26.大樹さんの家
2月23日 土曜日。
みさきは洗面所で一人、口を突き出して、口紅を塗る。口紅なんてあまり塗ったことがない。
なじませるように上唇と下唇を重ねる。
ちょっと遊んでくる~。
みさきはそういって家を飛び出した。飛び出していった先はバスの停留所だ。
そこからバスにのって向かったのは大樹さんの自宅だ。
仕事が一通り終わり、コーヒーカップを片手に窓から外を眺める。
すると一人の人物が家の前でちょうどとまる。
みさきだ。
偶然の一致で二人はぱちりと目が合う。
大樹とみさきの口角が微量に持ち上がる。
玄関の扉を何度もノックするみさき。
「はいはいはいはい」
大樹が扉をあけると、そこにはもう爆発寸前なくらい大きく膨らんだお腹があった。
「はーい、どうも」
「あれ佳奈さんはいないの?」
「いや、いないから安心して」
「やったー」
ふたりはこうやって時々あって、音楽と映画について話し合う。
「おいで、よく来てくれた。見せたいものがあるんだ」
みさきが連れてこられたのは真っ暗な部屋だ。
「まさか、ここが赤ちゃんの部屋じゃないよね~?」
「違うよ。ここには漫画がしまってあるんだ」
「へえー」
パチンと電気がつけられ、辺り一面棚や床の段ボールには漫画と小説が乱雑に入っていた。
「大樹さんって結構、重度なオタクなんだ。」
「ああ、それより・・・これ!見てみてくれ」
と漫画を一冊手渡し、受け取るみさき。
「なにこれ?忍者ゆき?しかもこんな・・・私と一緒のボテ腹じゃん。スーパーヒーロー妊婦?」
「そう、すごいだろ」
ペラペラと何枚かめくり読み始める。
「へえー、逆に敵の妊婦さんを倒すって話なの?うげーグロテスク~・・・でも面白いよこれ」
「だろ?」
「自分がなんかみっともないデブ凸面体だって気持ちが薄れた」
「それはよかった。忍者ゆきはすごくタフなんだ。自分もだけどお腹の中にいる赤ちゃんもものすごくタフだ。一度お腹の中にいる赤ちゃんめがけてナイフでさされたんだ」
「え!?それで」
「でも中の赤ちゃんはそれを自分でよけて、波動でそのナイフ事相手を吹き飛ばしたんだ」
「ええー!?そんなのありえないよー」
「それが、この物語の面白いところなんだよ。同じ妊婦であることを誇れるぞ」
ふふふ、と笑いながらも続きを読みだすみさき。
「それよりさ、音楽聞かない?」
みさきは後ろからCDを取り出す。
「これの三曲目かけて。CDの表紙はみないでね」
「わかった。みないよ。」
「スローな曲で途中からハードな音になるんだけどすっごくいいの」
『♬~』
メロディーが流れ始める。
流れた瞬間「ふっ」と大樹さんがその口を笑わせて見せる。
「なに?聞いたことあるの?」
「ああ、聞いたことある。初めて付き合った人がカラオケで一番最初に歌った曲だ」
「へえー今でもそんなこと覚えているんだー。多分私その人と気が合いそう」
「いいや、意外と強烈だったからね。みさきと彼女じゃ、磁石のプラスとプラスみたいなもんだ。二人とも避けていくよ」
「どうかなー。私はもしかしたらマイナスかもよー」とみさきは返す。
「そのあとこれを聞いたのはクラブのダンスパーティーだ。ダンスを踊れない僕を無理やり数合わせのために友達につれられてさ。そこでダンスを踊った。ただ手を繋いで、左右に揺れてるダンスだったけど。」
すると大樹は立ち上がり、みさきの手を摑み、
「踊ろう」と言い出す。
「やるねー」とみさきも手をつかみ、二人は薄暗い部屋で左右に揺れるだけのダンスを行う。
「ダンスとか結構奥さんと踊ったりするの?」
「どうだろうなー。付き合った当初はしてた気がするけど、それからはしなくなったかなー」
「君はダンスとかって若い人の中で流行ってたりしてるんじゃないのか?」
「してたりしてなかったり。でもわたしはお腹がこんなんだから、もしダンスなんかしたら、きみたちに
ちゃんとした赤ちゃんあげられないじゃない。」
すると突然と大樹さんは動きを止める。
「佳奈とは別れる」
「ええ?」
「都会に引っ越すつもりだ。もうずっと前からそうしたいって考えてたことなんだ。」
「だめ」
「だめ?」
「だめだよ!そんな。そんなことしちゃダメだって!許されるわけないじゃん!だめ!」
みさきは音楽を止めてマークを見つめる。
「ダメってなんで?」
「だって、それは、この子の面倒みてくれるはずじゃなかったの!?」
「喜ぶと思ったのに・・・」
「喜ぶ?あなたたちは完璧だって思ってたのに。ばらばらに壊れちゃうほかの家族とは、違って・・ねえ、聞いて。この赤ちゃんをあげれば、佳奈さんは幸せになれるわ。あなたは・・・」
「子供がいればいいとは限らない。まだ父親になる覚悟もできてないのに。」
「大人なのに?」
「ふっ。・・・・・」
「僕をどう思ってる?なぜ家まで会いに来る?」
「あっ・・・・あ、ああ、それはあなたの人生の一部になりたいと思うから。」
「これが僕の人生なのか?好きなものは全部箱にしまって、地下室に追いやられて。こんな人生君はいいと思えるか?」
「私のせい?」
「いや」
「みさきから私のことでなんか言われたの?」
「それとこれとは関係ない、愛情がなくなったんだ」
「愛してたから結婚したんでしょ!一度は愛してた相手なんだからまた愛せるはずだよ!友達のリアだっておんなじ相手と四回もより戻したもん!努力が足りないんだよ!」
「自分の馬鹿さ加減を信じられない」
「違うよ、聞いてよマーク、お願いだから奥さんと別れないで。お願いだから、このままバネッサとずっと一緒にいて!」
「君は若い」
「若くないよ、もう16歳だもん、人があほなことをしたらちゃんとわかる年だよ。」
そして何も返答せずに黙りだした大樹に呆れて、暗い部屋から出ていくみさき。
ビングでは荷物を大量に抱えたバネッサがキッチンのダイニングへ荷物を置く。
階段から降りてくる音が聞こえる。
それにバネッサは気づき、音の正体をしりたくて視線をそちらへ向ける。出てきたのはみさきだ。
「みさき?どうしたの?」
目が腫れているみさき。
「別に・・・」
「なぜ泣いてるの?」
「泣いてるんじゃないよ、こう嗅覚アレルギーで涙がでるだけ!」
ジュノは足早にその場を後にしようとする。
「待って!ちょっと待って!どうしたの?どうしたの!?」
今度は奥にいるマークに聞くように言い募る。
「んがー、ホルモンのせいだろ。な、ジュノ、ほら、妊娠してるから」
「何をしたの?」
佳奈が疑わしい目で夫の大樹を睨みつける。
「なにもしてない。ただ、そのー・・・考えてたんだ。」
「なにを?」
「こうすることが正しいことかどうなのかって。」
「どういう意味よ。」
「親になる覚悟ができてるのかな?」
「できてるわよ。ちゃんと本も読んだし、講習だって受けたし。それに子供部屋の準備だって完璧・・・」
「バネッサ、そういう準備はできたよ。でも、僕は自信がないんだ。」
その場からあきれたように立ち去るみさき。
「ちょっと待って。待って、みさき」
バネッサは夫にも止めるように目で示唆する。あとを追いかける佳奈さん。
「彼の言うことは気にしないで。いよいよとなったら不安になったのよ。男はそうだって本に載ってた。女は妊娠で母親になるけど、男は赤ちゃんをみて初めて父親になるって」
「彼だってそのうちきっと、覚悟ができるわ」
後ろから大樹さんが話し出す。
「早すぎたんだよ、新聞に広告を出してから数か月はかかると思ってたのに、たった二週間で彼女が現れるなんて」
「祈りが届いたのよ」
どうにかして夫のセリフをみさきように聞こえるように言い換える。
「それ以来怖いんだ。時限爆弾みたいで。」
「何言いだすの。」
「今はまだ子供を持つ時期じゃない。」
「じゃああなたはいつならいいのマーク。」
「僕にはまだやりたいことがあるんだ。」
「なんなの?ロックスターになるとか?」
「茶化さないでくれ。」
「そんなバカな夢、実現するはずがないじゃない。でしょ。馬鹿臭いTシャツ。」
スーツを見やるマーク。
「大人になって。あなたがカートコバーになるのを待ってたらいつまでも母親にはなれない。」
「僕はいい父親にはなれない」
玄関扉が勢いよく閉まる。
腹を抱えながら、そして目から熱いものがとまらない。
「はあ、ふう、はあ、ふう」
みさきはその場を後にする。




