本音
優子ちゃんは「教室に戻る」と言ってくれたけどそれは具体的にはいつごろになるんだろう。それまでは私のメッキは持つのだろうか。と、思っていたら、やっぱり持たなかった。昼休みに幸が私を呼び留めた。
「なに?」
廊下の端の窓から差す光の中にいる幸に近づいてく。幸の表情が硬くて「あ、終わったな」と思う。
幸は「トモさ。ユカの前で私のことうざいって言ってるらしいね」と言った。
「そんなこと言うわけないじゃん」
我ながらナチュラルな発音で返せたはずだが心臓がバクバクしだす。「や、聞いたから。誤魔化さなくていいよ」声も硬い。ダメだな。幸の心に出来た壁は崩せそうにない。「ごめん」私は開き直った。
「由香里と話すには、あわせるしかなかったから」
「うちと話してたときにユカをうざいって言ってたのも?」
「そう。話しをあわせてた。ほんとはどっちのこともうざいって思ってたわけじゃない」
「トモはほんとは何思ってたの?」
幸が冷たい視線で私を見る。
「怒らないから言ってみなよ」
幸が言う。その声にお母さんの声が重なって聞こえた。
ドウシテオイノリニイカナカッタノ。
怒らないから言ってみなさい、どうしてお祈りにいかなかったの? あのとき私は勇気を振り絞って全部伝えた。ほんとはもっとみんなと遊びたかった。讃美歌なんて全然好きじゃなくてほんとはアニメのかわいい曲やアイドルグループの歌うかっこいい曲が好きなこと。そしたらお母さんは真っ赤になって怒った。あんたなんか私の子じゃないと髪を振り乱して叫んだ。私にとって「本音」を話すことはとても難しい。
幸の目を見る。
「わたしは、ただ、幸と由香里に仲良くしてほしくて、」
声が震えて、掠れた。
だって誰か間にいないと幸と由香里はどんどん離れていって拗れていくじゃん。だから私は間に立っていようと思って。二人に仲直りして欲しくて。私を介した伝言ゲームみたいでもいいからどうにか話し続けるためのとっかかりになれればと思って。優子ちゃんみたいに間に入ってうまくやれたらって。でも私はやりかたがへたくそで上手にできなくて。優子ちゃんとは違ってて。
「こうなったときにうちが傷つくって思わなかった?」
「思ってたよ」
「でもやったんだ」
「そうだね」
「わかった」
幸は最後に凄まじい憎悪のこもった視線を私に投げつけて、私の横をすり抜けて教室に戻っていった。私はしばらくさっきまで幸がいた光の中で立ち尽くしていた。「じゃあどうすればよかったってんだよ」呟く。幸について由香里を罵って、由香里の取り巻きに罵られてればよかったのかな。もしくは由香里について幸の取り巻きに罵られてればよかったのか。私はどっちも嫌だった。でもたぶんその方がまだ誠実だったんだろう。
幸に遅れて教室に入ると、女子全員がこっちを見ていた。幸と由香里が一緒にいて両方とも私を睨んでいる。ぴしり。空間がひび割れた音がした。ついさっきまで由香里対幸の構図だった教室は、私対全女子の構図にほんの五分で書き換わった。おめでとう、ついに私の正体がわかったんだね。おまえらの頭の単純さに辟易することがなくなることを私も喜ぶよ。そんなふうに強がろうとしたが、味方のいない教室はふつうにきつかった。あー、お腹痛い。
次の授業が終わって由香里が私の頭を掴んで弄くりまわした。髪がぼさぼさになる。
「なに?」
「幸と揉めたんだって?」
「うん」
「んで幸の前ではあたしのことうざいって言ってたんだって?」
「語弊がある気がしますな」
誤魔化そうとしてみるが幸が睨んでいた。弁解の機会は与えてもらえなさそう。
「まああたしはそんなに気にしてないよ。ガス抜きしてもらってたと思ってる」
お。由香里からそんな冷静な言葉が出てくるとは思わなかった。「やっぱちょっとは腹立つけどな」由香里は私の頭を両こぶしでぐりぐりする。痛い。やめろ。
「ちょっと時間くれよ。正直腹立つけど、そのうち気持ちに整理つけるから」
「えっと、……わかった」
「そんだけ。んじゃ」
由香里が手を離した。私はぼさぼさになった髪を簡単に手櫛で直す。なんだっけ。たぶん言わないといけないことがある。あ、そうだ。
「由香里」
「ん?」
上から目線で気持ちに整理とかきしょいこと言ってんじゃねーよ。そもそもてめえと幸が急に揉めだしたからこんなことになってんだろ。てめえらの揉め事差し置いて私を責める前にクソボケのてめえらを見つめ直せよ。ちがう。これじゃない。
「ごめん」
意外と、本心から出た言葉だった。
由香里がくすっと笑って、でも返事はせずに席に戻った。気を使われたことに、気づいた。由香里は私を袋叩きにする空気になった教室を、私を責めて許していくポーズを示すことでちょっとだけ変えてくれた。でもそれはちょっとだけで、やっぱり私は視線がこわくてお腹痛いままだったけど。
授業が終わってさっさと教室を抜け出して階段を逃げるみたいに駆け下りてたら廊下の影から城山がぬっと出てきてぶつかった。元々はどっかの企業で社会人バレーボールチームに所属してて主力選手だったっていう城山はがっちりしてて私の体重なんかじゃビクともしなくて私は跳ね返されてコケそうになる。「おっと」後ろに回った手が私を支える。ジャージ姿の城山が、近い。「大丈夫か? 階段走んな」「すみません」背中に触れた手が肌をなぞるように動いて、ぞっとした。離れる。城山の細くなった目には性欲の光がある気がする。由香里に付きまとう「城山とヤッてんじゃね?」という噂の根本の要因は由香里じゃなくて城山の方で、私がバレー部やめたのは城山が嫌だったのもある。
なんかもう全部嫌だな、と思った。