第6章 5 手紙
連絡先を交換したでもないし、今度いつ会おうねと約束もしていない。セルギーの話が本当なら、厳しい実の両親に非行を咎められ、外出禁止でも食らっているかもしれない。まして今まで万引きを働いていた店に近づくことなど、誰が許してくれるだろう。
セルギーの高校で待ち伏せしてみようか。本人に会えなくても、何か情報が掴めるかもしれない。そう思ったけれど、すぐに打ち消した。自分が爪弾き扱いされている学校にコーリャが近づくことを彼女が喜ぶだろうか。否。どう考えても否だ。
何も、連日無理に彼女と会う必要はない。コーリャの常識的な部分が__それは伯父さんのような声で__たしなめる。まだ友だち未満の、それも年上の女の子にがっついて良いことはない。心配しなくても、きっと彼女はまたコーリャの前に現れるだろう。
しかし、待つだけでは遅いのだ。コーリャの頭の中の、「経験」あるいは「思い出」を司る妖精が拳を振り上げて力説する。彼女がシロンのように期限付きの身分だったらどうする。故郷での暮らしにうんざりして、ロシアに帰ってしまったら? あるいは、こんな娘うんざりだと匙を投げた両親が、うんと遠くの少年院に彼女を送ってしまったら?
すっかり黙り込んでしまったコーリャに伯母が声をかけようとした。しかしその時丁度、伯父が扉を開けて帰ってきた。自分の名を呼ばわる大声には、さすがのコーリャも気がついた。
「お帰り、伯父さん」
「ああ、ただいま」
コーリャが手を伸ばすと、伯父はくるくると脱いだ外套を預けた。そして、コーリャの目を見て言った。ちょっと首を傾げながら。
「手紙が来ていたぞ」
コーリャは驚く。「僕?」
「ああ。前の住所に送ってしまったみたいだな。転送の印がついている」
封筒をひらりとコーリャに渡し、べたべたと何枚も貼られた切手を指で弾く。郵便局の押印は確かに前のアパートの最寄りのものだ。
封筒を一目見ただけで、コーリャの記憶が呼び起こされる。薄紅色の封筒に、熊やマトリョーシカの不揃いな切手。丸みを帯びた宛名のキリル文字。
伯父がにこにこと尋ねる。
「ひょっとして、お前のガールフレンドかな?」
「そんなの、いませんよ」
ガールフレンド、という言葉にだけ反応した従兄弟たちがからかうように口笛を鳴らした。コーリャはさっと封筒を曲げてポケットに突っ込んだ。
二度目だ。前にもこんな手紙が届いた。あれは、母親の葬儀が終わってすぐの頃だったかな。
寝室に戻ってから、コーリャは手紙を取り出す。宛名を苦労して呼んで、やはりと合点した。
「ジナイーダ……アカトヴァ」
前に届いた手紙と同じ送り主ではないか。
封の隙間に指を入れ、無理矢理封筒を破った。中に入っていたのは薄い便箋が一枚。前回と同じだ。ただ、コーリャには今一つ内容が分からない。母親の厳格な方針によってロシア語の読み書きは一度も習ったことがないからだ。
文字の発音程度なら分かる。キリル文字を使うのはロシアでもウクライナでも同じだ。ただ、単語の意味や文法がめちゃくちゃだ。
ただ、送り主の住所くらいはコーリャにも分かった。モスクワだ。何故、ロシアの首都からコーリャに手紙が届く? 悪戯だろうか? 見たところ出しているのは女のようだ。ラブメール(そういう古めかしい言い方はバイト先の主人から聞いた)の類いにしては国際的過ぎる。
ジナイーダ・アカトヴァ。ベッドに寝転がり、意味不明な単語の羅列を電球に透かした。二度も送ってくるということは、きっと明確にコーリャを向いているのだ。でも誰が? ロシア、と呟いてはっと起き上がる。シロンの住所も、モスクワではなかったか。
引っ越しの時にまとめた荷物は、衣服以外はほとんどまだ箱に詰め込んでそのままになっていた。文房具だの何だのがごちゃごちゃとぶち込まれた箱の底を漁り、中身をほとんど床にあけた後でようやく目当ての紙片は見つかった。
細い字でシロンの住所が書かれた、くしゃくしゃの紙。電話は持っていないと言っていたから、分かるのは本当に住所だけだ。目を細めて、シロンの丁寧な字を読んだ。モスクワ市内……手紙の宛名と共通しているのはそれだけだった。第一、筆跡が全く違う。
がっかりして、コーリャはベッドの上に座った。アカトヴァ嬢の正体はまだお預けという訳だ。
シロンの住所が書かれた紙切れから、重なっていた別の紙が落ちた。何となく拾い上げ、まとめて机の上に置いた。こっちは携帯の番号つきだ。やけになれなれしいツアー客の男に貰ったものだった。名前は何だったかな、あまり覚えていなかった。




