表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/98

第8章 7 カフェ

 鋭い叫び声が上がり、コーリャは腰を浮かせた。見るとマリヤが背の高い男に手首を掴まれていた。コーリャは慌てて駆け寄った。

「大丈夫……」

 マリヤは必死に手をふりほどこうとするが、男が決して離さない。眼鏡をかけた茶髪の男だ。マリヤをきつい目で睨み、そのまま彼女を引きずって行こうとする。

 コーリャは咄嗟に男に抱きついた。驚いて男の手が緩む。マリヤは素早く離れたが、男は今度はコーリャを捕まえた。

「この、泥棒が!」

 マリヤがコーリャに加勢しようと近づいた。コーリャは叫ぶ。

「来なくていい! 逃げて!」

 その時、男がぎょっとして呟く。

「ウクライナ語か……?」

 しまった! 不法入国までばれたら一巻の終わりだ。男はコーリャを見下ろし、何事か考えているようだった。男を蹴飛ばそうと飛びかかったマリヤを軽くかわし、男はコーリャに言った。

「君たちは何だ? まさか……?」

 男はコーリャの両手を鋼のような力で握ったまま、ゆっくりと人混みを抜けた。マリヤが距離を保ったままついてくる。

「あれは君の恋人かな?」

「違うよ」

 おや……男が話しているのもウクライナ語だ。ロシア語とは少し違う独特の発音。コーリャは瞬きする。

 男がコーリャを連れて向かったのは、コーリャたちが先程その裏で会話をしたカフェだった。正面から見るとレンガの壁と飾ってあるぬいぐるみが目立つのに、客入りは少ないらしい。すぐ隣に世界チェーンのカフェがあるせいかもしれない。

 まだコーリャを押さえたままカフェに入ろうとして、男は後ろを振り向いた。マリヤが狩りの最中の猫のように様子を窺っている。

「君もおいで。この子が心配だろ」

 男が大声で呼びかけると、マリヤは渋々うなずいた。

 4人用のテーブルに通され、コーリャとマリヤが並んで、男はその正面に座った。男が早速メニューを広げる。

「何でも頼んでいいよ。飲み物でも、食事でも」

 子どもたちは目配せをした。その優しさが気持ち悪い。ましてや、コーリャたちはすりの現行犯なのだ。

 大人の好意は信用してはいけない。社長が教えてくれた教訓だった。

「私はココアだな」

 先に選んだ男がメニューを2人に寄越した。思わず覗き込むが、コーリャには書いてある言葉の半分程度しか分からない。

「ね、これは何て書いてある?」

 マリヤが小声で教えてくれた。

「これはトマトとチーズのパスタ。こっちはミルクティー。それでこの写真付きのデザートは、三種のソースを添えたクリームケーキだよ」

 男が興味深げにコーリャを見た。

「君は字が読めないのか?」

 むっとしてマリヤが目を尖らせる。彼女が代わりに腹を立ててくれたから、コーリャは穏やかに答えた。

「ロシア語の読み書きはできないんです」

「話せはする?」

「はい」

「そうか」

 男はソファ型の背もたれに深く身を預け、大きく息を吐いた。正面からじっくりと見ると、彼の目元には小皺が刻まれているし、とび色の髪の毛には白髪がかなり混じっている。顔だちはまだ若々しく見えるけど、四十は越えているのだろう。銀の細いフレームの眼鏡を軽く持ち上げると、鼻の上部に赤い跡が見えた。

「で、何を頼む?」

「あ、じゃあ……ミルクセーキで」

「あたしはコーヒー」

 ちらっと男が微笑んだ。

「趣味が大人だね」

 マリヤは警戒を解かない。

「どうも」

「今日だけで、いくら手に入れたの?」

 マリヤは沈黙を保っている。コーリャもうつむいて男の顔を見ない。

「君はかなり慣れているようだね。自分がやっていることが犯罪だと分かっているんだろう?」

 マリヤは答えない。恥じ入っているわけでもない。ただ、男が次に何を言い出すのか待っている。何を要求されるのか。金か、謝罪か。

 バイトしていた菓子屋でもそうだったな……と思い出す。コーリャが見ている間、彼女は一度も反省の素振りを見せなかった。家族に叱られた時も、今みたいに沈黙を貫いたのだろうか。

 僕はマリヤのようにはなれない。危険を冒す度胸も、罪の意識に蓋をするしたたかさもない。それで良いんだと思っている。だけど、マリヤが根っからの性悪だとも思わない。

 マリヤとコーリャの生まれ素性が逆だったら、彼女も今とは違った性格に育っていたかもしれない。だって、すりや万引きが得意なマリヤを育てたのは、戦場で盗みを働いた養父に違いないのだろうから。

 男が、不意に優しい口調で尋ねた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ