薬は苦いか甘いか
「もう面倒くさい。よくある手でも使おうかなぁ」
ほとんどひとり言だった。
「ギュイオットさま、なにか必要ですか?」
「シーラ、ここに積んでる本を片付けてくれるかい?」
「はい」
家具は部屋の持ち主に合わせて作られているので、シーラが背伸びしても手の届かないところもでてくる。
本棚の前で苦戦していると、ギュイオットがごめんね、と寄ってきた。
「届かないなら私を使っていいのに」
いつもならそこにいるお付きの新米騎士にでも任せていた雑用を、分かった上でシーラに頼んでいるはずなのに、おかしい。本当に念頭になかったのか。彼もシーラと身長は変わらないから、道具に頼るしかないけれども。
「使うだなんて、そんな。踏み台を持ってきます」
「いいや」
背中にずいっと距離を詰められて、後ろに立つ男を体をひねって見上げた。微かな笑みは、陰っていていつもと全く違う雰囲気を醸し出している。シーラは前に、本棚に体を張り付かせた。主人は片手を棚に突き、メイドの腕の中から片手で本を抜き取る。男の腕に両脇を挟まれている状態で、シーラは罠に嵌ったウサギの気分を味わっていた。
「使えるものは、人でも物でも使わなきゃ。もったいないよ。ほら。こんなに簡単なことなのに」
トン、と本は棚の高い位置に収まる。用事が終わっても、そこから動こうとはしなかった。
聡い子だ、どギュイオットは彼女を評価している。彼の指示を勘であっても理解するところ。
いまも主人が危害を加えることはない、ただ時が過ぎるのを待てばいいとわかっている。
コンコン、とノックが響く。部屋の主が「どうぞ」と答えて間もなくガチャリとドアが開いた。
「…………」
入ってきたオーディンはギュイオットの顔を見て、シーラのびっくり顔を確認し、少年騎士の居た堪れない顔に同情し、もう一度うさんくさいギュイオットの笑顔へ戻る。
腕こそ体に巻かれていないものの、後ろから囲い込み、見方によっては抱きしめている姿勢に困惑して、オーディンは眉間を指で押さえた。手の中の書類がぐしゃぐしゃだ。
「ね、わかったかい?」
ギュイオットがシーラに尋ねる。彼のまとう雰囲気は和んでいた。
途切れた話が繋がっているようには思えない。
「ええと、すみません、わかりかねます……?」
「うん、そうだね。シーラはわからないんじゃなくて、わかっててもできない。……利用しないんだよ。オーディンと似てるなぁ」
適切な人事を配置するということ、頃合いを計るということは重要だ。用意した布石が必要なときに正しく働き、企みが計算通りに沿うように。
だらだら独り言を垂れ流すギュイオットの頭をオーディンが小突いた。
「業務上機密を話すにしても近すぎる、女性だと意識して尊重しろ」
「尊重した結果がこれなんだけどなぁ。せっかく私が体を張ってあげたのに」
今度こそギュイオットの襟首を掴んでシーラから引き離す。
「どこを尊重しているというんだ」
「詳しく言うと、シーラの気持ちを、だね」
突然挙げられた名前に耳を疑った。
「私……、でしたか」
「気遣いが本人に伝わってないのなら尊重したと言わぬ」
「あれ、伝わってないのか。じゃあまだかな。私の心遣いは、時間差があるのだよ」
「後ほど効いてくる……と? お薬ですか?」
「あはっ、その例え上手いねシーラ。今度から使わせてもらうよ」
「お前の薬はよくない結果ばかり生む」
「そんなことないよ?」
(オーディンはシーラを見てる。いまはまだそこまでではなくても、いつかはちゃんと嫉妬をするよ。それも劣情を刺激するような)
ギュイオットにしか見えないものがこの空間にあった。
よくあるよくある、効くよね壁ドン。
一般的な手がいちばん効果覿面だったりしますよね。