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天使たちはかく語りき  作者: たかはらナント
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第十話 公団住宅の少年 其の十

 第十話 公団住宅の少年 其の十




「『三輪車』――と言えば、心当たりがありますね。クレマチス」


 ペルマム管理官は、クレマチスの衰弱した原因が『呪い』である――と宣告したあと、今の言葉を口にした。

 その言葉に対しクレマチスは、任務に就いて早々蹴り飛ばしてしまった、あの『三輪車』を思い浮かべると、腑に落ちない様子でペルマム管理官に尋ねた。


「つまりは、その『三輪車』に『呪い』が掛かっていた――と、言う事なんでしょうか?」


 疑問含みの言葉であった。

 その言葉が示す通り、クレマチスは見た目以上に戸惑っていた。

 何故ならば『呪い』を構成する『呪詛』や『呪術』と言った超常の概念は、中世期には、失われてしまった概念であると、アカデミーでは教わっていたからである。


 後に、第二次混沌期と呼ばれる事となったその時代は『化学』や『物理学』『天文学』と言った、今の人界を支える多くの概念が進化し、発展した、言わば革新の時代であった。

 しかし、その反面【悪意】の影響により『呪術』や『魔術』『錬金術』と言った超常の概念を失ってしまった、亡失(ぼうしつ)とも呼べる時代でもあった。

 故に混沌期と呼ばれるのである――。


 諸兄らの住む【人界】で、『魔法』とは何か? を知る者が多いのに対し、現象として起こり得ないと認識しているのは、実にこの為である。


 今のこの、クレマチスの心境を例えるのであれば、自身を襲った猛獣が遥か昔に絶滅した『恐竜』であったと告げられたような心境であった。

 若しくは、自身だけが服の見えていない『裸の王様』を見せつけられたような気分であった。


 つまるところ、現行では存在し得ないものが存在すると指摘された状況であり、いくら信頼の置けるペルマム管理官の言葉であったとしても、(にわ)かには信じられない――と、戸惑ってしまったのである。


 そんな腑に落ちない思いから、クレマチスが疑問を口にしてみると、今度は、キュアノス監察官が(さと)すよう口を開いた。


「正確に言えば『魔法陣』を構成している『三輪車』を、キミが壊してしまった為に『呪い』となって振り掛かった。――ってのが正解なんだけどね。キミは確か任務に就いて早々その『三輪車』を、前輪が壊れる程に蹴り飛ばしてしまったんだったね」


 確認するようなキュアノス監察官の言葉に「――えぇ、まぁ……」と、未だ戸惑いの抜けないクレマチスが答えると、キュアノス監察官は「ふむ」と頷いてから言葉を続けた。


「触れた程度であったなら特に影響はなかったんだろうけど、壊してしまったキミにはまともに『呪い』が影響してしまい、衰弱していったんだね。その証拠に、同じ『三輪車』に触れた黒い子にはさしたる影響も出てなかったようだしね――」


 その言葉を聞いてクレマチスは、どうしてあの時、急に『三輪車』に(つまづ)いてしまったのかと気が付いた。

 状況を思い出したとたん、あの子の所為だったか――と、腹立たしさが(かさ)を増して込み上げて来る。


 ――きっと、通るのに狭いからって『三輪車』を適当に()けたに違いないわ。どうりで最初に通った時には気にもならなかった『三輪車』が、いきなり通路の真ん中に現れたかと不思議に思ったのよ。ホント、相も変わらずはた迷惑なヤツなんだから。もうちょっと考えて行動しなさいよね。


 クレマチスは『今度会ったら絶対文句を言ってやる』と、憤った思いを胸の奥に留めると、話の続きに耳を傾けた。


 キュアノス監察官はそのまま言葉を続ける。


「――本来であれば、半日と経たない内に動けなくなるほどの『衰弱の呪い』だった訳だけど……従者くんの話によれば、キミは相当に無茶をやらかしたみたいだね。衰弱の兆しが出てからも尚『韋駄天』や『浄化光』挙句には『剣技』まで使ったそうじゃないか。もし、強制帰還で戻って来なかったら、きっと、違う所でおねんねする羽目に陥ってたんじゃないかな」


 キュアノス監察官はそこで一旦言葉を途切れさせると、もう一言付け加えた。


「――でもまぁそのおかげで、ようやく事の真相が掴めてきた訳なんだけど……」


「ちょっと待ってください――」


 クレマチスは話の腰を折るように声を上げると、続きの言葉を口にした。


「いきなり『呪い』だ何だと言われても、やはり、俄かには信じられません。そもそも超常の概念自体、中世期には、失われてしまったはず――ではなかったのでしょうか?」


 習った歴史と違う。クレマチスはそう言いたかった。すると今度は、入れ替わるように、ペルマム管理官が口をはさんだ。


「だからですよ、クレマチス――こうして私たちが秘密裏に動いているのは」


 ペルマム管理官は、一旦、キュアノス監察官を横目で捉えると、ため息交じりに言葉を続けた。


「それなのにキュアノス(この子)と来たら、勝手に先走るわ、騒ぎを起こすわ、周囲をまるで気にしないわ……せめて扉くらいは閉めて欲しいものです」


 バツの悪そうに肩を竦めるキュアノス監察官。それを見据えペルマム管理官は、呆れるように細く息を吐くと、クレマチスに向き直ってから言葉を続けた。


「良いですかクレマチス。いくら概念が失われたと言っても、この世の全てから消える訳では無いのです。生まれてしまった以上痕跡は残り、観測した以上記録は残る。――例えば、パワースポットと呼ばれる建造物や特殊地形などで祈祷や降霊術を行った場合、若しくは、魔法陣などの特殊力場を発生させた上で呪文を唱えた場合、そう言った条件下では、例え概念を失った現象であっても偶発する実例があるのですよ」


 ペルマム管理官がそこまで言うと、今度はキュアノス監察官が引き継ぐように説明を継ぎ足した。


「まぁ、あくまでも条件が揃ったら――って事だけどね。でも偶発すると言う事は、意図的にその状況を作り出す事だって出来るって事さ。なんせ十三件もの実例があるんだから」


 その時、クレマチスは、何故だか奇妙な感覚を覚えた。

 はっきりしない感覚ではあるが、いつもの気になる性格が納得できないと愚図っていた。

 どうして、そんな事まで話すんだろう? そんな風に感じながら、キュアノス監察官に言葉を返した。


「それでは、その偶発が重なって、私は衰弱した――と、そう捉えておけば良いのでしょうか?」


 明らかな疑問形であった。キュアノス監察官は首をゆっくり横に振ると答えた。


「――だったらまだ良かったんだけどね。自然発生する『呪い』であったなら、せいぜい気味が悪いとか、悪寒を覚えるとか、そんな程度で済むから自然消滅するまで観察を続ければ良い。もしくは噂を流すか、手を加えるかして、誰も近付かないように仕向ければ良い」


 やはりおかしい――。

 違和感の募るクレマチスは、何に対しそう思ったのかと探り始める。


 自身の衰弱した原因が、概念を失くした『呪い』であった――。

 そして、その『呪い』が、特定の条件下であれば、発現する可能性が有った――。


 ――そこまでは良い。


 自身の知らなかった情報が出て来たからと言って、それらに違和感を覚える要因は無い。予めペルマム管理官からは「機密に抵触する内容がある」と、話が始まる前に知らされている。今の内容がそれだったとしたのなら、話の辻褄としては十分だ。

 しかし、ここからだ。果たしてその理由だけで『二級執行官』如きを相手に、ここまで丁寧に対応する必要があるのだろうか? 

 それこそ「信じられない」と口にしたならば「機密に触れる事だから――」と(たしな)めておけば良い。若しくは「それが現実だ。次からはせいぜい気を付けるんだね――」と、あしらっておけば良い。

 その程度で済む内容を、ここまで懇切丁寧に教える理由とは何だ? そうだ、それがしっくりこなかったのだ。十三件も実例があるだなんて、それこそ教える必要は全く無い。

 何だか、脈絡のない言葉を無理に印象付けて、話の根本をすり替えられているような、話の核を遠回しに匂わせて誘導されているような、そんな気がしてならない。


 そこまで思い至った時、クレマチスにある考えが浮かんだ。

 どうしてこんな経緯を辿るような回りくどい説明をされるのか?

 どうしてこんな『監察官』程の大物が、『執行官』程度に構って口をはさんでくるのか?

 今、クレマチスの中には、全ての疑問に納得できる答えが湧き上がっていた。




「もしかして、私は疑われてるのですか?」




 困惑が腹立たしさに変換された時、クレマチスは思わず口にしていた。


 その瞬間、室内の空気が一変した。

 キュアノス監察官の眉根が僅かに歪んだ。


 いったいどこの何を疑われているのか、全く見当はつかなかったが、全ての状況がそう示しているのは間違いないと思った。

 アカデミーでのあの時、皆が距離を置いて遠巻きに自身を見ていたあの時と同じ目を、今、この『監察官』はしているのだ。


 クレマチスは、キュアノス監察官に向き直ると、あからさまに睨み付ける。


 特定の条件下であれば『呪い』が偶発すると教えたのも、実例が十三件もあると教えたのも、きっと、関係者にしか知り得ない何かに対し、口を滑らさないかと鎌を掛けたからに違いない。――いや、もしかすると、その事自体が疑いの理由だったのかもしれない。今の人界では起こり得ない『呪い』を発生させたのが、私の仕業だと疑っているのだ。だから『三輪車』を蹴飛ばしたのが、私で間違いないかと念を押して来たのだ。


 いったい私が何をしたと言うのだ。やましい事をした覚えなど全くない。ただ真面目に任務をこなしていただけだ。それなのに疑われるなど以ての外だ。私は茶翼(マローネ)のクレマチス。【神】に誓って、恥じるような事は何一つやっていない。こんな冤罪まがいな取り調べをする暇があったら、もっと他を当たったらどうなんだ。それとも――




 ――私が変わってあげましょうか! キュアノス一等監察官殿!!




 大見得を切るように、クレマチスが直接言葉を荒げて罵ると、


「あなた何を言って――」と、ペルマム管理官。


「生意気言うじゃないか――」と、キュアノス監察官。


 取りなそうとしたペルマム管理官を押し退けて、キュアノス監察官が迫って来る。

 力任せに胸倉を掴まれ、引き寄せられ、そして、感情を剥き出しにして、詰問をぶつけられる。




「いいか新人! キミが何を思おうと勝手だけどな、一昨日、一人の【天使】が死んだんだ。その子はキミと同じように『衰弱の呪い』に侵されて対処が間に合わずに死んだ。けれどキミと違うのは、その子には一つ、キミには二つの『呪い』が掛けられていたって事だ。ボクが調べているのはそこだ! キミの任務中に通ったルートには『三輪車』以外に『呪い』の痕跡は無かった。つまりそれは、誰かの手により直接『呪い(ふたつめ)』を掛けられたと言う証拠なんだ。キミの回復を待って思い出させるなんて、そんなまどろっこしい事はもう止めだ。今すぐ思い出せ。キミに掛かっていた『忘却の呪い』は既に解かれたはずだ。いったい、いつどこでだれと会った。そいつといったい何を話した。ボクに生意気を言いたいのなら全部思い出せ、さぁ、早く思い出せ!」




 その時、クレマチスの世界がスローモーションになった。

 まるで、高圧電流にでも触れたかのように、身体が「ビクリ」跳ね上がった。

 次いで、頭を鷲掴みにされて、脳みそを引きずり出されるような、ドス黒い痛みが中心から湧いて襲って来た。

 ペルマム管理官が必死になって、キュアノス監察官を押さえようとしているのが気配で分かる。

 それでも自身の胸蔵に手が伸びていて、寝巻きの襟元を絞られているのが分かる。

 身体が揺さぶられる度に、捻じ切られるような痛みが何度となく襲って来る。

 ただの痛みではない。我慢強いと思っていた自身が、耐え切れず呻きを上げるほどの激痛だ。

 その、気が狂う程の痛みの中で、任務中に遭遇した数ある者たちの姿が浮かび上がって来た。



 カーマイン。それと、白水丸。

 これは篠垣咲子が部屋に居なくて、探しに行こうと振り向いた時。


 商店街の酔っ払い。

 頷いてから、コンビニに入って行った時。


 パトロール中のお巡りさん。

 居酒屋の扉に向かい、帽子を被り直したり、襟を正したりしている。

 あぁ、この子はコアリラ、最終兵器だ。関係ない。


 一万円の枚数を尋ねて来たしつこいサラリーマン。

 どっかへ逃げてった。


 また、警官。

 それも多数。


 ――。


 また、カーマインと白水丸。


 それから――。


 ――。


 ――ファミレスのウエイトレス。


 ……。


 ――あれ? 一人飛んだ。


 二度目にカーマインと会って、変なパンを渡されて――。


 ――そう、『メープル仕立ての栗入り抹茶ホイップクリームあんパン』だ。思い出した。

「まずかったから渡したんでしょ」って、カーマインを問い詰めなきゃいけないんだった。


 ――そう、そのあとだ。そのパンを食べ終えて、白風丸と喧嘩して、一人で監視するって突っぱねたら、白風丸が拗ねてポケットから出て来なくなって、そのあと、誰かに話しかけられた……はず。


 ――だれだ?


 はっきり思い出せない。

 でも、確か――懐中時計を、見せられた――だから「あなたも任務なの?」って――。



 そこまで思い出した時、クレマチスの意識は、また、途切れた。

 キュアノス監察官に胸倉を掴まれたままで、ぐったりと項垂れていた。

 いつの間にか出ていた鼻血が筋となって、白いシーツの上に「ポタリ」シミを作った。




 ◇◇◇




 クレマチスが二度目の意識を失ったその頃。カーミィは報告書を書き直していた。


 いつものような役所のロビーに似た広い場所――では無く、取調室と言っても過言のない狭い個室に閉じ込められて、何度となく突き返された報告書を涙目になりながらいそいそと書き直していた。


 机をはさんだ目の前には、能面のように無表情になったヘリオト女史が座っている。

 その姿を例えると、個別指導の塾講師か、はたまた、放課後の居残り勉強の面倒を見ている学校教師と言ったところだ。

 カーミィの遍歴を鑑みるならば、断然後者と言ったところではあるが、ヘリオト女史からしてみれば、我が子の溜まった宿題を強制的にやらせている母親のような気分であった。


 (はた)とペンを止め、書き直したばかりの報告書を両手で差し出すカーミィ。平伏する様に頭を下げている。

 ヘリオト女史は無言でそれを受け取ると、しばらく書面に目を通した後、溜め息と共に、また、突き返して言った。


「擬音が増えただけで何の説明にもなっていません。やり直しです」


 振り出しに戻る。

 再びペンを取る。

 また、いそいそと書き始める。


 今、カーミィの心の中では声にならない愚痴が飛び交っていた。


 ――全部、あいつの所為だ。あの青い髪のデカ乳女の所為だ。どれだけ階級が上かは知らないけれど、今日中に全部の報告書を出せとは何というご無体だ。超過労働も甚だしい。もう指が痛い。お腹空いた、ご飯食べたい。お風呂入ってベッドでゴロゴロしたい。ペルマムさんもこんなところに座ってないで、何か言いに行ってくれたら良いのに!


 はかどるのは愚痴ばかりであった――。



 勾玉となった【悪意】を浄化したあと、カーミィは事後処理に奔走した。

 手違いとは言え、意識を飛ばした者の数が多いのだ、のんびりやっている暇はなかった。

 ただ、加減を気にせず【悪意】を浄化したおかげか、白風丸から受けたわだかまりは、とっくの昔にどうでも良くなっていた。

 いわゆる八つ当たりが出来たおかげで気分がスッキリしていたのである。バッティングセンターでホームランを打って上機嫌になったサラリーマンよろしく単純だった訳である。


 道端で倒れていた、主婦、学生、児童たちに催眠を掛け直し、歩いて自宅に戻らせた。

 公団住宅内のそこかしこで倒れていた者たちをそのまま部屋の中に押し込んで、成り行きに任せ、扉を閉めた。いずれ目が醒める。これで良い。

 最後に、監視対象たる少年とおばさん、おまけの妹ちゃんを部屋の中に運び込んで、それぞれの居場所らしき所に放り込んでから、神通力で自然治癒を促して、打ち身や擦り傷などの細かい傷を癒しておけば、隠ぺい工作一丁上がり。あとは『対策部』が何とかしてくれる――はずだ。


 とりあえず一段落。時間が無いからとっとと帰らねば。でもどうやって帰ろう? 扉のあった場所まで戻っていれば、シアニーが気付いて何とかしてくれるだろうか? 扉、まだ移動してないと良いんだけど――。




「――まぁ、悩んでも仕方ないか」




 カーミィが気楽な調子で呟いて、振り返ると、




「やぁ、キミが今回の『担当官』かい?」




 いつの間にか青い髪の女がそこに居て、話しかけて来た。しかも、やたら乳のデカい女。胸のボタンが留まらないのか、届かないのか? このくそ寒い季節でありながら、はち切れんばかりの谷間が顕になっていた。パンツスーツの一部分だけが、まるで拘束具のように張り詰めている。


 ――何者? と尋ねる前に、女が懐中時計を見せて来た。銀色の懐中時計。自身の持つ懐中時計とは、色が異なっている。

 ちなみに、こうやって懐中時計を()()()()のは、【天使】にとっての身分を明かす行為である。日本警察で言う所の警察手帳を見せる行為と同じである。


 不穏な気配を察したのか、白水丸がポケットから出てきて肩口で告げた。


「お嬢。あの懐中時計『一級』の【天使】に与えられる懐中時計でっせ」


 つまりは、カーミィより階級が上だと言う事である。

 白水丸は続けて、


「――とにかく、迂闊な事は言わんよう十分注意しとくんなはれや。あとあと厄介な事になるかも知れまへんよって」


 度重なる心配からか、耳打ちする様に囁いた。

 すると、青い髪のデカ乳女は、


「従者くん。そんなに警戒しなくていいよ。ボクはそう言うのは気にしない(たち)なんでね」


「聞こえているよ」とでも言いたげに笑って言った。

 と、そのすぐあと、カーミィに一瞥をくれると、


「ところで――キミのは見せてくれないのかな?」


 催促して、また笑った。


 含みのある笑いであった。

 まるでシアニーが何かを企んでいる時のような、近寄ってはいけない笑いであった。


 カーミィは背筋に悪寒を感じると、警戒も露わに口を開く。


「……すみません。今、懐中時計、持ってなくて」


 無意識の内にファイティングポーズまで取っていた。そのポーズはまるで、怪獣と対峙した時の『ウル〇ラマン』のようなポーズであった。指先をまっすぐに伸ばしたあの有名なポーズである。

 ところが、青い髪のデカ乳女は、あからさまに警戒を表したにも拘らず、特に気にする様子もなく笑ったままで言った。


「あ、そう。落とした方? 忘れた方? どっち?」


 追加の質問であった。まっすぐに見つめて来る目が表情に反して笑っていなかった。カーミィは躊躇いつつも正直に答える。


「……忘れた方で」


「あ、そう……」


 女は、仕方ないと言うように嘆息すると、懐中時計をポケットにしまいつつ言った。


「忘れたんじゃ仕方ないよね。そう言えばボクのルームメイトも良く忘れ物をする子だったよ。ハンカチとか財布とか懐中時計とか。任務に出かけるとなったら、必ず声を掛けたもんさ『忘れ物は無いかい?』って――あぁ、そうだ。それじゃぁ、キミ、どうやって帰るつもりだったの? 【天界】への扉、開けられないよね? 連絡でもしてあるのかな?」


 何だかわざとらしい台詞であった。しかし、聞かれた以上答えない訳にも行かなかった。何せ相手は『一級』である。軍隊で言う所の上官なのである。

 カーミィは警戒を強めつつ言葉を返した。


「――ベッドの上に忘れたので、ルームメイトが気付いてなんとかしてくれるかと思って。とりあえず、扉までは戻ろうかなって」


「あぁ、そう」


 女はそこで逡巡すると、


「それじゃぁさ、ちょっとだけボクの任務を手伝ってくれないかな? そしたら、一緒に帰ってあげられるし、憶測に頼って待ち惚けを喰らうよりかは、よっぽどマシだと思うんだけど――どうかな?」


 女はそう言いながら姿勢を変えると、絶妙に通路を塞いだ。

 嫌な予感がひしひしと湧いて来る。この女、どうして通路を塞ぐのだ。いったい何が目的だ?

 カーミィは、より一層警戒を強めると、断りの言葉を告げる。


「あ……でも、『帰還門限(きかんもんげん)』までそんなに時間無いんですよ。多分、あと十分くらいしか無くて……扉のあった位置に戻るだけでもギリギリかなって……」


 これ以上関わってはいけない。カーミィはそう思っていた。早くこの場から離れた方が良い。白水丸に言われるまでも無くそう思っていた。

 ただし、今言った言葉は誤魔化す為の嘘ではなく、れっきとした事実であった。実際、カーミィの腹時計では、確かにそれくらいの時間であったのだ。


 カーミィは感じていた。

 きっとこの女に、迂闊な事を言ってはいけないと。

 嘘でも吐こうものなら途端足元を(すく)われて、言い逃れが出来なくなると。

 いったい何の為に引き留めようとしているのかは気になるけれど、これ以上関わると、ろくな事にならないのはひしひしと伝わって来る。絶対に弱みを握られてはならない。この女はきっとそう言う種類の女だ。シアニーと同等かそれと類似した何かだ。


 ちなみに、カーミィの言う『帰還門限(きかんもんげん)』とは、【悪意】を浄化して後、帰還するまでの時間的猶予の事であり、通常、一時間以内とされている。理由としては事後処理を行った後の『経過観察開始時間及び担当責任の明瞭化』と小難しい言葉になっているが、実のところは担当した『執行官』が遊び(ほう)けて遅くならないようにと定められた規則である。

 もちろんこの呼び名は正式なモノではない。長ったらしい呼び名に嫌気のさした誰かが『門限』と揶揄した事が発端となり定着した呼び名である。


 そんなカーミィの言葉に対し、女はまた、含みのある笑みを浮かべると言った。


「あぁ、その程度の事なら心配しなくても大丈夫さ。ボクの手伝いをしたって言えば、半日くらい遅れたって、許して貰えるからね――」


 予想外の言葉で逃げ道を塞がれた。『時間無いんで失礼します――』はもう使えないとカーミィは悟った。

 女は続ける。


「――それに手伝って欲しいと言っても、大したことじゃないんだ、この辺に『三輪車』があって、それを調べたいんだけど、同じような建物ばかりで迷っちゃってさ。一緒に探してくれるだけで良いんだよ」


 その時カーミィは、向かいの棟にあった『三輪車』を思い受かべると、即座に逃れる為の算段を脳内に描いた。


 それならば、多少の情報を与えて満足している内に逃げるしかない。求める『三輪車』が、それかどうかは分からないけれど、知ったこっちゃない。今の話の流れで行けば『あぁ、それならそこにありますよ』と、促してから『じゃ、私は急ぐので、お先失礼します――』これで済むはずだ。これなら自然に立ち去ることも出来るし、これ以上引き留めるとなると、さすがにこの女も言い出しにくいと感じるだろう。よし、これで良い。この作戦で行こう。

 カーミィは密かに「うん」と頷くと、すかさず実行に移した。


「『三輪車』なら、向かいの棟にありましたよ」


「どこそれ?」


「そっちです。そっちの五階の踊り場です」


 腕を伸ばし、向かいの棟を指し示す。狙い通り、女が示した方を向くと、言うなら今だとばかりにカーミィは声を出す。


「じゃ、私は急ぐので――」


 しかし、すぐさま女は破顔すると言った。


「なぁんだ、そんなところにあったのか。それならすぐに終わるじゃないか――」


 まるでワザとカーミィの台詞を打ち消すように被せて来た。

 出鼻を挫かれる。

 しかしまだ間に合う。「じゃ、私は急ぐので――」


「――でも、せっかく人界に来たんだし、どうせなら、何か食べてから帰ろうかな。あ、そうだキミも一緒にどう?」


 肩を叩かれる。いや、掴まれる。


「いや、私は急ぐので――」


「もちろんボクの奢りで良いよ。情報提供のお礼って事でさ。何だって構わないよ」



 ――お、奢り!?



 胡散臭い台詞にも拘らず、カーミィはすぐさま反応を示した。

 そして確認する様に、女の言葉を繰り返した。


「奢り? マジで?」


「うん、奢り。マジで」


 女も念を押すように繰り返してくる。

 カーミィは、尚、疑り深く続ける。


「本当に?」


「本当に」


「お礼で?」


「そう、お礼で」


「何でもいいの」


「どうぞどうぞ」


「じゃ――」




 ――ハンバーガーが食べたいです!!




 カーミィは高々と片手を挙げると、迷う事無く言い切った。その目は既にハンバーガーで(きら)めいていた。

 実のところ、昨晩、白水丸に拒絶され、ハンバーガーを食べ損なっていた為に、口の中がハンバーガーを求めて疼いていたのである。それと合わせ、自業自得(てへぺろ)と事後処理の為に大量の神通力を消費していた為、程よく腹も減っていたのである。言わば、部活帰りの中高生と似たような状況だったのである。


「え? そんなので良いの? もっと高いのでも構わないんだけど――」


「いいえ、ハンバーガーが良いんです! ハンバーガーが食べたいんです!!」


 その時、溜まりかねた白水丸が声を上げた。


「お嬢! さすがに失礼が過ぎまっせ」


 もちろん、本当に失礼だとは思っていない。引き留めるための口実である。

 しかし、その、考え直せと言わんばかりの言葉は、女によって潰される。


「大丈夫だよ従者くん。こっちから誘ったんだ、全然、失礼にはならないよ」


 そう告げた女の笑顔が怖かった。白水丸を黙らせるには十分な笑顔であった。女の目が告げている。余計な事は言うな、黙ってろ。迫力に押された白水丸は委縮してそれ以後の言葉を止めるしかなかった。


「じゃ、決まりって事で良いかな?」


 女は改めてカーミィを見据えると言った。

 了解を促されたカーミィは、更に高々と手を上げると、歯切れのよい言葉を返すのであった。


「もっちろんですともっ! ご案内いたします! さぁ、こちらです!」


 なんともご立派な敬語であった。

 あれほど警戒していた態度は、『奢り』という、たった一つの言葉で粉砕された。

 まるで別人のように鼻歌まで口ずさむカーミィ。

 白水丸は、


『もう……。高う付いても知りまへんで――』


 思い至ると、いそいそとポケットの中に戻るのであった。




 その後カーミィは、女を先導しながら、向かいの棟の五階へと向かった。

 踊り場に置いてあった『三輪車』を見つけ、女が調べるのを眺めていると、いくつか質問をされたので、素直に答えておいた。

 その内容は「キミも触った?」と「他に何も無かった?」であった。それ故、カーミィは「触った」と答えたあと「クレミィが蹴飛ばしたと思う」と答えておいた。


 一通りの検分を終えると、女が「待たせたね」と切り上げる。

 それから「なんで三輪車置き場ってないんだろうね」なんて雑談を交わしながら、公団住宅から少し離れた国道沿いのハンバーガー屋へと赴くと、そこでなんとカーミィは、スペシャルチーズバーガーセットを十セットも奢って貰うのであった。

 なんて気前の良いお姉さま。と、カーミィが更に気を許したのは諸兄らの想像通りの結果である。


 傍から見ると美人姉妹に見えるこの二人が、山盛りのトレイを抱えて店内を闊歩する姿は、さぞかし奇異な光景に映った事であろう。やはりと言うか、こっそりとスマホで撮影する者たちが居た。


 #ギャップ萌えリアル。


 後に『対策部』の面々が、SNSを辿って削除するのに手間が掛かったと愚痴を零している。


 このような経緯もあった事から、女がしてくる質問を、カーミィは何の警戒も無く饒舌に答えた。女は特にクレマチスの事を入念に尋ねていたのであったが、その事に気付かずカーミィは、素直に話し続けた。


 ――ただ、


「根は真面目なんですよ。だから、先走っちゃう事が多くて良く誤解されるんですよね」


 と、言ったこのひと言が、女の心証を変えた事に間違いは無かった。それ故、クレマチスの扱いが『容疑』から『聴取』へと切り替わったのは小さいながらも事実である。

 もちろん、クレマチスがそれと知る由も無く、感情のままに罵って、胸倉を掴まれ、また、気を失ってしまう事になるのは本人の自業自得であった。


 概ね満足したのか、女は「用事を思い出したから――」と立ち上がる。トレイの上に残っていた全てをカーミィに譲ると、


「悪いけど、先に帰るね。()()()()()()()()()、キミは食べ終わってから帰ってくれば良いよ」


 そう言い置いて、早々に去っていった。

 何て優しいお姉さま。と、カーミィがもっと気を良くしたことは、諸兄らも想像通りの()()()である。


 その後、ゆったりとした食事の時間を過ごし、帰路に着いたカーミィを待っていたのは、鬼の如き形相となったヘリオト女史であった。




「遅過ぎです!! 何をしていたのですか!!」




 開口一番、怒りの声が飛んでくる。と、カーミィは何食わぬ顔で、


「いやぁ、事後処理が終わった直後にですね、『一級』のお姉様に、任務を手伝ってくれと頼まれまして、それでやむなくですね――」


 半日遅れても許される――。この言葉を鵜呑みにしていたカーミィは何の疑いも無く素直に告げた。

 しかし、カーミィの予想に反し、ヘリオト女史は更に怒りのボルテージを上げると、


「何を言ってるのですかあなたは! 今現在、任務で【人界】に降りている『一級』の【天使】など一人も居りません。皆さんとっくに帰還しています。どこからそんな出まかせが出て来るのですか!」


「――えぇっ!?」


 まさか、怒られると思っていなかったカーミィは戸惑いを見せる。そして『そう言えばお姉様、先に帰ったんだった――』と思い返すと、慌てて取り繕う。


「い、いや、本当ですって。銀色の懐中時計も見せられましたし、ハンバーガー奢って貰って、食べ終わってから帰って来ると良いよ――って言ってくれたんですよ。それに、――そう、連絡。私が懐中時計忘れたって連絡してくれたはずなんです。だからこそヘリオトさんが居てくれたんじゃないんですか!?」


 ヘリオト女史は更に眉根を寄せると告げた。


「連絡を寄こしたのはシアニーです。あなたが『懐中時計を忘れて行ったからどうしましょう?』と前もって相談があったからこそ、時間を見計らって待っていたのです。それなのに、終了予定時間に合わせて来てみれば――まさか三時間も待たされるとは思いませんでした」


 思いっきり愚痴られる。

 何かおかしい。何か話がおかしくなってきている。

 カーミィは焦りと不安を感じつつも、尚、言い訳を繰り返す。


「いや、でも……本当なんですって――そ、そう、白水丸だって会ってるんですから。ねぇ、白水丸。わたし、嘘なんか言ってないよね。ね」


 ポケットから覗いていた白水丸に助けを求めてみれば、白水丸は何も言わずに一度だけ頷いた。

 その様子を見てヘリオト女史は、大きな溜め息を吐きつつ妥協の言葉を口にする。


「――分かりました。その件はこちらで確認しておきますから、その『お姉様』とやらのお名前を教えて貰えるかしら?」


 言い方から察するに、八割方疑惑と言った感じである。


 ところが――。




 ――あ。




 ここに来てカーミィは、ようやく女から名前を聞いてなかったと気が付いた。よくよく考えてみると自身の名前も告げていなかったと思い出す。


 しまった――と言うように、額に手を当て天を仰ぐカーミィ。

 その無言の様子から、状況を察したヘリオト女史は、確認を含めて声を掛けた。


「――あなた、もしかして、()()()()()()()のですか?」


 コクリと頷くカーミィ。

 僅かに意味合いが違う事にヘリオト女史が気付く事は無かった。


 カーミィの嘆く様子を見据えたあと、ヘリオト女史は白水丸に視線を移す。と、白水丸もふるふると何度か首を横に振って「知らない」との意思を伝えた。

 ヘリオト女史は、また、呆れるように嘆息すると、複雑な表情で、


「全く、あなたと言う子は……もういいです。それよりも、方面本部から、近日で起きた蓮木野市(エリアN346)関連の報告書を、本日中に提出しろと通達が来ているのです。通常の『活動報告書』だけでなく『指定外飛翔報告書』と『始末書』の類も全てです。特にあなたの報告書は、()()()()()()()()()()()()来ています。さぁぐずぐずしている暇は有りません、早くこちらにいらっしゃい」


 そう言うと、ヘリオト女史はカーミィの手を引っ張って、狭い部屋へと連れて行った。

 困惑の内に連れていかれたカーミィは、半ば放心した状態で机へと着かされる。


「とにかく、方面本部局に経過報告だけしてきますから、あなたは先に書き始めてらっしゃい」


 ヘリオト女史はそう言い置くと、慌ただしく出ていった。何故だか「ガチャリ」外から鍵の掛かる音が聞こえたのだが、その事にツッコむ気力は、今のカーミィには無かった。

 どうして鍵を掛けるのだ。思う間もなく白水丸が声を掛けて来る。


「お嬢。これ――」


 何やら紙片を渡してくる。続けて、


「お嬢が帰還したら渡すように、あの青い姉ちゃんに言われてましたんや。内容は知りまへん。とりあえず、読んだってくださいや」


 青い女と聞いて、カーミィは息を吹き返す。慌てて紙片を開き、仇のように文字を睨む。

 そこにはこんな内容が書かれていた。



 ――詳細な報告書を出すよう()()()()()()()から、よろしく頼むよ。ハンバーガー食べたんだから、もちろん今日中に提出できるよね。



 その文面を読み終えたカーミィはしばらく固まったあと、ぷるぷると震え出す。そして、紙片を粉々に破ったかと思うと、紙吹雪のようにばら撒いて叫んだ。




「嵌―めーらーれーた――――――――っっ!!!」




 その叫びは、部屋を跨いだ通路にまで響くのであった。

 ポケットの中で(うずくま)りながら白水丸は思う。



 ――言わんこっちゃない。



 こうしてカーミィは、ヘリオト女史に見張られながら、泣く泣く報告書を書くのであった。


 タダより怖いものは無いのである。








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