第14話 勝利と破片
一方でアルテマとクロスは、互いに向かい合ったままだ。
違いがあるとすれば、クロスは大太刀を片手に立ったままの姿勢に対し、アルテマは抜刀し、中段の構えを取っていることぐらいか。
「1対1とは、随分と気を利かせてくれるものだな」
「いえいえ、複数戦には少々トラウマがあるものですから。それに、そちらの業物にも興味がありますし」
後者の意図は分からないが、前者は言葉の裏を読み取れば、クロスがそれなりの場数を踏んでいることを表している。
「先に謝罪しておこう。戦う口実が欲しかっただけだ。先ほどの侮辱はすまないと思っている」
「結構真面目に傷ついてました」
「…………それはすまない」
と言いつつ、好戦的な態度を取り続けたアルテマの理由を知ったクロスは、なるほどと納得する。
クロス自身、わずか1か月の異世界ライフだが、周りのモンスターは歯応えが無さ過ぎた。
ヴェルトオンラインの時のような感覚でやっても、それ以上にモンスターが脆すぎる。
まるで自分が急激に成長したように。
事実そうなのだろう。クロスはゴーストと戦っていたが、ヴェルトオンラインの時のような苦戦は少なく、むしろ楽になっている。
今朝は最高難易度で挑戦したが、今まで1度もクリアしたことがないそのモードを、今回は早朝の挑戦、たったの1度でクリアしてしまった。
肉体的な意味ではなく、未知の新しい成長をしてしまったかのようだ。
力の発散を行えたクロスですら、時折どこか新しい場所で全力を発揮したくなったことがある。
目の前の仮面の女が、フラストレーションの発散が出来ない立場の人間だったとしたら、その気持ちも幾分かは理解できる。
仮面の女がヤハタノミツルギを携えるのも、易々と振るえない程度の力量が有ることを証明しているのだから。
だがそれとこれとは話が別だ。いくら斬り合いの方向へ持って行きたかったとしても、あれだけの挑発。
許容出来るのにも限度がある。
「さて、お仕置きしますか」
「ほう……それは実に楽しみだ」
その言葉に、アルテマはほんの少しだけ期待する。
自分の期待は間違っていなかった。全力で戦うだけの価値が、この男にはある。
そんな分不相応な考えを、この時のアルテマは抱いていた。
「では、様子見から」
クロスのその一言。
次の瞬間、目算で10メートルはあったはずの間合いが、一瞬で詰められていた。
「くそっ!」
正面からの馬鹿正直な縦振り。しかしその人外の速さは、アルテマをもってしてもヤハタで受け流すのが精一杯だった。
「何を驚いているんです?」
目を閉じる暇すら無い。右、左、上、下から連鎖するように大太刀の刃が迫る。
目で追うことすら敵わない斬撃の嵐を、アルテマは必死にいなし続ける。
「くそっ!舐めるな!」
8号魔法『シューティングアロー』を、無詠唱で真上から自身とクロスの間に挟み込むようにして放つ。
「おっと」
真上の死角からの攻撃を、クロスは軽いバックステップで回避する。
目標を失ったロードコーンの様な光の矢は、地面に突き刺さり爆発し、砂埃を巻き上げる。
こうなってはお互いの姿を目視することは適わない。
砂埃が一種の煙幕の役割を果たしている間に、アルテマは高速で術式を組み上げ、詠唱を完成させる。
「『ジャッジメント/天罰』!」
砂埃からクロスの影が見えた瞬間、アルテマの中でも屈指の5号指定魔法が放たれる。
晴れの上空から、突然巨大な雷がクロス目掛けて落ちていく。
だが、そのアルテマ渾身の一撃を、クロスは体を回転させながら真横に飛んで躱した。
「なっ……」
アルテマの驚愕も尤もだろう。
クロスの回避行動は、目で追えるだけの動作だった。常人でも同じ動きを真似できるほどの。
それ故に分からない。雷の攻撃をどうやって避けたのか。
仮に同じことをしろと言われても、成功させることなんて不可能に近い。
雷を魔法で防御するのではなく、体一つで避けるなんて発想をするはずが無いのだから。
「雷魔法にはさんざん苦い思い出があるんですよねぇ……」
体勢を立て直したクロスは、飄々とした態度でそんなことを言う。
まるで避けること自体を、大したことの無いように。
「さて、エンジンかけて行きますよ」
「なにを……」
言葉は続かない。
奇妙な浮遊感を味わった瞬間、アルテマの体は遥か後方に吹き飛んだ。
「あぐっ!」
言葉にならない小さな悲鳴を上げる。
地面に叩きつけられ、尚も転がり続けながら、アルテマの全身は、道端に散らばる無数の小さな石に叩きつけられる。
「げほっ!げほ!う、ぁあああああ」
普通の木一本分ぐらいは転がっただろうか。
土埃でアルテマのローブは汚れ、続いて腹部から強烈な不快感と吐き気がこみ上げる。
クロスの放った蹴りは、一時的に行動不能に追い込む程のダメージまで至ったようだ。
「は、…………え……?」
吐き気を堪えてアルテマが立ち直るまで、しばしクロスは混乱に陥った。
先ほどから感じていた、まるで既に全力の様な驚き方、その違和感。
ヤハタノミツルギを携えながらも、まるでお話にならないこの実力―――。
その思考の結論が、思いがけず口から零れ落ちる。
「弱っ……」
素に戻ったクロスから思いがけず出てしまった言葉は、アルテマの耳にも届いた。
「なんだと……」
生まれてから現在に至るまで、そんな侮辱を受けたことは一度も無かった。
一気に頭に血が上がったことにより、アルテマの視界が白く染まりあがる。
「ふざけるなよ……」
恐らくアルテマの生涯において、最高の部類に入るだろう屈辱。
先ほどの痛みなど嘘のように引き、大太刀を握る拳は、血が滲むほどの強さまで握りしめられる。
「ふざけるなよ!!」
仮面を脱ぎ去る。
美女といってもいいはずのアルテマの顔は、まさしく鬼の形相に変わっていた。
ヴァンパイアの特徴である2本の上犬歯が突然生えたかのように飛び出し、瞳は普段の黒から金色へと変色する。完全に態勢を立て直したアルテマの表情から、すさまじい怒気が伺える。更にアルテマの全身から、煙の様に金色のオーラが立ち上り始めた。突然の変貌に困惑するクロスとて、詳しく見ずとも分かる。アレは全身に付与するタイプのエンチャント……正確には、全身に属性を付加させるという、肉体強化魔法ブーストの上位互換魔法だ。ただの肉体強化のブーストと違い、属性をも付与させて攻撃力を更に引き上げる効果があったはずだ。
「死ね!」
先ほどとは比べ物にならないほど速いアルテマの攻撃を、クロスは動揺を浮かべつつも上手く避けていく。
「あ、ああ、すいません。別に悪気があったわけじゃないんですよ」
「ふざけるな!ふざけるなふざけるな!」
機関銃の掃射を弾切れまで全て躱して見せろと言われた方が、まだ出来そうだと思ってしまうほどの攻撃の嵐。両の拳と足と太刀と魔法を組み合わせて飛ばされる攻撃を、クロスは木の葉が舞うようにひらひらと躱し続け、あまつさえ謝罪を入れてしまう。
その行動は、自らの全力を躱し続け、尚も喋ることが出来るという余裕にも取れて、余計に相手を挑発することに繋がった。
頭を狙った横なぎを払われる。
「死ね!」
首への突きを素手でいなされる。
「死ね!」
袈裟切りを流される。
「死ね!」
フェイントに体を一捻りさせて繰り出した斬撃を躱される。
「死ね!」
大太刀を避けられた瞬間の蹴りは止められる。
「死んでくれ!」
背後の魔法攻撃は見透かしたかのように避けられる。頭に血が上る中、冷静に組み上げているはずの攻撃パターンを、全て止められる。アルテマの中に、恐怖が込み上げてきた。
今までこんなにも手も足も出ない敵は、存在しなかった。
一体どうすれば―――。
攻撃を繰り出し続ける中、そんな迷いが生じた時だった。
『下がれよ、相棒』
「ヤハタっ!?」
その声が聞こえた瞬間、先ほどまでの怒りが嘘のように引く。
いや、引いた訳ではないが、アルテマは頭が急激に冷えていくような錯覚をした。
そしてヤハタのアドバイス通り、目の前の敵から高速で引き下がり、距離を取り直す。
既にアルテマの頭には、敵の警戒よりも頼れる相棒への質問で一杯となっていた。
『お前が求めてた強敵だぜ、もっと楽しめよ。ヒヒッ』
「ヤハタ、お前どうして……」
『自分にエンチャぶっかけた時、魔法のコントロールミスって俺にかかってた魔法が解けたんだよ。エンチャントは難しいってアレだけ教えたのによォ……』
「それより、あいつは一体何者だ?私とここまで実力の離れた奴なぞ、見たことが無かった」
そう言い、警戒しながらもその相手を見る。
だらんと力を抜いているのを見るところ、どうやら会話を律儀に見守っているようだ。
それならばと、アルテマは再びヤハタとの会話に意識を向けた。
『生きて帰れたら教えてやるよ。まったく、あいつを挑発するなんて馬鹿なことしたもんだな。ヒハハハッ』
「さて、相手は律儀に待っていてくれてるようだし、作戦でも立てようか」
『おうよ、俺のアドバイス舐めんなよ』
そんな隙だらけの様子を、クロスは手を出すこともなく静観した。
ご丁寧に襲わないという意思を含めて、自らの大太刀を下げるということまでしている。
どこからともなく声が聞こえたのには少し驚いたが、その正体を知りクロスは「ああ、やっぱりな」と納得した。
「懐かしいなぁ……あんなにおもしろいやつだとは知らなかったけど」
仮面の下で小さく言葉を転がす。
ヴェルトオンラインではただのAIだったためか、あまり喋る様子は多くなかった。
ならば成長したのだろうか。あんなにおもしろい方向に成長するとは時の流れは恐ろしい。
というか結局、アルテマのあの仮面には何の意味も無いのだろうか。
アポロさんのガスマスクの様に、批判殺到な効果があっても困るが……。
そんなことを考えながら、クロスは2人の会話が終わるのを待ち続けた。
「すまない、仕切り直しといこう」
アルテマの冷静な声が聞こえたのは、ヤハタの介入より数分、あるいは数十秒が経過したくらいだった。
既に金色のオーラが全身に漂い、ヤハタノミツルギもエンチャントにより強化されている。
準備万端と言ったところだ。
「いえいえ、それでは始めましょうか」
再び丁寧な口調に戻したクロスは、相手の様子を見定める。先ほどの様に取り乱すこともなく、こちらを侮る様子も無い。加えて相手の手には、あのヤハタノミツルギが握られている。
なぜ今さらヤハタノミツルギが喋りだしたかは、会話の詳細まで聞こえなかったクロスには知る由もないが、万が一能力を発揮されたら少々面倒になる。
ならばこちらも少しだけ本気を出そう―――。
そう考えたクロスは、自身の大太刀の刀身をなぞる様に、白い魔力を纏った左手を滑らせていく。
「なっ!?」
驚いたのはアルテマだった。
クロスの手に持たれた大太刀は白銀に染まり、その刀身からは、エンチャントの特徴であるオーラが白銀の光を纏って、霜の様に放出される。そして、そのエンチャントの特徴に、アルテマは見覚えがある。
「聖魔獣騎兵の秘宝!?」
秘宝と言っても、クロスの刀などを指している訳ではない。指しているのはエンチャントを行った、その手だ。先ほどのエンチャントを行ったクロスの両手の甲には、見た事もない文字と紋章のような絵が描かれている。
いや、正確にはアルテマは似た物を見た事があった。聖魔獣騎兵の隊の、その隊長である。そもそも魔法の技術は大半が失われ、その使用方法が分からない物も非常に多い。
現在の人間、果ては亜人や魔族までが使用している魔法はプレイヤーが使っていた魔法の2割に満たないと言ってもいいだろう。そんな2割の魔法の中でも、聖魔獣騎兵のエンチャント魔法は、世界中探しても1人か2人しか使えないとされる3号指定魔法である。
その扱いの難しさと強力さから、聖魔獣騎兵の隊の中でも隊長しか扱うことが出来ず、その発動方法も次世代の隊長にしか教えられないという貴重な魔法だ。
それ故に秘宝とされるほどである。
そんな貴重な魔法を何故―――。疑問が浮かぶが、すぐにある答えが思い浮かぶ。
「お前……。聖魔獣騎兵の隊長だったのか……?」
アルテマの脳裏に浮かぶのは、あの扱いにくい騎兵隊を纏める隊長の姿。
現在の隊長とは面識がある。こんな男では無い。だとすれば元だろうか……。
そんな疑問に、クロスはすぐ答えた。
「いえいえ、ハズレですね。関係があると言えばありますが。…………ていうかあのギルドまだあったのか」
最後の方のセリフはアルテマに聞こえないほどの声量で、仮面の中だけで転がす。
思い返せばあのギルドの設立当初、「モンスターを従えて戦ううちのギルドには、あなたの様な人物こそがギルマスに相応しいんです!お願いします!」としつこく勧誘されたあの頃。
断っても断っても追ってくるしつこさに、「wikiにもまだ掲載されていないエンチャント魔法教えるからもう来ないでくれ!」と妥協案を提出した。
次々と繰り返されるアップデートによる新魔法。そして公式には掲載されないため不明な新魔法の取得方法。繰り返しアップデートされ、新たに追加される魔法はどれも優秀な性能を誇る。そんな魔法の提供案は、彼らにも魅力的だったのだろう。
1週間の沈黙の後に、突然「魔法を教えてください」と当時のギルド幹部10人が挨拶に来た。
「このエンチャントの取得方法はな、どうやら自分が契約したモンスターとのある条件が必要みたいで……」
約束通りに教えた魔法は、どうやら聖魔獣騎兵のギルドの方針にもぴったりな物だったようで、勧誘は無くなったが感謝のメールが大量に届くようになり、偶然会えば「どうも!お久しぶりです!」と頭を下げられるようになった。
そんな思い出のあるギルドが未だに存在しているということに、クロスは仮面の下で小さく笑みを浮かべた。
「詮索は生き残ってからにして下さいね」
そんな喜びの胸中を抑え込むように、クロスは構えを取りながら警告を発する。左手だけで大太刀を握り、右手の指で刀身を挟むという歪な構えだ。クロスの戦闘の構えに、アルテマは少し気を取られながらも、構え直す。
左手だけで巨大な大太刀が振れるはずもなく、そんな流派は見た事が無い。隙だって大きいはずだ。
そんなことを、戦いが始まる前のアルテマならば考えていただろう。だが相手はそんな常識の通じる相手ではない。
先ほどよりさらに上がる、仮面の男の凶悪なまでのプレッシャー。下位の冒険者や傭兵ならば、その重圧だけで心が折れるだろう。そのプレッシャーに飲まれないように、アルテマはあえて挑発をかけた。
「いつでも来い」
「ではご要望通り。……まあかなり抑えながらですけどね」
『右に跳べ!』
一振り。クロスの放った斬撃は単に宙を切っただけだった。それなのに、地面は宙を切った刀の線をなぞる様に裂けていく。咄嗟に横に飛んで斬撃から逃れられたのは、ひとえにヤハタの声のおかげだ。
クロスの腕が、完全に振り下ろされる前のアドバイス。
あの声が無ければ、今頃自分は真っ二つに裂けていただろう。
「おお、予想以上に大きな亀裂が出来ましたね。これは加減が難しい」
なんともないような調子でクロスが言った。
「いやはや、まともに戦っては勝てる気がしない」
アルテマの率直な感想。
だが、弱気な発言にそぐなわず、瞳は死んでいない。
「今度はこちらの番だ」
彼女の人生でも最高と言って良い、そんな速度で踏み込み、クロスの腹目掛けて刺突を仕掛ける。
「おっと」
クロスはやはり余裕の様子で、大太刀を用いてそれを横に流す。
速度を殺さず突っ込んでくるアルテマへと、逆にその顔目掛けて右の拳を繰り出した。
「甘い!」
だが、拳は空を切る。顔を最小限に捻ることで、薄皮一枚の回避を行う。
完全に隙が出来たクロスの腹に、アルテマのいつの間にか大太刀から離していた片手が飛んでくる。
(これなら、まだ対処は……)
対するクロスは、隙を突かれたものの、落ち着いてアルテマの拳を受け止めようとし……失敗する。
「ぐふっ!」
アルテマ渾身の一撃に、クロスは数メートルの距離を転がるように吹き飛んだ。
そして、その崩れた体勢を立て直さすまいと、アルテマは追撃の斬撃を食らわせようと迫り来る。
「ちぃ!」
それを見て、クロスは舌打ちしたのと同時に、アルテマの追撃を立て直しもままならない状態で、足と手をバネのように使い、アルテマの追撃を跳ね飛ぶように回避する。
(加速しやがった。一体なんだって……)
さっきの腹部への一撃。完全に間に合うタイミングのはずが、途中でアルテマの拳が加速したかのごとく視界から消えた。エンチャントとブーストによる強化は継続している。それなのにまるで防具と強化された肉体をを完全に無視したかのような一撃は、クロスを一瞬の混乱に追い込むには充分すぎる材料となった。
原因の分からない攻撃により混乱した頭を整理するため、アルテマの追撃を避けるために逃げた空中と言う場所は、失策となる。
『ヒャッハー!今だぜ相棒!』
「今度こそだ!『ジャッジメント/天罰』!」
ただの雷ではない、人5人の全身を飲み込んでも、まだ余裕のありそうな巨大な雷が落ちてくる。
クロスが完全に落下してから回避行動に移るより、雷が迫る方が圧倒的に速い。
「なんのこれしき!」
見ても信じない者だっているに違いない。
クロスは迫る巨大な雷を、その大太刀を用いて真っ二つに切り裂いた。
「良い手でした、ですがこの程度は……」
だが、その場は未だ空中。クロスが勝ち誇るには、まだ早かった。
言葉を途中で遮ってしまったのは、既に彼の視界の目の前、空中に未だ浮遊していたクロスの更に上にアルテマが居たからだ。
ニヤリと。アルテマの勝ち誇った顔が見えた。
原因を考えるが、その理由は1秒と経たない内に理解した。一振り。クロスの視界の左端には、ヤハタの刀身が迫ってくるのが見えからだ。クロスが雷を切り裂くことすら、ヤハタと組み上げた作戦には規定事項だった。その予測は、敵ながら賞賛に値する。
「終わりだ」
刃がクロスの喉元に食い込むまであと少し。クロスの左手は完全に振り切っており、防御まで間に合わない。今度こそ決まったとばかりに、アルテマは勝利宣言を決める。だが……。
「だから甘いんですって」
実際クロスが言ったのかは分からない。
だが、少なくともアルテマの耳はそんな言葉を拾った気がした。
バキイィィィィイン。ガラスとも鉄とも似つかない、不思議な高音と共に、アルテマの相棒にして武器である大太刀ヤハタノミツルギが砕け散った。
その理由は簡単だった。探すまでもない。
単純に、空いていたクロスの、強化された右手で握りつぶされたのだ。
ドサリ。
そのまま地面に上手く着地したクロスと、着地を成功させながらも糸の切れた人形の様に虚空を見つめ続けるアルテマ。勝敗は完全に決した。
「この刀がこんな簡単に折れるはずが……。一体どうなって……」
既にアルテマに興味など無いように、クロスは握りしめたヤハタの欠片を見つめながら思考に入る。
「では、戦勝品ということで。コレは貰っていきますね」
言い返すだけの気力は、もうアルテマには残っていなかった。
クロスはそう言い、ヤハタの残骸ごと煙の様に消えて行った。
時はクロスの決着より数分前―――。
「ほらほらほら、もっと動かないと死ぬっスよ」
「ちくしょう!なんなんだこいつは!?」
「まずい……」
あれほど目の前の相手を美しい美しいと言っていたレイに余裕は無くなり、楽天家のアリスは焦燥感を募らせる。
余裕ながらも、どこか怒気を滲ませた表情で彼らに相対するラウナは腕を組んで立ち塞がる。
「……本当にこの程度とは……。ちょっと弱いにも限度があるっス」
先ほどまでの丁寧な言葉遣いはどこへやら。しかしレイ達には、こちらの口調の方がやけにしっくり来た。ラウナが呆れるその間、レイは蒼穹のハルバードを構え直し、アリスは白い指揮棒のようなタクトを構え直す。
レイの目配せ……それに合わせて、アリスは魔法を発動する。
「『スタンプ』」
空気の壁が、上空からラウナを押しつぶそうと迫る。
「『却下』」
ラウナは、パチンと右手の指を鳴らす。
それだけで空気の壁は空中で霧散するように消えた。
「『シューティングアロー』」
アリスはタクトを振り、ラウナを取り囲むように三角錐のような光の矢を放つ。
数百のそれは、一発あたりの威力が低くとも人を死に至らしめるのには十分な量だ。
「『却下』」
ラウナは指を鳴らす。正確には指が鳴っているのではなく、鳴らすのに使う親指と中指が擦れた結果、魔力の小さな爆発音が生じているのだが、レイとアリスにしてみればどっちも同じだった。
とにかく、数百の矢も霧散するように消失した。
もう何度目かも分からないその結果に、アリスは小さな苛立ちを覚える。
「うおおおおお!」
アリスの魔法が消えた瞬間、レイはラウナの元へと飛び出していた。
少女に向けるものとは思えない殺気を放ち、巨大なハルバードをラウナの脳天目掛けて振り下ろす。
だが、ラウナの表情は変わらない。その瞳には、恐怖などまったく映らない。
パキィン。
ガラスが割れたような、高い音が鳴り響く。
レイが振り下ろしたハルバードは、ラウナの頭上数センチの所で停止していた。
レイはなんとかハルバードを構え直そうとするが、ハルバードはビクともしない。
そんなレイの様子を、ニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべながら見ていたラウナは、彼の体を延長線上に据える様に右手を突き出す。
「『アウト』」
パチン。
右手の指を鳴らしながら、ラウナは唱える。
その瞬間、レイの両腕は根元から切断される。
「うぐあああああああああああああああああああ!!」
ハルバードを握ったまま、レイの両腕は地面に落ちる。
何が起きたのか、レイの思考はついていけなかった。
だが、自分の両腕が落ちたという事実、今まで感じたことが無いような激痛を味わせられたという屈辱。
それだけを認識して、レイは慟哭にも似た悲鳴を上げる。
「うるさいっスねー。腕がとれたぐらいで魔族が死ぬはずないんスよ?とっととお仲間にくっつけてもらったらどうっスか?」
それまで手は出さないとばかりに、ラウナはレイから目を離す。
その様子を見て、アリスは怒りを押し殺しながらもレイの元へ向かい、急いで取れた腕の結合を始める。
「すまない……」
治癒にあたるアリスに礼を言いながらも、レイの瞳はラウナを見続けている。
今まで一度も負ったことのない重傷ともされる傷をつけた相手に、ライバル心を燃やしたような瞳で。
「アリス、奴の魔法について何か分かったか?」
レイの腕はまだ完全にくっついてはいない。経過も4分の1くらいだろう。
それまで静観すると言っているのだから、ここは時間を有効に利用しよう。
そう思って、自分の耳元にまで接近しているアリスに小声で尋ねる。
「…………わからない。私の魔法を無効にする術も、さっきのレイの腕を切断した魔法も」
いつものような言葉足らずの幼女ではない。
いつになく真面目な口調で、アリスは返答する。
また、その口調の変化は自分たちの絶体絶命も意味していた。
「そうか……逃げられそうか?」
「……問題は転送魔法発動のタイムラグ。中途半端な時間では確実に仕留められる。並行して別の魔法も練るから、少し時間が必要」
「……やるしかないか」
その会話の終わりは、丁度レイの両腕の傷が塞がりきった時だった。
「もういいっスか?お仕置きの再開するっスよ」
レイの治療の終わりを確認したラウナは、ため息混じりに声をかける。
「バッチリさ。……しかし強いな。ミストドラゴンやナーガなんてちっぽけに感じるほどだ」
完治はしたものの、未だ両腕の感覚は慣れ切っていない。
それなのにあんなモノを相手にするのは馬鹿すぎる。
それに加えてアリスは、逃走のためにいくつかの魔法を練っている最中でもある。
時間稼ぎも兼ね、レイはラウナとの会話を試みる。
「あんな下級の雑魚龍と一緒にしないでほしいっスね。まだその程度に見られてるのは正直心外っス」
ミストドラゴン、ナーガ。その単語に反応したようにラウナは反論をしてくる。
何がラウナの琴線に触れたか分からないが、こちらとしては好都合だとばかりにレイは更に質問を投げかける。
「ミストドラゴンやナーガが下級なんて初めて知ったな。一体どういう基準なんだ?」
そのレイの質問は、ラウナの顔を思いっきり歪ませた。
かぁ~とどこかの親父の様に頭を掻く姿も、正直絵になっている。
「やつらは時折人里に姿を現し、思う存分暴れたり貢物を要求する。……その理由はご存じっスか?」
仕方ないなとばかりの表情で、ラウナはレイへと説明を始める。
そして、問いかけた理由に対する答えはノーだ。そもそもドラゴンの生態など不明な点が多い。世界中探しても知っている人間、賢者といえども居ないだろう。そんな事知っている方がおかしい。
レイの表情に出たかは分からないが、その沈黙を知らないと受け取ったラウナは続けて説明する。
「チヤホヤされたいんスよ。あいつら糞餓鬼は龍種の競争で敗れた落ちこぼれ。そして負け組と言うコンプレックスの解消のために自分より弱い存在を食らいに行くんス」
聞かされた事実は、レイとアリスを驚愕させるのに十分だった。
それが龍の真実なのか―――。と。
「あ、龍の競争って分かんないスか?……まあ喧嘩みたいなもんスよ。で、基本人里に降りるのはその底辺って訳ス」
「……それが事実だとして、なぜ君がそんなことを知っている?」
質問を投げかけるも、レイの頭には既に答えは導き出されていた。
「簡単スよ。私もドラゴンだからっス」
やはり―――。
驚きはしない。あのミストドラゴン、ナーガを見下した口ぶり。更に誰も知らない生態を知りえるというのは、同じ種族でなければ考えられない。それも相当上位、恐らく現在確認されているドラゴンの更に上。
「では改めて自己紹介を。コホン」
ラウナは急に改まったように姿勢を正し、わざとらしい咳をする。
「―――神龍エシュロン。又の名をラウナ・ベルガー。よろしくっス」
神龍。その単語は、想像を絶するものだった。
文献に記されたものをほとんどなく、姿を見た者もほぼ皆無に等しい。
分かっているのは姉妹龍ということと、姉妹共に初代ハンターの内の一人の友であったこと。どこかで聞いただけのおとぎ話の存在が、目の前に実在したのだ。
「あなたが……神龍」
自然と、レイは丁寧な口調になっていた。
「俺たちが倒した魔神は……」
同じく魔神を撃退したとされる存在のあまりの大きさに、自分たちが倒したはずの魔神の存在が、急にちっぽけに映った。自分が誇りに思った、2代目ハンターの称号。その言葉の大きさ、先人のあまりの強大さ。自分が思っている以上に、自分と言う人間は矮小な存在ではないのだろうか。
そんな虚無感を味わい、レイの口から思わず漏れた言葉だった。
「多分抜け殻っスね。私も見た時は拍子抜けしたっスよ」
「あなた方が倒した時の魔神は……」
「アレは強すぎっス。私ごときじゃ1体も仕留められないっスね」
「じゃあ……」
―――じゃあ一体どうやってそんなのを倒したって言うんですか。
そんなレイの絶望にも似た問いかけに、ラウナは自分の見たありのままを伝える。
「……当時そいつらの討伐に参加したのは数千の冒険者と傭兵やフリーの野良犬。それに独自でギルドを立ち上げた連中っス」
区切りを入れる。そしてラウナは、当時は本当に楽しかったとばかりに目を輝かせ、話を続ける。
「私を倒す連中なんて珍しくなかったんス。……まあ単独でそれが出来たのは極少数っしたけど」
目をつぶるラウナの脳裏に、どんな光景が思い浮かべられているかは分からない。
だが、神龍すら倒すのが珍しくない。そんな話はあまりに現実離れしていて、レイにはどこか異次元のようにも感じられた。
「そんな強者が数千人。死ぬかもしれないのに皆楽しそうに笑うんスよ」
その話を聞き、レイは昔「お前ごとき300年前のお方の足元にも及ばん」と言った老人のことを思い出した。
「戦いが始まっても、誰が一番に奴らを倒すかばかり。魔神の引き連れた数万の雑魚はゴミみたく散っていったっス」
そしてここからがおもしろいとばかりに、ラウナは笑みを深める。
「そして最初に魔神を仕留めたアポロさンに、周りの連中はなんて言ったと思うスか?『てめえこの野郎!死にやがれ!』っスよ」
現在、一部には神とすら崇められた冒険者に対する、同業者、戦友の暴言。
神話とさえ呼ばれ始めた戦争の裏話は、実に人間味溢れていた。
「本当に斬りかかってくるあたり最高っスよ。アポロさンは逆にそいつを殺してたんスけどね」
ハハハとラウナは笑う。
前言撤回。人間味に溢れてはいたが、どこか今の人間とは違うようだ。
「そうなったらもう大変ス。そいつを殺されたギルドがキレて目標を魔神から『彼ら』に変更するんスから」
『彼ら』とは、言わずもがなレイ達が初代ハンターと呼ぶ人間たちだろう。
「結局は全部対処しながら魔神を倒すのも全部彼らがやっちゃったんスけどね」
「そんな話が……」
―――あったのか。
続く言葉が、喉から出てこないほどにレイは胸の奥底から何とも言えない感情を感じていた。
「あと、彼らは冒険者ギルドで依頼は受けてたっスけど、冒険者の登録してるのは少なかったんスよ。冒険者が祀り上げるのはおかしいんスよね」
ラウナもある程度の、人間の実情は認識している。ついでだからと訂正しておいた。
「さて、無駄話はこれくらいっス。……始めるっスよ」
先ほどの和やかなムードは吹き飛び、再び空間が殺気に満ち溢れる。
「アリス、準備は?」
「うん、バッチリ」
神龍とは驚いたが、魔力を極限まで練り上げたアリスの魔法なら、逃走は可能なはずだ。
先ほどとは打って変わり、ピリピリした雰囲気を敏感に感じ取ったレイは、いつの間にか自分が会話に集中していたことに驚きながらも、アリスに確認を取る。
「『ジャッ……』」
ラウナが両手を合わせようとしたその瞬間。
それよりも速く、アリスのタクトが真横に振られる。
「『ワンダーランド』」
アリスとレイを中心に、突風が2人を包み込み、やがて竜巻の様に2人の姿を隠してしまう。
「んなっ!?」
突然の強風の余波により、思わずラウナは手を止めてしまった。
風と土埃により、既に肉眼で彼ら2人を認識することは出来ない。
チャンスは作らせない―――。
そう考えたラウナは、急いで右手を突出し、指を鳴らす。
「『却下』!!」
風船を割ったような破裂音が響き、竜巻が一瞬で霧散した。
そこには、中心にあるべきはずの2人の姿が無い。
「あら?」
しばらくキョロキョロとあたりを見回しながら探索魔法の範囲を広げるが、それらしき反応はどこにもない。
「逃げられた……」
自らの失態に、ラウナは唇を噛み締めた。
アルテマからレイとアリスへ連絡が送られたのは、30分ほど経過してからだった。
「ここに居たか……その様子だと、お前もやられたようだな」
「……ああ」
レイの言葉に、アルテマは素っ気なく答えるだけだった。
腰の大太刀が無くなっているのも気にはなったが、レイにはとてもそんな勇気はなかった。
「……今日はもう遅い。ここで一晩明かす」
レイは手短にそう言い、その場を後にした。
「負けた……」
アルテマは、一人呟く。
思えば強者を求めると言っておきながら、決闘の勝敗の決め方もろくに考えずに突っ掛る暴挙。
自分が既に最強だと自惚れていた証拠だ。
「負けた……」
その言葉の意味を噛み締める。
百数十年の時の中、初めての敗北だった。
ラウナさんの方が主人公より強そうに見えると言う事実
無双?……無双?