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名もなきスプリンター

僅か二十数秒のドラマ。

そのドラマを闘った皆さまへ。

 残り50m。


 脚が思うように上がらない。


 また一人、わたしを追い抜いていく。


 駄目だ。このままでは終われない。このままでは終わらせない。終わらせたくない!


 動け! 動け!


 そのために、今日の為に、つらい練習を重ねてきたんだ!


 ゴールが遠い。


 こんなに、こんなに遠かったっけ?


 予選も準決勝もあっという間だったはず。


 なのに、今日に限って。


 200mってこんなに長かったの?


 違う。分かってる。でも。


 最後まであきらめない!


 倒れてもいい、ゴールの後なら!


 だから動け! わたしの脚!!






「先輩! 明日の決勝、頑張ってください!!」


「うん! 絶対6位以内に入る!」


 最後の県高校総体。200m。


 今までずっと、準決勝止まりのわたしだったけど、今年はついにその壁を破ったんだ。


 確実に力はついた自覚がある。


 速くなった自信だってある。先月の記録会では自己ベストを出せたし、今日の準決勝でもタイムを縮めた。


「あんた、1人だけ小学生みたいだったよ」


 優しいけどちょっと口の悪いチームメイトが嬉しそうに笑う。


 彼女が言うように、わたしは短距離選手としての体格に恵まれていない。


 身長は160cmに届かないし、体重も長距離ランナーと勘違いされるぐらいしかない。友達は細くて羨ましいって言うけど、わたしはもっと筋肉をつけたかった。でも、食べても食べても、結局は高校の丸二年間、身長は少し伸びたけど体重はほとんど変わらなかった。


 それだけじゃない。


 ずっと前から、陸上を始めた頃からわかっている事。


 そう、わたしには才能が無い。


 才能が全て、とも言われる短距離で、それは致命的かもしれない。実際、わたしが全力で出したタイムは全体の6位。でも、上位2人は軽く力を抜いても、わたしより1秒以上も速い。


 でも、諦めた訳じゃない。なんとかその背中に食らいついて、決勝も6位内に入って、次の大会へ進む。


 才能が無くったって、努力すればやれるんだって事を証明したい。そのために今まで、苦しみにも痛みにも耐えてきたんだ。


「おめでとう! 凄いね!」


「決勝、頑張れ!」


「先輩の走る姿、とってもカッコいいです!!」


 夜、陸上部のみんなや、クラスメイトから次々とメッセージが届く。


「私は準決勝で終わったけど、絶対次の大会、行ってね!」


 小学生の時からずっと一緒に陸上を続けてきた、親友からも。


 上位大会の常連で、わたしの目標だった彼女は今年、決勝に進めなかった。


「一緒に次の大会に行こうって約束したのにごめんね。でもあなたなら絶対行けるからね」


 準決勝の800mのゴール後、彼女はぽろぽろと涙をこぼしながら笑っていた。


「うん、絶対行く!」


 右脚に痛みがある。でも強気の返事を送る。ここまできたら、弱気になんてなっていられない。


「あなたの努力は、きっと報われるって信じてるよ!」


「積み重ねてきたものを、全部出しきれ! 君なら大丈夫!!」


 卒業した先輩たちからの激励。


 胸が熱くなる。


 こんなに応援してくれる人がいる。


 絶対にやってみせる!


 早く明日になれ!






 思うように脚が上がらない。


 昨日はあんなに軽かった身体が、今は酷く重い。


 前の子を抜かなきゃ。


 歯を食いしばる。


 脚が限界なのは分かってる、でも脚だけで走る訳じゃない。大丈夫、まだ腕は振れてる。息だって上がっていない。まだいける、まだいける!


 動け! 動け! わたしの脚! 動け! 動け! わたしの身体!!


 ゴールまで30m。


 風は無いのに、身体にぶつかる空気が壁のように固い。


 風を切る音が聞こえない。


 あと20m。


 7人目の選手の背中が視界に入った。


 そして。


 わたしは、高校最後のゴールに飛び込んだ。






 終わった。


 わたしは倒れそうになるのを堪えて、今まで走ってきたコースを振り返る。


 小学生から陸上を始めて12年、もう数えきれないくらい大会に出て、数えきれないほどこのコースを走った。悔しい事がほとんどだったけど、いい事だってちゃんとあった。


 こんな気持ちでここからの景色を見る事は、たぶんもうないんだろうな。


 少しだけ雨に濡れたタータンが、お疲れ様と言ってくれている気がする。


 わたしは、重い脚を引きずってコースを出た。


 陸上部のみんなが、泣きながら出迎えてくれる。


 悔しい。


 あんなに応援してくれたのに。


 みんなの声は届いていたのに。


 みんなの期待に応えられなかったのが悔しい。


 自分の力が足りなかったのが悔しい。


 そして、もう……次が無いのが、寂しい。


 そう、次は無いんだ。もう次のレースは無いんだ。次の大会は無いんだ。


 今まで、負けても泣いた事が無かったのは、泣く暇があったら次のレースの事を、大会の事を考えて前を向く方がいいと思っていたから。


 負けた瞬間に次のレースが始まるんだと、そう思ってきたから。でも……。


 でも……。


 涙が溢れた。


「ゴメンね。最後なのに、情けない結果でゴメンね」


 泣きじゃくるみんなを見て、自然と謝っていた。


「情けなく、ないですっ! 先輩はっ、やっぱりっ、カッコいいです!!!」


「あんたはっ、あんたはっ……」


 集まった輪の中に、親友の姿が無かった。壁に半分隠れて、潤んだ目でわたしを見ている。


「うわーんっ!!」


 目が合ったとたん、号泣しながら抱きついてきた。


「かっこよかったよ、かっこよかったよ。私、今まであなたがいたからここまで頑張れたんだよ。ありがとう、ありがとう」


「わたしもだよ。わたしも、あんたが一緒だったから、ここまでこられたんだよ。ありが、と、う」


 2人で抱き合って、声をあげて泣いた。


 みんなに囲まれて、まだおさまらない涙を拭いながらスタンド前に戻ってくる。


「お疲れ」


 いつも不甲斐ない結果の時は、不機嫌になる声の主が、今日は穏やかにそう言った。


「うん、ごめんね、6位に入れなかった、ビリだった……」


 怒ってるだろうな。


 専門のコーチがいない状況で、陸上の経験が無いにもかかわらず、ネットや本で研究してくれて、 特訓にも付き合ってくれたのに。


「残念だったけど、今までよく頑張ったね」


「うん……」


「お前が必死でやってたのは父さんが一番わかってるから。だから謝る事はないんだよ」


「はい……」


「もう、今日のレースを振り返って反省する必要はないよ。目一杯の結果だから。何も反省する事は無い」


「はい……」


「ここまで来られたのを、誇りに思いなさい」


「うん……」


 父さんは笑った。でも、涙が滲んでるのを誤魔化せてはいなかった。


「父さんにとって、お前は自慢の娘だよ」


「うん! ありがとう!」


 父さんはわたしを囲んだみんなを見て、もう一度嬉しそうに笑う。


「栄光は掴めなかったかもしれないけど、周りを見てごらん。本当に大切なものをお前は掴めただろう?」


 本当に……そうだ。


 そして表彰式。


 どうしても、今だけは、その光景を目に焼き付けておきたかった。


 何故か、そうしなくちゃいけないと思った。


 次の大会に出場する6人が表彰台に並び、一斉にポーズをとる。


 毎回の光景。


 一度でいいから、わたしもそこに居たかった。一緒にポーズをとりたかった。


 いったい誰が声をかけているんだろうと、ずっと思っていた。


 もう、その答えは永久に分からないけど。


 1位、2位は大会新記録。わたしなんか足元にも及ばない。


 あの2人は、これからもっともっと高い場所に行くんだろう。


 その時わたしは、きっと誰かに自慢する。


 わたし、あの人たちと同じ決勝を走ったんだって。


 あの2人はわたしの顔も名前も覚えていないだろう。


 わたしはあの2人が意識する、その位置まで届かなかった。最後までその背中は、ずっとずっと遠いものだった。


 これからどうするのか、陸上を続けるのか、まだ整理がつかない。


 でも……。


 ……いつか。


 あの人たちが、今日の記録や映像を見て、「あ、この子、一緒のレースを走ってたんだ!」って。


 言わせてみたいかな。






 わたしに名前なんて無い。


 誰もわたしの名前なんて気にしない。


 記憶にも記録にも残らない、ただ思い出だけを自分の胸に残して、静かに競技場を去るその他大勢の1人。


 名もなきスプリンター。


 それがわたし。


 そう、今はまだ。



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