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悪徳サブスクリプションと天然令嬢〜月額10万円の架空コンシェルジュ、過労死寸前〜  作者: My Pace News
第1章「月額10万円のカモと架空コンシェルジュ」

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4/11

第4話「三十万のスーツと気高きペルシャ猫」

港区のど真ん中に位置する有栖川宮記念公園。広大な敷地に豊かな木々が生い茂り、起伏に富んだ地形と美しい池が配置されたこの場所は、都会の喧騒を忘れさせるオアシスとして近隣の富裕層や外国人駐在員たちに愛されている。

しかし、今の黒瀬巧にとって、この優雅な緑地はただの地獄の迷宮でしかなかった。


「……おい赤木。本当にこの奥なのか? 俺の三十万のオーダースーツが、すでに得体の知れない植物の汁や土埃で無惨なことになり始めているんだが」


黒瀬は耳元に密かに仕込んだ小型インカムに向かって、殺意すら入り混じった低い声で毒づいた。

高級イタリア製生地で仕立てられた、彼にとって唯一にして最強の「勝負服」。本来なら投資詐欺の対面営業や、架空の富裕層向けパーティに潜入する際にのみ着用するプレシャスな一着である。それが今や、名も知らぬ雑草の棘に引っかかり、膝部分は湿った土で無惨に汚れ切っていた。


『ギャハハハ! 諦めろ巧。一流のコンシェルジュたるもの、顧客の親友のためなら泥水だってすするもんだろ? 泣き言を言ってないで早く進めよ』

「ふざけるな。月額十万円だぞ。俺のスーツの袖を通すだけの価値もない金額だ。なぜ俺が真っ昼間から四つん這いになって、他人のペットを探して泥まみれにならなきゃならないんだ……!」


悪徳詐欺師としての冷徹なプライドと、自らの構築した完璧な「何もしないで集金するビジネスモデル」の根幹が、音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。

だが、黒瀬は歩みを止めるわけにはいかなかった。「動物が見つからなくて心配だから、やっぱり警察に相談します!」という、あの純度百パーセントの天然令嬢による『善意の通報』という最悪のシナリオだけは何としても回避しなければならない。警察の介入は、詐欺師にとって即ち死を意味するからだ。


(……クソッ。こんなことなら、ダミーの利用規約の第一項に『ペットの捜索および捕獲は絶対に対象外である』とデカデカと太字で明記しておくべきだった。いや、そもそも迷路のような詐欺サイトの規約なんて誰も読まないか……)


黒瀬が内心で底なしの後悔に苛まれていると、インカムの向こうで赤木がドヤ顔を浮かべているのが目に見えるような、得意げな声が響いた。


『おい巧、そこから右だ。右の急斜面を登れ。俺様の開発した「リアルタイムSNS画像解析・環境情報統合ツール」が、たった五分前に公園内でアップされたインスタグラムの投稿を捕捉した』

「……なんだと?」

『“超モフモフの白猫発見なう! マジ天使!”……っていう頭の悪そうな女子高生の投稿だ。画像に写り込んだ太陽の角度、背景の木々の植生分布、そして奥に微かに見えるフェンスの形状から地形データと照合した結果、ターゲットの現在位置は旧図書館跡地の裏手だ。ドンピシャだぜ。俺のOSINTオープンソース・インテリジェンス技術にかかれば、猫一匹の足取りなど国際指名手配犯を追うより簡単だ』

「……お前、その無駄に高すぎる技術力を、なぜもっと真っ当なサイバー犯罪やシステム構築に使わないんだ。宝の持ち腐れにもほどがあるぞ」

『バカ言え。誰も読まないダミーの解約ページを量産するより、こっちの方がよっぽどクリエイティブで燃えるんだよ! さあ急げ、ターゲットが機嫌を損ねて移動する前にな!』


赤木の的確すぎる、しかし無駄にハイスペックな指示に従い、黒瀬は忌々しげに舌打ちをしながら急斜面を駆け上がった。

入念に磨き上げられた高級革靴がぬかるんだ土に滑り、危うく顔面から転びそうになるのを必死で堪える。詐欺師としての威厳がボロボロと崩れ落ちていくのを自覚しながら、黒瀬は旧図書館跡地の裏手へと回り込んだ。


するとそこには、木漏れ日をスポットライトのように浴びて神々しく輝く、真っ白な毛玉が鎮座していた。

純白の絹糸のような毛並みに、サファイアのように透き通った青い瞳。優雅に揺れるふさふさの尻尾。

間違いない。事前のヒアリング情報の通り、白鳥花澄の『親友』であるペルシャ猫のマシュマロだ。


「……いたぞ。対象を視認した」

『よし、確保しろ。だが気をつけろよ巧。ペルシャ猫はプライドがエベレストより高いからな。下手に素手で捕まえようとすれば、容赦なく爪を立てられるぞ。顔に傷でも作ったら、明日の架空投資案件の商談に響くからな』

「わかっている。俺を誰だと思ってるんだ。人心掌握術なら右に出る者はいないプロだぞ。相手が言葉の通じない猫だろうと、手懐けるロジックは同じだ」


黒瀬は深く深呼吸をし、極めて穏やかな、人間の女性すらも一瞬で魅了するであろう甘く洗練された低音ボイスを作った。そして、しゃがみ込みながらゆっくりと、敵意がないことを示すように両手を広げる。


「おいで、マシュマロちゃん。お前の帰りを、白鳥様が泣きながらお待ちだ。さあ、俺と一緒に暖かい部屋へ帰ろう」


マシュマロはサファイアの瞳で、泥だらけの不審な男(黒瀬)をじっと見つめた。

そして、数秒の沈黙の後――「フンッ」と明確に鼻を鳴らすような小憎らしい仕草を見せると、プイッとそっぽを向き、優雅な足取りでさらに奥の茂みへと歩き出してしまったのである。


「……無視、だと? この俺の完璧な営業スマイルと魅惑のボイスを!?」

『言ったろ、気高いんだよ。そんな胡散臭い三流ホストみたいな声で釣れるのは、夜の街のネエチャンか、借金まみれのカモだけだ。猫には通用しねぇよ』

「うるさい、黙ってろ! 万策尽きたわけじゃない!」


黒瀬は顔を真っ赤にして怒鳴り散らしながら、スーツのポケットから“最終兵器”を取り出した。

公園に向かう途中、赤木の指示によって近隣の超高級スーパーマーケット『ナショナル麻布』に立ち寄り、自腹を切って購入させられた代物。一缶で二千円もする『特選・ノルウェー産アトランティックサーモンの水煮(完全無塩・猫用アレンジ可)』である。

黒瀬は震える手でプルトップをカシュッと引き上げた。瞬間、安物のキャットフードとは次元の違う、芳醇で濃厚な海の香りが周囲の空気に広がった。


「……どうだ、マシュマロ。一流のコンシェルジュが厳選した、最高級のサーモンだぞ。お前がサーモンに目がないという情報は、すでにリサーチ済みだ」


黒瀬がゆっくりと缶詰を地面に置くと、数メートル先を悠然と歩いていた白い毛玉が、ピタリと動きを止めた。

青い瞳が、チラリとこちらを見る。小さなピンク色の鼻をヒクヒクとさせ、プライドと食欲の間で葛藤しているのが手に取るようにわかった。しかし数秒後、抗いがたい最高級サーモンの誘惑に敗北したマシュマロは、周囲を警戒しながらもゆっくりと近づいてきた。


(よし、かかった……! チョロいもんだ、所詮はケダモノだな)

マシュマロが缶詰に顔を突っ込み、夢中でサーモンを貪り食い始めたその瞬間。黒瀬は持参していたエルメスの大型シルクスカーフ(これも営業用の小道具である)を素早く広げ、猫の体を一切傷つけないように、かつ確実に、白い毛玉をすっぽりと包み込んだ。


「ニャアッ!? フーッ!!」

「任務完了だ。おとなしくしろ、お前の主人のところへ帰るぞ。俺のスーツにこれ以上泥を塗りたくなければな」


泥だらけで所々が破れかけた高級スーツに、微かに漂うサーモンの生臭い匂い。そして腕の中には、スカーフに包まれてジタバタと暴れるペルシャ猫。

都会のど真ん中で、黒瀬巧の姿は誰が見ても「一流の専属コンシェルジュ」からは程遠い、ただの不審者か、必死すぎるペット探偵に成り果てていた。


四十分後。

有栖川宮記念公園の入り口で、今にも倒れそうなほど不安げに待ちわびていた白鳥花澄の前に、黒瀬は疲労困憊の体を引きずって姿を現した。


「マシュマロちゃん……!」


花澄は涙ぐみながら駆け寄り、黒瀬の腕の中からスカーフごと愛猫を受け取った。マシュマロは主人の腕の中に戻った途端、先ほどの激しい抵抗が嘘のように、甘えた声でゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


「黒瀬さん……本当に、本当にありがとうございます! 私、一生この子に会えないかと思って……生きた心地がしませんでした!」

「いえ……白鳥様の平穏な日常と、美しい笑顔を取り戻すことこそが、私どもプレミアム・ライフ・エスコートの使命でございますから」


黒瀬は乱れたネクタイを素早く直し、泥だらけのスーツの汚れを隠すようにさりげなく立ち位置を変えて背筋を伸ばした。満身創痍で疲労の極致ではあったが、この純度百パーセントの、神様に向けるような感謝の眼差しを真っ直ぐに向けられると、詐欺師の腐った心の中に、妙な達成感がじわじわと満ちていくのを否定できなかった。


(……まあいい。これでこのバカげたミッションも終わりだ。サーモン代とクリーニング代で大赤字だが、十分すぎるほどの恩は売った。あとは適当に多忙を理由にして、この女からの依頼を少しずつフェードアウトさせていけば、毎月十万円の不労所得だけが残る)


そう頭の中で完璧な撤退シナリオを描き、安堵の息を吐きかけた黒瀬に対し、花澄はマシュマロを強く抱きしめたまま、信じられない言葉を口にした。


「黒瀬さんって、本当にすごいコンシェルジュさんなんですね! 警察の方でも見つけられなかったマシュマロちゃんを、こんなにすぐに見つけ出してくれるなんて!」

「恐縮です。我々の独自の強固な情報網と、……動物との対話スキルを駆使いたしました。ほんの些細な仕事です」


見栄を張って適当なことを言った、その瞬間だった。

「動物との対話スキル……! やっぱりそうだったんですね!」


花澄の大きな瞳が、物理的な光を放つほどにキラキラと輝き始めた。黒瀬は、背筋を這い上がるような嫌な予感に凍りついた。


「実は私、上京したらどうしても叶えたい夢が一つだけあったんです。でも、東京には頼れる人が誰もいなくて、ずっと諦めかけていたんですが……動物とお話ができる黒瀬さんなら、きっと叶えてくださいますよね?」

「……は? 夢、ですか?」


花澄は真剣そのものの表情でコクリと頷き、とんでもないことを言い放った。


「はい! 明日、私と一緒に上野の『動物園のすべての動物たちにご挨拶』をして回っていただけませんか? 動物とお話できる黒瀬さんが通訳をしてくだされば、きっとキリンさんやゾウさんたちとも、すぐにお友達になれますよね!」


「……………………は?」


月額十万円。

その定額料金は、すでに黒瀬が費やした労力、経費、そして精神的ダメージを遥かに下回る、完全なる赤字状態に陥っていた。

極悪非道な詐欺師が作り上げた完璧なビジネスモデルは、世間知らずの天然令嬢の規格外な発想によって、またしても根底から無慈悲に破壊されようとしていたのである。

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