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天使たちはかく語りき  作者: たかはらナント
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第二話 公団住宅の少年 其の二

 公団住宅の少年 其の二



「――っ痛いわねっ! 誰よ、こんなところに三輪車を置いたのは!」


 派手な音を立て、盛大に三輪車を蹴飛ばしたクレマチスは、向う(ずね)を抑えながら誰ともなしに怒鳴った。

 すると、ダッフルコートのポケットから白風丸が顔を出し、潜めた声で告げる。


(あね)さん(あね)さん。そないな大声を上げると住民達が起きてきまっせ。今は真夜中なんやさかい気ぃ付けんと『また』騒ぎになりまっせ」


 その言葉に、クレマチスは先の任務の際に、犬に吠えられて『泥棒!』と騒ぎになった事を思い出した。

 慌てて辺りを見回しつつ、様子を伺う。


 ――暫し待つ。


 ……。


 ――念の為、もう少し待つ。


 ……。


 特に変化はなさそうだったので、警戒を解いて安堵の息を吐くと、足元に散乱した雑多の物が目に入り、このまま放置して立ち去る訳にも行くまいかと、渋々と片付けを始めるのであった。

 こう見えてクレマチスは真面目なのである。律義なのである。


 プラスチック製のバットを隅に立てかける。散らばったビビッドカラーの小さなバケツとスコップ、くまで、を拾い集め、一段下の踊り場にまで飛ばされた三輪車を拾い上げる。と、前輪があらぬ方向に曲がっていたので神通力を使い元に戻しておいた。


 ――やれやれ。と、クレマチスは、手に持った三輪車を見据えながら、ぼやく。


「人界の者たちってホント不思議よね」


「うん? 何が不思議ですのん?」


 唐突な物言いに白風丸が尋ねると、クレマチスは、


「だって、三輪車には、決められた置き場所が無いんですもの――」


 その言い方は「呆れる」と言うよりは「しみじみ」と言った感じであった。


 階段を上り、三輪車を元の位置に戻しながらクレマチスは続ける。


「車は駐車場でしょ、自転車は駐輪場で、靴は靴箱、お皿は食器棚だし、ゴミはゴミ捨て場――人界の者たちって、あらゆる物に対して置き場所を決めてるくせに、どうしてか、三輪車だけは置き場所を決めないのよね」


「ふむぅ……そう言われればそうでんなぁ」


 白風丸も「なるほど」と頷いた。確かに「三輪車置き場」と書かれた文字を見た事がないな――と、クレマチス同様に思った。すると、一方のクレマチスは、三輪車の位置が気に入らなかったのか、何度となく拾い上げると、ああでもないこうでもないと配置を入れ替えながら話を続けた。


「自転車とよく似たオートバイは二輪だからか一緒に駐輪所に置いてあるのを見るんだけど、車輪が一個増えた三輪車はやっぱり一緒には置いてないのよね。けれど、四輪になった車にはちゃんと別の置き場所を用意してある――ホント、人界の者たちって不思議だわ。良く分かんないわ」


 言い終えると同時に『よし、片付いた!』と、ばかりにクレマチスは、ウィリー状に置き直した三輪車たちを見据え、手の平の埃をパンパンと打ち払った。これで(つまず)く者はいなくなるだろう。思いの外、奇麗に纏まった一角にクレマチスが満足していると、


「そぅ……いや、まぁ、そういう不思議があるからこそ【神】は人界を見守ってるんでっしゃろなぁ」


 と、白風丸が、奥歯にモノを詰まらせたような物言いをした。

 クレマチスは『ん?』と少しばかり訝しんだが、


「――そうね。そうかも知れないわね」


 と、うまく結論が出なかったのか、それとも、三輪車に満足していて考えていなかったのか――ともかく、どちらとも取れる様な感じで同意の言葉を吐いた。


 今、白風丸の記憶の中には、半世紀前までは走っていた『オート三輪』が浮かんでいた。この事を話せば、さぞかしクレマチスは混乱するだろうなと笑えたのだが、下手に話を広げると、しつこく食い下がってきて『どうして? 何で?』と人界で放送している教育番組の人形の如く質問を繰り返されそうだったので、無理に言葉を曲げて濁したのであった。

 クレマチスは些細な事を気にする性格だと白風丸は知っている。しかも、一度気にし始めると、とことんまで気にする性格だと知っている。例えるならば夏の暑い日に蟻の行列をじっと見ている子供のような、そんな性格の持ち主だと知っているのである。今も三輪車の置き場所を随分と気にして何度も直していた。

 それはそれで、楽しそうではあるのだが、さすがに今は任務中。監視対象たる篠垣咲子を確認する方が先決であろうと考え、残念に思いながらも話を切り替えたのであった。


 本当は話したくてうずうずしていたのである。魔が差しそうなのを堪えてTPOを弁えたのである。


「えーところで姐さん。勢いで動いたようでしたけど、大丈夫なんでっか?」


「何が?」


「監視対象の事でんがな。探す宛ては有りまんのかいな?」


 白風丸が尋ねると、クレマチスは「あぁ」と呟いてから、


「もちろん有るわよ」


 と、自信あり気に答えた。


 コンクリートの階段を下りながらクレマチスは続ける。


「『預言書』の資料によると、篠垣咲子はこの時間、なじみの居酒屋で飲んだくれてる事が多いみたいなの。その店の場所も、西にある鉄道の駅のすぐ近くみたいだし、一度見ておこうと思うわ。二キロ先くらいだから翼を使わなくても『韋駄天の術』程度で楽に到着できるでしょうしね。準備が終わり次第さっそく向かうわよ」


 と、階下に到着したと思いきや、クレマチスはすぐさま大きく伸びをして『韋駄天の術』を使う準備を始めた。


 準備と大げさに言ってはいるが、魔法陣を書いたり、長ったらしい呪文を唱えるような事は一切なく、実は単なる準備運動だったりする。

 その証拠に、今は腰に手を当てて左右に上半身を捻っている。

 いくら【天使】といえどもいきなり走るのは、やはり、身体に良くないのか、時間のある時にはきちんと準備運動をするよう心掛けているのである。少なくとも、クレマチスは――である。

 アキレス腱は伸ばしておいた方が良いのである。でないとってしまうのである。


 白風丸はふむふむと頷くと、


「『韋駄天の術』を使うんは構いまへんが、下手(へた)に目立たんように注意しとくんなはれや、最近、また『対策部』がうるそうて(かな)いまへんねん」


 要望を口にする。

 すると、クレマチスは「フンっ」と、鼻を鳴らし、


「言われなくても分かってるわよ」


 と、前置いてから、


「あの子と一緒にしないでよね」


 と、意味なくクラウチングスタートのポーズを取ったかと思うと「じゃ、行くわよ」と白風丸に宣言し、一路、西の駅へと走り出すのであった。


 街灯の点滅している四つ角を、勢いよくクレマチスは抜けていく。その勢いに驚いて、ゴミ置き場を漁っていた野良猫が大きく飛び跳ねて逃げ出していく。

 街灯が少ないからか、冬の澄んだ夜空が奇麗に見えた。公団住宅の群れの隙間から、少し細くなった満月が、時折、顔を出して覗いていた。


 今、クレマチスは、人界の女子高校生たちが電車に乗り遅れそうな場面で時折見せる「全速力」くらいの速度で走っていた。『韋駄天』という名前からすれば、少し物足りない感じではあるが、これは目撃者がいた場合を考慮して、クレマチスが速度を調整した結果であり、本気を出せば地上最速生物のチーターよりも速く走る事が出来た。

 この姿を通りすがりで見ただけならば、きっと、アニメや漫画に出て来る『遅刻少女のリアル版』くらいに見えた事だろう。時間帯が早朝で食パンでも咥えていれば、更に笑え――いや、完璧だったに違いない。


 ちなみに、クレマチスの言った「あの子」とは、もちろんカーミィの事である。


 任務が与えられるようになってまだ間もない頃の事ではあるが、カーミィはタクシーに飛び乗った候補者を追跡する際に『韋駄天の術』を使って多くの者に目撃されるという騒ぎを起こしていた。これが先程、クレマチスが『一緒にしないで』と言った言葉の真相である。

 その時、カーミィが出していた速度は、時速にして百十キロ。直感だけで行動したその姿は、まさに、都市伝説に出て来る『ターボ婆さん』そっくりで、当時のSNSでも、かなりの話題となったようである。

 その報告を聞いたヘリオトさんの意識が、どこかに飛んでしまった事は、今となっては【天使】たちの語り草となっている。


『ターボ婆さん』の話を良く知らない諸兄らの為に軽く説明しておくと、よぼよぼの婆さんが信じられない速度で車の隣を併走、もしくは、追いかけて来ると言う怪談話の事である。


 このカーミィの一件は、優秀な対策部のお陰で、きっちりと真偽不明なオカルト話へと差し替えられはしたのだが、あまり頻繁に問題を起こされると誤魔化しようが無くなるぞと、対策部が泣きを入れ始めた一件でもあった。


 つまりはこの一件の所為で、白風丸たち【白刃鼡(はくじんそ)】がうるさく言われ始めたのである


 しかし、何故、対策部の面々は直接【天使】たちに文句を言わず、お目付け役である【白刃鼡】の方にうるさく言ったのかと言うと――実は、この時の状況は、無理にでも追いかけていなければ候補者を見失っていた可能性が非常に高かった為、今一歩、カーミィに配慮が足りなかったと言い切れない状況だったのである。その為、下手に【天使】たちに抗議をすると、


「それを隠蔽するのがお前たちの役目じゃないのか!」


 と、返り討ちにされる恐れが高かった為、直接【天使】たちには抗議をせず、遠回しに、従者たる【白刃鼡】たちを脅すようになったのである。


「お前たちは【天使】のお目付け役だろう、しっかりと手綱を握っておいてくれよな!」


 ――的な感じで。


 なんにせよ、この頃からカーミィは、問題児として注目されるのであった。



 その経緯を知ってか知らずか、クレマチスは順調に西へと走り続ける。

 ポケットの中の白風丸も鼻歌交じりに流れる景色を眺めている。

 二人とも、頭の中は「ごーとぅうえすと」なのである。知らぬが仏なのである。



 ◇◇◇



 公団住宅から西に向かって二キロほど離れた位置に、それほど大きくはないが「蓮木野市駅」と言う名の私営鉄道の駅があり、更にそこから百メートルほど南に進むと、通りが一本真っ直ぐに伸びていて、昔ながらの駅前商店街といった賑わいを装っていた。

 ただ、商店街と言ってもアーケードのような屋根は無く、駅に面した入り口とも言える正面に『はすきのふれあい商店街』と、昭和チックなアーチ形の看板が掲げてあるので、商店街なのだと認識できる程度である。

 丁度、サ〇エさんに出て来る八百屋や肉屋などが連なっていると思って貰えれば、大体の雰囲気は掴んで貰えるかと思う。


 その並びの中に、赤提灯をぶら下げた年季の入った居酒屋が一軒あり、今、クレマチスの担当する篠垣咲子は、カウンター席の一角を陣取って、店主と語らいながら飲んだくれている最中であった。


 全て『預言書』に書かれていた資料の通りである。――素晴らしい。


 クレマチスは早々に到着すると、店の外から透視で篠垣咲子の所在を確認し、次いで対角にある薬局店のカエル人形に気が付くと、その陰に隠れながら、彼女が出てくるのを待った。



 正直な話、クレマチスはこう言った商店街や繁華街での監視は好きでは無かった。何故かと言うと――。


「お、お嬢ちゃん、こぉんなところに一人でどうしたのかなぁ。お小遣い稼ぎなら、おじさん協力しちゃうよぉ――ういっく」


 と、この通り、すぐに酔っ払いが絡んで来るからである。

 時にはナンパ目的のチャラ僧や、一万円札の枚数を真剣に尋ねてくる素面しらふのサラリーマンもいた。白風丸に至っては「姐さん、また、援〇か何かと間違われてまっせ」と毎度の事ながら大笑いする始末である。

 人界に溶け込む為に、人界の者たちと同じ姿に作られた【天使】たちは【神】の趣味かどうかは別として、皆一様に美形であり、クレマチスにしても例外になく愛らしい容姿をしていた。

 こう言った下心に満ち溢れた者たちが近付いてくるのは、種の繁栄目的から見ても仕方のない事ではあるが、毎回、影響のないように追い払わなければいけない立場の身としては、かなりのストレスが溜まる作業であった。


 クレマチスは『またか』とため息を吐くと、パチンと指を鳴らす。すると、酔っ払いはマネキン人形のように固まって虚ろな目を見せる。これは、クレマチスが神通力を使って催眠を掛けた為である。

 クレマチスは催眠が掛かった事を認識すると、ため息交じりに告げた。


「私の事は気にしなくて良いから、さっさと奥さんへの手土産でも買って、お家にお帰りなさいな」


 言い終えてからもう一度「パチン」指を鳴らすと、酔っ払いは静かに頷いてからその場を離れた。しばらく様子を見ていると少し先のコンビニへふらふらと入っていく――。


 ――やれやれ。と、クレマチスは思う。


 どうしてこうも毎回毎回、同じように絡まれるのだろうか。他の生物ならキチンと繁殖期が有って、そうでない期間と分けられているのに、人界の者にはそれがない。いっその事、神通力で姿を見えなくしてから監視に付こうかと迷ったりした時期もあったが、それをすると如何に優れた『色付き』と(いえど)も、無駄に神通力を消費してしまい、任務に支障をきたす恐れがある。



「酔っ払いだっただけ、まだマシか――」



 クレマチスは誰ともなしにそう呟くと、気を取り直して監視を続ける。と、息つく暇もなく、また、別のヤツに声を掛けられる。


「そこのキミ。中学生かい? こんな夜中に何をしてるんだい」


 背後から聞こえたその声に、『もうっ! 今、追い払ったばかりなのに――』と、クレマチスが心の中で憤慨しつつ振り向くと、そこには、マシじゃない方のヤツがいた。


 警官である。お巡りである。国家権力である。思わず『――チッ』と舌打ちしたほどである。


 酔っ払いと警官とでは、扱い方が大きく変わって来る。半分意識の飛んでいる酔っ払いになら、多少の無茶をしようとどうとでもなるのだが、素面(しらふ)で、しかも仕事中である彼らには、催眠を掛ける事すら戸惑われる。下手に催眠を掛けて記憶を飛ばしてしまうと「まさか、ストレスの所為で記憶障害になったのでは?」と勘違いされて、後の彼らの生活に弊害を与える可能性が出て来るからだ。


 その程度で? と思われるかもしれないが、事実、過去に例の有った話である。その時は円形脱毛症なる症状を発症したらしい。


 必要以上に人界の者へ干渉しない――を原則としている【天使】たちには、一番の難敵と言えるくらいに、扱いの難しい相手であった。下手をすると始末書を書く羽目に陥るかも知れない。それだけはごめんだ。


 仕方ない。と、ばかりにクレマチスは腹を(くく)ると『警官対応の極意、其の壱――』と心の中で唱えたあと『くわっ』と開眼する。

 極意などと大げさに言ってはいるが、これは、クレマチスが勝手に極意と言っているだけで、世代を超えて培われたような歴史的重みは一切無い。つまりは名称だけ大げさに言っているのである。下手をすると厨二である。


 極意を開眼したクレマチスは、警官を見据えると、笑顔を作り、粛々と告げた。


「何も悪い事はしていませんよ、お巡りさん。さっきそこの居酒屋から母が酔いつぶれてしまったと連絡があったので、今、姉と二人で迎えに来た所なのです。私は制服のままだったので中に入るのを遠慮して、ここで待っているのです。ただのそれだけです。心配してくれてありがとうございます」


 今まで、何度となく相手を退けてきた台詞を応用した。

 おまけに、ここ最近では一番の、飛び切りの笑顔まで作る事が出来た。


 その笑顔は、高原にある別荘地で出会ったならば、一目で恋に落ちる様な――。

 そこに白い帽子が風に飛ばされて来ていたら、運命と感じさせる様な――。

 そんなナレーションが入ってもおかしくないような、純真で無垢な笑顔であった。


 その所為か、目の前の警官も暫しの間見惚れてしまい、その後、ふと我に返ると、


「あ……あぁ、あぁ、そうか、それなら良いんだよ、それなら――大変だねぇお嬢さんも」


 と、何が良いのか分からないが、所在無さげにドギマギとして帽子を被り直していたくらいであった。

 いい歳をしているにも(かかわ)らず――である。

 自分の、子供くらいの(年齢に見える)娘を相手にして――である。


 しかし、この警官は、極意を使用したにも拘らず、その場から離れようとはしなかった。尚もこの場に留まろうとした。


 むむむ。これは、もう一押し必要な強者(つわもの)だったか――。


 クレマチスは心の中で密かに苛立つと『警官対応の極意、其の二――』と、また、心の中でくわっと唱えてから、


「お巡りさん。お気遣いありがとうございます。お仕事大変ですね。でも、私は大丈夫ですから、どうぞパトロールを続けてください」


 と、今の笑顔を崩さずに言い放ったのであった。


 決まったと思った。完璧だと思った。誰も見ていなければきっとガッツポーズをしたくらいに見事な台詞回しだと思った。さすがは極意だと自画自賛したいところである。ってかもうしている。


 しかし、この警官はさらなる強者であった。クレマチスの思いとは裏腹に、立ち去る気配を微塵も見せず、それどころか想定外の言葉を吐いてきたのであった。


 警官は言う。


「そうかそうか。お嬢さんは偉いねぇ――でも、こんな夜中に女の子が一人で待つのは危険だからね。せめてお姉さんが出てくるまでは、おじさんも一緒に待っていてあげるよ――」


 その言葉に、クレマチスは瞬間、意味を理解できずに棒立ちになる。そして、数秒後にようやく思惑が外れた事を理解すると、


「い、いえ、そんな。ご迷惑ですから――」


 と、咄嗟に言葉を用意する。が、そのような、その場しのぎな言葉に力などあるはずもなく、警官は揺るぎもせず、胸を張ってその言葉を跳ねのけると、


「いやいや、遠慮する事は無いよ。こうやって市民の安全を守るのもおじさんの仕事だからね。はっはっはっは――」


 と、何故か一回「どん」と胸を叩いてから、豪快に高笑いをしたのであった。


 思わず笑顔が崩れそうになるクレマチス。

 どうして、こうなった。どこで間違えた――過去のログを脳裏で辿る。


 いつもなら『き……気を付けて帰りなさいよ』と言葉を残して、そそくさと退散していくと言うのに、どうして今日に限って通じない――やはりあの子か! あの子の所為か! あの子が絡むといつも私の感覚が狂う。きっと無意識の内にあの子を意識してしまったからに違いない! 


 困惑から、全ての責任がカーミィに有るかのように思考が狂い始めた頃、いつの間にか、ダッフルコートのポケットから抜け出した白風丸が、耳元までよじ登ってきて囁いた。


『姐さん姐さん。今の対応はなんですのん? いつも通りにぶっきら棒な感じで言っときゃ良かったですのに、何を媚びた声色出してまんのや。見てみなはれ、そこの警官の姿を』


 白風丸から促されるまま見てみると、警官は、何故かそわそわとしていて何度も帽子を被り直していた。時折、合成皮革で出来た黒い革コートの曲がってもいない襟を正したりもしている。


 クレマチスは純粋に「何これ??」と、不思議に思った。

 初めて見る反応に「何これ!?」と、嫌悪感も抱いた。

 警官の行動を見ていると、まるで、求愛行動に踏み切ろうとしている雄鶏のようにも見えてくる。




『――もしかして、私、襲われそうになってるの?』




 呟いたとたん、目の前の警官から「コケコッコー!!」と、聞こえた気がする。

 同時に足元から悪寒の波が「ゾワワワワー!!」と脳天に駆け上って行く。


 今、クレマチスの脳裏には、豹変した警官の姿が浮かんでいた。怪しく両手を広げ、うねうねと動かしながら、小出しに「コケっコケっ」と漏らしている、まるで特撮ヒーローものの怪人のような姿だ。名付けるならば「怪人オンドリマッポ」と呼んでいい。


 よもや、自身がこのような窮地に陥ろうとは――。


 クレマチスは、両手で自身を抱え、身震いすると、急いで対応を考えた。


 どうする? 先手を取って催眠を掛けてしまった方が良いのだろうか? それとも、ひとまず退散して、篠垣咲子が戻るまで部屋の近くで張り込んだ方が良いのだろうか?

 ――いや、どちらの対応をするにしても最善とは言い難い。そもそも退散するなど、このクレマチス=ビアンカたる者が、逃げるみたいでプライドが許さない。

 だがしかし、このままグダグダと考え続けるのは愚の骨頂。

 確か先日、対応に戸惑った同期の子が、ナンパ目的のチャラ僧に肩を抱かれてしまい『は、放してください!』と突き飛ばした結果、大怪我を負わせる羽目に陥ったと聞いている。

 そのような事があってはならない。この『色付き』たるクレマチス=ビアンカは皆の手本となるべき存在なのだ。一枚たりとて始末書など書いてはならない。ならば、どうする? どうすれば良い?――。


 対応を決めかねていると、白風丸が、


『ちゃうちゃう、そんなんやあらへんて。この警官は、()()()()()()()()姐さんなんかには興味なんかあらへんて』


 言うと同時に前足をプルプルと左右に振る。


 そのトゲのある言い方に、片方の眉根を吊り上げて『――どういう意味よ』と、低い声で尋ねると、白風丸は『まぁまぁ』と窘めるように呟いてから、


『まぁ、聞きなはれ。姐さん、さっき「姉ちゃんと一緒に来た」みたいなこと言ってましたやろ』


『――それが何よ』


 言い返すと白風丸は即、


『何よ。ちゃいまんがな。それが、原因でんがな。この警官、姐さんの(つら)を見てから、こんな可愛いらしい女の子の姉ちゃんやったら、もっと色っぽい美人ちゃうんかと思いましたんや。それで一回くらい見といても(ばち)は当たらんやろ思て、理屈こさえて待っとりますのや。そこの警官の顔よう見てみなはれ、アイドルの出待ちしてる追っかけファンと同じ顔してますやろ』


 白風丸に諭されて、よく見てみると、確かに警官は、こちらには気にも止めず、居酒屋の扉の方を何度となく気にしていた。その度に、帽子を被り直したり、背筋を伸ばしたり、鼻の穴を膨らませたりしている。

 アイドルの出待ちとはよく言ったものだ。




 ――――――――なによそれ。




 クレマチスは、ホッとするような、それでいて肩透かしを食らったような、そんな複雑な気分で肩の力を抜くと、すかさず白風丸が、


『で、姐さん。どないしますんや。始末書覚悟で催眠でも使いまっか?』


 と、にやにやと煽って来る。

 それに対し、クレマチスは『まさか』と小さく鼻を鳴らすと、


『――始末書何てごめんだわ、あの子と一緒にしないでくれる』


 と、すぐさま居酒屋の扉に指を向け「パチン」と鳴らした。すると、横開きの扉がガララと開き、何者かが姿を現す。


「あ、お姉ちゃんだ」


 ワザとらしくクレマチスが告げると、警官は再度鼻の穴を膨らませ、そして、待ってましたとばかりに意気揚々と居酒屋の扉に目をやって――。



 …………。



 ――意気消沈した。



 警官が見たもの――それは、女子プロレスラーも真っ青な、ごつい体躯の女であった。女装をしたゴリラと言った方が良いかも知れない――いや、やさぐれた女を背負っているので、女装をしたゴリラのようなコアラと言った方が良いかも知れない。うん、ちょっとややこしい――ならばいっその事、合体させてコアリラと呼ぶことにしよう。


 コアリラは、肩で風を切ってのしのしと近付いて来ると、開口一番、警官を威嚇した。


「あんた誰よ。うちの可愛い妹に、何の用よ」


 まるでファンタジーゲームに出て来るラスボスのような禍々しいオーラまで放っている。

 警官は一旦身震いした後、


「い、いえ、本官は……特に用と言う訳な者ではなく――」


 恐怖の為か、何を言っているのか分からない言葉を口ごもる。

 その状況を見てクレマチスは、警官を庇うように横から口をはさんだ。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。このお巡りさんは夜中だと危ないからって、付き添ってくれただけよ。決してやましい事を考えていた訳じゃないわ――ねぇ、()()()()()


 最後の「お巡りさん」の部分を強調して告げると、警官は、言葉を詰まらせながらも、


「も、もちろんですよ。本官はこう見えて警察官ですからね。職務を遂行したまでですよ。はっははっは――あー……では、お姉さんも無事に出て来られたことですので、本官はこれにて」


 と、慌てて敬礼し、今度こそ、逃げるように立ち去って行った。

 しばらく様子を見ていると、アーチ形の看板を抜けて駅の方へと消えて行く。



 ――はぁ……。



 クレマチスは、警官の消えた方向を見据えながら嘆息すると、もう一度「パチン」と指を鳴らした。と、目の前にいたコアリラは、闇の中に溶けるように姿を消し、その場には、クレマチスだけが残される形となった。


 今、警官が見ていたこのコアリラは、クレマチスの作り出した幻影であった。間違えないで欲しいのは「幻覚」ではなく「幻影」だったと言う事である。何が違うかと言うと、幻覚は実体のない『夢』を見るようなものであるのに対し、幻影は実体のある『蜃気楼』を見るようなものだという事だ。

 だからどうだと言う内容に思えるかもしれないが、そこは、クレマチスが最後まで拘った内容なのである。直接、神通力の影響を、警官に及ぼす事を避けたかったクレマチスは、催眠と同種である『幻覚』を使うのを止め、わざわざ、技の難易度的にも高く、神通力の消費も多い『幻影』を使ったのである。できれば褒めてやって欲しいところなのである。


「――始末書何てごめんだわ」


 クレマチスは、また、誰ともなしにそう呟くと、元居たカエル人形の隣に腰を据え、監視を続けた。

 しかし、監視に戻ってものの数分、早々に、次の相手を迎える事となる。

 今度の相手は――。


「――三枚でどうだい?」


 素面(しらふ)のサラリーマンであった。


 ――プチッ!




「しつっこいのよっ! あんたたちはっっ――!!」




 真夜中の商店街に、怒りに満ちた声が響き渡ったのであった。


 仏の顔も三度まで――なのである。



 ◇◇◇



 その頃、カーミィはと言うと、公団住宅から少し離れた国道沿いのファミリーレストランで、呑気に食事を堪能していた。

 さすがにハンバーガー屋は白水丸が「うん」と言ってくれなかったので、仕方なく、二十四時間営業のファミリーレストランにしたのである。


「やっぱり、人界の食べ物っておいしいわ――」


 案内された壁際のボックス席で、既に、三皿目となるあらびきハンバーグステーキを平らげながらカーミィが感嘆を零すと、


「結局、ハンバーガー食ってるのと、たいして変わりまへんやん」


 と、カーミィの陰に隠れながら、分け与えられたフライドポテトをかじっていた白水丸が、呆れた声で突っ込みを入れた。


 その隣の席では、コンパ帰りの四人の女子大生たちが、皆、無言でスマートフォンを眺めながらいそいそと指を動かしている。その姿は、まるでお通夜の参列者のようで、今日のコンパの相手が大ハズレだった事を態度で示していた。

 と、その中の一人が「わ。なにこれ」と、まるで公園の砂場から奇麗な石を見つけ出した幼稚園児のような歓声を上げる。


「これってこの近くよね?」


 仲間内に見せたスマートフォンの画面には、




『#口裂け女が出た』




 と銘打った画面が映っていた。


 このタイトルの示すものが、何であるのかは、諸兄らの想像次第なのである――。





どのような仕事もそれなりの苦労があるようですね。


 こんな所まで読んでいただき、有難うございます。たかはらナントです。


余談ですが、話しの進行に合わせて、冒頭のあらすじを書き直して行こうと思ってます。

また、そちらも読み返していただければ、新たな発見があるかも知れません。合わせて楽しんでもらえれば幸いにございます。


 次回は、もうしばらく【天使】たちの働きぶりを紹介していきたいと思ってますが、そろそろ、物語も動き出すと思いますので、よろしければお付き合いくださいませ。


ではでは、次回もこうご期待ってことで。

ナントでした。


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