三
ひろこは共同研究室にいた。二〇三教室から徒歩十歩っ、あっさりだったな。
「あー、ヒロインズじゃなーい。おつかれちゃんでーす♡」
「おうっ、だてまきっ!」
マイクかラジカセを持たせたら、イカしたラッパーだな。こいつは、事務助手してるしずのだてまきだっ。
「正しくは、倭文野穏万喜さん。うち達のOBさんなんやよ」
ゆうひが訂正して、リューガに教えた。おだまき、今度は覚えとく。
「ん? 仁科さん……いつもと感じが違うんじゃない? 勇敢さが全面に出ているような。メイク変えた?」
リューガが姉ちゃんのふりを頑張ってる。黙ってんだけど、なりきれねえんだよな。姉ちゃん独特の、明鏡止水ってオーラがまだ、できてねえ。
「というより、生き霊かしら? やだ、六条御息所!? 加持祈祷しなきゃー」
文学部ネタかよ。
「……華火、あのゴツいオネエを殴ってもいいか」
「やめとけ」
リューガはケンカ強いけど、借りてる身体は姉ちゃんだ。逆に骨折しちまうぞ。あいつに嫁がいる、なんて言ったら張眉怒目すんだろな。
「そこのパソコンいじってるのが、金時だよな?」
「そーだっ」
漆黒のスーツとプリーツスカート、さらさらつやつやの肩をちょいと過ぎた髪、ビン底っぽい丸眼鏡は正真正銘っ、ひろこだ。
「あの腕章、俺の世界では『演劇部顧問』だった」
「知ってる。あたしのとこじゃ、教師は皆つけないといけないんだってよ」
でも、真面目に伝統守ってんのは、ひろこぐらいなんだ。「文学部日本文学国語学科」、謹厳実直なひろこにかちっとはまってんだろ?
「さむセンパイ、萌子ガ声かケテきまショウか? 蔵書検索シテるミタいデスけド」
リューガの返事を待たねえで、あきこはすぐ行っちまった。あきこは人助けになると、全身全霊かけて動くかんな……。空満神道の信者って、こんなやつばっかしなのか?
「ひろポーン☆」
「なななな、何なのですか!?」
そんなにビビらなくてもいーだろが。
「ひろポンに用事ガあッタんデスよー」
「学生の質問等でしたら、できる限り答えます! ですけどけど、問題はそこではありません!! 私は宇治です! 薬物と同じ徒名をつけないでください!!」
学校の先生らは、「あだなでも平気派」と「あだなで呼ぶなけしからん派」に分かれてるみてえだ。あたしらの顧問は大抵許してくれる。苗字が難しいから名前呼びでOK
だし。ひろこは……言うまでもねえだろ。
「ソーリーっス。用事ハ萌子ジャなクテ、さむセンパイなんデス」
あきこがリューガの背を押した。
「仁科さんじゃないですか?」
「中身は俺、灰谷勇だ。身体は唯音だけどな。金時は相変わらずなようで」
ひろこは姉ちゃんをまじまじと見つめた。
「灰谷さん……私、面識がありません!」
だよな。世界が違うんだからよ。
「ひろこ、落ち着いて聞いてくれっ。ひろこはいさむ、今はリューガなんだけど、リューガの部活の顧問をしてたんだっ。パラレルワールドってやつだ。あたしもそっちで部員だった!」
「そうだったのですか!」
リューガがずっこけそうになった。受け入れんのが早スギ、ってか。カタブツだけど、義理堅いからよ、この調子で一切合切話してやれ。
「私、リューガさんの力になります!! 元の世界で、今度こそ幸せになっていただくのですよ!」
ひろこは持参してたポケットティッシュで、思いっきり鼻をかんだ。ほんと、熱血教師だよな……。号泣するとこ、あったか? ふみかが引いてたぞ。気遣い神レベルなゆうひすら、困ってた。
「どうしたら、空満を出られるのですか!?」
「それにつきましては、華火と三人でちょっと」
リューガがあたしを手招きした。別室な。書庫だったら空いてるんじゃねえか? 見てくる、よっしゃ、誰も使ってねえ。
「手回し式の本棚か、懐かしい」
リューガは、本棚の側面についてるハンドルをいじった。二十歳ってこた、大学生だもんな。今さらだけど、ふみかと同い年じゃねえか。
「華火の真似じゃねえが、単刀直入に。金と……宇治先生の『寄物陳呪』を封印したい。『流転之縁起之純粋悪・人間道』をな」
「人間道ですか!? あれは、人間でしたらどんな方にも変身できる『呪い』ですよ? 流転之縁起之純粋悪は教えていただいたことありません!」
この世にはありえない奇跡を実現する術を「呪い」っていう。ひろこは伝統の腕章で行使するんだ。「輪廻腕章」、修羅道・人間道・天上道・地獄道・餓鬼道・畜生道っつー六道の奇跡を起こせる。
「俺は見たんだけどな……。ありとあらゆる悪を詰め込んで凝縮した暗黒物質を決死の表情で流していたぞ」
「人間の行いに対して、納得いかない部分がたくさんありますけど、私、未熟な行使者ですよ!? 教員としてもですけど……!」
「でも、出してもらわねえと、リューガは未来永劫、ここに残っちまう」
ひろこは、リューガとあたしを交互に見て、うつむいた。
「ポカが少ないのは地獄道だけなのですよ……」
「宇治先生のうじうじモードだ」
リューガによると、演劇部の指導でうまいこといかなくてヘコんでるひろこを、皆でそー呼んでたらしい。
「気合いと根性でなんでもできる場合と、できない場合があるのですよ……! 一ヶ月も溜めていた書類を先生方は私に処理を任せようとしますけど、私だって忙しいのですよ! 仕事を後回しに、または、完全に忘れて、遊び呆けていたから、その因果がめぐってきたのです!! 頼みやすいから、早いからと私に全部、全部……ああああ、とろくせゃあ!!」
なんか、変なスイッチ入っちまったぞ。
「人間道は十回に一回成功します! 百回行使して、流転之縁起之純粋悪になるかどうかは分かりませんけど、やります!!」
上着を脱いで、腕章を外して、やる気に燃える。あたしとリューガは、絶句した。
「雑念を捨てて、集中なのですよ……!」
目を閉じて、ひろこは瞑想する。あたしの花火だったら、ボタン押してぶつけてどん! なんだけどな。「呪い」って、めんどくさいもんだ。
「おい、ひろこ、後ろっ、後ろっ!」
でかい辞典が並んでる中で、右端のだけが震えてた。生きてるみてえだっ……マジで生きてるんじゃねえか? 化けもん慣れしてるせいで、ついそんな風に考えちまう。
「俺が取ってやる」
リューガが辞典を抜こうとしたけど、静電気ができたカンジに弾かれた。あっちが拒否してるってのか?
「静かにしてください、気が散るじゃないですか……ええええ!? 主任連絡!?」
腕章をいったん白シャツに留めて、ひろこが辞典を簡単に本棚から出した。主任って、常に本持ってる老眼鏡のじいちゃんだよな。あたしの担任の父親でもある。
「…………はい、了解なのですよ!」
辞典を閉じて、ひろこは難しそうな顔した。
「急ぎの仕事です」
「裏の、ってやつか」
ひろこは首を縦に振った。
ひろこをはじめとする日文の先生は、文学を教えたり、論文を書いたりするだけじゃねえんだ。「呪い」を悪用するやつ、暴走させたやつを捕まえる。そいつらの行使する「呪い」を、ひろこらの「呪い」で止めるんだと。昨日、ひろこが話してた。
「他の先生方は、講義や学生との面談で動けないのです! ですから、行ってきます!」
「ちょい待ち! あたしらも戦う!」
顧問が原因かもしれねえし。空大で奇奇怪怪な事件つったら、十中八九っ、あだたらまゆみなんだよ。
「顧問の許可をいただかなければ、私としては……あ! 安達太良先生は卒論の指導相談中でした!」
「マジかよ。ひとりで勝てんのかっ?」
「だだだだ、大丈夫なのですよ! 地獄道で燃やせば……燃やせないのです! 今回は、水の『呪い』です! 他の戦法、全然考えていません! そうこうしている間にも被害がああああ!!」
デカい体で右往左往してるとこに、リューガが待ったをかけた。
「先生、華火達と共闘しませんか。当然、俺も出る。七人でなら、より広範囲を守れるだろう」
リューガの真剣さに、あたしとひろこは心を揺さぶられた。
「そーだっ! ひろこ、臨時顧問になってくれっ! 日文公認サークルなんだ、まゆみ不在の時は、他の日文の先生がなりゃ、なっ?」
こないだの「酒呑み白猿暴風雨事件」ん時は、力暴走させて眠ってたまゆみの代わりに、ハゲ御門が出動させてくれたぞ。
「学生を危機に巻き込みたくはありませんけど、時間がもったいないですよね! 分かりました!!」
ひろこは、そこらへんのメモ用藁半紙に「臨時顧問」と強くて硬い字で書いて、腕章の上にテープで貼っつけた。
「臨時顧問、宇治紘子より! 『スーパーヒロインズ!』出動です!!」
あたしとリューガの声が、自然に合わさった。
『ラジャー!』
後書き部分に作者の声を書いておりますのは、花浅葱様の代表作を意識しているのでありまして(お礼作品ですからね)。『Dead or chicken ~鶏に転生したので、地球に戻るために鶏ライフを謳歌する~ 』を読まれる際は、各話の後書き部分にも注目ください(時々、無しの時もあったはず)。
次回、まさかのリューガ唯音がヒロインに変身!? 男女混合のお着替えは、倫理的にどうなのか!?
……ところで宇治先生の方言、かわいくないですか?