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始動!

『綾乃、好きなものを選んでいいんだよ』

物語の始まりは、こんな些細なこと。


なぜこれが『些細なこと』なのかというと、綾乃は古くから続く商家の娘で、世間的にいうといわゆる『お嬢さま』という種類の人種だったからだ。

ムダに広い庭と敷地には、これでもかというくらいに豪奢な屋敷もそびえている。

物心ついたときから、彼女には裕福が当たり前。

だから『いつも』のように父親に連れられて、得意先の毛皮商に品定めに行ったのだった。


郊外(郊外といっても、中心部までが離れているだけ)の自宅から専属秘書の運転で、中心部を経由して目的地まで向かう。

「どうなさいました、顔色がよろしくありませんが」

「なんでもないわ。……ちょっと虚しいだけ」

淡い桃色のカクテルドレスに身を包んだ少女・綾乃はつい、と整った顔を逸らす。

ルームミラーに、秘書の華奢な赤縁眼鏡が映っている。

眼鏡の奥の、軽薄そうな一重眼がスッと細められた。

綾乃は、彼女の運転で外出するときに味わう無音‐――いや、そうではない。実際のところ、彼女のことが大嫌いだった。

「なにを仰いますやら……お館様が引き取ってくださってから、夢のようによくしていただいているではありませんか。『たかが』養女なのに光栄なくらいです」

(また、『たかが養女』って……)

確かに自分は養女だ。だが、養い親は自分を実子と同じように大切にしてくれている。

実際、そこに問題はありはしないのに。

年嵩の彼女は、厭味いやみを言って自分がどういう反応を返すのか楽しんでいるのである。

だが綾乃は、特に抵抗したりはしない。

目的地で養父ちちとは合流する約束になっているし、それまでを辛抱すればいいのだから。

(この人、嫌い……早く着かないかな)


綾乃が物思いにふけっている間に、あっという間に目的地に着いていた。

まだぼぅっとしている綾乃の背後でバン!と秘書の車のドアが閉まる。

瞬間パチン、と彼女の虚ろだった瞳に色が戻った。

綾乃が振り向くと、彼女は主人と合流を済ませ、深々と礼をとって屋敷へと戻っていくところだった。

綾乃は小さく、本当に小さくだが安堵の息を吐いた。

「綾乃、どうした……顔色があまりよくないぞ」

「ううん、大丈夫よお父様……早く行きましょ? 私、とても楽しみだったの」

笑みを深くする綾乃。

だが自分でも内心、嫌気がさしていた。いつの間に、自分は作り笑いがこんなに上手くなったのだろう…と。


 店内には、様々な毛皮があふれていた。

キツネにテン、鹿などが所狭しと並んでいる。

それはもう、目移りする…では済まないくらいに。

綾乃は、手近にあったラビットファーを取って首に巻いた。

「お嬢さま、よくお似合いです…こちらのお色もございますよ」

店員が、淡い栗色のファーを持ってくるが、養父の指示がそれを遮ってしまう。

「ああ、それもいいが…君、あそこに飾っているフォックスを持ってきてくれ」

かしこまりました」

店員が行ってしまうと、養父は綾乃の首に巻いてあるファーをやんわりと抜き取る。

「なんだ、ウサギなら他にもたくさん持っているだろう? ほら、これなどお前によく似合う」

養父は、銀狐の襟巻きを首に巻いてにっこりと微笑んだ。

「そうね…」

確かにその通りなので、反撃の余地がない。

なによりこれといったものも見当たらかったし、新作が入ったからと招待されたので来たまでにすぎなかったのだ。

父の方を振り向くと店主と話し込んでいて、当分とぎれそうもない。


綾乃は、仕方なしに店内をうろつくことにした。

鹿皮は見かけはともかく、ごわごわしていてどうにも感触が悪い。

熊の毛皮まであったが、掃除用の束子たわしのようなのでとりあえずは遠慮しておく。

ラビットもフォックスも、その他諸々のものを自分は持っているのだ(流石に鹿や熊は持っていないが)。

けれど一つだけ。

一つだけ、目を引くものを綾乃は見つけた。

闇に溶け込むような漆黒。


black wolf.


黒狼の毛皮だった。


店の片隅にまるで隠すように置いてあったそれは、どこか孤独なオーラを醸していた。

(あ……れ?)

気がつけば購入していて……。

決して、買う意志が働いたわけではないのに。

ただ、声を聴いた。

重く、搾り出すようなこえを。


【見つけた……我が同胞よ】


彼方から響く声が、直接頭の中に響いて渦を巻く。


【……お前の未来は混沌だ。……人としては生きられぬよ】


衝撃の次に来たのは、鼓膜に穴が空きそうな静寂だった。

目の前に養父がいて、店主がいて。心配そうな素振りを見せている。

しかし、その凡てが形を結ばない。

あるのは、声のない映像だけだ。


【目を開けて、よく見てみるがいい。ここが、お前の在るべき世界か否か……決めるのは、お前】


悪魔のような静謐せいひつが急激に途切れると、音の渦が一気に押し寄せた。

「綾乃、しっかりしなさい……ああ、ひどい顔色だ」

背を支えられて、改めて自分の状態を理解する。

養父と店主曰く、自分は黒狼の毛皮を着たまま、店の隅で倒れていたそうだ。

ちなみに、毛皮を着た記憶などない。

目を惹かれただけで、触れずにいた筈なのである。

どう考えても、矛盾が残る。


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