up stair
「おかえり」
「ただいま、アキラ」
わざわざ玄関まで迎えに来てくれた同居人に笑顔を返し、靴を脱ぐ。靴を整えた所で、タイツが伝線していることに気付いた。
少し長く使ってたし、しょうがないかな。
軽くため息を吐くと、アキラがまだ目の前にいるのに気付いた。そして、私に両腕を差し出している。
少し悩んで、恥ずかしさを感じつつも抱きついた。ハグを要求されている?
アキラは棒付きキャンディーを咥えながらぽんぽんと私の背中を叩いた。しばらくハグをし、腕を離す。
しかし、アキラはまだ腕を伸ばしている。
「…まだ?」
「いや。コートかけてあげるから」
そういう意味の腕だったのか。顔が熱くなる。必要もないのに抱きついてしまった。
「こっちも役得だったからいいけどね。カンナ普段甘えてこないし」
などと言いながら、ベージュの春用コートを私から脱がし、リビングに運んでいった。私はそのまま床にへたり込んで、赤くなった顔を押さえている。
「カンナ、おいでよ。いつまでもそんなとこに座ってないで」
アキラは後ろに仰け反りつつ言った。ダランとした首と、身体の重さ八割を支えているであろう両腕の先だけが見えた。
うん、いつまでも悩んでいられないのは事実。まずは晩御飯と…お風呂の用意と…。
その前に、タイツ。
履いていたスカートの中に手を入れ、タイツを脱ぐ。静電気がパチパチと音を立て、表情を変えるほどでもない痛みが私を襲う。無事タイツを脱ぎ終わり、捨てようとして…やめた。雑巾として有効活用できると思う。
せっかくだし最後まで大切に使おうと決め、リビングに向かおうとすると、アキラはまだこっちを見ていた。
「カンナ、脱ぎ方エロかった。眼福」
「からかわないでよ」
私は苦笑いをし、タイツを持ったままリビングに足を踏み入れた。
「もしかしてそれ、くれるの?」
「あげません。私の掃除のお供にするの」
タイツを貰っても、私は喜べないな…。
相変わらずアキラの考えはよくわからない。同居してからそこそこ時間は経ってるけど、アキラは未だに謎な部分が多い。
「先にお風呂?」
「ううん、ご飯が先かな」
「おっけー。じゃあお風呂掃除してくる」
アキラは躊躇う様子もなく立ち上がり、ジーンズの裾を捲り上げた。アキラは家事がほとんどできないけど、できる限り手伝ってくれる。
私がお礼を言うと、私の方を向かないまま「うん」と短く答え、そのままお風呂掃除を始めた。私も冷蔵庫を開けて、今日作るものを考え始めた。
◆
あと少しで完成というところで、お風呂のドアを開ける音が聞こえた。
「もうできたー?」
「もうちょっと」
後片付けを終えたアキラが私の背後に来たのがわかった。献立を覗き込んでいるようだ。
「あ、ナスある」
「嫌い?」
「いや、好き」
アキラはあんまり自分の好き嫌いを言わないので、私が聞かないと好みを把握することができない。おまけに表情にも出ないので、言葉がないと何を考えているのかすら全く理解することができない。
「野菜が好きなのはいいことだね」
「そう?」
私の耳元で、動く気配の無い声が震える。声色でも、何を考えているのかがわからない。
「私も野菜は嫌いじゃないけど、やっぱりお肉と比べたりすると…ね?」
「…」
何も言わない。少しだけ振り返ると、いつもの表情で私の手元を眺めていた。
「ソレ、まだ舐めてたの?」
「ああ」
アキラが思い出したかのように棒付きキャンディーの棒を引き抜いた。先には何も付いていない。
「食べきってるじゃない」
「カンナが帰ってくる前からね。噛み癖あるの知ってるでしょ」
アキラは私と出会った時はタバコを吸っていた。私と一緒に住むようになってからはやめたけど、代わりに大量の棒付きキャンディーを食べるようになった。どうやらタバコを始めた理由も何かを咥えていると落ち着くとのことで、キャンディーで代わりが務まったためにすんなりタバコをやめることができている。
というか、それでいいのなら本当に木の枝とかでもいいのでは。
木の枝を咥えているアキラを想像して、ちょっと面白くなった。私が笑うと、アキラは視線を私の手元から私の顔に移した。でも、表情は変わらない。
「…」
「…」
無言で見つめ合った。気まずい沈黙が私達の間を通り抜ける。
「…お皿出しといて」
「ん」
気まずさを感じていたのは私だけなのだろうか。いつかその表情を変えてみせると意気込みながら、私は料理を皿に盛り付け始めた。
アキラはそれを運びながら、私に言う。
「さっき肉の方が好きって言ったけど、カンナあんまり肉食べないよね」
私の手元が一瞬止まった。しかし、すぐに動き始める。
「ほら、体重が気になり始める年頃だし…」
「そう?」
確かに体重も理由の一つではあるけれど、それだけではなかった。
一緒に住み始めてすぐにアキラは料理ができないということを知り、私も自信がある訳でもないけど料理を作り始めた。アキラの家庭環境は知らないけれど、私のそれほど自信がある訳でもない料理に対し、それに見合わないほどの「美味しい」という言葉で返してくれた。もちろん表情は変えていなかったけど、それが嘘でもないのは私にも感じ取ることができた。
ある日、豚肉が大量に手に入ったことにより、私達の食卓には生姜焼きを始めとして多くの肉料理が並んだ日があった。その時、私は同居を始めてから初めて、アキラの表情が変わった瞬間を見た。
いや、正確には変わっていないと思う。同じ表情だけど…目の色が変わっていたとでもいうのだろうか。対して同じ時間を過ごした訳でもないけれど、明らかにアキラの雰囲気が違った。
豚肉を見て、何か蔑むような、冷たい残酷な視線。それでいて、親近感に近い何かを感じるような、そんな雰囲気。
これまで至極平和に生きてきた私は、私に向けられた訳でもないその瞳に完全に気圧された。しばらくその場から動くことができず、後でその原因であるアキラ本人にかなり心配されたことを覚えている。
その後、アキラはその豚肉パーティーとも呼べる料理を普通にたいらげた。特に沢山食べる訳でもなく、食べない訳でもなく。いつもと同じような量で。
お肉が嫌い、という訳ではないと思ってはいるが、特に好きでもないような気はする。なんとなく、聞けずじまいだった。
「まあ、出なくても問題ないしね」
それ以来、私達の食卓には肉料理と呼べるようなものは出ていない。まるで料理を知らない人は気付かないような部分には出ているけど。
テーブルに全ての料理が並ぶと、私達は手を合わせてから食べ始めた。
「ああ、テレビつけっぱだった」
アキラが、今思い出したかのように言った。私が帰ってくるまで見ていたのだから、点いていても不思議ではない。
「別に消さなくてもいいよ?」
「でも、カンナいつも消すじゃん」
私は普段からテレビを見ない。けど、自分が見ないから消す、ということはしたことがないと思う。さすがに出かける時は消すけど。
若干疑問に思いながら、答える。
「私あんまりテレビ見ないから。今はネットがある時代だし」
簡単なニュースとか、天気予報とか、私が見るようなものは大体スマートフォンで確認できる。そもそもこのテレビはアキラが拾ってきて、組み立てたものだ。
「そっか」
そんなアキラは、私と出会った時はスマートフォンを持っていなかった。私と同い年なのに今まで困ったことはないのだろうかと、割と真剣に心配した。未だにスマートフォンの使い方をほとんどわかっていないため、電話くらいしか使うことができていない。これまでのアキラのスマートフォンの充電時間は、おそらく私の五分の一くらいだろう。
「ん」
アキラが料理食べながら、私にリモコンを差し出した。私よりアキラの方がテレビを見るのに、特に見たいものがないということでいつも私にリモコンを渡す。そしてこういう時、私は必ずニュース番組に変える。
『―――今日のお昼頃、白骨化した遺体が―――』
流れてきたニュースに顔をしかめる。ニュースが報道しているのは、紛れもなく私達のいるこの地区。
『これまでの連続殺人と関係があるとして捜査を―――』
ニュースキャスターのいう通り、私達の住むこの地域でしばらく前に連続殺人があった。連続殺人といっても、ここらで続けざまに死体が発見されたというだけ。犯人の特定もできず、そもそも犯人が単独なのか複数なのかもわからない、そんなようなものだった。今では大分緩和されているが、厳戒体制が取られ外に出るのも億劫なほど驚異的なものではあった。
「ふぅん」
アキラは表情を変えることもなくニュースを眺めていた。自分には関係のないことのような、そんな反応だった。
『次のニュースです。パンダの赤ちゃんが―――』
今までの話がまるで他人事のように声色を変えたニュースキャスターを見て同じように、私も次のニュースを見ていった。
◆
私がボーッとテレビを眺めていると、私のスマートフォンのディスプレイが突然光った。そういえば、サイレントモードを解除するのを忘れていた。
スマートフォンを持って外に出ようとして、やめた。アキラは今お風呂だから、外に出る必要はない。
アキラは私が先に入るように勧めてくれたけど、せっかく自分で掃除したんだから、と私が言うと渋々了承した。当然のことだと思うのだけれど。
とにかく、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「あ、加奈?私だけど」
「美夜ちゃん。どうしたの?」
同じ大学の友達だった。
「いやー、明日までの課題あるじゃん?ちょっと困っててさあ」
それなら…と思ってから、気付く。
「もしかして、連絡してた?」
それならメッセージでいいのでは、と考えたけど、サイレントモードを解除してなかったおかげで私が見てなかったかもしれない。
「いいや?」
美夜ちゃんは当然のように返した。今考えると、どっちみちサイレントモードにしてたら気付かないな。
「電話の方が話しやすいからさー。いちいちアプリ開くのめんどいし」
納得した。確かに説明するのは大変かもしれない。
アキラと同居しているから電話するのは少し抵抗がある。アキラだからという訳でもなく、これが家族でも同じことを思っていただろう。会話を聞かれることに、少し抵抗があるのだ。理由はわからないけど。
「で、課題なんだけど。問いの四番だけ全然わかんないんだよね。他の空欄は全部埋めたんだけど」
「ああ、そこはね―――」
「カンナ?」
私の肩が跳ねた。アキラがお風呂からあがったらしい。私は美夜ちゃんにちょっと待って、と告げると、小走りでお風呂場に移動する。
お風呂場では、アキラが首だけこちらに出していた。
「どうしたの?」
「いや、なんか喋ってるような気がして。こんな時間に誰か来たの?」
「ううん、私が友達と電話してただけ」
私が早口にそういうと、アキラは表情を変えないまま口を閉じた。
「…」
若干の沈黙の後、
「…ん、わかった」
アキラは首を引っ込めて、お風呂場のドアを閉めた。まだ入っていたのに、わざわざ出てきたのか。
私はまた小走りでリビングに移動すると、スマートフォンを耳に当てる。
「ごめん、待たせて」
「いーや。同居してる人?」
「うん。ちょっとね」
心なしかさっきより小声になる。特に悪いことはしていないのだが。
「ま、課題課題。で、問いの四ってどこにヒントあるの?」
「配られた資料の―――」
そこから数分のやり取りをし、美夜ちゃんが納得のいく答えを出した。私も同じ答えなので、私としても安心できる。
「いやー、助かった。ありがとね」
「ううん、こちらこそ」
「長々ごめんね。同居してる人にも気使わせたでしょ」
あいにくアキラはまだお風呂をあがっていないので、そんなことは全くない。
「大丈夫だよ」
「そういえば、結局のところなんで同居してんの?」
なんで、と聞かれて私は返す言葉を失う。
「不思議だったんだよね。同じ女の子なんでしょ?」
「うん」
「彼氏ならわかるけどなーって。親戚とかでもないんだよね?」
「うん」
私はただ返事を返す。
「…ま、いいや。そのうち遊びに行くから、私にも友達として紹介してよ」
「うん」
三回ほど同じ言葉を返した。けど、美夜ちゃんはそれを気にすることもなく、また明日ね、と一言私に告げ、電話を切った。
なんで同居してるの、かあ。
アキラは女の子だ。私と同い年だけど、大学には通っていない。中学校や高校、ましてや小学校や幼稚園でも一緒だった訳ではない。
だからといって―――日本では正式に認められないような、同性愛という訳でもない。私はちゃんと男の子を好きになったことがあったし、それに、大学に少し気になっている男の子もいる。一度も会話できたことはないけど…って、そんなことはどうでもいい。とにかく、お互いに恋愛感情がある訳ではない。
なら、それは何故か―――。
「あ、電話終わったんだ」
「うん、ついさっき…って、アキラ!」
私は声を荒げた。アキラは下こそジーンズを履いているものの、上半身にはシャツはおろか、下着すらつけていない。バスタオルを頭からかけているから大事な部分は見えていないけど、さすがにマズい。
「?」
何も気にしていないらしいアキラが首を傾げた。そのおかげで左側だけタオルが上に移動して大事な部分が見えそうになるけど、なんとかギリギリ隠れていた。
「ちょっと、ちゃんと着替えてから出てきなさい!」
「…」
何も言わないまま来た道を戻っていった。私はため息と安堵が混ざったような息を吐く。
同じ女の子とはいえ、少しは気にした方がいい。今までそんなことなかった筈、と考えてから、ここ最近は私が帰ってくるより先にアキラがシャワーを浴びている事の方が多かったことを思い出した。油断していたのは私か。
アキラの肌は目に毒な気がする。単純にすごく綺麗ってこともあるけど、私とのスタイルの違いを感じて、自分が追い込まれるような毒。
肌も白いし、短いけど髪も綺麗だし…胸はないけど、高身長で足も長い、本当に見惚れるようなスタイルの良さだ。男の人も寄ってくるのだろう。
…寄ってくるのだろうか?
そういえば、そんな場面に出くわしたことがないな。アキラと一緒に出かけることはあるけど、そんな状況に陥ったこともない。まあ、それほど起こりやすいような事でもないかな。
「きたよ」
それは「来た」なのか「着た」なのか。どうでもいいな。
たぶん私、混乱してる。美夜ちゃんの質問と、アキラの半裸姿のダブルパンチで。その程度と思う人もいるかもしれないが、私にとっては刺激が強い。
頭を抱えてお風呂場へ向かう。湯船に浸かってあったまろう。落ち着こう。
「頭痛いの?」
アキラの言葉には、苦笑いだけを返した。
◆
「明日早い?」
ベッドに入る直前、アキラがそう聞いてきた。
「十一時くらいだから…そんなに早くないかな」
「そっか」
アキラが布団に入る。
「おやすみ、アキラ」
「おやすみ」
当然のように、私を抱き枕にし始めた。
私達は別に裕福じゃない。だから買い物も安売りの時はいつもより多く買うし、消耗品もギリギリまで使う。料理もなるべく安く済むようにするし、外食もほとんどしない。当然のように、ベッドは一つ。
アキラは細いし、私は特別体格が大きいという訳ではないので、一つのベッドを二人で使っても不便ではない。十分な大きさとは言えないけど、我慢できないほど小さい訳じゃない。
まあ、もう一つベッドを置くスペースも、費用も「もったいない」の一言でおさまる訳で。
一人暮らしを始めてから感じ始めた、「寂しさ」を紛らわせることにもなる訳で。
今日もこうして、二人で眠る訳で。
たぶん、これからも。




