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第8章 6 広場

 マリヤがそんなことを思っていたなんて知らなかった。いつの間にかすごく心配をかけていたんだな。わざと大きく溜息をついてみた。地面に落ちていた木の葉がくるくると浮き上がり、また力なく転がった。干からびて、土の一部になるのを待つばかりの木のミイラだと思った。


 僕は死なない。そう、自分では思っている。だって、首を吊るのは怖い。死んだ後に噂になるのも嫌だ。それに、死んだ後に母さんに会うのはもっと嫌だ。


「父さんか……」

 世界一広いロシアで奇跡的に父親を見つけ出したとして、ぶつけてやりたい言葉が思いつかない。悪意を形にして吐き出すのは苦手だ。今まで一度もやったことがないから。かといって、会いたくないといえば嘘になる。それが野次馬根性だとしても。

「母さん……」

 母さん。面と向かって話しかけたのは、どれぐらい昔だっただろう。幼い頃は、嫌な顔をされるのに気づかず、無視されても何度も突撃していった。しまいには母親の方が家から逃げ出すくらいに。最後まで、母親がコーリャに笑いかけてくれることはなかった。

 別に、今更気にしていない。いくら恋しがったって母親はもう帰ってこない。むしろそのことにコーリャはほっとしているのだ。もう、あのアパートの気詰まりな狭い部屋で母親を避けて静かに過ごすことも、片道二時間もかけて越境通学することもない。


 母さんが死んでから、やっと僕の世界は開けたんだ。


 タマネギ型の聖堂の屋根を見ながら、自分のおぞましい考え方に身震いした。まだ家族の死を悼むべき時に、実際の僕は体の底からぞくぞくするほど喜んでいる。

 マリヤの言う「毒」は、そんな悪意に満ちた喜びを指しているのだろうか。

 __僕は、密かに溜まっていく罪悪感を見て見ぬふりしているのだろうか?



「上手くいったよ」

 マリヤがコーリャの元に悠々と歩いていた時、まだ15分も経っていなかった。

 コーリャは思わず彼女の周囲を注意深く見回した。後を追いかけてくる警官も、財布が無いことに気がついて怒っているような者もいない。

 コーリャの隣にどさっと腰を下ろし、マリヤは自分の財布を取り出した。

「ルーブルだけ抜いて、財布は捨ててきた。間抜けな外国人を二人ね。ま、どうせ他にも2つも3つも財布を隠してるんだろうさ」

 彼女が財布の中身を見せてくれた。紙幣がぎっちり詰まっている。いつの間にか、彼女は薄い手袋をはめていた。年季の入った灰色の布手袋だ。

「あ……ありがとう……」

「うろたえてんじゃないよ。モスクワ観光なんて、金が有り余ってる連中しか来ないんだ。小金をすられたくらいで痛くも痒くもない」

「だけど、カードとか身分証をなくしたら大変だよ」

「だから、財布はそいつらの近くに落としてきたよ。すぐに気がつくように」

 だから、いつまでも心配してんじゃないよ。そう言いながらマリヤは紙幣を取り出し、がっかりしたような声を上げた。

「どしたの?」

「見てよ、元やユーロだ。外国の金だよ」

 馴染みのない絵柄の紙幣をひらひらと振り、マリヤは文句を言う。

「こいつらが結構混ざってる。全く、両替もろくにできない観光客どもが……」

 マリヤはさっさと立ち上がった。

「もう一回行ってくる」

「待って、もうやめようよ。危ないよ」

「危なくなんかないね」

 鼻で笑って颯爽と銅像の前に集まる人混みに紛れていくマリヤはとても格好良かった……のだが、


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