第6章 1 コーリャ
手紙の謎を積極的に解明することもなく、コーリャは伯父の家で生活を続けていた。転校手続きや母親の相続がスムーズに終わったのは、とにかく伯父一家のおかげだ。彼らは主となって手続きを進めることはなかったが、コーリャに分からないことがあるといつでも親身に相談に乗ってくれた。その間、コーリャは社会の仕組みが随分煩雑であることを学んだが、そのおかげでいつまでも悲しむことがなくて、却って良かったのかもしれない。
新しい学校は公立だ。コーリャ自身もそう望んだから。背伸びをして私立の高い学校に通い続けることが自分たち親子の随分な負担になっていたと彼は思っていた。従兄弟たちも通った学校で、家から近いことも有難かった。
余った放課後時間を埋めるために、コーリャは新しいアルバイトを始めた。ベーカリーと一つになった菓子屋である。甘いものが好きな上の従兄弟に熱心に進められたのだ。クラブ活動をやったらどうかと伯父夫婦には助言されたが、お金がかかるクラブよりは稼ぐことのできるアルバイトの方がコーリャは好きだった。
何しろ、大好きな伯父一家の養い口を1つ増やしてしまったのである。母親の遺産といってもわずかばかりの預金で、まだ13歳のコーリャの生活費を全てカバーできるはずもない。居心地の悪さを少しでも打ち消すためにも、コーリャは自力で稼がなければならない。菓子屋は時給が割と良いだけでなく、売れ残ったパンを翌日の昼食に貰えるのも嬉しいおまけだった。町でも人気のある店だから、コーリャが働く夕方は苛烈に忙しくなる。頭を空っぽにできるのは今のコーリャにとっても助かる。
そうして彼は、母親の死について深く考えるのを先延ばしにしていった。
華やかな菓子屋は、頭の痛い問題を一つ抱えていた。万引きが多いのである。籠にいれたキャンディに始まって、クッキー、日持ちのする焼き菓子、店を締める時間になるといつも数が売り上げと合わない。
コーリャは目を細めて、常連や観光客で溢れた店内を睨みつけた。この中に盗人がいる。しかも、店長によると常習犯が潜んでいるらしい。現行犯を押さえれば給料を上げてくれる。これは頑張りどころだ。
店のため、自分の賃金のため。疑心暗鬼を膨らましながらコーリャは仕事にいそしんだ。パンを買いに来た新しい友人に心配されるほどに。
「僕の顔、そんなにおかしかったかな?」
レジでコーリャが尋ねると、袋を受け取った友人がうなずいた。
「ロシア人が近くにいるみたいだった」
コーリャは少しどきりとした。しかし、大した意味はないらしい。
「泥棒をなんとしても捕まえたいんだよ」
「ふうん、熱心だねえ」
のんびりと相槌を打っていた友人が、ふとコーリャの真似をして目を細めた。
「いいこと教えてあげようか」
「何?」
「不良ってウワサの女子が店ん中にいる。あいつが万引き犯かもよ」
「えっ、誰?」
友人が指差したのは、キャンディの袋を手に取って物色している女の子だった。背が高い。黒い髪はかなり短く、男の子みたいだった。険しい横顔は、賑やかな菓子屋には不釣り合いだ。
「うちの学校のヒト?」
「いや、高校生だよ。オレの姉ちゃんと同じクラスでさ。転校生で、根っからのワルだって」
「へえ、結構金持ちそうな格好してるのになあ」
ファーのついた防寒着を春になってもまだ着ている。それは別に珍しくもないが、汚れ一つない純白の上着は、所々不自然に膨らんでいる。
「なんでも__」
友人は低く声を落とした。店員や並ぶ客を気にしつつ、コーリャも耳を傾ける。
「ロシアから来たんだってよ。その噂が学校中に広まって、まともな生徒なら誰も相手にしないよ」
「だから不良とつるむのかな」
不意に、彼女がこちらをむいた。厳しくこわばった表情を隠すように斜め下を向いている。手にしたキャンディの小さな袋を、彼女はポケットに突っ込んだ。
「あっ!」
コーリャと友人が同時に叫ぶ。咄嗟にコーリャはレジを飛び出し、彼女の前に躍り出た。店中の注目の的だ。
少女は驚いて瞬きしている。ためらいなくその細い手首をつかみ、キャンディを取り上げた。
彼女の顔がすうっと白くなった気がした。
「現行犯だね」
話しかけると、彼女は不機嫌そうに顔を逸らした。店の中が静かになる。
「事務所に来てくれる?」
「嫌」
「駄目だよ、お姉さんもう見つかっちゃったんだから。万引きゲームはもう終わりだよ」
異変に気がついた店員が近づいてくる。それを見た少女が突然、上着をつまんで揺さぶった。
個包装の菓子がいくつも床に落ちる。周りの客が声を漏らしたが、少女はそれを掻き消す大声を張り上げた。
「あーあ、レジに持って行こうとしていたのに! このバイトが床に落としちゃった!」
「えっ」
コーリャは思わず彼女の手を放した。自由になった少女がコーリャの足を蹴飛ばし、逃げ出した。
「待て!」
コーリャも追いかける。少女はあっという間に外に出ていってしまった。こうした事態には慣れているらしい。夕方の薄暗い中、少女の姿はすぐに見えなくなった。
「コーリャ! 大丈夫か?」
友人と店員が駆け寄ってくる。
「くっそー、逃がした」
「まあでも、何も盗まれなくてよかった」
店員が慰めるように言った。見上げたコーリャの表情を見て、慌てて「今日はね」と付け加える。
「でもあの女、絶対何回もこの店でやってるよ」
何故か友人の方が店員よりも憤っている。
「かもしれないね。あの顔、見覚えがある……」
「出禁にしましょうよ。それか、泳がせてまた現行犯で捕まえるか」
「そう……うん、そうだね」
店員はコーリャの訴えに何故か目を逸らし、小刻みにうなずいた。




