花まで咲いてる
「トモ」
掃除の時間に階段の上から珍しく一人でいる幸が手招きしてきた。無視するとうっぜえことになるから仕方なく私は箒を置いて階段を登って最上段に尻を置いている幸の隣に座る。校則を丸無視して爪を青く塗り、髪にゆるふわパーマをかけて制服を着崩しスカートを引き上げている幸の隣は放課後も間近なのに無駄にいい匂いがする。背の低い幸がちょっとだけ顔をあげて私を見上げる。
「どった?」
一応訊いたけど訊くまでもなく由香里の悪口が言いたいんだろーなと察しがついていた。
幸は大方の予想を裏切って「ユーコだいじょぶ?」と言った。
「いや、私に聞かれても。知らんがな」
「家近いんしょ? 様子見に行ったりしてないん?」
情報源は向井だろうか。校則に反しまくっているわりに幸は先生ウケがいい。服装検査のときだけはちゃんとしてくる程度に良識のある幸は問題児ってほどではなくて、先生達は物分かりがいいヤンキーが好きなのだ。なんか間違ってる気がする。先生たちは校則をちゃんと守ってる私達をもっと評価するべきだ、が、そういう私たちは先生からすれば凡庸すぎる。杭は多少尖ってた方がいい。
「んー、まあなんとかなるんじゃないかな」
たぶん、優子ちゃんは私達よりはずっと大丈夫だ。
幸は口ごもって視線を彷徨わせる。なにが言いたのか察しが付いて唇が勝手に「由香里と仲直りしたら?」言っていた。幸は一瞬、不愉快そうに目の端を歪めたけれどすぐにしゅんとなった。
「ユカがはじめたのにうちから折れるのはなんか違うじゃん」
まあこれが幸の本音だ。
そこから先は由香里の悪口のオンパレードになって私は適当に相槌を打ったけれど、幸もこの状況が泥沼でべつにいいことじゃないのはわかってるし由香里のことをほんとにぶっ潰したいほど憎んでるわけでもない。ただ単にカッとなって売られた喧嘩を買ったものの引っ込みがつかなくてなっているだけなんだ。私たちのプライドと自意識は天空よりも高く、適当に謝って場を収めるというすべをまだ身に着けていない。
もしもどっちかをへし折って謝らせて状況を収めるならば幸なんだろうな。幸は非情になり切れていない。由香里の急所である「顧問の城山とヤってんじゃないの?」という噂のカードをまだ切っていなくて手札に留めている。そのカードは真偽はどうあれ由香里を傷つけるには充分なのに。幸には妥協の余地がある。
「どっちが悪いと思う?」
訊いてきた幸に対して幸が言ってほしいであろう「そりゃもうぜったい由香里だよ」という言葉を雨霰と降り注ぐ。私自身にもときどき自分が何を言っているのかわからない。幸は無表情で私が幸の言う事を全肯定するのを聞いている。
もうちょっとうだうだ話したあとでチャイムが鳴ったから教室に戻る。私たちが半分くらいで投げ出した掃除の続きを二軍女子と二軍男子が片付けてくれていた。
便所行ってから帰ろうとすると、女子トイレの個室からにゅっと手が伸びてきて私の肩を掴んで個室の中に引きずり込んだ。ひえ。なんだ? 妖怪? そいつは背中側から私の腹に手をまわして脇腹を掴んでがっちりホールドする。おそるおそる横を見ると由香里の顎が私の耳の横にある。短くて硬い髪が私の頭のてっぺんに触れる。私は抵抗を諦めた。
「バレー部は?」
「城山が休みで自主練」
ぶっきらぼうに由香里が答える。自主練なんかあの連中が真面目にやるはずがなくて体育館は閑散としててチームプレーのスポーツであるバレーで出来る一人での練習はせいぜいサーブ練ぐらいで、由香里も抜けてきたようだ。
「優子どうだよ?」
話しの切りだし方が幸と一緒で私は笑ってしまう。
「んだよ?」
「や、べつに」
幸に答えたのと同じように答える。由香里が優子ちゃんの様子をもうちょっと詳細に聞きたがるが、どんなふうに答えても歯切れが悪くてそんなことが訊きたいわけじゃないことをなんとなくつかみ取る。結局のところ由香里も言いたいことは幸と変わんないみたいで「幸と仲直りしたら?」私がそう言った途端に私を掴む手にぐっと力がこもって、で、すぐに抜ける。
「部のこと巻き込んだのがゆるせねーの」
由香里が言う。
いや、それは違うよ、由香里は幸がどんな手を使ったとしても“〇〇したことがゆるせねーの”って言ってるよ、そもそも由香里は自分がちょっと部活で上等な扱いされてるからって調子に乗って自分のことを特別な人間だと思ってみんなを見下してるからこんなことになったんだよ、と、ここまで言いかけて寸でのところで飲み込んだ。それはたぶんあってるんだけどべつにこんなこと吐き出して由香里のお気持ちを損ねる必要はまったくない。
172㎝の由香里をへし折ることは144㎝の私には難しい。やっぱり折るなら幸の方だ。
「幸のやつ、根も葉もないことばら撒きやがってさ」
由香里が言う。由香里はチームメイトを信頼していて、同学年の自分のチームメイトが影で言っている誹謗中傷の数々を幸が捏造したものだと思っている。実際は違う。根も葉もちゃんとあってなんなら花まで咲いている。小学生の頃からバレーをやっていて一人だけ段違いで上手くて背も高い由香里のことが、由香里のチームメイト達は大嫌いだ。なぜなら由香里のスパイクサーブとジャンプフロッターサーブを誰もまともに返せなくてゲームにならないから。172㎝で手足も長い由香里の最高到達点が2m50㎝を超えるスパイクを誰もブロックできずにレシーブできないからだ。一年生のバレー部員にとって由香里は自分達の凡庸さと無力さを象徴する存在なのだ。わざわざ由香里に象徴されるまでもなく真面目に練習してない彼女らは無力で凡庸なのだが。草。
「おまえ、部に戻らねーの?」
「や、練習きつい。しんどい」
私は言う。ほんとのところ私はバレー部の練習よりも現状の教室とおんなじくらいに部員同士がギスギスウザウザしてて足の引っ張り合いに終始していて、顧問と先輩のお気に入りである由香里への悪口が四方八方から飛んでくる状況に耐えられなくなって、辞めた。むしろあの状況の真ん中に置けれて平気でいられる由香里のメンタルの強さ(鈍感さかもしれない)に感心する。たぶん由香里は幸せな人間で幸福に生きるコツというのは由香里みたいに悪意に対して鈍感になることなんだろう。うらやましい。
由香里はひとしきりバレー関連で私をいじったあとに幸のことに話しを戻す。
「幸ってどっからあんな金出せてんだろーな。ウリでもやってんのか」
そして他人の悪意に鈍感な人間というのは、自分の悪意にも鈍感だ。元であれ友達に対して「ウリでもやってんのか」とさらっと言えてしまう由香里は幸よりもえぐい人間だ。そして由香里は自分では幸よりもなんなら優子ちゃんよりも自分の事を実直で性格がいい人間だと思ってる節がある。っょぃ。それはともかくとして爪を青く塗ってて化粧が濃くて髪をウェーブさせてていつもいい匂いをさせている、なんならハイブランドの小物を持ち歩いている幸の資金源がどこにあるのかは私もちょっと気になる。別段家が裕福なわけではなさそうなんだけど。
由香里は幸の悪口を並べ立てて私がそれを肯定するのを目を細めて嬉しそうに聞いている。
私の正体を見破れないこいつらの頭の単純さに私は辟易する。