メサイア
優子ちゃんはクラスのリーダーであかるくてやさしくて勉強ができてスポーツだって得意で出来ないことはなんにもなさそうな顔をしていた優等生で、名前の通りとっても優しくてちっとも偉ぶったところがなくて「二軍」のみんなとも普通に話すし私達が気持ち悪いなと思う男の子が相手でもそれを表情に出したりはしなかった。私たちはみんな優しくて顔がいい優子ちゃんが表向きは大好きだった。その大好きの方向を間違えた耕助くんが優子ちゃんにコクったのを優子ちゃんがさらっと受け流して教室の雰囲気がこじれてくるまでは。
耕助くんはいわゆるヤンキーでバカで髪の毛を脱色してて一学期の期末テストでここが高校なら留年を懸念されるような点数を取るやつでサッカーが得意でだけどべつにスポーツ選手を目指してるとかではない中途半端なゴミクズだ。そういうゴミクズ特有の謎の自信を持っているからなれなれしくて自分が女子に拒否されるなんて微塵も思っていなかった。(実際のところ、私を含めクラスの女子は乱暴でがさつな耕助くんを嫌っていたが耕助くんと同じくバカで赤点ぎりぎりな一軍女子達は耕助くんを結構好きだったんじゃないかな)
んで自分が振られたことを理解できていない耕助くんは教室で優子ちゃんに付きまとい出して好き好きアピールしてて、露骨に拒否って逃げ出そうとしてる優子ちゃんの手を掴んで「なんで避けるんだよ」と叫んだ。「いいかげんにして」優子ちゃんは耕助くんの横っ面をビンタした。耕助くんは一瞬なにが起こってるのかわからない表情をしてきょとんとしたあと周りの男子が「ぷっぷー女にビンタされてやがる」冷やかして笑ったのを認識して、みみっちいプライドを爆裂させた。耕助くんはぶちぎれて優子ちゃんに襲い掛かった。拳固めて右頬を思いきり殴りつけて黒板に頭をぶつけて転倒した優子ちゃんに踵を振り落として胸を強打。それから馬乗りになって優子ちゃんの顔を殴り続けた。「誰かとめろよ」誰かが言ったけどぶちぎれた耕助くんに割って入れる男子は一年二組には誰もいなかったし、女子は「勉強もスポーツも出来て男子に人気があるからには私達を見下してるであろう優子ちゃん」がぼこぼこにされていることに溜飲を下げていた。耕助くんは五分間優子ちゃんを殴り続けて休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。優子ちゃんの顔面への殴打は担任の向井先生が入ってきて血相を変えて耕助くんを羽交い絞めにするまで終わらなかった。草。
なにがあったのか事情を訊いた向井先生と生徒指導の先生たちは「優子ちゃんが先に手を出したから」という謎の結論を出してぼこぼこに腫れあがった顔をした優子ちゃんと優子ちゃんの母親を宥めにかかった。(アホか?) 揉め事の苦手な優子ちゃんと優子ちゃんの母親には強い抗議ができなかった。
耕助くんには当然停学って措置がなされたけどその停学期間はわずか二週間で元々「勉強なんてつまんねーサッカーしてー」な感じの耕助くんからすれば停学なんてのはなんの罰にもなっておらず反省文のテンプレをネットで調べて書き写して先生に頭さげて謝って(なんで優子ちゃんに謝らねーの?)、形だけの反省は示した耕助くんは教室に舞い戻ってきた。げたげた笑ってた。
教室に舞い戻ってこれなかったのは優子ちゃんの方で、耕助くんの停学期間中に治療が済んで顔に包帯巻いて教室にやってきた優子ちゃんは同じ一軍の女の子たちが話しかけても一言もしゃべらなくて男の子が傍にくるだけでもじもじしだして落ち着かなくなり、二時間目には早退していった。そのまま次の日になってもその次になっても優子ちゃんは教室にこなかった。
暴行の加害者である耕助くんが教室に戻ってきて暴行の被害者である優子ちゃんが消えるという、謎の構図が少なくとも九月の間は続いていた。
「芥川、おまえ、巻島と家近いんだってな」
向井先生が私を職員室に呼び出して、言った。
「はぁ」
私は気のない返事をした。
「巻島にプリント届けてくれないか」
先生はごっそり溜まった連絡やら提出物やらの挟まったクリアファイルを私に差し出す。巻島優子と書かれてた紙が左上部分にちっさく貼り付けてある。
うーん? ふつうに嫌だが? けど嫌だと言った際に先生に薄情だとか罵られるのがめんどくさくて「わかりましたー」返事をする。「わるいな。ついでに様子見てきてくれると助かる」先生は全然悪いと思ってなさそうな顔している。
優子ちゃんのファイルを手の中で弄びながらうちに帰って、制服を脱いで着替えて放っておくとめんどうだからまあ今日のうちにやっとくかと、優子ちゃんの家に向けて歩き出す。優子ちゃんの家は住宅街にある一軒家で昔は近くに駅ができるだとかコンビニができるだとかで言いくるめられてそこそこの値段で買わされたらしい一角だが結局周りは全然開拓されなくて、陸の孤島みたいになっている。なぜこういう事情を知ってるかというと同じ一角に住んでいる私の両親がこのことをよく愚痴っているから。
インターホンを押すが反応はない。母親はふつうに仕事に出かけてるんだろーな。で、優子ちゃんは私に会いたくない。じゃあポストに突っ込んで帰ればいいや。ほい、さいなら。と思ったあたりで優子ちゃんの家の二階の窓がガラッと開いた音がして、見上げたら優子ちゃんがいて「知子ちゃん」私の名前を呼ぶ。「ちょっと待ってて」窓が閉まって優子ちゃんが窓際から消えて玄関に掛かっていた鍵がかちゃんと鳴って外れる。優子ちゃんが顔を出す。ぼこぼこに殴られて腫れあがっていた顔はおおむね回復していて私は人間の体の復元力の高さに感激する。
「入って」
正直帰りたかったが帰ったら空気読めないやつだと思われる気がして私はポストからプリントの溜まったファイルを取り出して優子ちゃんの家に入る。下駄箱に並んだ靴の数の少なさが優子ちゃんちの経済環境を示してるように見えた。優子ちゃんは私がなかまで入ってきたのを見て長い息を吐いて頬を緩ませる。ずっと緊張してたのが緩んだ様子で、もこもこのパジャマ姿の優子ちゃんは、かわいい。なんで私が来たことで緊張がゆるむのかぜんぜん理解できなかったが「これ、先生から」プリントの挟まれたファイルを渡すとそれを大切な贈り物みたいに胸の前で抱き留める。「ありがと」目の動きからリビングに私を案内したがっているのがわかって内心で(めんどっくせー)と思いながらも「上がってっていい?」と言ってしまう。どうしてこう、私の口は私の内心を無視して目の前の人の言ってほしそうなことを言ってしまうんだろう。演技性パーソナリティ障害、っていうらしい。
「うん!」
優子ちゃんが靴脱いだ私の手を引いてこっちへってリビングへ引っ張って行く。型落ちのテレビと向かい合ったセンスのない古いテーブルに、優子ちゃんはアイスクリームを二つとスプーンを出してくる。せっかく出されたからバニラ味のそのアイスを貰う。
優子ちゃんは私に優子ちゃんが休んでる間に学校であったことを聞きたがり、私はクラスのことにまるで関心がないのであんまり知らないことを適当に尾ひれをつけて話す。具体的には体育祭の競技の分担で優子ちゃんは(来ないことをある程度前提にして)リレーの走者に選ばれたこととか。優子ちゃんは自分がいなくてもクラスのすべてが順調に回っていることに絶望的な顔をする。だから私は「でも幸とか由香里とかはさみしがってたよ」適当にウソをつく。そしたらその絶望的な顔が多少は緩和したからウソついた甲斐はあったっぽいが、正直なところ私は優子ちゃんが絶望の淵に沈んでようがべつにどうでもいい。
んでなんとなく流れで優子ちゃんが話すターンがまわってくる。優子ちゃんは自分が学校に行けなくなった理由について話し出す。「耕助くんのいる教室を目の前にすると体が動かなくなっちゃうの」まあそりゃ自分の顔面をぼこぼこにしたやつがいる教室になんて入りたくないわな。しかもちっとは反省してるのかと思いきや耕助くんはふつうに二軍の芦川くんと肩がぶつかって芦川くんを蹴っ飛ばして蛙みたいにひっくり返らせていた。その様子を見て一軍達はげらげら笑っていた。私も内心で笑ってたが。
私はどーでもいいなと思ってたが私の口は「そーなんだ。大変だったね」を連発していた。私が心配してくれていることに優子ちゃんは満足そうに頷く。私の口は「優子ちゃんが学校いけるように私も手伝うよ」とかほざいていて私の意思の通りに動かない口を縫い付けたくなる。感激した優子ちゃんが涙ぐみながら私の手を取る。
でも私は私が具体的に何もしないことを知っている。優子ちゃんを援護することは耕助くんに立ち向かうことで私はそんなめんどうくさそうなことはしたくないのだ。言葉はタダだからなんだって言うけど対価の発生する行動はしたくない。