表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

名もなきスプリンター

掲載日:2019/05/30

僅か二十数秒のドラマ。

そのドラマを闘った皆さまへ。

 残り50m。


 脚が思うように上がらない。


 また一人、わたしを追い抜いていく。


 駄目だ。このままでは終われない。このままでは終わらせない。終わらせたくない!


 動け! 動け!


 そのために、今日の為に、つらい練習を重ねてきたんだ!


 ゴールが遠い。


 こんなに、こんなに遠かったっけ?


 予選も準決勝もあっという間だったはず。


 なのに、今日に限って。


 200mってこんなに長かったの?


 違う。分かってる。でも。


 最後まであきらめない!


 倒れてもいい、ゴールの後なら!


 だから動け! わたしの脚!!






「先輩! 明日の決勝、頑張ってください!!」


「うん! 絶対6位以内に入る!」


 最後の県高校総体。200m。


 今までずっと、準決勝止まりのわたしだったけど、今年はついにその壁を破ったんだ。


 確実に力はついた自覚がある。


 速くなった自信だってある。先月の記録会では自己ベストを出せたし、今日の準決勝でもタイムを縮めた。


「あんた、1人だけ小学生みたいだったよ」


 優しいけどちょっと口の悪いチームメイトが嬉しそうに笑う。


 彼女が言うように、わたしは短距離選手としての体格に恵まれていない。


 身長は160cmに届かないし、体重も長距離ランナーと勘違いされるぐらいしかない。友達は細くて羨ましいって言うけど、わたしはもっと筋肉をつけたかった。でも、食べても食べても、結局は高校の丸二年間、身長は少し伸びたけど体重はほとんど変わらなかった。


 それだけじゃない。


 ずっと前から、陸上を始めた頃からわかっている事。


 そう、わたしには才能が無い。


 才能が全て、とも言われる短距離で、それは致命的かもしれない。実際、わたしが全力で出したタイムは全体の6位。でも、上位2人は軽く力を抜いても、わたしより1秒以上も速い。


 でも、諦めた訳じゃない。なんとかその背中に食らいついて、決勝も6位内に入って、次の大会へ進む。


 才能が無くったって、努力すればやれるんだって事を証明したい。そのために今まで、苦しみにも痛みにも耐えてきたんだ。


「おめでとう! 凄いね!」


「決勝、頑張れ!」


「先輩の走る姿、とってもカッコいいです!!」


 夜、陸上部のみんなや、クラスメイトから次々とメッセージが届く。


「私は準決勝で終わったけど、絶対次の大会、行ってね!」


 小学生の時からずっと一緒に陸上を続けてきた、親友からも。


 上位大会の常連で、わたしの目標だった彼女は今年、決勝に進めなかった。


「一緒に次の大会に行こうって約束したのにごめんね。でもあなたなら絶対行けるからね」


 準決勝の800mのゴール後、彼女はぽろぽろと涙をこぼしながら笑っていた。


「うん、絶対行く!」


 右脚に痛みがある。でも強気の返事を送る。ここまできたら、弱気になんてなっていられない。


「あなたの努力は、きっと報われるって信じてるよ!」


「積み重ねてきたものを、全部出しきれ! 君なら大丈夫!!」


 卒業した先輩たちからの激励。


 胸が熱くなる。


 こんなに応援してくれる人がいる。


 絶対にやってみせる!


 早く明日になれ!






 思うように脚が上がらない。


 昨日はあんなに軽かった身体が、今は酷く重い。


 前の子を抜かなきゃ。


 歯を食いしばる。


 脚が限界なのは分かってる、でも脚だけで走る訳じゃない。大丈夫、まだ腕は振れてる。息だって上がっていない。まだいける、まだいける!


 動け! 動け! わたしの脚! 動け! 動け! わたしの身体!!


 ゴールまで30m。


 風は無いのに、身体にぶつかる空気が壁のように固い。


 風を切る音が聞こえない。


 あと20m。


 7人目の選手の背中が視界に入った。


 そして。


 わたしは、高校最後のゴールに飛び込んだ。






 終わった。


 わたしは倒れそうになるのを堪えて、今まで走ってきたコースを振り返る。


 小学生から陸上を始めて12年、もう数えきれないくらい大会に出て、数えきれないほどこのコースを走った。悔しい事がほとんどだったけど、いい事だってちゃんとあった。


 こんな気持ちでここからの景色を見る事は、たぶんもうないんだろうな。


 少しだけ雨に濡れたタータンが、お疲れ様と言ってくれている気がする。


 わたしは、重い脚を引きずってコースを出た。


 陸上部のみんなが、泣きながら出迎えてくれる。


 悔しい。


 あんなに応援してくれたのに。


 みんなの声は届いていたのに。


 みんなの期待に応えられなかったのが悔しい。


 自分の力が足りなかったのが悔しい。


 そして、もう……次が無いのが、寂しい。


 そう、次は無いんだ。もう次のレースは無いんだ。次の大会は無いんだ。


 今まで、負けても泣いた事が無かったのは、泣く暇があったら次のレースの事を、大会の事を考えて前を向く方がいいと思っていたから。


 負けた瞬間に次のレースが始まるんだと、そう思ってきたから。でも……。


 でも……。


 涙が溢れた。


「ゴメンね。最後なのに、情けない結果でゴメンね」


 泣きじゃくるみんなを見て、自然と謝っていた。


「情けなく、ないですっ! 先輩はっ、やっぱりっ、カッコいいです!!!」


「あんたはっ、あんたはっ……」


 集まった輪の中に、親友の姿が無かった。壁に半分隠れて、潤んだ目でわたしを見ている。


「うわーんっ!!」


 目が合ったとたん、号泣しながら抱きついてきた。


「かっこよかったよ、かっこよかったよ。私、今まであなたがいたからここまで頑張れたんだよ。ありがとう、ありがとう」


「わたしもだよ。わたしも、あんたが一緒だったから、ここまでこられたんだよ。ありが、と、う」


 2人で抱き合って、声をあげて泣いた。


 みんなに囲まれて、まだおさまらない涙を拭いながらスタンド前に戻ってくる。


「お疲れ」


 いつも不甲斐ない結果の時は、不機嫌になる声の主が、今日は穏やかにそう言った。


「うん、ごめんね、6位に入れなかった、ビリだった……」


 怒ってるだろうな。


 専門のコーチがいない状況で、陸上の経験が無いにもかかわらず、ネットや本で研究してくれて、 特訓にも付き合ってくれたのに。


「残念だったけど、今までよく頑張ったね」


「うん……」


「お前が必死でやってたのは父さんが一番わかってるから。だから謝る事はないんだよ」


「はい……」


「もう、今日のレースを振り返って反省する必要はないよ。目一杯の結果だから。何も反省する事は無い」


「はい……」


「ここまで来られたのを、誇りに思いなさい」


「うん……」


 父さんは笑った。でも、涙が滲んでるのを誤魔化せてはいなかった。


「父さんにとって、お前は自慢の娘だよ」


「うん! ありがとう!」


 父さんはわたしを囲んだみんなを見て、もう一度嬉しそうに笑う。


「栄光は掴めなかったかもしれないけど、周りを見てごらん。本当に大切なものをお前は掴めただろう?」


 本当に……そうだ。


 そして表彰式。


 どうしても、今だけは、その光景を目に焼き付けておきたかった。


 何故か、そうしなくちゃいけないと思った。


 次の大会に出場する6人が表彰台に並び、一斉にポーズをとる。


 毎回の光景。


 一度でいいから、わたしもそこに居たかった。一緒にポーズをとりたかった。


 いったい誰が声をかけているんだろうと、ずっと思っていた。


 もう、その答えは永久に分からないけど。


 1位、2位は大会新記録。わたしなんか足元にも及ばない。


 あの2人は、これからもっともっと高い場所に行くんだろう。


 その時わたしは、きっと誰かに自慢する。


 わたし、あの人たちと同じ決勝を走ったんだって。


 あの2人はわたしの顔も名前も覚えていないだろう。


 わたしはあの2人が意識する、その位置まで届かなかった。最後までその背中は、ずっとずっと遠いものだった。


 これからどうするのか、陸上を続けるのか、まだ整理がつかない。


 でも……。


 ……いつか。


 あの人たちが、今日の記録や映像を見て、「あ、この子、一緒のレースを走ってたんだ!」って。


 言わせてみたいかな。






 わたしに名前なんて無い。


 誰もわたしの名前なんて気にしない。


 記憶にも記録にも残らない、ただ思い出だけを自分の胸に残して、静かに競技場を去るその他大勢の1人。


 名もなきスプリンター。


 それがわたし。


 そう、今はまだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ