プロローグ 其の二 茶翼の少女
茶翼の少女
【悪意】から人界の者を守る為に【神】が生みだしたシステム。それが彼女たち【天使】の役割であった。
かつて、【天使】が生み出されたばかりの頃は、人界の者も数が少なく、文明も低レベルであった為、単純に【悪意】が発現すれば対応する、といった簡素なシステムであったのだが、人界の者の数が増え、文明が発展するにつれ、対応も複雑化せざるを得なくなり、今では事細かに分業された【天使】たちが活動する事となっていた。
現場にて【悪意】と対峙する『執行官』
情報を集め記録分析する『分析官』
発行された預言書を管理通達する『管理官』
そして、その預言書を発行する『預言部』等々、
一部ではあるが、これらは全て【天使】たちの担っているシステムでの役割であった。
そもそも、なぜ『預言部』なるものが存在するかと言うと、それは【悪意】を目視だけで探そうとすると、非常に困難だからである。
【悪意】の発現する経緯が、感情に寄生するモノである以上、発現するまでは、たとえ隣にいたとしてもその存在に気付けない。
数の少なかった黎明期ならともかく、飛躍的に数を増やした中世期には、既にそれまでの方法では対応しきれなくなっていた。
その当時は【悪意】によって人界中に恐怖が蔓延し、多くの者が死に、文明が滅んだ。
『コレラ』や『ペスト』『天然痘』といった感染症の歴史に置き換わって隠蔽された事実も多数ある。
よって【天使】たちは『預言』と言う手段を用いて【悪意】の発現を特定しているのであった。
しかし、その『預言』は、あくまでも『予言』であって、一人に特定できると言う精緻な代物ではない。
大抵が二人ないし三人にまで絞られた候補者の内の誰か――と言うのが限界精度であり、それでも何十億と膨れ上がった人界の者たちに対して、虱潰しで当たるよりかは遥かに効率的である事が確かなだけであった。
そして本日。『預言部』より新たな『預言書』が届けられた。
示された候補者は二人。
誰がどの候補者を担当するのかは指名制で、過去の戦績や活動状況、容姿風貌などが考慮され『管理官』より適材と思われた『執行官』が選抜され任務に指名される。
今回、指名を受けた『執行官』は、
カーマイン=ローズ 二級執行官 と、
クレマチス=ビアンカ 二級執行官 の、二名であった。
「――納得いきません!」
『クレマチス=ビアンカ』は手渡された『預言書』から目を放すと、二つに分けた肩までの茶髪を揺らしながら声を上げた。
「どうして私がサブ候補で、この問題児がメイン候補なんでしょうか!」
きっぱりと言い切る。
『預言書』により示される候補者は先に説明した通り、二人ないし三人に絞られており、その中で【悪意】の出現確率が高い候補者をメインと呼び、残りをサブと呼んでいた。
出現の確率比では九対一くらいの割合だが、たまにこの確率がひっくり返って出現する事実がある以上、サブへの対応を省く訳にも行かなかった。
「口を慎みなさいな、クレマチス」
通達に赴いた一級管理官の『ペルマム=アルジャン』は、窘めるように言った。
ペルマムは三十半ばに見える風貌で品のある銀髪の女性であるが、実際の所、何歳なのかは誰も知らない。
噂では既に半世紀もの時を過ごしていると言われており、同じ歳に見えるヘリオト女史よりも年上ではないかと邪推されていた。
それでも、ペルマムは年長者らしく穏やかにクレマチスを窘めたのであるが、当の本人は意にも介さず激しく言葉を投げつけてきた。
「お言葉ですが、ペルマム管理官。この子は先日も【悪意】の出現時間に遅れるという醜態を晒しております。こんな子にメインを任せていては人界などすぐに――」
「慎みなさいと言っていますよ、クレマチス=ビアンカ」
声に威厳を含めてペルマムが告げると、クレマチスはとたん声を静めた。
静寂の戻った室内に、ペルマムの凛とした声が響く。
「――あなたは【神】の作りしシステムを冒涜するつもりですか?」
その言葉に、クレマチスは目を閉じると、頭を下げ、
「申し訳ございませんでした。七日の懺悔を以ってこの身を罰します」
と、謝罪した。
すると、ペルマムは首を横に振りながら、
「いいえ、クレマチス。【神】もそこまでは望んでおりません。己が責務を果たして貰えれば、それで充分なはずですよ」
と、彼女に、慈悲を促す言葉を掛けるのであった。
「……はい」とだけ、クレマチスは言葉を返した。
が、その表情は素直に納得などしていない表情であった。
隣で立っていたカーミィは何とも言えないバツの悪さを感じて気配を消していた。こういう所だけは敏感に空気を読むのである。黙ってやり過ごすのが一番だと知っていたのである。
その後、任務に必要な衣服と滞在費が支給されると、クレマチスとカーミィは部屋を出た。
通常の任務で、衣服が支給される事は滅多にないのだが、こうやって、たまに支給される事がある。
特定の施設に関連する場合や、あまり目立つ恰好をされると困る場合などに支給されるのであるが、それらは全て『預言書』に記された内容により『管理官』の判断によって用意されている。
今回、支給された衣服は紺色のセーラー服とダッフルコートで、クレマチスには茶色の、カーミィには黒色の、ダッフルコートが支給された。足元にはローファとニーソ。完全にどこかの学校の制服である。
『――スカートって動きにくいから嫌いなのよねぇ』
そんな事を思いつつ、いそいそと滞在費の入っている封筒を確認するカーミィ。期待を込めて中を見てみると、
『……これだけ?』
出て来たのは一万円札が一枚と「節約!」と書かれた紙片であった。
『――なによ、ケチ臭い。これじゃ、全然足りないじゃない』
カーミィは封筒を逆さにして覗き込みながら、不満の台詞を呟いた。
今回の任務は、本日の深夜から翌夕方に掛けての短い期間の任務である。
それならば、一枚あれば十分なんじゃないの? と、諸兄らは思うかも知れないが、三食分の食費と宿泊費を含めて考えるとするとどうだろうか? それに加え【天使】たちは皆、見た目に反して大食いだったりする。
手持ちの資金は前回の任務の際、ハンバーガーをバカ食いしてしまったが為に尽きてしまっていた。しかし、何度見ても封筒の中身はこれ以上入っていない。
とりあえず、拠点とする為のホテルなどに宿泊するのは、まぁ短い期間なので諦めるとしても、それでも一食に付き三千円程度で済ませるしかないと思うと心許ない限りである。
どうやって資金を捻出しようかと、カーミィが頭を悩ませて廊下を歩いていると、突然、先を歩いていたクレマチスが立ち止まり、不満の声をぶつけて来た。
「――いい気にならないでよね」
一体何を以っていい気になるのかは分からないが、カーミィは窘めるべく言葉を告げる。
「あのね、クレミィ。何が不満かは知らないけれど――」
こっちの方が不満たらたらよ。と、カーミィが何気なくも切り出すと、とたんにクレマチスは、
「あなたにその渾名で呼ばれたくないわ! カーマイン=ローズ!!」
と、怒りを露わにし、語気を強めたのであった。
その迫力に気圧され、言葉を止めるカーミィ。
クレミィとはクレマチスの愛称である。彼女とはアカデミー時代からの知った仲であり、当初よりライバル視はされていたが、ここまで嫌われる程ではなかった。
通常【天使】は白い翼を持って生まれて来る。しかし極稀に、色の付いた翼を持って生まれて来る者がいる。
金、銀、赤、青――確認されている色は様々であるが、その者達は総じて『色付き』と呼ばれ、大抵が白い翼の個体よりも神通力の強い個体であった。
その中で、茶色の翼を持って生まれたクレマチスも例外になく強い個体であり、【天使】たちを育成するアカデミーにおいても成績は優秀で、将来の働きを大いに期待された個体であった。いわゆる、優等生として育ったのである。
その所為か、同じ『色付き』として生まれた同期のカーミィをライバル視しており、当初は切磋琢磨していた良き仲のはずであったのだが、とある事件を切掛けに、犬猿の仲へと変貌してしまった。
そして現在も、その悪化した関係は継続している。
取りつく島もなく声を荒げたクレマチスは、尚も言葉を重ねてくる。
「あなたの、その無遠慮な態度が周りに迷惑を掛けるのよ! 今までは目を瞑ってあげたけど、今後は通用しないと肝に銘じなさい!」
言い終わると、
「フンっ、いつまでも付いて来ないでよね。全く――」
と、捨て台詞を置いて、去っていくクレマチス。
向かう方向が同じなのに、どうすれば良いのかとカーミィが嘆息すると、
「相変わらず了見の狭いヤツですなぁ」
と、背後からシアニー=ウェスタリアが声を掛けて来た。
カーミィを気遣ってか、シアニーは更に言葉を繋げ、
「あんなの気にする事無いわよ。あの子が勝手に喧嘩を売ってきて、勝手に自滅したの。アカデミーの頃から全く成長してないのよあの子は」
と、やさしくカーミィの肩に手を回すのであった。
「まぁ、それは分かってるんだけどね……」
と、言葉にしつつも言い澱むカーミィ。やはり素直に割り切れてはいないようだ。
それがカーミィの良い所であり、悪い所でもあるとシアニーは思いながらも、話題を切り替えるべく、
「それよりさ、カーミィ――」
と、ポンと肩を叩いたと思うと、今度は悪徳商人のように表情を変化させ、声を潜め告げた。
「――時におぬし、ミルクプリンなるモノが巷で話題だと知っておるかな?」
「うん? ミルクプリン……とな!?」
お菓子ワードにつられ、乗って来るカーミィ。
「そう、白くてプルップルなのだそうじゃ」
「ほう、プルップルとな」
「とろとろ~と来てほわほわ~なのだそうじゃ」
「ほう、とろと来てのほわ~とな!?」
「甘々でウマウマなのだそうじゃ」
「ほう、甘々でウマウマとな!!」
カーミィはそう言いながら、垂れてもいない涎を拭う。
エア涎拭きと言うものである。
テンプレートで用意されたお決まりの動作である為、重要ではない。
それを見てシアリーは続ける。もちろんカーミィも悪乗りを続ける。
「そう、先日の失態の詫びとして、ヘリオト女史の機嫌を伺う為にも購入してはいかがかな?」
「ぬ、それはもしや、あの生真面目が服を着たような御仁に賄賂を手渡せと――」
「いやいやいや、人聞きの悪い事を申すな。あくまでも詫びじゃよ、詫び」
「ふむぅ、詫びと申すか……」
結局あの後、自身で口を滑らせてしまった所為もあって、翼を使用した事がヘリオト女史にバレてしまった。
せっかくシアリーに手伝ってもらい書いた始末書は書き直しとなり、今まで以上に多大な心労をヘリオト女史に掛けてしまっていた。
『どうしてあなたはそんな大事な事を伝え忘れるのですか。いくら何でも気を緩め過ぎです。他に忘れてることは有りませんか? 本当にもうありませんね!? あぁ、どうしましょう、昨日の報告書は差し止めてもらうとして……いえ、先に預言部に一報を入れておかないと――』
狼狽えておろおろと動き回るヘリオト女史の姿が今でも目に浮かぶ。
さすがに気の毒な事をしたとカーミィも反省したのであった。
もっと早く気付けと言うものである。なので詫びと言う訳である。
シアニーはさらに声音を小さくすると、
「で、ついでと言っては何じゃがのう――」
と、カーミィにポチ袋を手渡して、
「小生にも一つ、慈悲を恵んでいただけまいか」
つまりは、金は出すから買って来いと言う事である。
「――ほほう」
カーミィは、悪代官のごとく目を細くすると、斜めに構え、テンプレートである台詞を吐く。
もちろんシアニーもテンプレートは弁えている。
諸兄らもきっとご存じの掛け合いである。
「ふ。おぬしも好きよのぉ――」
「いやいや、おぬし程では――」
「「ほーっほっほっほ」」
まるで緊迫感の無い二人の合議が成立した瞬間であった。
ちなみに、この二人は決して悪い事をしている訳ではない。手土産を買ってきたり、渡したりする事は【天使】にやる気を促す為、きちんと許諾されている行為であった。ならば何故、このようにこそこそとしているかと言うと――話を聞きつけた別の者達によって『たかられる』事実が多々あるからであった。
つまりはハイエナと同義なのである。皆、あざとくて油断ならないのである。
◇◇◇
カーミィたちが気の抜けた寸劇で遊んでいるその一方で、人界では、小さな事件が無視できない騒ぎとなっていた。
その事件は、当初、町中にある、小さな神社の境内に、一羽の鳩の死骸が置かれると言うものであった。
一度だけであったならば、カラスの悪戯であろうと、神主もさほど気にしたものではなかったのであるが、それが二度も続くとさすがに気味が悪くなり、三度目には、悪質な悪戯として警察に届けが出された。
しかし、警察が絡んだとたん、神社の境内に鳩の死骸は置かれなくなり、代わりに、市役所の掲示板の前に、鳩の死骸が置かれるようになった。
神社の件もあり、こちらも三度目には警察が動くようになったのであるが、同じく騒ぎになるとピタリと止んだ。
そして昨日の朝。
新たに鳩の死骸が置かれているのが発見された。それは一連の事件が起こった町にある市立の中学校の校門で、名称を蓮木野市立第一中学校と言った。
第一発見者はその中学校に勤める化学の教師で、出勤時に、門扉の上に鳩の死骸が置かれてあるのに気が付いたのであった。
この教師は一連の事件を知っていたが為、すぐに警察に通報したのであるが、今回は、警察に届けが出たにも拘らず、その奇怪な行為が止むことは無かった。
今日の朝にも同じく、門扉の上に鳩の死骸が置かれていたのであった。
それが何を意味するのか、誰も本質には気付かないまま騒ぎは継続する。
生徒達の間でも、鳩の生け贄事件と呼ばれ、高い注目を集めていた。
◇◇◇
こんな事件が起こっているとは、爪の先ほども知らず、高笑いをするカーミィたち。
彼女たちが任務に就くのは、準備が整う深夜からの予定であった。
ここまで読んでいただいて、有難うございます。
たかはらナントです。,
今回までで、主軸の二人を紹介した訳ですが、まだまだ伝えきれない部分が多々ありますので、その点に関しては、おいおい物語の中で紹介していきたいと思います。
次回から、ようやく本編に入ります。ご期待ください。