第3話
帰っても薫の相手をしないといけないことを思い出す。けど駅前の本屋に戻るわけにはいかないから結局少し遠くの本屋に行った。その帰り道。そちらの本屋は狭い路地の中にひっそりあっていかにも隠れ家的な本屋で、でも隠れ家的な知る人ぞ知る!というような要素は全くなく近隣住民のあいだでのみこっそり存在が知られているような場所。ちなみに僕は古本を一切読まない。物によっては例の黒い影がうっすらではあるが纏ってる物がそこそこの数あるからだ。
その近く。つまりは大通りからは遠い場所。極端に人通りが少ない場所。
「お前、俺のこと嫌いか?」
聞き覚えのある言葉に僕はふと立ち止まってそちらを見た。いつかのナイフさん(仮)が狭い路地で女性に向けて発音していた。どうやら本屋の店員は通報の義務を怠ったらしい。職務怠慢だ。訴えてやろう。女性のほうはというとナイフに気づいておらずナンパか何かと勘違いしたのか無視して行こうしとして、首筋にナイフを添えられた。
「俺のこと嫌いか?」
ナイフさんはもう一度繰り返す。そこで初めて女性はナイフさんがナイフさんだと認識。僕は嘆息。なんで見ちゃうかな、僕は。
死後の彼女ならともかくこのまま目の前で殺人が起こればフラッシュバックでぶっ倒れること確実なのでそのへんにあった小石を蹴って壁に命中させる。音を立てた小石は目撃者の存在を忠実に報せる。
「あっ」
っとか、わざとらしい声を出しみる。携帯電話を取り出すとこまで見せて逃亡する。いつかの利口な犯人さんなら追っかけては来ないだろう。目撃されたこの場に留まって殺人を犯す危険も熟知しているはずだ。なんて、思ってたら、しっかり追い掛けて来ました。直ぐに息が切れる。運動不足は良くないらしい。そういえばクラスの体育でシャトルランは下から2番目だった。
追い付かれた。万事休す。
「逃げんなよ、少年」
意外に優しい声が僕の前に立ち塞がった。ピンチ。残念ながら頼みの綱の塩はネタ切れである。さて、どうしよう。数ある選択肢から選び出されたのは“大人しく生け贄になれ”とのことでした。合掌。
「君、本屋のときの子でしょ? 話しがしたいだけなんだけど……」
僕の思考を中断して危ない目をしたお兄さんはマスクを外して地べたに座り込む。顔を直視して意外に若いことに気づく。目が憔悴して濁ってるせいで中年ぐらいに見えたが、普通に大学生ぐらいの年齢らしい。なぜか僕は逃げようとは思わなかったらしく大人しくナイフさんの前に座り込む。素直すぎるぜ、僕。
「さっきの女性は?」
「エーテル嗅がせて眠らせた ほっといて大丈夫だよ」
「エーテル?」
某FFのMP回復薬ですか?
「簡単に言うならクロロフィルムの親戚、麻酔薬だ あとで殺すとき便利だろ」
まあ知ってるけど。
「あぁ、そうだ 俺と話してるときは笑わないでくれ」
「どうしてですか?」
「殺したくなるから」
そう言ってナイフさんは頬を歪に歪めた。なるほど僕は前のときに知らずにスイッチを踏みつけちゃったわけか。
「醜いだろ? 本人は笑ってるつもりなんだ」
つまりはあれか。自分がうまく笑えないから他人の笑顔が気に食わなかったわけか。
殺人の動機としては軽いのかも知れないが彼にとってはそれだけの屈辱なのだろう。少なくとも僕にとって黄空と呼ばれるのと同じぐらいには。
「まあ顔なんて飾りですよね」
足なんて飾りですよ。違った。……違った?
「そう、偉い人はそれがわかってないんだよ」
おっ、ノってきた。予想外。で、予想外に流れ出すラプソディーインブルー。正しくは携帯の着信音が鳴る。間が悪い。もう少し聴いていたいのに。
「すいません」
軽く頭を下げる。
「電話するなら俺に背中向けてたほうがいいよ」
忠告だがなんだかわからない発言。多分喋ってるうちに笑ったら殺したくなるからだろうけど、殺人犯に背中向けること自体間違っちゃいませんか? まあとりあえず忠告に従って背を向ける。
「もしもし」
『あ、ちゃんと出ましたね 太陽くん』
……嘆息。
「高藤 美咲」
『えれすくれこーと です』
エレスクレコート:スペイン語で君は正解だ。らしいです。『しゃーまんきんぐ』より
「いま忙しいんで切りたいんですけど」
『奇遇ですね、こちらも少々あれな状況で』
じゃあなんで電話してきた……?
「切るよ」
『いやね、ちょっと困っちゃいましてね 実は』プツッ
「失礼しまし……」
そして空気を読まない再びのラプソディーインブルー。
「すいません……」
「いや、構わないよ」
通話ボタンを押す。と
『実はですね、私死体を発見してしまったのですよ』
開口一番で宣言。
「……」
『その大発見を大親友である太陽くんに御知らせしたいと思いましてお電話させていただいた所存なのですが』
「切るよ?」
『死体は同い年ぐらいの女性で─プツッ
今度は電源も落とす。
「お待たせしました」
ナイフさんはなんとなく辺りを見渡す。
「移動しないか 俺の部屋でいい?」
あんまり人通りはないとはいえ女性一人が昏倒させた場所は危険なのだろう。ぶっちゃけ動機が判れば僕のほうにはあんまり彼に用はないんだけど。
「わかりました」
一応、同意。悪い人じゃ無さそうだから。殺人犯だけど そういえば殺人犯が悪い人だと誰が決めた?
で、彼の部屋は河原のダンボールハウスだった。これを堂々と部屋と言い張れるのは天才的な才覚だとは思うが、抹殺されかねないので止めておく。
「いや 指名手配犯の身じゃ部屋を借りる訳にも行かなくてね まあ適当に座って」
そんな僕の表情を読んでかナイフさんは苦笑する。逃亡を優先したときにも思ったが、かなり頭の回る人ではあるようだ。エーテルだとかの知識もあるようなので元は医大生か何かかも知れない。
「ところで君、人殺したことある?」
……いきなり何を言い出すんだろう。
「ありません」
ということにしてみる。
「あれ おかしいな」
なにが 頭の上に?マークを浮かべてみる。
「いやね いままで俺が殺し損ねたのは誰かを殺したことがあるやつばっかりだったから」
ナイフさんは片手でナイフを抜いて弄ぶ。ひどく手慣れた扱い。一体この人は何人殺してきたんだろうか?
「誰かを殺したやつってのはね やり返されるのをビビって、警戒してるんだ
だから隙が小さくて殺し辛い」
ポイッと上に投げてくるくる回るナイフを指一本で止める。そしてまたくるくると回し出す。熟練されたペン回しを見ている気分になってきた。
「君の反応はいままでで一番殺されることを警戒してた」
彼は躊躇わず笑って言った。それを醜いと知りながら。正しいな、と僕は思う。僕が黄空から三島になった日から僕の毎日は恐怖との戦いだった。僕は逃避を選んだ。心を切り捨てて。彼は戦うことを選んだ。
「俺みたいな人種は同種を求めてる だから君がそうなら話したいなって思ったんだけど」
俺みたいな人種 反芻して意味を咀嚼。殺人に抵抗がない人間ってことか。じゃあもしかしたら黄空とも気が合うのかな?
「期待外れで申し訳ないです」
「いや いいよ」
ナイフを、投げた。ドスッと音を立て僕の頬を掠めて後ろのダルボールの壁に突き刺さる。
「収穫はあったから」
簡単に恐怖しない人間の発見。彼にとっては収穫らしい。
「笑っていいよ 気に入ったやつなら大丈夫なんだ」
「気に入られました?」
試しに笑みを見せる。笑みで返された。ほんとらしい。
「うん 少なくともこの街に来てからは初めてだ」
ここで閑話休題。沈黙は退屈なので僕は腰を上げた。
「じゃこれで」
「うん 俺は当分ここにいるから退屈ならまた来て」
「……あ そうだ」
ダンボールハウスを出掛けて僕は振り返る。どーでもいいけどさっき投げたナイフの刃の先が外側に向けて突き出ている。
「この街で何人殺しました?」
「……3人、かな」
「性別と特徴は?」
「男が2人 黒髪と茶髪、若くて背は二人とも高かった 女は30過ぎたぐらいでやたら派手な格好」
淀みなくスラスラと答える。
「ありがとうございます」
「大したことないよ」
彼はまた醜い笑みを見せた。
つまりは高藤の見つけた女を殺したのは彼じゃないってことか
僕はやむを得ず携帯の電源を入れた。ほとんど同時にラプソディーインブルーが流れだした。