墜落
ヒューと、風を切る高音と体にかかる異常な風圧、体験したことのない落下感覚を憶えて明日未来は目を見開いた。
「え? ええええええええええええええええ!!」
落ちていた。眠りに落ちていたのでも椅子から転げ落ちていたのでもなく、どこまでも青い大空を絶叫を背にして、雲を脇に流しながらを空を超速度で落下していたのだ。
(何が起きたの? シャッターを切って、突然目の前が真っ暗になって……!?)
理解不能な状況に最早冷静という言葉など存在せず、青い空をキョロキョロと彷徨っていた視線は自然に下へと向かっていた。
「きゃああああああ、地面がああああああ!!」
断末魔の悲鳴をかき消すほど、ズドーンと重く鈍い音が辺りに響く。貝殻や珊瑚の欠片が混ざりあった白い砂埃が煌めきながら、もこもこした雲のようにモワりと周囲へと広がっていく。
「ゲホっ、ゲホっ……。ううぅぅ、痛た、くない?」
砂埃がぼんやりと晴れていく。周りを見回すと、そこには南国を思わせる光景が目の前に広がっていた。揺れるヤシの木、輝く砂浜、境界線が分からないエメラルドグリーンの海と空。そして、遠くに見える小島、そこから伸びる大きな塔。
(ここどこ……? ……あの塔はオール・ベガス・エデンの……? ゲームの中?)
つい先ほどまでゲームの中にいたはずだが、見覚えがあるのは美しい海にポツりと浮いた小島、そこにそびえ立つ荘厳な雰囲気の塔だけである。
「……」
よく目を凝らしてもう一度確認する。やはり、特徴的な形状から見まごうこと無き、明日未来の所属する『フローレンス・サザビー』の拠点、『古都オール・ベガス・エデン』の中央に存在する『全能の塔』で間違いなかった。
更に見据えていると、同じく見覚えのある高い塀が全能の塔をぐるりと囲っているのが確認できる。
何が起きているのかを理解しようとしても全く理解ができず、ぼんやりと塔を眺めてしまう。ハっと、我に返り、ここでようやく自身が紺色の軽装に身を包むココの姿であることに気がついた。
シャッターを切ったあと、幾ばくかの間視界が暗転していた。ビッグバンを終了する時にも同じような現象が稀に起きるため、現実と仮想世界の区別がつかないで理解が及ばなかったのだ。
(やっぱりゲームの中じゃん。あんな高度から落ちても、落下ダメージ無効のおかげで痛くも痒くもないわけだよ。それにしても、サーバーダウンに問題でもあったのかな?)
ココというリアルでの姿ではない事が分かったところで幾分かの冷静さを取り戻し、とりあえずゲームインフォメーションから現状を確認しようと考え、コンソールを開こうとする。しかし、視界の隅にはあるべきはずの見慣れたコンソールアイコンはどこにも存在しない。
(そんなっ、コンソールが無くなっちゃった?!)
慌てふためくココ。しかし、杞憂だったと思わせるかのように目の前の空間にコンソールが投影される。
(どゆこと? バグってるの?)
ココは何らかの原因でゲームのサービス終了がうまく行かず、運営側のサーバーに色々と問題が起きているのだと勝手に決めつけると、現れたコンソールを慣れた手付きで操作する。しかし、いくら探してもインフォメーションのアイコンは見つからないばかりか、ログアウトアイコンとゲームを強制終了させるシャットダウンアイコンも見当たらない。
(うっそ、そんな事ある?! 異常事態だよコレ!)
度重なる異常事態に、取り戻しつつあった冷静さは失われていき動揺してしまう。動揺はやがて不安へと変わり、そして新たな問題に気づいて不安は絶望へと変化した。絶望は思考さえも絶望に陥れ、ココは心の声を吐露してしまう。
「そういえば、私と一緒にいたサブキャラは? あぁ……分かった、これは多分フェードアウト式にゲームが終わるんだ。生殺しなんだよ。人生の支えだったビッグバンが出来なくなるって心の準備もしてたのに、末路はバグってフェードアウト……。せめてバグるならさ、いつだったか見た実況者の動画みたいに笑いに昇華してよーッ!!」
叫んだことで少しだけスッキリした気がするココだった。そして、「これ以上は考えるのやめよ」と、無気力にその場にどさりと仰向けになってふて腐寝を始める。
「明日も早いしもう寝よう、選挙前の公務員は忙しいんだよー」
現実逃避に徹することを決めたココは、ザザーッと辺りを支配する優しい海の音に耳を傾ける。
どのくらい目を閉じていただろうか。かんかん照りの太陽はココと砂浜を暖め、心地よい不定期的な波の音は心を優しく鎮めてくれる。共に鼻を撫でるような潮風の匂いも感じ、ココは南国のリゾート地にでも来てしまったのではないかと思い始めたその時、ある事に疑問を持った。
「太陽の"熱"と……潮風の……"匂い"……? ……ッ!」
ココは砂を巻き上げながら勢いよくビーチから飛び起きると、海砂に埋もれて足を取られるが気にも止めずに一目散に海へと向かう。
(あり得ない! ビッグバンはフルダイブ技術の結晶と呼べるゲームだけど、五感の反映は完璧じゃない。ほぼ完全に反映されてるのは触覚と視覚と聴覚だけ。味覚と嗅覚は現代の技術じゃ不可能って、常識だよッ!)
濡れることも気にせずジャボジャボと透明度の高い海へと入る。南国のような状況から察してはいたが海水の温度は温水プールくらいに感じるため、海水温としてかなり温かいほうだ。ココは徐に透き通った生温かな海水を手で掬って口へと運んでみる。
「しょっぱい!」
海から上がって砂浜へと戻ると、ココは自身の考えを整理することにした。ひとまず砂浜をノート代わりにメモ書きをしようと、そこら辺に落ちていた波で揉まれたのであろう白くくすんだ木の枝を拾った。すると視界には見慣れたログが現れる。
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木の枝×1を入手
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(こういう所はビッグバンと同じだよね。でも、やっぱりおかしいよ)
ココは右手に持った木の枝を使い、時系列と現状の詳細を砂浜にシャリシャリと書きはじめる。途中、念じる事でコンソールが出せる事に気づいて、コンソールを操作しては砂浜のメモに書き足し、と何度も繰り返す。
(運営への問い合わせも無理、か。これも問い合わせアイコン自体が見当たらない)
色々と探すだけ探してはみるものの、外部との連絡手段が取れそうなものは見当たらず途方に暮れかけるココ。気づけば砂浜にはバツ印が沢山並んでいた。
ふと、念じるだけでコンソールが現れるという事実に引っ掛かりを感じ、瞑想をするように自身の内側に意識を集中させる。そして、また新たなる事実が判明した。
(自分のHP、MP、使えるアイテム、技能とその効果。ううん、これは、ステータス全部が手に取るように分かるんだ。まるで、ずっと自分が知っていたみたいに、自然に……)
ココは一つ試してみようと、「【ディメンジョナルチェスト】」―――禁止区域以外でどこからでもアクセスできるアイテムインベントリ――― と、口にしてみる。
声に出す必要は無さそうだが、状況故になんとなくそうしてみるココ。今度は中空に青と薄紫の宝石が散りばめられた軽々と両手に収まる程度の黒い宝箱が現れた。
(で、出た!)
ビッグバンではアイテムの使用は設定したショートカットアイコンをタップするか、アイテムメニューを開く必要があった。しかし、やはり今はそれを必要としない。
箱を開けて手を勢いよく突っ込むと、ココの脳内に何がどこにあるのかが瞬間的に流れ込んでくる感覚が広がる。ポケットから様々な道具を出す国民的なアニメがあったと学生時代に教科書で読んだ記憶がかすかに蘇る。
「ショートカット設定も必要無いなんて、夢みたい」
突っ込んだ右手をスワイプするようにして目的のアイテムを探す。お目当ての【マッサラマップ】―――未踏の地やダンジョンに赴く際、携帯しているだけで地図が書き込まれていくというアイテム―――を見つけ出したココは、右手をチェストから戻す。
(確か、半径300メートルの範囲でマップが登録されるんだったかな?)
取り出した地図に目を落とすと、どうやら目の前に広がる美しい海は東の方角らしく、南北に砂浜がしばらく広がり、南側にはジャングルのアイコンが見受けられる。地図のメモリと目視によるおおよその予測では、古都オール・ベガス・エデンは南東約2キロの離れ小島にあるようだ。
また、地図にはこの地域の名称を表す文字が右上に表示されているが、見たこともない文字のためにまったく理解できない。
(全然読めない。……ひとまず、技能の発動も試してみよっかな)
苦虫を噛み締めたような顔で、地図をベルトに下げた【アドバッグ】―――プレイヤーが最初に手に入れる携帯用のカバン型のアイテムインベントリ――― に突っ込むと、地図は虚空に消えるようにしてバッグに収まる。
辺りをぐるりと見回したココは、元気よく太陽に顔を向ける一本のヤシの木に目を止める。スっと腕を後ろに交差させ、腰にクロスさせた鞘に納まる2本の短剣のグリップを握り締める。
(アマノヒツキとアゾット……)
左手には、白銀の本体に太陽の刻印が施されている【陰陽剣アマノヒツキ】。昼夜で姿と能力が変わる特異な装備スキルを持つため、夜には漆黒の本体に三日月が浮かび上がる。右手には、ガード部分に紫根に煌く宝石がはめ込まれ、抉れたような刃から柄の先まで闇を思わせる光を放つ禍々しくも美しい【終始の刃アゾット】。
ココは双刃を抜き払うと、アゾットを太陽の光を遮るように額の上に翳す。
(武器の持つ特性が伝わってくる。さっきアイテムを出したみたいに、アイコンが無くても技能の使用も問題なく出来そう)
ゆらゆらと優しい潮風に揺れるヤシの木、ゆったりと双刃を構えるココ。
「【エクストルスタブ】!」
ココが疾風のごとく突貫する。激しい斬撃のエフェクトと共に瞬きする間もなくバラバラになるヤシの木。刹那にして14連撃を放ったココを避けるように15個に分解されたヤシの木が砂浜にボトボトと落下する。
(今までに感じたことの無い感覚。【MP】と【FP】の減る感覚か)
初めて味わうはずの感覚だが、ココはそれをさも自然に受け止めていた。
「やっぱりゲームにしてはおかしい点が多すぎる。まるで本当に……」
ココはそれ以上のことは何となく口にしないでおくことにした。せっかく冷静になってきた精神を脅かしかねないからだ。
「いずれにしても情報が足りなすぎるよね。オール・ベガス・エデンが砂漠に無いのもしっくりこないし。とりあえず行ってみよう……」
ココは様々な思考を巡らせながら翡翠に輝く海原に浮かぶ『古都オール・ベガス・エデン』へと向かって歩き出しだ。
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