後編②
思わず、イブリンも勢いよく立ち上がった。
「違うわ!! だから、殺してもいないし、そのときはあなたと一緒だったと言ったばかりでしょう!! どうやって、あなたの目の前にいながら、リリーさんを殺して、懐中時計をその場に置いてくるなんてことができるのよ!!」
「う――。いや、殺すのは別の人間にやらせて、で、懐中時計だけ置いてきたとか……」
「だからなんでよ!? 懐中時計を置いてくる意味なんてないじゃない」
「えっと……。良心がとがめた……とか?」
「バッカじゃないの!? 良心がとがめるくらいなら、殺人なんかするわけないでしょ!?」
「バ、バカ!? 俺のことをバカって言ったな!」
「言ったわよ。だって、今まで思っていた以上にバカなんだもの!! いいわ。そこまで言うなら、懐中時計の指紋を調べたらいいでしょ! 私が盗んだなら懐中時計に私の指紋がついているはずよ! 私は触っていないんだから、調べられたって何も困ることはないわ!!」
きっぱりと言い切ると、イブリンは鼻息をふんと鳴らして、両手を警察官に突き出した。
「れ、令嬢……。『シモン』というのは……?」
警察官は困惑義気である。
「え? 指紋よ、指紋! 指紋を採れば私が懐中時計を触っていないことがわかるでしょ!?」
「えっと……。ですから、『シモン』というのは……?」
「…………もしかして、指紋を知らないの?」
「え? ええ。左様でございますが……」
イブリンは、ハッとした。転生前の世界では普通だった事が、この世界では普通ではない事がたくさんあるのだ。
「えっと……。指の先の紋様は一人一人違っていて、その指紋は一生変わることはないんです。人は何かに触ると、その紋様は人の脂と一緒に物に付きます。付いた指紋は、こすらない限りは落ちないんです」
確か、アルミの粉をポンポンと耳かきの後ろのふわふわで軽くつけて、フッと息で飛ばせば指紋が浮き上がる。その指紋と本人の指紋を照合すれば、その人が触ったかどうかが分かるのだ。アルミの粉がなければ、小麦粉を使用する事もできる。
そういったことをイブリンが説明したが、警察官の反応はかんばしくない。警察官の知らない方法で、無実を証明できるはずもないのだ。
イブリンはがっかりすることになった。
「ともかく、私は懐中時計になんか盗んでいないし、触ってもいません!!」
結局、イブリンが懐中時計のことを知っていようが、現場にはいなかったのだ。盗まれたという懐中時計がどうして血の上にあったのかは分からないが、これ以上イブリンをとどめて置くのは難しいと警察官は判断した。
「分かりました。では、お二人とも今日はお帰りください。ただし、捜査に進展があるまでは外出をお控えください。数日以内に、私がお屋敷に出向いてまたお話を聞かせていただくことがあるかと思いますので、その際にはご協力をよろしくお願いいたし……」
と、警察官は自分の失言に気付いた。
「失礼しました。お三方ですね」
警察官は目の前で騒ぎを起こす二人にばかり気が向いてしまい、テントの陰にひっそりと佇むイブリンのメイドのモーアを忘れていたのだ。黒にほど近い焦げ茶色の飾りのないワンピースという服装も、上品ではあるが物陰では目立たない。
モーアは、伏した目を軽くまたたいて返事をした。
「じゃあ、行きましょう!」
イブリンは、こんなところはもう十分とばかりに再び立ち上がった。
屋敷に返ってきたイブリンは、着替えをしてまだ明るい時間だというのに、ベッドに飛び込んだ。食事も部屋に運ばせるつもりだから、今日の残りはだらだらと過ごす予定だ。
ベッドの中で、イブリンは今日あった出来事を考えてみた。
公園でキースとリリーと出くわしてしまったこと。懐中時計を盗んだと言いがかりをつけられたこと。キースとの言い争い。リリーの殺害。取り調べ。
「リリーさんが亡くなったのはお気の毒だけれど、正直言って、悼む気持ちにはなれないわ。私も、しょせんは悪役令嬢ね」
イブリンは肩をすくめた。なにせ、婚約者を奪われるのは仕方ない……というか、そんな婚約者はのしをつけてくれてやるくらいのつもりでいるのでどうでもいいのだが、イブリンが徹底的に避けているのに、キースとリリーの方からいちゃもんをつけてくるのだ。さらには、やってもいない嫌がらせの噂をばらまかれて、イブリンの評判はさんざんである。もちろん、キースとリリーの評判ほどではないが。
(……そういえば、私が公園に来ると決めたのを話したのは家族と、モーアだけだったわ。あ、御者にも話したけれど、馬車に乗り込む寸前だもの、前もっては知らなかったはずだわ。それなのに、どうしてリリーさんが私が公園に来ることを知っていたのかしら?)
「どうかされましたか?」
すっかりメイド服に着替えたモーアが、お菓子の準備をしながら尋ねる。
「ううん、なんでもないの。今日はいろいろあったなと思って」
「ええ。そうでございましたね。お嬢様も、災難でございましたね」
「そうね……。ねえ、モーア」
「なんでございましょう」
「私はリリーさんが亡くなって、正直、せいせいしたって感じたの。これって冷たいのかしら?」
「とんでもないことでございますわ。あんな女……」
モーアは、顔をどす黒く染めてブルブルとティーポットを握った手をブルブルと震わせた。
「あの女の手口は分かっています。かよわい女のふりをして男を惑わし、婚約者の嫌な噂を振りまいて、評判をとことんまで落とし、男を完全に奪い取るんです!! けれど、そうやってまで奪い取っても、男は浮気者の、女は身分違いの簒奪者の名は残り、結局は幸せになれないのですわ!!」
「め、珍しいわね。あなたがそこまで言うなんて……」
モーアというのは、いつだって目立たなく、粗相がなく、控えめで物静かなメイドである。今見せたような激情は、少なくともイブリンは見たことがない。
「も、申し訳ございません。お嬢様は気にする必要はございませんわ。リリーさんは天罰が下ったにすぎませんもの」
「え……。ええ、そうね」
そのままモーアは部屋を下がった。残されたイブリンは、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「……そういえば、モーアがうちに来た理由って、確か……」
モーアも婚約していた男に捨てられて、行く場所もなく、この屋敷で雇われたという話をイブリンは昔、母親から聞いたのを思い出した。だからモーアは必要以上に目立たなくしているのかと、イブリンは思ったものだ。




