Effect44 抜き打ち検査 -cat fight-
ソーニャが主導した直談判は成功を収めたようだ。
(思いっきりいいなぁ、あの娘)
猪突猛進とも言えるソーニャの行動に、秋雄は感心の声を上げた。
だが確かに、あの2人に今の空気は似合わない。
荒療治とも言えるその行動が、結果的にはよかったと思える。
カリンは晴れ晴れとした顔をしており、一方のリサは澄ました顔で昼食を続けている。
だがリサの場合、そういう澄ました顔は機嫌の良さを隠そうという照れ隠しであることはすでにわかっていた。
「今回ばかりは褒めてやる。でかした!」
テオが、戻ってきたソーニャを捕まえてハグしていた。
たわわな胸に押しつぶされ、ソーニャが言葉にならない悲鳴を上げている。
周囲の男性陣が何事かと視線を送り、たゆんたゆんに弾む胸に少しだけ羨ましそうな顔をした。
一方、カリンはというと、
「ふん、リサは相変わらず小憎たらしくて図太い奴だよ、気を遣って損した」
と、強がって見せて、一同を苦笑させた。
本人も顔が赤い。恥をかくならとことんまで、という心境なのだろう。
リコは一瞥だけを送り、特に関心を払った様子はない。
タチアナは、よくわかっていないようだが、手のひらを叩いて笑顔を浮かべていた。
その夜。
「おい、秋雄!」
秋雄の私室に、マークが乗り込んできた。
「気をつけろ! 憲兵隊の抜き打ち検査があるぞ!」
「え?! 抜き打ち検査?! どこまで!?」
「知るか! とにかく怪しい物と、変なファイルは整理しておけ! くっそ俺のお宝画像が……!」
マークが何を悔いているかは謎だが、秋雄も心当たりがある。
軍事オタクな秋雄はアングラなサイトを回っているばかりか、興味本位で政府の機密文書まで手にできないかと手を尽くしていたりする。
(ていうか心当たりがありすぎて消しきれねぇ!!!)
秋雄自身で把握しきれないほど、手を伸ばしすぎていたのだ。
秋雄は真剣な話でスパイ容疑をかけられ、ほぼ徹夜での追及を受けるのだが、それはまた別の話。
一方、女子士官寮。
「タチアナ! タチアナ!」
ソーニャは、マークと同じ目的で隣室のタチアナの部屋を訪れていた。
戸口を開いたタチアナは、急いだ様子のソーニャを見て小首をかしげた。
「どうしたの? ソーニャちゃん」
「私物検査があるってよ! ……まあタチアナなら大丈夫かな?」
告げてから、気がせいていたかと、ソーニャは自身で気勢を削いだ。
しかし、それに反して、タチアナの表情は青醒め、血の気が引いていた。
「ご、ごめん、私用事があるから……」
そう言い、扉が閉ざされる。
すぐに、扉の向こうから騒がしい音が響いてきた。
「テオ、あんた相変わらず少年マンガばっかね」
「へへへ、だって好きなんだもの」
リサは、上官のライラと共に、テオの私物検査をやっていた。
――事前通達がされていない抜き打ちだが、マークやソーニャが知っていた通り、これは本当の意味での抜き打ちとは言えなかったりする。
言わば恣意行為。
『こういうこともあるぞ』と脅し、『普段から気をつけておけ』と暗に含ませる行事であった。
事前にリークされるという、抜き打ちの意味をなさない本末転倒な手落ちがあったのも、半ば意図的なものだったりする。
心当たりのある人間には自分で消去させ、『取り締まる側の作業量を増やさせない』という、大人な事情が過分に含まれた行事であった。
――秋雄みたいな人間は何割か生まれたが。
(まったく……なんでかつての同僚の性癖を調べないといけないのよ)
取り締まる側のリサにとっても、決して気のいい話ではない。
しかし同時に効果的だと思うのだった。
自分に。
今回の抜き打ち検査は基地側からではなく、ライラが主導して引き起こしたものであるらしい。
おそらく、昼間のリサとカリンの接触を見て、リサへの牽制と風紀の引き締めにきたのだろう。
他の人間にとっては、いい迷惑だ。
(本当、陰湿だわ)
うんざりと胸中で漏らし、ライラを振り返る。
「ライラ中佐。特に問題は無いと思いますが」
「ああ。次に行こう」
カリンの部屋はすでに終えている。
室内も携帯端末も真っ新。
叩いても埃すら出なかった。
と、廊下に出たところでちょうど、黒い制服の女性が駆け寄ってきた。
ライラ揮下の第十一特務特務憲兵隊ではない。
もともと、この基地に所属していた憲兵隊で、手分けして検査を行っていた内の一人だろう。
「どうした?」
胡乱気にたずねるライラに、その女性は気まずそうに声をかける。
「その……ちょっとよろしいですか?」
「天井裏から出てきた物が、これか?」
その物を見るなり、より一層ライラは眉間に皺を寄せた。
テオ班の一人、タチアナ・トルスタヤの私室である。
そして、その天井裏から出てきたのは――
猫缶である。
特に何の変哲もないように思える。
(こんなものを隠していたの?)
原材料には魚肉の他、若鶏のササミなども使われているらしい。
それとも、中には白い粉でも入っているのだろうか。
だが、呼びつけていた憲兵隊の女性は、中身ではなく『猫缶』であることが問題のような言いようである。
「その……この基地周辺では野良猫の害獣問題が持ち上がっていまして……猫に餌を与えてはいけないのです」
「……それは規則で決められているのか?」
「……はい。基地からのお達しで、兵員が猫を飼育する場合は許可制になっています」
リサが部屋の隅を見ると、黒髪の少女がうつむきがちに震えている。
見覚えがある。テオやカリンといつも昼食をともにしていた少女だ。
ルーム名からタチアナ・トルスタヤという名前であることもわかった。
(……猫ぐらい)
それがリサの本音だった。
だが、これまで一緒にいたことで、ライラの気質は知っている。
「規則に定められている以上、看過はできんな」
そうつぶやくと、視線をタチアナにむけた。
「その猫はどこにいる?」
「の、野良なので」
タチアナは声を震わせながら言った。
「どこにいるかなど、わかりません」
「餌場は決めているのだろう。どこにいるかを教えろ。そうすれば効率的に駆除できる」
「そんなことできません!」
涙ながらにタチアナが言った。
ライラを呼んできた憲兵隊の女性が、気の毒そうな顔を浮かべているが、何も言わない。
――彼女は結局のところ、判断を仰ぐという態で、責任と罪悪感をライラに肩代わりさせに来たにすぎない。
それがわかって、リサは息を吸い込んだ。
「中佐。まだその缶詰が野良猫用とは限りませんよ」
そういって、笑顔を取り繕って、タチアナに言う。
「ねぇ、知り合いの飼っている猫にプレゼントしようとしたんじゃないの?」
「え……?」
リサは助け舟を出したつもりだったが、機転を働かせる余裕は今のタチアナにはないようだった。
呆けた顔でリサを見上げている。
ライラが鼻を鳴らした。
「話にならん。事情聴取だ。連行しろ」
「待ってください。では、私が取り調べを」
「貴様は、温い」
リサが挟んだ言葉に、ライラは犬歯を剝き出しにした。
「憲兵隊が法を守らなくてどうする。正されない法などかかしにすぎんぞ!」
(……それは言う通りだと思うけど)
「法とは私たちが秩序だった暮らしをするためにあります。法を守ることに固執し、それで私たちの生活をないがしろにするようでは法の本来の意義がありません!」
「聞いていなかったのか? ここでは野良猫は、害獣なのだ」
ライラの言葉に、タチアナの肩がびくりと震えた。
「害獣とは駆除されるべき生物なのだ。我々の生活を脅かす、EOMと変わらぬ存在なのだ!」
「猫ちゃんは、そんなものじゃないです!」
唐突に、伏し目がちだった少女が叫んだ。
「夜鳴きはするし、独特な匂いがするし、マーキングもします! でも、地上がEOMに奪われても必死に生き抜いてきた、命なんです!」
タチアナが真剣な表情で叫んだ。
リサ自身は、そんな彼女の叫びを沈痛な表情で眺めていたが、その時――
ライラを呼びに来た憲兵隊の女性が、そっと、冷笑を浮かべたのを見た。
――この人。
もしかして、わざと?
一瞬の表情のゆらめきだが、リサの直感がそう告げていた。
猫が嫌いなのか。あるいはタチナアのことを個人的に嫌っているのか。
何かは定かではないが、露骨な悪意が見え隠れした。
(確かに法を破るのはいけない。でも法を利用して人を貶めるなんてもっと質が悪い!)
リサは内心憤慨したが、しかし、この場を丸く収める手立ては見えなかった。
ライラの方が権限が上であるし、職務上でも間違ったことをしているわけではない。
(こんな時シュウに相談できれば……)
いつの間にか、彼女の胸中の多くを占めることとなった少年の面影が脳裏をよぎる。
彼であれば、穴を通すような論理で、打開策を見つけそうだった。
(考えるのよリサ。考えて……)
――その時。
「私が」
その場に居合わせた、最後の人間が、そっと挙手をして声を上げた。
「取り調べをしましょう」
「副長……」
ライラ揮下の第十一特務憲兵隊の副長レジーナ・ゼーベック。
ライラを呼びに来た女性とちょうどコンビを組んで検査していたのが、レジーナだった。
それまでじっと佇んていたレジーナは、表情筋を動かすことなく言った。
「それでよろしいですね?」
レジーナが、ライラに確認をする。
ライラは一瞬レジーナを見て、視線を逸らしていった。
「かまわん。よしなに処せ」
「はい」
(………これ以上、私にはどうすることも)
女性に連行される少女の背に手を伸ばそうとして、しかしかける言葉も思い浮かばず、リサが無力感に苛まれた時。
「くだらない話だ」
横を通り過ぎたレジーナが言い捨てた。
「我々はEOMという人を捕食する生物と戦っている。それなのに、猫程度で仲違いしているようでは話にならない」
「………」
怜悧なレジーナの横顔に、リサは返す言葉もない。
「まったくもってくだらない話だ。……ただ」
「……?」
「……私はこう見えて、猫好きでね」
レジーナは、薄く微笑んで、部屋を出て行った。
翌日、レジーナが提出した調書には、猫の話など欠片も出ていなかった。
『そっか。タチアナ。優しい人たちでよかったね』
『うん………』
基地内の敷地内のはずれ。
そこに3匹の猫とたわむれる、2人の少女の姿があった。
1人はテオ班の一員、タチアナ・トルスタヤ。
もう1人は、アマルガムとは直接関わりの無い、整備士のリディア・イリニフ。
かなり幼い。タチアナよりもさらに幼い。基地の敷地内を歩いているのが輪をかけておかしい人間だ。
もう一つおかしなのは、2人の言語にある。
現在では、世界共通語として英語が採択されてから久しく、統括軍は勿論、日常でも英語で会話するのがいたって普通だ。
しかし2人が使っているのはロシア語だった。
理由は単にリディアがロシア語しか話せないためだ。
リディアは、ロシアの古くからの慣習を守る辺境部族だった。
そのため、土着語であるロシア語しか話せず、他の国の言葉など学びもしなかった。
そんな彼女が何の因果か、抽選によって宇宙シャトルへの搭乗権を有することになった。
しかし今のご時世、英語が話せないのは、まず大前提すらクリアできない大きなデメリットとなる。
部族の中で宇宙に逃れることができたのは彼女だけで、守ってくれる人間など居もしなかった。
扱いに困った末、送られてきたのが統括軍だ。
統括軍に兵員を送るのは、ASUSに加盟する組織の義務ではあるが、どこも潤沢な資産、人員を持っているわけではない。
統括軍に送られる人員の中には、元々の組織でも持て余す厄介者を、事実上の棄民として送り出す場合があった。
リディアは後者の意味で送り出されたもので、整備士と言いつつも機械の知識などほとんどない。
普段は他の人間からの指示で、小間使いのようにつかわれる、単なる雑用である。
統括軍のカーストの中でも最底辺に位置する存在だった。
一方のタチアナも、元々は難民申請をしている漂流民で似たようなものである。
居住権を与えられず、宇宙を漂流し、日々の食料に事欠く日々を経験した。
それがアマルガムパイロットの適正を示して、ようやく居住権が得られたのだった。
リディアと知り合ったきっかけは野良猫の世話だったが、その辺りの境遇も今では話し合っている。
『こんなに可愛いのに、なんで害獣なんて言う人がいるんだろう……』
リディアが、猫をなでながら言う。心地よいのか、猫はあごをこすりつけてくる。
同じように猫たちを愛撫しながら、タチアナはぽつりと言った。
『猫は夜に鳴くし、うんちが臭い。放っておくと数が増える』
『人間だって酒を飲んでバカ騒ぎする。うんちが臭いのは一緒』
『人間は、外でうんちしないから』
言い返してから、そんなことを言っても栓ないことに気付く。
『みんな、余裕を無くしている。食べる物にも困る時代を経験したから』
『……それだって、猫も同じ』
『そうだよ。猫も人も同じ。だから』
『だから?』
『人間には悪い人もいるけど、善い人もいる』
『……昨日の人たちのことを言っているんだね』
その時、2人の耳に、靴が砂を噛む音が聞こえてきた。
敷地内の外れのこの辺りに人が寄りつくことは、まずない。
びくりと振り返ると、黒い詰め襟姿の金髪の少女が立っていた。
「あ、昨日の人……」
タチアナが声を上げる。
「えと……リサ・カークライト中尉ですよね? テオ隊長から話は聞いています」
「驚かせてごめんね。後ろ姿を見かけたから、もしかしたらと思って」
リサの言葉は、猫をかばうように立つリディアにむけられていた。
しかしリディアはそもそも、言葉がわからない。
タチアナが代わりに説明をしてあげた。
『この人は大丈夫。昨日、私をかばってくれた人』
『そうなの? 憲兵隊なのに?』
リディアが不思議そうに警戒を緩める。
「昨日のことは気がかりだったからね。レジーナ副長が、うまく収めてくれたみたいだけど」
「あの人、叱られたりはしませんでした?」
「その心配はないわ。最終的にはライラ中佐……あの黒髪の怖い人も納得させた」
監視下にあるリサにはできないことだが、レジーナは基地側の人間とコンタクトを取って、許可を得た。
そもそも、リサが勘づいた通り、猫に餌を与えてはいけないというのははっきりとした規則としては存在などしていなかった。
近隣住民が苦情を言うので基地側としても対処し、野良猫と飼い猫を見分けるために許可制にしたにすぎない。
あの女性の、一片の悪意がもたらした出来事というのが真相だった。
そうして基地側が容認したのであれば、ライラも特別、ことを荒立てる理由はなかった。
「でも、だからって他の人に吹聴したりしないでね。表沙汰になったら、厳しく対処せざるを得なくなるかもしれないから」
「はい。気を付けます」
タチアナはうなずいてから、リディアに翻訳してあげる。
それを眺めて、リサが不思議そうに言った。
「その子、英語がわからないの?」
「はい。ロシア語しか話さないところに住んでいたらしくて」
「ロシア語………そう」
「リサさんも、ロシア人ですよね?」
「祖父の代までね。今はアメリカに帰化している。ま、それも『シューティング・スター』の離反で何人と名乗っていいかわからない状況だけど」
「じゃあ、ロシア語は話せない?」
「ええ、悪いけどさっぱり」
同じように会話をリディアに翻訳してやる。
顔立ちからして同じ血統だろうと思っていたリディアは、残念そうな顔をしていた。
リディアは、小さく言った。
『ありがとうって伝えて。この子たちとタチアナを守ってくれて』
「ああ、スパシーバぐらいならわかるわ。ありがとうっていう意味でしょう。気にしなくていいわ」
手を振って笑い、リサは言った。
「厳しい世の中よ。お互い、強く生きましょう」
そう告げて、背をむけて去って行った。




