第13話 蛮勇とSAN値
「やはり魔力の痕跡はこちらのようだね」
「確かに見物に反対はしないけど……僕個人としては戦いたくないぞ」
白い仮面を被った黒いローブの不気味な女……アルテマに、白銀の鎧の騎士、レインフォールは道なき道を進む。
「何を言う、先ほどの突風の方角は龍の渓谷へと向かっているんだ。これは仕留めるしかないだろう」
艶のある黒髪をかきあげ、アルテマは初めてのプレゼントに興奮した子供のように、逸る気持ちを抑えられない。
もしかすると今までで一番の大物かもしれない存在を想像するだけで、気分は最高潮に達するというもの。
そんなアルテマとは対照的に、アリスは翡翠の長髪から伸びる長い耳を力なく垂らし、先ほどから考え事に耽るように俯いたままだ。
そんなアリスの様子に、レイは心配したように声をかける。
「どうしたんだ?…………やっぱりさっきのやつの魔力か?」
「…………」
アリスは何も答えない。レイの言葉にも顔を向けようとすらしないままだ。
「いつまでも落ち込むな、世の中は広いんだ。同等の存在ならそいつを倒して、お前が一番になれ」
魔法の扱いに長けたエルフの中でも、アリスは特に優秀な存在だ。
魔力の保有量は全生物で争ってもトップを狙えるほどだし、現代の魔法から古代の魔法まで知らない物は無く、扱えない物もないという知識量と才能もある。
今まで足元に届くだろう存在とは出会ったこともあるが、それ以上の、同等『かもしれない』存在とは出会ったことがなかった。
そして、今その存在がこの先に居るかもしれないという事実が、アリスのプライドを傷つけている。
そんな彼女を叱咤するアルテマに、アリスはようやく顔を上げた。
「……うん、わかった」
空元気ではない、決意を秘めた表情に、2人は安堵を浮かべた。
「それでこそ我らが最強の後衛だ」
「まあ、いつも僕らは一人で行動が基本だから別に後衛ってわけでもないけどな」
レイは冗談交じりに突っ込みを入れる。
普段なら一人でモンスターを狩るのが基本の彼らである。
自分の身は自分で守れなければ話にならない。前衛や後衛とチームで役割を分担する戦いは、経験上少ないのだ。
「む。それもそうだ。すまないアリス」
「べつにいいよー」
頭を下げるアルテマに、アリスは何も気にしてないよという風に答える。
そんなやりとりをしながら一同は進む。
周りの景色は変わり始め、いつの間にか雑草も木も減り始めて目的地である谷が近づいてきた。
「ほう、これは素晴らしい」
絶景が広がる。
目測で100mはあるだろう川幅、その横に存在する舗装された砂利道を挟むようにそびえ立つ岩の谷は、天空を突き刺しそうにも思えてしまう。
アルテマの感嘆の言葉に、他の2人も同調する。
「まったくだ。本の描写で見るより素晴らしい場所じゃないか」
「おー」
実のところ人がここまで進んだというのは、史上3度目という快挙だったりする。
Aランク冒険者パーティでは、瞬殺されるモンスターが数多く占める道のりだ。
以前、一度Sランク冒険者達がパーティを組んで調査に乗り出したが、1週間としないうちに撤退するまでに追い込まれたという結果があった。
その結果を見て、名を残そうと逸る冒険者は避け始め、他の冒険者もリスクが高すぎるとその土地を避けるようになったという話がある。
凡人では到底たどり着けない場所まで、アルテマ達は悠々と来た訳だが、目的は名声や金ではない。
未だに見ぬ強者……そんなモンスターである。
「うむ、どんなモンスターが現れるか非常に楽しみだ。なあヤハタ?」
『…………』
アルテマは腰の相棒へと話しかける。が、返答は無い。
「おっと、そうだ。魔法をかけっ放しだったな、私としたことがついうっかり。ハハハハハ」
上機嫌にアルテマは笑う。仮面で表情は分からないが、声色を聞く限り、非常に機嫌が良いというのは分かる。
『…………』
ヤハタは何も言わない。いや、言えない。
アルテマにうるさいからとかけられた魔法『お口にチャック』は、今や身動きが煩いと3重にかけられ、ヤハタの身動きさえ許していない。
鞘をガシャガシャと鳴らすことも出来なくなったヤハタは、ただの武器のように静かだ。
「うむ、静かで宜しい。ヤハタのアドバイスが無い未知のモンスターの攻略など心が躍る」
ヤハタの様子を気にもかけないアルテマは、ハハハとにこやかな表情を崩さない。
『(まいったなぁ、こりゃ)』
そんな相棒の様子に、ヤハタは危機感を募らせる。
なぜならこの土地は非常に不味いということを、ヤハタは知っているからだ。
『(本気で死なないといいが、うーむ)』
黙らなければいけない状況、というか魔法のせいか、普段より達観したようにヤハタは冷静に現在の状況を考える。
「おや、人のようだ」
考え事に耽っていたせいで、いつの間にか進みだしていたことに気付かなかったようだ。
アルテマの呟きに、ヤハタはあるわけもない視線を呟いた方へと向ける。
それは2つの見知った存在だった。
『(んげえ!?あ、あいつらはまさか!!)』
ヤハタは文字通り声にならない悲鳴を上げる。
「これはすごい、こんなところに人が居るとは」
「ねー」
レイとアリスも驚いたように言う。
もっとも、3人の驚きとヤハタの驚きは違うものだが。
「あら?どちらさまでしょうか?」
こちらに気付いたように、2人組の片割れの白銀、白い人物が尋ねてくる。
目深にフードを被っているせいで顔ははっきりと分からないが、白に近い銀の髪に、高い声、そして布越しにも分かる柔らかそうな体の線は、その人物を女性と伝える。
やや女性と言うには未成熟にも見えるが。
「ただの旅の者さ。しかし驚いた、まさかこのような場所で人に会えるとは」
アルテマは言いながら、目の前の人物を観察する。
こんな所にいるのがただの人間であるはずがないからだ。
何かの変身魔法を使ったモンスターかもしれない。
アルテマはその人物の服装から。何か情報はないかと観察を重ねる。
純白と言っても過言ではない白い布に、装飾するように織り込まれた金の模様。
その姿は非常に着ている本人の髪の色と良く似合う。そして声を聞くに少女のようだが、その落着き様は妖艶な女性のようにも聞こえる。まさに聖女という言葉がぴったりな人物だった。
「しかしお美しい。かの聖女エイリーンも霞む程だ。しかし、そのあなたがなぜ、このような場所に?」
アルテマの意図した質問から逸れないように、かつ自分をアピールするかのようにレイがアルテマの横へと割り込んでくる。
その見るからに鼻を伸ばすレイの様子に、アリスは不機嫌そうになる。
しかしレイの様子も分からないこともない。女性のアルテマから見ても、それほどまでに目の前の人物の立ち振る舞いは素晴らしいものだった。
フードで顔は見えないが、育ちの良さと気品を感じさせる。
「まあ冗談がお上手ですこと」
くすくす、と口に手を当て白い人物は笑う。そして今の質問ですが、と前置きを入れて白い人物は微笑んだ。
「姉の用事の付添いなんです。主人と一緒に」
主人の部分で、未だに座り込みこちらに背を向けている黒い人物へと目線を向ける。
この言葉、白い人物からすれば『自分の契約者にして主である存在』という意味だったが、アルテマとヤハタ除く一行はそうは受け取らなかった。
現にレイはショックを受けたように肩を落とし、そんなレイの様子を見てアリスはホッとしたように胸を撫で下ろしている。
『(間違いねえ、こりゃやべえ……頼むぜ相棒、ていうか今すぐ魔法を解除してくれ)』
そんな中、観察を続けるアルテマに、ヤハタは念を送り続けていた。
なぜなら目の前の2人は、アルテマが期待するような未知のモンスターより、ずっとヤバイ存在だ。
そのことを理解しているヤハタは、声が出せないなりにどうか相棒がヘタなことを考えませんようにと祈る。
「ほう、ご主人と。……大丈夫かな、身動き一つしないようだが?」
アルテマの疑いの眼差しは、更に鋭さを増す。
言動から人間であるという信憑性は増してきたが、それでもただの人間であるはずもない。
あわよくば力量の程を確かめたいとさえ考える。
「あら、これはすいません。どうも集中しちゃうと周りの音が聞こえなくなってしまうようでして……」
白い人物は困ったように頬に手を当て、首を傾げる。
仮に高度な教育を受けた貴族がやったとしてもわざとらしい仕草だが、目の前の人物が行うと違和感なく受け取ってしまう、それほど完璧な仕草だった。
「なんと美しい!」「むー黙りなー」「グワッ!」」後ろで何か騒ぎ声が聞こえるが、この際無視する。
白い人物が背を向け座り込んだままの人物の耳元へと口を近づける。
その様子の中でも、アルテマは警戒を止めない。
妙な動きをしようものなら即座に首を刎ねんばかりの気の立ち方だ。
やがて白い人物の言葉に気付いたのか、黒い人物が立ち上がり、こちらを振り向く。
白い仮面の男だった。黒髪と、それに溶け込むような黒いロングコートに身を包み、上質な布地の服がその下に着込まれている。
アルテマの知識では、確かスーツと言ったものだったか。上流階級の人間が着ているものだが、あれがただの服であるはずが無い。伝説に残る魔神との対峙者もまったく同じ物を着ていたというし、戦闘にも耐えうるものならばフルプレートメイル以上の硬さを誇るとも聞く。
また、現在の上流階級の人間は、その伝説に残る人物の服装を真似し、正装にしたともちょっとした雑学として記憶にある。
あのコートも、実用性を持つ物ならば、見た目に反してかなりの防御力があるはずだ。フルプレートメイルより頑丈と言う噂もある。その性能だけに、今はロストテクノロジーとされるほど希少なアイテムとなっているが。
ともかく、こんな場所に居る人間だ。コートも貴族たちが纏うような安物ではないだろう。そして、そんなものを身に着ける人物が、只者でないのはこれで確定的となった。
続いてアルテマの目を惹いたのは、アルテマ自身が持つ大太刀『ヤハタノミツルギ』に匹敵するほどの、巨大な大太刀が白い仮面の男の背中に差されていることだ。
鍛えた成人男性の腕の2倍近い太さはあろうかと言うその大太刀を、ただの飾りとして身に着けている訳ではないだろう。
そんなことはアルテマも身を以て知っている。力の誇示や威圧のようなファッションにしては、いくらなんでも重すぎる。
一体こいつは何者だ―――。
アルテマの疑問は尽きないが、相当な実力者であることは間違いないだろう。
「これは失礼。まったく気付かないとは私としたことが」
無機質な笑顔が描かれた仮面からは、表情は分からないが、少なくとも謝罪の意思はあるようだ。
どこかの貴族に仕えていてもおかしくないほどに、見事な一礼をする。
先ほどの白い人物に加え、わざとらしくも映りそうな仕草を多くする人物の様である。
しかし、不思議と様になっているのは何故だろうか。
アルテマは、白い人物と黒い人物の、2人との会話を思い出す。
何度再生しても様になる様子に、アルテマは理想の紳士と淑女の姿を、2人に垣間見た様な気がした。
「しかし珍しい、私以外に仮面を被るものが居ようとは」
「おっと」
アルテマは、その指摘でようやく自分が顔を隠していたという事実に気付く。
よくよく思い返すと、白い人物にも不躾な答えに顔も隠したまま質問を重ねていた。
そんな非礼の重ねがけに、アルテマは自分の頬が熱くなるのを感じた。
「これは失礼をした。今顔を……」
謝罪を述べ、急いでアルテマは仮面を外そうとするが
「いえ」
紳士然とした男が片手を上げ、こちらの動きを遮る。
「私も素顔は晒していません。つまりはお互いに非があるというもの。どうでしょう、ここはお互い様ということで」
「…………ふむ、それでは、そういうことにさせて頂こう」
目の前の男の評価を上方修正する。
アルテマは確かに己の非礼を恥じたが、彼らの力量を計りたいという欲求までも収まった訳ではない。
むしろ口実あらば斬りかかる。それほどまでに欲求は高まってきていた。
アルテマは先ほどの言葉を考察する。
ただ単に顔の何らかのコンプレックスの気遣いかもしれない。
一方で、何か魔法的な意味合い、もしくは顔を見せてはまずいという理由で外せないという可能性もある。
こちらが顔を見せるとするならば、必然と向こうも礼儀を示さなければならない立場となり、仮面はとらなければいけない。
自分の手札を切らない良策とも言えるし、単にアルテマに恥を掻かせない為だとすれば、自分を下げて「お互い様」とするあたり、気遣いの出来る良い人だろう。
そういった両方の意味で目の前の男の評価を上げた上で、同時に警戒心も強める。
「さて、私はアルテマという者だ。ここで会えたのは何かの縁だろう、宜しく頼む」
スッと手を差し出し、あえて本名で自己紹介をする。
偽名でも構わなかったが、解析の魔法で名前もバレる可能性がある。
ならば最初から本名のままで行こうという、一種の開き直りだ。
「ああ、私はクロス・ベルガーと言う者です。こちらこそ宜しく」
差し出された手を握り返し、お互いにガッチリと握手をする。
「こちらは私の連れの2人で、右がレイ、左がアリスだ」
握手をしたまま、アルテマは後ろの2人に顔を向ける。
そのやり取りの意味にようやく気付いたのか、慌てた様子で2人も挨拶をする。
「アルテマの紹介に預かりました、レインフォールです」
「アリスだよー」
「これはこれはご丁寧に」
クロスと名乗った男は、2人に軽く会釈をする。
「あら」
そこでクロスの後ろから、女の声が上がる。
「私も自己紹介がまだでしたね、ラウナ・ベルガーと言います。宜しくお願いしますね」
白い人物がフードを外し、日の光に照らされた美しい銀糸のような髪を整えながら会釈をする。
振る舞いに相応しく、容姿も素晴らしい彼女の微笑に、男ばかりでなくアルテマやアリスでさえ見惚れてしまう。
少女と大人の中間であろう絶妙なバランスの人物の美しさと、すでに男がいるという事実に、レイは悔しそうに顔を歪ませる。
「そちらのある程度の事情は奥方から聞いた。それを踏まえて少々込み入った話をしたいのだが」
アルテマの言葉に、クロスは「奥方……?」と誰にも聞こえないように小さく呟いた。
傍から見れば一拍置いたとしか見られないほどで、その小さな動揺はアルテマに悟られることはなかった。
そんな2人のやり取りを眺め、冷や汗?を流す者が一人。
『(うおおおお、胃が痛いっていうのはこういう気持ちかあああああ!!)』
アルテマの愛刀にして相棒、ヤハタはアルテマの背中におぶさったまま焦りを募らせる。
質問に踏み込む前の、最後の悪巧みを思いついたような表情は、絶対何かを仕掛けるつもりに見えたからだ。
『(頼むぜええええ!やり取りを間違えるなよ相棒!!)』
その言葉の意味するところは単純で、間違っても彼に喧嘩を売るような真似はするなということだ。
実力差だってはっきりしている。
今の相棒では絶対に勝てないということを、ヤハタは文字通り身を以て知っているからだ。
彼女は『今の世界』では間違いなく最強に近い存在だ。
だが、それは所詮井の中蛙でしかないことを、ヤハタは実体験で知っている。
『(頼むから、そいつに喧嘩は売るなよおおおおお!!)』
三重にかけられた魔法『お口にチャック』の前に、ヤハタは無力なまま。
だから、今はただ祈ることだけしか出来ない。
数十年来の相棒が死ぬのは、自分がただの武器であろうと嫌なものなのだから。
「クロス殿はここへはよく来るのかな?」
「いや、4度目かな。最近は随分と久しくなりましたが」
「ほう、以前はお一人で?」
「そうですね、人を連れるのは今回が初めてになるでしょうか」
「奥方によると義姉の用事の付添いだとか……」
「ははは、ちょっと込み入った事でして、私たちは待機といったところでしょうか」
和やかな雰囲気のまま、2人は楽しそうな雰囲気を醸し出しながら会話を交わす。
そんな順調な雰囲気のやりとりを、ヤハタは綱渡りを見守るかのような心情で聞き続ける。
『(頼む頼む頼む、頼むから余計なことを考えないでくれ!!)』
無いはずの心臓がバクバク鳴るかのような錯覚を覚える。
そんなヤハタの心情を知る由もなく、アルテマは未だに切り伏せる警戒をしたままだ。
「こちらのモンスターの事情には詳しいのかな?恥ずかしいことだが情報が不足していてな。宜しければ教えてほしい」
「構わないですとも、こちらのモンスターは中々に手応えがあるものばかり。あらかじめ知っていないとつらい事もあるでしょう」
「有り難い、では早速なのだが……」
まだ無難だ、まだ無難だ。
人間だったとしたら、今のヤハタは全身から汗を拭きだし卒倒寸前だっただろう。
『(よし、よし、ここまでは大丈夫……)』
眠っているライオンに悪戯をする子供をハラハラと見守る母親のように、ヤハタに与えられるストレス値は上限を知らずに急上昇していく。
「喧嘩の口実を作ってやる」。そんな悪い顔をアルテマがしたのは気のせいだと信じて。
もっとも、それに似たストレスを感じているのはヤハタに限ったことではない。
(なんなんだこの状況はああああああ!!)
クロスもまた、内心は焦っていた。
「例えばその中に、人の形をして襲ってくるものが居たりなどは? あなた方も怪しいものだが」
「ははは、おもしろい冗談ですね」
(なんだこれ! もしかしなくても何か疑われてるのか!?)
「おや、うまく躱すのだな。……おっと失礼。今のは失言だった」
表面は余裕の表情で受け流すクロスも、裏では余裕などまったく無い。
「うまく合わせてほしいっス。紳士っぽくお願いするっス」というラウナの言葉に合わせたクロスだったが、正直ただ『ですます』を使っているだけだ。ラウナが癖で外向きの口調で喋ってしまったことがそもそもの原因だが、なぜ合わせる必要があったのか。
確かにこちらの方が、ラウナとセットで見るなら合っているが、正直いつボロが出るか分からない。
相手の目的を探るためと耳打ちされたが、やはり素のままで良かったのではないだろうか。
後悔と言い訳染みた考えを頭に巡らせつつも、必死に相手の質問に答え続ける。
まさか幼いころ見た執事が主人公のアニメを参考に、中学2年まで1人で西洋の上流貴族ごっこをしていた自分の痛い過去に感謝する日が来るとは―――。
努力は必ず結果に繋がるといった昔の人の気持ちが、クロスはようやく理解できたような気がした。
「では―――」
「ああ、それでしたら―――」
一方で、全く違う感想を抱いている者もいる。
(いちいち癇に障る女っスね)
ラウナだ。
表情には出さないが、あの女の言葉の端々から見える棘が徐々にラウナの理性を削りつつある。
格下が―――。
体に付いた蚊が自分の体を咬むのを黙って見ているような、そんなもどかしさと苛立ちを覚える。
ドラゴンである自らと、自分の契約者であり友でもあるクロスに対する暴言が、あの格下の口から放たれる度に喉を咬み切ってやりたい衝動に駆られる。
思えば失敗は、相手の目的を探ると自分が提案してしまったことだ。
あのラウナの一言を信用したクロスは、今もなお迫る暴言に対し、丁寧に応対を続けている。
とっとと殺してしまいたいが、そんなクロスの努力を無駄にするようなことは、ラウナの中では正しいとは言えない。
ならばその努力を最大限活かす方向に、とラウナは目の前の女と後ろの2人の観察を続ける。
「しかしそんな事にまで詳しいとは、あなたは一体何者なんだ?」
「ただの知識ある人ですよ。そしてただの旅人です」
「……ここに来るという事実、そしてその服装は、既にただの旅人でないのは確定だぞ。どうだろう、少し手合せでもしないか?」
「遠慮したいですね。ハハッ」
間違いなくこいつは、かなりの力量持ちだ。ならばどうにか戦う方向に―――。
そこまで考えたところで、今度は逆にクロスが声をかけてきた。
「そういえば、私からも質問なのですが……なぜ、ヴァンパイアのあなたがこんなところに居るのですか?」
ゾクッ。アルテマは、背筋が凍るような錯覚を受けた。
アルテマだけではない、後ろで話を訊いていただけの2人も、顔には出さないようにしても気配が乱れているのが分かる。
「なぜ……私がヴァンパイアであると?」
初見で、彼女がヴァンパイア種であると見抜ける者が何人居るだろうか。
魔法を使用するならば分かる。そういう専門の魔法も存在し、使う者もいる。
だが、目の前の、恐らく人間は、何もした様子は無い。
少なくともアルテマの見ていた前で、何かをしたようには見えなかった。
つまり、アルテマの種族を見ただけで判別してしまったのだ。
まず普通の人間と差の無いはずの、平常時のヴァンパイアである彼女を。
「いえ、簡単なことですよ。ヴァインパイア種族の人ってね、他の種族と違って腕と首の筋肉の付き方が違うんですよ」
単純ですよね?とクロスは言う。
「それは……私もこの世に生まれて長いが、そのような特徴は初めて知ったよ。一体あなたは何者なんだ?」
「ただの旅人ですよ」
とぼけた風に、両手を開くポーズをとりつつクロスは言う。
実のところ、クロスは魔法を使っていた。
解析を主としたもので、それにより目の前の女の種族が判明したのだ。
この観察の間、魔法の使用が相手にバレなかったのは、ひとえに彼の顔を覆う仮面のおかげである。
いくらクロスでも、侮辱や挑発をただ笑って流すほどの忍耐力は備わっていない。
ささやかな仕返しにと、自信満々の彼女の態度を崩そうと画策して行った行為であったが、それはクロスの予想以上に相手に警戒心を植え付けた。
そんなことを知ってか知らずか、クロスは更に続ける。
「しかし珍しいものです。ヴァンパイアがエルフとデーモンを引き連れるなど」
「っ」
その言葉に、今度こそレイとアリスが表情を変える。
アリスがエルフ種とバレたのはまだ分かる、耳の長さが違うからだ。
だが、レイが魔人であると分かったのは何故だ。
そもそもデーモンという魔族など、冒険者であろうとその姿を見ずに一生を終えるのが普通と言ってもいい。ましてやレイは、アルテマと同じように傍目から見ればただの人間と違いなど全く無い。
タネも仕掛けもあるクロスの挑発に、3人は思考を混乱の渦に飲み込まれていく。
その様子を見て、クロスは「してやったり」と自分の悪巧みの成功に頬を緩ませるばかり。
ヴェルトオンラインでは、別に種族の違いで珍しい組み合わせと言うものはなかったが、やはりこちらでは違ったようだ。
そもそもゲーム内の設定においても、デーモンやヴァンパイア、エルフが友好関係というようなものではなく、どちらかというと険悪なものだった。それを利用したカマかけは、見事にハマった。
さて、さらに追撃を……仕掛けようとしたところで、驚きに目を見開いていた(仮面に隠され表情などクロスには分からないが、なんとなく雰囲気で)アルテマが、ゆっくりと腰の刀に手をかけたのが分かり、クロスは何事かとその様子を眺める。
「やはり、あなたは只者ではないな」
「褒め言葉と受け取って宜しいのですかな」
その雰囲気の違いに、クロスに嫌な予感が走る。現にアルテマの様子を見て、彼女の後ろの2人も何やら鋭い目つきに変わっている。
『(うおい!マジでやめろおおおおお!!)』
声の出ない突っ込みがヤハタの中だけに響く。
「やはり、手っ取り早くこういう方法で確かめよう」
アルテマがそう言い、背中から鞘を取り出し、太刀を抜こう―――とした。
だが、その抜刀はクロスの後ろに居たはずのラウナに『足』で止められる。
「な!?」
驚きの声を上げたのは誰だったか。
ラウナの足により止められた太刀は、靴により押しとどめられ、ビクともしない。
こちらを見下すような視線をぶつけるラウナの姿は、アルテマの全身を縛り付けるには十分なまでの驚愕を与えた。
「……正直我慢も限界だったんスよね」
底冷えした声が、目の前のアルテマだけではなく後ろに控えていたレイとアリスの鼓膜を刺激する。
フードを脱いだ素顔は無表情にも見えるが、その全身から怒りが透けて見えた。猫被りをやめたラウナは、威嚇するかのように今まで隠していた魔力を全身から放出する。その魔力の量は、3人を一瞬で臨戦態勢に追い込むのに十分なほど。
「侮辱だけならまだしも、武器を抜いたってことなら……殺されても文句は無いっスよね?」
ドラゴンより遥かにヤバイものを引き当ててしまった―――。
3人はそんな場違いなことを考えるが、呑気にしていられない。
目的だったアセトドラゴンより遥かに凄まじいプレッシャーと殺気が、3人を包み込む。
「クロスさン、こいつら纏めて殺っちまってもいいっスか?」
「いえ、アルテマという方は私が。なにやら懐かしい物を持っている様ですから」
「……そのキャラもうやめていいんスよ?」
「恥ずかしながら、久しぶりにやったら楽しくなってきてしまったのです」
「…………そうっスか」
「あと、殺しは駄目です。色々訊きたいこともありますから」
「え…………了解っス」
その会話が切られた瞬間の僅かな緩みを見逃さず、アルテマは高速でバックステップを踏み後退する。
それに合わせて、レイとアリスも各々の武器を構える。
その姿は決して怯えた者ではなく、同格の獲物を仕留めようとする肉食獣の様にも見えた。
「おろ?……とっとっと」
ヤハタという足の踏み場を失くしたラウナは、わざとらしくバランスを崩したような素振りを見せる。
だが、そんなリアクションを取っても、3人は戦闘態勢から動かず、緩みや隙を見せることもしない。
「あら、飛び込んでこなかったっスか」
にやり、とラウナは嫌味な笑みを浮かべる。
「では、そこの仮面の女はクロスさンが相手するらしいので、余り物のお仕置きは私が」
「おや、1対2で私達と戦って平気とでも?」
「早く行ったらどうっスか?今ちょっと気が短いんスよね」
「……そうしよう」
ラウナの今にも殺しにかかりそうな殺気に圧された訳ではない。
むしろ2人に任せても大丈夫との信頼を置いて、言われたとおりにアルテマはその場を離れ、クロスの居る場所へと移動する。
『(あーあ、こいつぁ絶対勘違いしてやがるな)』
一触即発の空気の中、ヤハタはどこか暢気に考える。
『(ラウナのお嬢の移動は、転送魔法なんかじゃねえってのに)』
先ほどの抜刀を止められた一連の動き、ヤハタの予想するようにアルテマは勘違いをしていた。
いつの間にか目の前に存在していた。この1つの点だけで、アルテマはラウナの動きを転送魔法と判断していた。実際はアルテマの様な、世間からは超一流と呼ばれる人物でも反応できない速度の移動だが、流石にそんなことは頭に思い浮かばなかったのだろう。
しかし転移魔法を使えるというだけでも、凄いことに違いは無いのだが……。
『(まあ、死なないように頑張れや)』
声を出せないヤハタからは、これくらいしか言えない。
「さて、用意はいいっスか?」
「問題ないさ」
「よゆう?むかつくー」
ラウナはハルバードを構えるレイと、魔法の触媒として使用できる短く白いタクトを構えたアリスを見る。対するラウナは無手。百戦錬磨の彼らを相手に、ラウナの行動は怒りを買うだけだった。
「……何も獲物は持たないのか?」
「さっきの動きを見ても随分と余裕そうっスね。むかつくっス」
ラウナの怒りの9割は暴言を吐いた張本人のアルテマへのものだが、矛先を向けるべき相手はクロスが引き継いでいる。レイには、半ば八つ当たりに近いようにも見えた。
「さっきの動きと言ったって、転移魔法で飛んだだけだろ?確かにその魔法を使えるだけの実力があるのは凄いが、舐めてかかると痛い目を見るぞ」
「そうだねー」
尋常ではない力と速度を誇るアルテマの抜刀を、足で止めるだけの身体能力と魔法の技術は確かに凄いが、それだけならばレイ達にも出来る。
ましてやアルテマのあれは、本気の抜刀を止められた訳ではないのだから。
「あー、そういうことっスか。……おめでたい連中っスね」
レイ達の勘違いは、今までどこかかみ合わなかった会話の擦れ違いに気付かせる。
それと同時にラウナに更なる怒りが湧いた。自分たちを侮辱した敵はこの程度かと。
ラウナは、失望を混ぜて脱力をした構えを取る。
「自分たちの実力も把握出来ない馬鹿は、死ぬといいっスよ」
ラウナの蹴りが、レイの鳩尾に突き刺さった。
文章に違和感があっても「これがこいつの限界なんだなぁ」と思ってください。