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天使たちはかく語りき  作者: たかはらナント
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第三話 公団住宅の少年 其の三

 公団住宅の少年 其の三



 日は既に登っていた。

 真冬にしては眩しいくらいの日差しであった。

 雀の鳴き声が辺りに響き、集団登校をする小学生の児童たちが、棟と棟の間にある防災用の広場に集まって来てはしゃいでいた。


 そんな中クレマチスは、当初の監視場所であった公団住宅の屋上に戻ると、ようやく、自宅へと帰り着いた篠垣咲子を透視で確認し、ひと息付いたのであった。


「朝まで飲むなっつーの、全く――」


 愚痴りたくもなると言うものである。

 篠垣咲子はあれから二回場所を変え、今の今まで飲んでいたのだ。その度にクレマチスは、新たな『相手』に絡まれて、対処を余儀なくされていた。コアリラも随分と活躍したのである。この時からクレマチスは、彼女の事を『最終奥義』と呼び始めたのであった。


 しかし、その所為もあってか、クレマチスは既に「疲労困憊」と言った状態であった。これほどまでに神通力を消費したのは、初めての任務以来の事であった。


 監視を続ける部屋のテレビには、朝のワイドショーが放映されていて、元気だけが取り柄といった女子アナウンサーが、番組マスコットの着ぐるみと一緒になって、今日一日の運勢を占っていた。その占いによると本日の最下位は乙女座で、運気を上げるラッキーアイテムは「メープル仕立ての栗入り抹茶ホイップクリームあんパン」なのだそうだ。なんだそれ。

 参考までに、クレマチスはかに座である。


 ――くぅ


 画面に触発されて腹の虫が鳴る。


 それを認識してクレマチスは「……お腹減ったなぁ」と力なく零す。


 カーミィと同じく、クレマチスも任務の通達が急だった所為で、昨夜から何も口にしていなかった。それに付け加え、いつもなら用意するはずの携帯食(お弁当)も作る時間がとれなかった。更に付け加えると、あの子の所為で出立(しゅったつ)時にドタバタしていまい、人界で購入すると言った選択肢を全くもって失念していた。

 なので現在のクレマチスは――食い物なしなしのお腹へりへり状態だったのである。

 ついでに言うと、身体へろへろの頭ぼけぼけ状態だったりもする。


 人界の者たちが食べ物からエネルギーを摂取する様に【天使】たちも同じく食べ物からエネルギーを摂取する。ただ、少し違うのは、人界の者たちのように、様々な栄養素を、様々な形のエネルギーとして利用しているのではなく、全ての栄養素を、一旦、神通力に変換してからエネルギーとしているところである。

 つまりは、神通力=生命力と言っても過言ではなく、それ故、【天使】たちは神通力を消費し過ぎると動けなくなる危険が伴うのであった。

 大雑把に例えるとスキューバーダイビングの酸素ボンベ、もしくは、スマホの充電池と言った感じである。


 まぁ、人界の者たちも腹が減れば動けなくなるのだから、どちらにしても「行為としての大差はない」と言ってしまえば、身も蓋もなくなってしまうのだが、それでもやはり同じではないので、一応、頭の隅にでも覚えておいて貰いたい。


 ちなみに、【天界】の食べ物が味気なく感じるのは、この、神通力に変換する際の変換効率に差がある所為で、単に味の「良し悪し」「濃い薄い」と言った内容が理由ではない。

 変換効率が高い【天界】の食べ物は=吸収率が高いと言う事になり、もちろん身体にも良いのだが、その分、抵抗も少なく物足りなさを感じてしまうのである。

 例えるならば、天然素材のみのラーメンスープよりも、ワザと化学調味料を混ぜたラーメンスープの方が数倍美味しいと感じるようなものであり、多分この表現が感覚的に一番近いかと思う。



 昨夜からのドタバタを思い返し、憂いていたクレマチスは「ふぅ」と僅かに息を吐くと、どうするべきかと思案する。


 できれば、今の内に食事をとって神通力を回復しておきたいところではあるが、絶賛監視中の篠垣咲子は素直にベッドには入ってくれず、おもむろにパソコンを起動するとちまちまとマウスを動かして何やら作業をやり始めた。あれほど酒を飲んでいたのにだ。恐れ入る。


 とりあえず、食料を調達しに動くとしても、この状態で監視を中断する事は得策ではない。せめて眠りに付いた後でないとこの女は危険過ぎる――。


 任務が通達されたすぐの時には『一級管理官』のペルマム=アルジャンに対し、不服を申し立てたクレマチスであったが、今では、何故サブの候補者を自身が担当させられる事になったのかをよく理解したつもりでいた。

 任務通達の後、自室に戻り、渡された『預言書』の資料を読み進めていくと、篠垣咲子には生活習慣と言うものが存在せず、ふらっとどこかへ行ったかと思うと、しばらく帰って来ない事も頻繁にあるようであった。その根幹たるところがギャンブルであり、例えば、パチンコ店が新装開店しようものなら平気で遠方にも赴くような女であった。それと合わせて、先ほどまで続いた三軒のはしご酒――。


 クレマチスは思う。

 これほどまでに気ままに行動されるのであれば、とても大雑把なあの子には、任せられない対象であったと――。

 もし担当が逆であったなら、今頃、あの子は対象を見失っていて、ほどなくして『緊急警戒配備』に切り変わっていた事だろうと――。

 自由人(ゆえ)の奔放か。ならばこのクレマチス=ビアンカたるものが期待に背く訳には行かない。目を離した隙に見失ってしまうなど決してあってはならない事だ。その為にもやはり、今、動くのは浅はかと言うもの――。


「サブ」の文字だけを読み取って早とちりした自身が恥ずかしい。と、クレマチスは今を以って反省していた。ペルマム=アルジャンはこの事実も踏まえ、自身にサブ候補を宛がったのだ。さすがは一級を与えられし者。改めて、この任務が終わったら謝罪に赴かなくては――。と、感服するクレマチスであったが、精神論はともかく、肝心の身体の方はと言うと――。


 ――くぅぅ。


 やはり、崇高な意思とは関係なく、単純にエネルギーを寄こせと要求するのであった。


 さすがに、空腹で倒れる訳にも行くまいかと、クレマチスが、


「ちょうどお酒も入ってる事だし、催眠でも使って強制的に眠らせてしまおうかしら?」


 などと、本末転倒な判断に傾きかけた時、


「じゃ、これあげるから食べなよ」


 すぐ隣から聞き覚えのある声がした。


 ――うん? 隣!?


 訝しみながらもゆっくりと視線を向けると、その場にはカーミィが佇んでいた。

 キョトンとした表情でこちらを見る彼女の手には、中身の詰まったコンビニのレジ袋がぶら下がっていた。

 突如として現実を認識したクレマチスは、驚きのあまり後ずさる。


「あ、ああああ――あなた、い、いったいいつからそこに居るのよ、驚かさないでよ!」


「え――!? ずっと前から居るよ――ってか、昨夜(ゆうべ)この場所譲るって言ってたじゃない。だからこっちに居るのに」


 ――な、ぬ!?


 心外だと驚くカーミィの言葉に、クレマチスはようやく周りが見えていなかった事に気が付いた。同時に、昨夜の捨て台詞も思い出していく。


 ――まぁ良いわ、この場所はあなたに譲ってあげる。でもね、これで勝ったとは思わないでよね――。


 思いっきり吐き捨てたその台詞。

 その中で間違いなく言っていた『この場所を譲ってあげる――』


 ―――――――――――くぅ。


 クレマチスは全てを思い出すと、小さな呻きを漏らしながら顔面の血の気を「これでもかっ!」と言うくらいに引かせた。その引かせ方はあまりにも見事で、その顔色に対抗出来るのは、ゾンビか悪徳政治家かと言うほどであった。


 すぐ傍にカーミィが居る事に気付かなかった事もそうだが、自身で言った台詞をまるまる忘れてこの場に舞い戻ったとは、何たる醜態。このクレマチス=ビアンカたるものが、それほどまでに追い込まれていたのだろうか? それとも、あまりにもお腹が減りすぎて、まともな判断が出来なくなっていたのだろうか?


 クレマチスは思考を続ける。


 最終奥義の生成に神通力を消費しすぎた所為だろうか?

 いつもより数の多かった警官たちを逐一撃退した所為だろうか?


 ――いいや、違う。そんな事は無い。アカデミーの頃の方が余程キツイ修練を重ねていた。やはり原因はこの子の所為で何かにつけ自身の感覚が狂わされてしまったからだ。そう。きっとそう。その所為だ。うん、そうに違いない。


 クレマチスは失意の念に駆られながらも、取り繕うべく原因を(ひね)りだす。そして、どうやってこの場を収めるかの最適解(言い訳)を求めるべく、余裕のない神通力の出来る限りを脳みそに注ぎ込み、出来る限りのパターンを想定して、脳内シミュレートを実施していった。

 その結果。ちょうど、光の速さでこの惑星を七周半したくらいの時間で出した結論は――。




「――い、要らないわよ。あなたからの施し何て受けないわ」




 昨夜の捨て台詞をまるまる無かった事にする――であった。


 すると、ひょこんと白風丸がポケットから顔を出し、


「姐さん姐さん。今の台詞、会話が嚙み合ってまへんで。昨日の夜、言うてはった事忘れぇぇ――」


 言葉の途中で白風丸を押し返した。

 と、今度はモグラ叩きのようにカーミィのポケットからひょこん、白水丸が顔を出し、


「なぁ、お嬢。今のやり取り聞きましたか? 姐さん昨夜の台詞を無かったこぉぉ――」


 カーミィも空気を察し、スッと白水丸を押し込めたのであった。


 今、お互いのポケットの中はもごもごと蠢いていて、何やら文句を垂れ流しているようなくぐもった()がしていた。それと同時にお互いの見合わせる表情の間に、冷ややかな空気が流れたのを感じ取っていた。その流れた空気がこの季節特有のもので無い事は、お互い既に頭の中で理解しており、これぞまさしく正真正銘の「気まずい――」であると、効果音を伴って認識していた。


 ……チ――――ン。


『綿菓子の間』で感じたような、重い空気が支配するこの状況で、意外にも先に口火を切ったのはカーミィからであった。


「え――と。今、監視をはずしたくないんでしょ。それなら意地を張らずに受け取りなよ。ほら」


 思いの外、平然とレジ袋を突きつけて来る。その、いかにも()()()()()()と言った振舞いが妙に腹立たしくて、クレマチスはつい反射で言い返してしまった。


「別に、意地なんて張ってないわよ。あなたから施しを受ける理由が無いって言ってるだけよ」


 そのままついと視線を逸らす。本来なら任務遂行の為にもありがたく受け取っておくべき物品であるはずなのだが、どうしても己の矜持が反発してしまった。

 しかし、そこはカーミィも分かっていたようで、


「それを『意地を張る』って言うんだよ。ほら、顔色も随分悪いじゃない」


 カーミィは、無理やりクレマチスの腕を取ると、レジ袋を握らせてからペシペシと二回叩いた。それはまるで親戚のおばさんが、家庭菜園で出来たキュウリを持って帰らせる様な振舞いであった。

 そして間を置かず、今度は監視先の部屋に視線を向けると慌てた様子で、


「あ、やばい。こっちの対象が動いてる。もう妹ちゃんにヘルメット被せちゃってるよ――じゃ、私行くから。意地張らずにちゃんと食べなよ。捨てたりしたらダメだからね」


 と、言葉を置いて足早に立ち去ろうとするのであった。


「要らないって言ってるのに――」


 などと言いつつも、クレマチスは突き返す事はしなかった。何故ならば、これ以上反発してしまってはカーミィの任務を邪魔する事になるからだ。

 確かにクレマチスはカーミィの事を嫌っている。しかしそれはカーミィを貶めたいと思っての嫌いではなく、むしろその逆で、『色付き』としての自覚をカーミィが持たないから嫌いなのである。

 既に監視対象の少年が動いていると言っている以上、クレマチスは突き返す行為を却下する。ならばどう折り合いを付けるか――それこそが、既に、次のポイントになっているのだ。いわゆる落としどころというやつだ。


 クレマチスは思う。


 ここでのやり取りを間違えるとカーミィに借りを作ってしまう事になる。それだけは絶対にごめんだ。しかし、あまり悠長に考えている時間も無い――。


 クレマチスは、また、出来る限りの神通力を脳みそに注ぎ込むと、また、出来る限りのパターンを想定して脳内シミュレートを実施していく。そしてまた、光の速さでこの惑星を七周半したくらいの時間で結論を出すと、今度はダッフルコートのポケットをまさぐりつつ、


「カーマイン!」


 階段へと向かうカーミィを呼び止めてから、


「ほら、受け取りなさいよ」


 と、取り出した何かを、カーミィ目掛けて放り投げた。


 カーミィはピタリと動きを止め「なぁに?」と言った風に振り向いた所で「キラリ」飛んできた何かに気が付いて、慌てながらも両手で受け取ると、そのまま、手の平ごとまじまじと見つめた。


 ――五百円玉であった。


 無事受け取った様子を見届けると、クレマチスは残りの言葉を口にする。




「あなたからの施し何てごめんだわ、だからそれで買い取った事にしてあげるわ」




 精一杯の強がりであった。金額が足りたかどうかはこの際どうでもよかった。何より買い取ったと言う事実が重要なのだ。


 その台詞を聞いてカーミィは、手の平の五百円玉を見つめつつ、少し肩を竦めてから顔を上げると、


「おーけー分かった。仕方ないからそう言う事にしといてあげるー」


 と、こちらも精一杯の言葉を返しつつ、その五百円玉をポケットに仕舞い込むのであった。次いで、軽く手を振ると階段へと続く扉を潜って行く。


 クレマチスはカーミィが居なくなったのを認識すると、とりあえず格好がついたと言わんばかりに「ふぅ」とため息を吐いた。色んな事がありすぎて、疲れがどっと出て来たような気がする――。

 と、束の間。行ったかと思ったカーミィが「ひょこん」扉から半身を突き出したので、慌てて表情を取り繕う。


「――何よ」


 まじまじと見つめてくるカーミィに対してそう告げる。

 もしかして、金額が足りないと、咎めてくるのかと身構えていると、カーミィは普段通りの何気ない調子で言った。


「そうそう、そこの階段の三輪車。片付けたの()()()()でしょ。通りやすくなってて驚いた。さすがよね。じゃ」


 また手を振ると、今度こそ、本当に、去って行ったのであった。


 カーミィの居なくなった扉を見つめながら、クレマチスは一人ごちる。


「――だから、その渾名(あだな)で呼ぶなって言ってんでしょうに……」


 その声は、到底、カーミィには届かないほどの小さな声であった。


 この時、クレマチスの頬がほのかに赤くなっていた事は、本人も気付かないほどの変化であった。何のかの言いながらも、やはり、褒められると悪い気はしないのである。それが、ライバルと思っていた相手からなら尚の事である。


 今、クレマチスはアカデミーの頃を思い出していた。カーミィをライバルと信じ、気兼ねなく名を呼び合えた、まだ未熟な頃の事。格闘術、剣術、神通力、人界の知識、等々、様々な事を競い合って学んだあの頃の事を。


 そう言えば――とクレマチスは思い出す。クレミィと呼び始めたのは、確か、あの子が最初だったかと――。


『クレマチスって言いにくいからクレミィって呼ぶね――』


 懐かしい記憶だ。




 屋上から階下を覗くと、カーミィの監視対象たる少年が幼い妹を自転車に乗せ走り出すところであった。その後ろをおっかなびっくりと言った感じにカーミィがついて行くのが見えた。

 よくもあんなぎこちない尾行で気付かれないものだと感心しながら、受け取ったレジ袋の中身を覗き込むと、


「……なによこれ」


 入っていたのは、


『メープル仕立ての栗入り抹茶ホイップクリームあんパン』


 であった。


 思わず、指先だけで袋の端っこをつまんで取り出してしまう。

 ()しくも「なんだそれ?」と思った食べ物が、今、目の前に登場したのであった。しかも、同じものが三つもある。


 クレマチスは、引きつった笑顔を浮かべながら『こんなの買うやつがいたんだ』と複雑な気持ちで眺めたあと、気を取り直して「ほら、食べるわよ。拗ねてないで出てきなさい」と、ポケットを(つつ)いて白風丸を呼びつけた。すると白風丸は、ひょこんとポケットから顔を出し、


「あんなぁ姐さん! ワイは拗ねてるんとちゃいまっせ、怒っとるんでっせ。喋るの()めるにしても、やり方とタイミングっちゅうもんがありますやろに! 無理やり抑え込まれたもんやさかい、首をこう、捻ってまいましたがな。首をこう! ホンマ折れるか思いましたがな――」


 ひたすらに文句を言った。


「分かった分かった。悪かったわよ。で、食べるの? 食べないの? どっち?」


 促すと白風丸は、更に怒りのピッチを上げ、


「そら、食べるに決まってまんがな! 当たり前でんがな! パワハラ受けた上に飯まで与えられんとなったら、ワイ、ホンマにストライキ起こしまっせ、労働省に訴えまっせ!」


 その様子はまさしく激おこぷんぷん丸と言った感じであった。意外と可愛かったりする。


 クレマチスは『労働省なんて【天界】には存在しないわよ』と思いつつも、宥めるべく、


「だから、悪かったってば――」


 謝罪の言葉を吐きながら、メープル仕立ての栗入り抹茶ホイップ……――奇妙なパンの袋をバリっと破り、半分の更に半分にした一片を白風丸に手渡したのであった。その時、ふと気になった事を尋ねてみる。


「ねぇ、白風丸――乙女座っていつからいつだったっけ?」


 奇妙なパンの一片を受け取りながら、白風丸は答える。


「うん? 確か八月二十三日から九月二十二日とちゃいましたっけ? なんですのん、藪から棒に」


 それを聞いてクレマチスは少し考える仕草をすると、


「別に。ちょっと気になっただけよ」


 と、そっけなく返すのであった。


 クレマチスの気になった事。それはカーミィの誕生日であった。あの子が生まれたのはいつだったかと思い馳せ、確か自身よりずいぶん後に生まれたうお座だったかと思い出した。

 そして、やはりこの奇妙なパンは運気アップの為に購入したものではないと結論付け、ならば何故、こんな奇妙なパンを複数個も買ったのだろうかと新たな疑問を生んでいた。

 試しに買うにしては多すぎる。もしかして意外と美味しかったりするのだろうか? と考え至り、意を決して一口かじってみると、


「――――――。」


 やはりと言うか、なんとも言えない微妙な味わいが口の中一杯に広がるのであった。決して食べられなくは無いのだが、少なくとも好んで買うような代物ではなかった。

 クレマチスはげんなりと奇妙なパンを睨み付けると「私の口には合わないわね」と、ため息を付きつつ嘆いた。


 この時、もしかして――と嫌な予感が芽生えて来る。


『あの子――不味かったから残りを渡したんじゃないでしょうね』


 と。


 だとしたら絶対文句を言ってやる。と、クレマチスは眉根を寄せて意気込んだのだが、残念な事に、このクレマチスの予想は大ハズレであった。この時、カーミィは『あのパン、クレミィも気に入ってくれると良いな』などと思いながら、尾行を続けていたのである。


 人界の者のみならず味覚と言うのは【天使】にとってもそれぞれで、何が美味しいと思うかは個性の問題なのである。

 この味覚の件でクレマチスがカーミィと物議を醸すのは、また、別の話になってからの事であった。


 げんなりしつつも、我慢して食べ進めるクレマチス。他に食べる物が無いのだから仕方ないと思いながら篠垣咲子の方に監視の目を戻すと、


「……あ!」


 そこで、クレマチスは重大な事実を発見するのであった。


「――――なによそれ!」


 思わず口を突いて出てしまう。


 クレマチスが目撃した事実、それは――。


『――ぐぅ』


 パソコンを前にして眠りこける篠垣咲子の姿であった。さすがは自由人の奔放である。


 やっぱり、あの子と一緒に居ると感覚が狂うわ。と、クレマチスは憤りながら、奇妙なパンこと『メープル仕立ての栗入り抹茶ホイップクリームあんパン』をかじるのであった。


 カーミィとの絡みがなければ、今頃、好物のいちごジャムサンドを口にしていたはずなのである。




 ◇◇◇



 で。

 一方のカーミィはと言うと、監視対象たる少年、篠垣良太の後を追いながら、順調に尾行を続けていた。

 保育園で妹ちゃんを預けるのを見届けて、中学校へと向かう少年の後をストーカーの如く追いかける。付かず離れず、絶妙な位置で尾行を続けていると、何だかいつもより妙な雰囲気が漂っている事に気が付いた。

 そしてそれは、中学校の校門に着いた時に最高潮となり、カーミィは図らずもその正体を知る事になった。


 警官である。お巡りである。国家権力である。思わず『――もぅ』とブーイングしたほどである。


 警官たちは数人がかりで、校門の写真を撮ったり、巻き尺で距離を測ったり、学校の教師らしき男と話したりしていた。明らかに何らかの事件が有ったと思える。

 興味を示した生徒たちが立ち止まって野次馬になろうとしているのを、擦れたジャージの男性教師が「もうすぐホームルームが始まるから、早く教室に入れ」と、追い払っている。


 カーミィが神通力を使って離れた位置から警官たちの会話を盗み聞きしてみると、どうやら鳩の死骸が絡んだ事件だと分かった。校舎内でも随分と話題になっているようである。


 その様子を見て、白水丸が尋ねて来る。


「お嬢。どうしますん? この様子やったらいつものように校門の前で待つんは無理そうでっせ」


 白水丸の心配はもっともであった。いくら学校の生徒に扮しているとは言っても、一緒になって校内に入り監視を行うのはとてもじゃないが無理な話であるからだ。

 ご存じの通り、学校では授業時間と言うものが存在し、もちろんその間、生徒たちは教室内に入って居なければならない。とは言っても教室内に自身の席があるはずも無く、仮に欠席者が出てその席に座れたとしても、クラスの全員が顔見知りである教室では、すぐに「おまえ誰だよ」と指摘され騒ぎになってしまう。

 神通力で姿を消して監視を行うとしても、いくら神通力の豊富な『色付き』とは(いえど)も、精々一時間も保てば良い方で、一日を通して姿を消していられるような、そんなバカげた量の神通力を持ち合わせている【天使】など、真の歴史書(アカシックレコード)の記録のおいても存在しない。

 か、と言って、人目の付きにくい、例えば、屋上などに登って監視をするにしても、学校と言う所は実に不思議なもので、そういう場所に限ってやさぐれた生徒たちが潜り込んで来てタバコを吸っていたり、盛りの付いた教師共が逢引きをしにやって来たりするのである。

 その所為で、普段では校門の前で張り込んで、ひたすら、監視対象が出て来るのを待つのが良策であるのだが――これだけの警官が居るとなると、さすがに躊躇せざるを得なかった。


 カーミィはしばらく唸りながら思案していたが、ふと「良い事思い付いた」といった表情を作ると、案の定、


「良い事思い付いた」


 と、そう言った。


 良い事思い付いたと言われて良い事だった試しは一つも無かったと白水丸は思いつつも、一応、尋ねてみる事にする。


「良い事ってなんですのん?」


 すると、カーミィは得意気に胸を張り、


「今の内に、ミルクプリンを買いに行っておけば良いのよ」


 その表情は清々しいほどに大まじめであった。


 白水丸は『やはり、良い事ではなかった』と嘆息した。






ここまで読んでいただいた方、有難うございます。たかはらナントです。


次回は、もう一人の主人公側を紹介していきたいと思います。

よろしくお付き合いくださいませ。

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