Effect37 深い海の底 -depths of the sea-
それは、シェリル・ガレノスという少女と出会って間もないころ。
直接彼女の研究室に呼ばれたリサは、表情を微動だにしないシェリルから、開口一番にこう言われた。
『シュウ・カザハラは病んでいるのです』
『……そうらしいわね。私たちは微塵もそうは思わなかったけど』
『当然です。ですが、シュウ・カザハラのパートナーを務めるつもりなら、あなたは知っておくべきでしょう』
『彼が狂人だってことを? ……もっと気をつかってやれということ?』
『いいえ。それはカザハラの場合、彼を逆に傷つけることになるでしょう』
『……どうしろっていうの?』
困惑して、リサは自分よりも年下の少女を見下ろした。
そんなリサを、ピクリとも瞳を動かさず、瞬きもしない機械的な視線で、シェリルはよくできた人形のように口を開いた。
『あなたはメランコリック親和型という言葉を知っていますか?』
『メラン……いいえ?』
『古い時代に、うつ病になりやすい性格とされた性格の人のことを指す言葉です。ドイツや日本では、一時期この性格の人間はうつ病になりやすいとされました。……ただ、そうではないという異説も立ち上がり。……今では精神科医でも、知らない人も多い用語ですが』
『……わざわざ話題に出すってことは、あなた自身はその説の支持者なの?』
『その問いについては、YESともNOとも言えません。人の内面構造は複雑であり、一概には言えません』
『……話の途中で口を挟んだしまって申し訳なかったわ。言いたいことを言って』
『メランコリック親和型の人間の特徴は、端的に言えば、次の3つでしょう。一つは強い責任感と義務感を持つこと。もう一つは誠実で、秩序を守ることを貴ぶこと。もう一つは協調性を重んじ、他人との摩擦を極力避けること』
『それって……いわゆるリーダータイプというか……すごく『いい人』じゃない?』
『ええ。模範的で道徳的な人間と言えるでしょう』
『シュウは……そういえばそうかもしれないけど。……でも……シュウは、何というか自然だったわ』
『自然であることが、問題なのです』
シェリルは断定する口調で言った。
『シュウ・カザハラは普通の少年だった……。彼を知る多くの人がそう言います。でも、そういう普通の人は、実際には少ないんじゃありませんか?』
『………そうね』
『メランコリック親和型の人間は、自分を許すことができないのです』
『……え?』
『協調性を重んじ、人のミスは笑って許す。一方で……強い責任感を持つが故に、自分のミスは許せない完璧主義者。……しかし、そんなことは理論的に不可能なのです。完璧な人間などこの世にはいないのですから』
『……』
『メランコリック親和型の人間が、うつ病を発生しやすいとされるメカニズムはそこです。……他人には甘いのに、自分自身はルールで縛り付ける。自ら重荷を背負う聖職者のように。……そうして彼らは自らを傷つけ、自壊するのです』
『……じゃあ、シュウは』
『シュウ・カザハラは、病んでいるのですよ。もう、どうしようもないほどに』
リサが言葉を挟む暇を与えず、シェリルは言葉を繰り返した。
『慰めも無駄です。賞賛も無駄です。シュウ・カザハラは、人としてはなってはいけない域に到達しているのです』
『……』
リサは、黙って聞くことしかできなかった。
『それは人の身で、聖人や仙人の域に上り詰めるようなものでしょうか。……シュウ・カザハラは貴方たちの前で自らの不才さを嘆く弱みを見せましたか? 感情的に、恣意的な言葉を吐くことはありましたか? なかったでしょう。でもそれは……彼がそれら負の感情を覚えなかったのではなく、強い理性で押さえつけていたにすぎません』
『悩んで、苦しんでいたのに、それを誰にも相談できなかった……?』
シェリルの言わんとすることを理解し、リサは思わず漏らした。
『……そんな人間……悲しすぎるじゃない……』
『ええ。ですがもう手遅れです。シュウ・カザハラは、完全に病んでしまっていますから』
まるで、実験中のモルモットが死んでしまったような気安さで、シェリルは口にした。
『放っておいても、溢れるほどの愛で包んでも。……シュウ・カザハラの心の傷を癒すことはできません。そもそも、彼の精神構造が、それを拒んでしまう』
『どうすればいいの……? あなたも医者なら、対処法ぐらいは教えてくれないの!?』
『私は医者ではありません。研究者です』
色素の薄い大きな瞳でリサの顔を反射させながら、シェリルは言った。
『シュウ・カザハラがこのメランコリック親和型かというと、実はそうとは言えません。彼がその精神を病ませるプロセスは、およそカテゴライズできるものではありませんから。わかりやすい例えとして、古い時代の言葉を用いただけです』
それから、ぽつりと言った。
『人という生き物は、実に弱い生き物なのです。……彼らは時に、自らの圧力で自壊してしまうのですよ。沖から打ち上げられた深海生物のように』




