中編
しかし、キースがイブリンの肩をぐいっとつかみ寄せる。
「痛い! 何をなさるんですか!? 警察を呼びますよ!」
「呼ばれて困るのは、お前の方だろう!?」
「いいえ。まったく困りません!」
(当人のリリーでさえ、私が疑わしいかと聞かれて首をふったのに、このキースだけが納得していないなんて、本当にアホね!)
イブリンはキースは向かい合って、ガルルルルと歯をむき出しにした。もちろん比喩的な意味だが。
ふと、イブリンは思いついて、キースに背を向けて、女優のように空を見上げて腕をひらいた。そして声を朗々と張り上げる。
「どうしてそんなに私を泥棒にしたて上げたいのですか? あなたには私という婚約者がおりながら、メイドのリリーさんを愛しているからでしょうか!?」
「お、おまっ! 何を!? おまっ!!」
さっきから集まっている野次馬に、キースは婚約者をないがしろにして、メイドにうつつを抜かしている男だと教えてやったのだ。さっきのコルセットの無知への恨みもあり、あっという間に、キースの悪い噂が広がるに違いない。
(ふふん! これでおあいこよ!!)
しかしイブリンはただの「おあいこ」では不満が残る。もう一歩すすめないと。
「他の女性を愛しているのならば、その方と添い遂げるべきでございます。だから――」
――婚約破棄をしましょう。
イブリンはそう続けるつもりだった。どうすれば、自分に瑕疵が無い状態で婚約破棄をできるかというのは、いつだってイブリンが考えてたいことだ。婚約破棄なんて、絶対ダメ!! の今の両親と、あちらのご両親も、先日の王宮パーティでのキースとリリーの姿を見て、「ちょっ、あれは……」ってなっている。婚約破棄をするなら今だ!!
と、イブリンはリリーの姿がいつの間にか消えていることに気が付いた。
「あら? リリーさんはどちらへ?」
「は?」
言われて初めてキースも気が付いたようだ。キョロキョロと周りを見渡す。
と、
「キャアアアアアアアア!!」
絹を引き裂くような悲鳴が、ほど近くから聞こえてきた。
「な、なにがあったのかしら?」
「分からない……」
そうこうしているうちに、野次馬たちの噂する声から状況がつかめてきた。
茂みの奥で、女の子が一人死んでいたらしい。もちろん、それだけでも驚くことなのだが、その女の子はメイド服を着ているそうだ。
メイド服の女の子を外で見るというのは珍しい。メイド服はあくまで屋敷の中の作業着で、主人のお供として外に出るときは外出着に着替えるのが普通だからだ。イブリンの連れ立っているメイドのモーアも当然、外出着を着ている。その装いは、イブリンの母親と同世代のためか、それともその物静かな性格のせいか、ずいぶんと目立たないものではあるが。
ハッとしてイブリンは、突っ立ったままのキースを見上げる。
「リリー……」
「え?」
「リリーはどこへ行ったの……?」
主人に何も言わずに、突然消えたリリー。メイド服を着て外出していたリリー。
「ま、まさか……」
そう言いながらも、キースはざっと顔を青ざめさせた。
「確かめないと……」
「確かめるって、なにを?」
「だから死体がリリーかどうかよ! キース、見てきて」
「嫌だ!」
「え?」
「だって、死体だろ? 気持ち悪いに決まっている」
「気持ち悪いって……。もしかしたらリリーかもしれないのよ? それを気持ち悪いですって?」
「気持ち悪いだろ! 死体なんて!! そこまで言うなら、お前が行けよ! お前がリリーかもしれないって言ったんだろ!? お前が確かめろ」
思わずイブリンは、「クズ」と言う代わりに、「チッ」と舌打ちをした。
「な、なんだその舌打ちは!?」
「え? 別に……」
「別にとは思っていないだろう!?」
「いえ、単に情けない男だと思っただけですよ」
「な、情けないだと!?」
「ええ。好きな女が、もしかしたら変わり果てた姿になっているかもしれないっていうのに、そんな風にぐだぐだしているだなんて、本当に……」
その後は自重したイブリンだ。自重になっていないが。
キースは、ぎゅっと拳を握りしめた。
「……そこまで言うなら、見てくる」
「ええ。行ってらっしゃいな」
イブリンがヒラヒラと手を振れば、キースは驚愕の顔で振り返る。
「え? お前も……」
「はあ? 私も? かよわき乙女の私に、死体を見に行けと?」
「どこが『かよわき乙女』だ!?」
「どこが『かよわき乙女』じゃないって言うのよ!?」
「どこもかしこもだろ!!」
「何ですって!?」
イブリンの袖が、ツンと引っ張られた。イブリンのメイドでありお目付役のモーアが、静かなけれど不気味な威圧感のある目でじっと見つめている。
「お嬢様。品がのうございますよ」
「……そ、そうね」
イブリンはいさめられて、コホンの咳払いを一つした。キースは、イブリンが一緒で無い限り、どうあっても遺体を確認しに行く様子もない。けれどもしも遺体がリリーだったら、大変なことだ。
イブリンは、はあっと大きく息を吐いた。
「分かったわ。一緒に行くわ」
「お……おう」
まさか了承してもらえるとは思っていなかったキースが、ぎこちなく頷いた。
茂みの奥は、もう人だかりになっていた。その人だかりの真ん中の空間だけがぽっかりあいている。「すみません」「ちょっと」と言いつつ、人をかき分けてその最前列に出たイブリンとキースは、死体を見て息をのんだ。
「……リリー」
その声が自分から出たものか、キースから出たものかも分からない。それほどイブリンは驚きに包まれていた。
リリーの亡骸は、まるで真っ赤なバラの上にうつ伏せに横たえられたかのようだった。しかしその華奢な背中には、一本のナイフが深々と突き刺さっている。愛らしかったその顔は、目をぎょろんと見開き、半開きの口からは赤い血が一筋たれていた。
……中編て……。…………中編って……。
まだやっと死体が出てきたところなのに!!
あわわわわ