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風呂熊ちゃん 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 こーちゃんの家は、プラモデルとかある? 僕、最近、はまり始めてさ、この間も新しいものを買ってきたばかりなのさ。

 僕の学校だとさ、男はプラモデル、女はお人形勢力がすごく強いんだよねえ。プラモデルは買ったパーツを組み上げていくけど、お人形ってできあがった状態で売っているもの多いじゃん? これって暗に、過程を重視するか、結果を重視するかを反映しているんじゃないかと思うんだよね。


 ――偏った考えが過ぎる? いや、なんとなく思ったことだよ、なんとなく。


 ああ、そうそう、人形で思い出したんだけどさ。昔、人形をめぐって少し奇妙な事件に出くわしたことがあるんだよ。こーちゃんも聞いてみないかい?


 その年は冷夏になるという予報の通り、夏にしては空気が冷たい日が続いた。半袖でいられるのは日中だけで、夕方から明け方辺りまでは、まるで梅雨に逆戻りしたかのように身。

 例年、夏はシャワーを浴びるだけで過ごしている我が家だったけど、この年は毎日、お風呂を入れた。風呂に入る順番はまちまちだが、夏場は僕が先陣を切ることが多い。父は仕事、兄は外で友達と遊んで遅くなることがほとんどだし、母親は夕飯の片づけをしている間に風呂が沸くから、後回しにすることが普通だ。

 僕の家では、ただの湯に浸かる入浴はほとんどしない。入浴剤を投入したり、柚子を入れた袋を浮かべてみたりと、母親の好みで手が加えられる。

 その日のお湯は紫色に染まっていて、ラベンダーの香りがした。更に口を縛った分厚い袋が浮かんでいて、鼻を近づけてみると柑橘類の匂いがぷんぷんする。二つ以上の細工を併用することは珍しかったから、「いやに今日は力を入れているな」と首を傾げかけたよ。

 たまにはこんな日もあるだろ、と思ったけど、この状態の風呂は翌日以降も、ずっと続くことになる。


 夏休みに入り、家の中でゴロゴロする機会が増えると、母親と二人だけの時間も長くなる。たいていが部屋でゲーム三昧の僕だったけど、疲れるとテレビのチャンネルを回してゴロゴロしたりする。

 ここのところバス、電車、飛行機といった乗り物事故をよく見かける気がした。一度、兄が通学に使っている路線の名前が出て、母ともども画面にくぎ付けになったよ。幸い、使っている区間は運航が遅れる程度で済むと分かってほっとしたけどね。

「こんなことがあるから、外には出たくないんだ」と思いつつ、服の裾をパタパタさせて風を入れる。思ったよりも体の内側が冷えて、くしゃみを一発。かなり汗をかいていたらしく、寝転がっていたカーペットも、心なしか湿っている。


 ――着替え……いや、シャワーも浴びといた方がいいかな?


 気温は抑えめといっても、湿度は高いせいか汗が渇きづらい。今朝もパジャマのべとつき具合に耐えられず、朝イチのシャワーをいただいていた。


 適当なインナーを見繕い、風呂のある一階へ降りていく僕。ほどなくシャワーの音が風呂場から聞こえてくる。そっと入り口から覗いてみると、全開にした戸の向こうで母が、エプロン姿に青色のゴム長靴を履いての、風呂掃除をしている最中だった。こちらに背中を向けて桶の中をごしごしこすりつつ、シャワーで洗い流し……と、せわしない。


「ねえねえ、風呂使って大丈夫?」


 大きめの声で尋ねると、湯を張るか否か聞きさえられる。シャワーだけだと答えたところ、あと数分は待て、とのこと。

 近くの台所で麦茶を飲みつつ、掃除の終わりを待ちながら、ふと思った。


 ――そういえば、ここのところ風呂掃除を任されたこと、なかったっけな。


 春までは、家の手伝いの一環として、なかば強制的に僕に課されていた仕事。それが梅雨を迎える前後から今に至るまでの一ヵ月あまりの間は、母が自分で風呂を洗ってしまっている。僕は頼まれないと自分から動かない派なので、勝手にやってくれる分には仕事が減ってありがたく思う。

 ただ、休みに入って家にいる時間が増えたことで知ったが、母は毎日のように風呂を洗っている。いつもそうだったのだろうか。


 シャワーの音が止む。僕がすぐさま着替えを手に入り口で待っていると、掃除道具を持った母が出てきて、入っていい旨を伝えてきた。だが、僕の意識はちらりと見えた、掃除道具の一角へ向く。

 母が提げているバケツの中。洗剤と一緒に入っていた、茶色い毛を逆立てた物体のことだ。ぱっと見て、たわしかなと思った。だが、母がそれに手を当ててさりげなく隠す直前に確認できたのは、真っ黒いガラスアイの入った双眸そうぼう

 ぐしょぐしょに濡れた、テディベアの首だったんだ。


 人形をたわし代わりに使っていた。僕は立ったままシャワーのお湯を浴びつつ、風呂桶を注意深く観察してみる。茶色い毛の一本でも出てくれば、あれで拭いていたことは確実なのだけど、見つからなかった。証拠隠滅、抜かりなしといったところか。

 穴の開いたシャツとかも、たいていは雑巾として扱われる末路を辿るもの。同じようなことをテディベアも味わうのか、とも思ったけど、いまひとつ理由が分からない。

 普段から袖を通され、汗やほこりで汚れる環境に置かれがちなシャツなら、不潔な役に回されても一応は納得できる。それに対し、テディベアの全盛期は、むしろ汚れることを疎まれ、かわいがられるのが仕事のはず。それがいくらくたびれたからといって、たわしの代わりに風呂掃除を任されるなんて、あんまりといえばあんまりだ。

 見間違いであってほしいと思ったよ。テディベアで洗われたことも、母がそのようなひどい真似をしたということもね。

 

 今日も父と兄は遅くなる予定。母と二人で夕飯にそうめんをいただいた後、風呂を沸かし始める。半信半疑に揺れる僕としては、あまり湯船に浸かりたくなかったが、あれからもまただいぶ汗をかいてしまっていた。シャワーのみならず、しっかり浸かっておきたいところ。

 ほどなく、母親から風呂が沸いた旨を伝えられる。寝巻を持って向かったところ、今日の風呂のお湯は真っ黄色に染まっており、柚子を入れる時に使う袋も浮かんでいた。

 それを見た時、僕は一抹の不安がよぎったね。袋の生地を透けてかすかにのぞくその色は、柚子が見せる黄色ではなく、茶色がかった大きめのものだったのだから。

 

 袋の端を持って、そっと湯船から引き上げる。匂いはいつもと変わらない柑橘系。考えてみると、これもまたカモフラージュだったに違いない。この汚い真実から、僕たちの眼を逸らすための。

 袋の口を縛るひもに手をかける。なかなか固く結んであったが、じりじりとひもを解いていき、中身と対面する。予想通り、手のひらに乗せられるサイズを持つ、テディベアの生首が突っ込んであった。

 戦場などで取った人間の首は、腐敗を防ぐため、塩漬けにされるという。それがこのテディベアの場合は、おそらくレモンから直に絞った汁に漬けられていた。袋越しの匂いが一気に強くなったからだ。こいつと一緒に、入浴を楽しむ気にはなれない。

 シャワーだけで出てしまおうかとも思いかけたが、普段はしっかりたっぷり浸かっている以上、あまり早く出ても怪しまれて、袋の件を追及されるかもしれない。何度も身体を洗いながら、ちらりと風呂を見やる。今日は珍しくたっぷりとまでしか入っていないにも関わらず、湯はその水面から、心地よさそうな白い湯気を盛んに吐き出している。

 シャワーだけで粘っても、夜の空気そのものが冷えている。お湯が当たらなくなった端から、どんどん寒気を感じ始めるんだ。身体の芯から温まりたい。テディベアのダシに関しては、この際、我慢しよう。

 僕は湯加減をみようと手を湯船の中へ差し入れてみる。

 

 手首の辺りまで入ったところで、不意に手のひらに何かがぶつかってきた。慌てて引っ込めると、衝撃を受けた場所が真っ赤になっている。風呂の熱さとはまた異なるものだ。じんじん痛む。

 僕は思わず、桶のそばに置いたかき混ぜ棒で、お湯の中を探る。母親がまた奇妙なものを仕込んでいないか不安だった。ところがぐるりと湯船を一回転させたところで、風呂の外の戸が叩かれ、「何やってるの!」という母の怒気を含んだ声。

 それはこっちのセリフだ、と言わんばかりに、僕はかき混ぜ棒を戻すと、タオルで隠すところを隠しつつ、例のテディベア袋を母へ突きつけたよ。とたん、母の顔色が変わって、僕の肩を掴み、がくがく揺さぶってくる。


「あんた、これを取っ払った湯船に浸かってないだろうね? ええ?」


 喧嘩を売られる一歩手前といった口調。僕がありのままを伝えると、母親は考え込んでしまう。「大事ないといいけど……」とつぶやきつつ、僕にテディベアの袋を戻すように告げ、父や兄にも黙っていろとのこと。僕はいったん渋ったが、母は大勢の人の命に係わるからと、おおげさなことを言い、譲らない。

 結局、元通りに袋を浮かべた僕に、母は「近いうちに分かるよ」と告げてきた。


 数時間後の夜のニュースで、事故の報道がなされる。旅客機の一機がトラブルのため最寄りの空港に緊急着陸したこと。続いて、地元にほど近い路線の列車が脱線し、一定の区間で運行を見合わせる事態となってしまったとのこと。

 二人してテレビを見ながら、母親が告げる。


「水面の下はな、時期によってはおかしなところへつながるんだ。あんたの好きな表現なら『別の時空』ってところか。あのテディベアの首は、変なところへ通じることを防ぐ、お守りみたいなものさ。それをあんたが抜いて、かき回したりするものだから、ご覧のとおり交通網がかき乱されちまった。

 湯船に身体を沈めなかったのは不幸中の幸いだったよ。もしやっていたら、あんたの足なり尻なりが、いずれかをぺしゃんこに潰していただろう。きっと死者が出ていた」


 これに気づかない奴らが多くて、この世に事故は絶えないのさ、と母は語っていたっけね。


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― 新着の感想 ―
[一言] ふぉっ……!(((;゜Д゜))) ずぶ濡れテディベアの生首は、確かにショッキングな光景ですね……ぶるぶる。 自分ちのお風呂がそんなところにつながっているなんて、ためて入るのが怖くなりそうです…
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