第3章 3 ハーニャ
ハーニャ__もとい、ジナイーダ・アカトヴァは、2023年1月8日に正式にアカトフ夫妻の娘となった。義母アカトヴァはハーニャを連れて役所に書類を提出した。役所の職員がジナイーダに笑いかけ、ロシア人になれて嬉しいだろうと言ったが、その時のジナイーダには分からなかった。
ロシア語を教え込んだのは教師であるアカトヴァだ。単語の積み木や発音矯正の玩具がジナイーダに沢山買い与えられた。ジナイーダが側にいるとアカトフが何故か不機嫌になるので、2階に避難するか外のカフェで勉強させることが多かった。アカトヴァは厳しい教師で、娘にも妥協することはなかった。ウクライナ語の訛りを使うことを禁じ、ジナイーダが何か喋る度に発音や単語を正した。ジナイーダが無口になってくると、そういうことじゃないと腹を立てた。
3歳になった時、アカトフの大事な機械を壊したというのでジナイーダは鞭でしこたま殴られた。アカトヴァは風呂に入れさせる際に背中の傷に気がついたが、塗り薬をつけるだけで夫には何も言わないことにした。後日、ジナイーダの背中は更に裂け、その上薬が何故か家からなくなっていた。
五歳の年に、アカトヴァからもしこたま怒られる事件が発生した。アカトフ夫妻の友人夫婦が、生まれたばかりの赤ん坊を連れて遊びに来た時のことだ。
「可愛がってあげてね」
そう言われたジナイーダは、迷いなく目の前に用意された赤ん坊の股に細い指を突っ込んだ。何をしているのかすぐに気がついたアカトヴァはショックで悲鳴を上げ、それを聞きつけて二階から下りてきたアカトフがジナイーダをしこたま蹴飛ばして赤ん坊から遠ざけた。友人夫婦はアカトヴァに絶交を宣言した。
「何故あんなことをしたの?」
何度も問いただす義母に、ジナイーダは「赤ちゃんはそうやって可愛がるんだと思っていた」のようなことをたどたどしく答えた。まだウクライナにいた頃に、どやどやと家に押し入ってきた知らないおじさんたちが泣きわめく赤ちゃんにしてあげていたことの模倣だった。
アカトフは戻ってきてからしばらく妻の給料で生活していたが、そのうち近所の工場で働き始めた。工場長はジナイーダの事情を知っており、アカトフを慈善家として称賛した。ジナイーダの顔を見たいと言った上司のためにアカトフが彼女を職場に連れてきたが、ジナイーダの怯えきった顔に面子を潰され、腹を立てた。
小学校に入学すると、ロシア語が上手くなってきたジナイーダには友だちができた。仲の良い友達を家に招いた時、アカトフは彼女の悪口を幼い友人たちに吹き込んだ。この娘はろくでなしだ、近づかない方がいい。父親の俺が言うんだから間違いない。彼の話を信じた友人たちは家から逃げ出した。訳が分からず困惑して取り残されたジナイーダを、アカトフはほくそ笑んで眺めた。
ジナイーダが12歳になった頃、アカトフはジナイーダを連れて遊園地に出かけた。アトラクションで遊ぶのは早めに切り上げて、帰りに寄った安いホテルで休憩した。ジナイーダが幼い頃からの恒例行事で、二人にとって珍しくも何ともない一幕である。
ベゲモートは、あれから一度も養い親に見いだされることなく、そのまま養護施設で育てられた。職員はベゲモートの乱暴さに手を焼いていた。最近は所詮外国人の子どもと諦めて放置することにしたが、通わせている学校からしばしば苦情が来るのにはうんざりだった。
職員の誰にも懐かないベゲモートだが、よく施設を訪れる篤志家の女性には心を許しているようだった。孤児を愛し、頻繁に寄付をしてくれる、モスクワのマザー・テレサと名高いその老女は、ベゲモートに対しても慈愛に満ちた態度で接した。また、ウクライナから来たベゲモートの未来を特に案じているようだった。ベゲモートは職員によってしばしば彼女の家に行かされた。その間は、彼女たちも煩わされずに仕事に没頭できるからだ。




