げられようとしている」
記者の声は厳しかった。可哀想なアリアズナ、すっかり縮こまって口をつぐんでいる。
「君もその中の1人だね。しかも、同じ立場の子の中では世界で最も有名だ」
「……はい」
「こう見えても、私は君の熱烈なファンでね。今までの軌跡をよく調べさせてもらった」
そう言って記者は、黒い鞄から分厚いファイルを3冊取り出した。その中の1冊を無造作に開き、アリアズナに寄越す。思わず覗き込む彼女の隣りで、マリヤもちらちらと視線を走らせた。
ビニールで綴じられているのは、ほとんどがスクリーンショットを印刷した写真のようだ。満面の笑みを浮かべた幼い少女を正面から映した動画のサムネイルが延々と載っている。記者自身の筆跡と思われる短い走り書きが動画タイトルの側に残っている他は、何の解説もない。カラーで印刷された少女のとってつけたような笑顔が延々と、ページを繰っても繰っても続いている。
サムネイルの下に、日付が写っている。一番最初が、2024年の1月7日。クリスマスだ。栗色のふわふわとした髪の同じ少女が、プレゼントらしきマトリョシカを掲げてぎこちなく微笑んでいる。
「全て君だ」
記者は、ファイルを軽く叩いた。
「本当はまだまだコレクションしていたのだが、生憎この鞄に入らなくてね。2024年1月7日から現在__2035年5月10日に至るまで、ほとんど毎日動画は投稿されている。チャンネル登録者数は400万人。外国からの視聴者も多い。総視聴回数は五億を超える。君の『ウクライナの友チャンネル』には、クレムリンも注目しているとの噂もある」
「そうか、どうりで見たことある顔だと思った」
マリヤが呟いた。
「あんたの動画を見たんだな。いつか覚えてないけど」




