おかえりなさいを言わせて。
「シーラ、私は少し留守にしなければならない」
数刻だったり、一日二日いない、ということもあった。ギュイオットは毎回律儀に期間を告げてくれる。けれど今回の留守、という響きが、重みを持っていた。場合によっては戻らないかのような。
シーラが感じたことのない異様な緊張感。
「少し長引いている西の紛争を止めてくる。オーディンも一緒だ」
「……はい」
彼らとの日常が静穏すぎて忘れそうになるけれども、彼らの存在はこんなときのためにある。
「二週間ないし一ヶ月かかるかな」
「わかりました」
「ちょっと喧嘩両成敗して尻でも叩いてくるよ」
その冗談に笑いたかったのに、表情をうまく作れた気がしない。微笑みは淑女の基本だというのに。取り繕えなくなるほど、親しくなってしまった。
「シーラ。私たちのために無理に笑わなくていいし、泣きたかったら泣いていい」
「行かれるのは騎士の方々で、私はここでのうのうとお待ちするだけですのに」
「私たちはそのためにある。争いを実体験として知らない人間は多いほうがいいんだ。ふだん君たちがお世話してくれるぶんに見合った働きをしてくるよ」
ギュイオットの笑顔はきれいだった。
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すっかり戦装束を整えた男たちを、シーラは見上げる。オーディン付き人見習い騎士のドドレイもお留守番組として彼女の隣に見送りの場にいた。
「ギュイオットさま、”Go forth and conquer. “ 」
「ありがとう。留守を頼むね」
「ホーランドさま、ジェフソンさま、ご武運を」
若い同期の騎士たちは騎士の礼で返した。
「ベッキングハム公爵さま、ご武運を」
まったく同じ熱量で、文字数で、味気ない送り出しだった。名前呼びと家名呼びの差で、ギュイオットのほうが親しげですらある。
すんなりと別れを告げたシーラに、オーディンはなにか言いたげにしていた。
なにを言えば適切な送り出しなのか、シーラはぎりぎりまで迷っていた。彼らの腰に下がるものはいつもの儀礼用のお飾りではなく、血を吸った本物の剣。これからいくばくか血に濡れることは免れないだろう。それを思うと胸が締め付けられた。
****
馬を操って、ギュイオットはオーディンに並んだ。
「オーディン、まさか自分は特別だと思ってた? もっと構ってもらえると思ってた? 泣いちゃう? ねぇねぇ、がっかりした? 自分からは想いを返さないくせに、それが思い上がりというものだよ、”Idiot.”」
「……お前、鬼謀なんぞと呼ばれていてその喋り方と語彙の残念さはなんなんだ」
「私は人と話すときはその人のレベルまで落としてあげてるんだよ」
外側は好青年なのに、腹の底まで真っ黒だ。
「……お前が自分で自分の身を滅ぼさぬよう祈っておく」
「お、皮肉が言えるようになったかい」
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三週間死力を尽くしたおかげで、紛争を終結させた。あらかた後始末を終えたところで帰路につくオーディンとギュイオットは騎士団から死者を出さなかったことに安堵していた。
軽症者も連れているため気を緩めるわけにはいかないが、行きほどの緊迫感はない。
休憩に立ち止まった川辺で、オーディンは光を反射する水面を眺めた。
清らかな流れは彼女のなめらかな髪のよう。
空を見上げれば一面の青がある。彼女の聡明な瞳のよう。
飛んだわた毛が頬を撫でれば、彼女の微笑みのようだと思う。オーディンの心を柔らかくくすぐる。
「もうすぐ会えるよ、そんな切ない顔しなくても」
ギュイオットが見てられない、とばかりにオーディンの意識を戻させる。
「なにか言ったか」
「シーラを思い出していたのじゃなければ、水に映った自分の顔に惚れぼれしていたっていうのかい? “ You silly. ”」
「…………」
王宮を離れてから、この先輩の皮肉が冴え渡る。しかもシーラに関してばかりを口にする。どうあっても、思い出させたいらしい。
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騎士団の帰還は王宮中に知れ渡っていた。
馬を預けてきた彼らを捕まえるために、シーラは駆けた。
「おかえりなさいませ! ギュイオットさま、ホーランドさま、ジェフソンさま」
「ただいまシーラ。変わりないかい?」
「はい」
喜色ばんだ様子で、シーラは彼らの無事を目でじっくり確かめる。
「お怪我もなさそうで、良かったです」
「うん」
制服を着崩すオーディンは、さほど疲れを見せていなかった。
「おかえり、なさいませ。ベッキングハム公爵様」
心持ち震えた声で、目にはうっすら涙を湛えていた。
それだけで、言葉すら不要だとオーディンには思えた。それでつい、らしくないことを口にしてしまったのだ。
「貴殿の祈りが味方した」
思い当たるふしがないのか、首を傾げたシーラにギュイオットが口を寄せる。
「『出立前のご武運をというあの鼓舞が戦場でもこの木偶の坊な男を奮起させ生き残らせた、ありがとうきみは勝利の女神だ』……とのことだよ」
耳打ちの形をしておいて、しっかりとオーディンに聞こえる音量で彼の反応を楽しんでいる。
「……おい」
「違ったら否定していいんだよ、オーディン」
不愉快だ、とため息はついたがそれきりだった。
翻訳は合っていたらしい。
すごい…誤字を発見したので自主訂正しました。
それまで読んでいただいた方には申し訳ないです。
(2022.Aug 8th)