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 カチャカチャと静かに響くナイフとフォークの音に、香ばしいパンと甘やかな紅茶の香り。


「…これ」


「…はい」


「危ないくらいに、美味しいね」


 背中越しに聞こえたその声にルティアの口角が上がる。


「ふふっ!ご主人様のお口にあってよかったです」


「これが合わない人間は多分存在しない」


 きっぱりと言いきったその言葉にルティアは声をあげて喜ぶ。


「…試験前によく友人と作ったんです。こっそり、真夜中に食べるこのパンが本当に美味しくて…今日お洗濯を干していたら不意に思い出して……そしたらもう作らずにはいられなくなってしまって」


「罪作りなパンだね」


「はい。私たちは禁断パンと呼んでいました。なにせ、勉強を頑張るために作ったのに食べたら眠くなってしまいますから」


 男は声を出して笑った後、言葉を続ける。


「ーー良い思い出なんだね」


「はいーーとても、とても大切な思い出ですわ」


「ーー…俺はね、マッシュポテトに大量のチーズだったよ」


「え?」


「学園で、貴女みたいに夜更かしする時。マッシュポテトにこれでもかってくらいのチーズを入れるんだ。それを大皿に盛ってみんなで食べたな」


「それは……ふふっ楽しくて美味しそうですわ」


「あぁーーー楽しかったな、とても」


 男の声は本当に眩いものを前にしたかのようで、ルティアはなんだか胸が苦しくなった。


「ご馳走様。本当に美味しかったよ」


「いいえ、良かったです。あ、お皿は私がまとめて洗うのでそのまま置いておいてくださいな」


「ごめんね、ありがとう」


 立ち上がったような衣擦れと椅子の動く音に、ルティアは思わず声をかけた。


「あ、あのご主人様!私こう見えて焼き菓子を作るのが得意なんですの!」


「?」


「で、ですからあの、午後の休憩の時、お紅茶と一緒にお部屋の前に用意させていただけないでしょうか?ーーーお水はもちろん美味しいですけど、その、温かいものってホッとするじゃないですか」


「ーー俺は気味が悪いでしょう」


「え?」


「こんな姿の人間とひとつ屋根の下に置かれた貴女を可哀想だと思ったんだ」


「そんなことーー…あの、正直に申し上げますと初めてお目にかかった時驚きはありましたが…」


「そうだろうね。むしろあれだけの反応で済んで俺は驚いたよ。アルトネア様に相談なりなんなりしてすぐに配置換えを望むと思ってたから」


「ーー…そう思われていたのは少し、悲しいですわ」


「ごめんね」


 何ひとつ申し訳なさを感じさせず謝る男にルティアは気づいた。

 多分、今まで何度もそういうことがあったのだ。

 ルティアは膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。

 

「ご主人様。私きっと深入りされたくないのだと思って今日まで過ごしてきましたし、今もそう思っておりますーーけど」


「けど?」


「……許されるのならば、毎日のおはようございますとおやすみなさいを言い合うくらいはしたいですわ。……1日に一度もお話できないのは……寂しいですもの」


 背中越しにがたり、と少し大きめの音が聞こえた。

 ルティアは思わず振り向きそうになったがぎゅっと首に力を入れて我慢する。

 

(でしゃばり過ぎたかしら…)


「いや、うん……そうか…うん。可愛すぎるな…」


「すみませんご主人様、よく聞き取れず…」


「なんでもないよーーー…おやすみ、ルティア嬢」


「ーー!はい、はい!おやすみなさいませ。ご主人様。……良い夢が見られますように」


「……ありがとう。貴女も」


 遠ざかる足音が聞こえなくなった頃、ルティアはふうと息を吐き出し頬を緩めた。


「勇気出して…よかった…」




「アルトネア様は何を考えているんだ」


 自室に戻った男はベッドに仰向けに倒れ込むと、視界に映る天井をぼんやりと見上げた。

 傷つくことに、男は随分と慣れた。

 この屋敷に派遣された侍女も使用人も長く続いた事はない。

 挨拶に来たその足で、働くことを辞退される事もしょっちゅうだった。

 だからもう、1人でいいと男は上の者に伝えた。もう誰も寄越してくれるなと。

 食事だけは顔を合わさないように屋敷に運び込んでもらい、それでもう良いと思っていたのだ。

 そこに、ルティアが来た。

 対面した時確かに驚いた顔をしていたがーーーそれだけだった。

 息ができるのか、などと男が思ってもみなかった質問をされ、回答に納得するともうそれ以上は踏み込んでこなかった。

 伯爵令嬢だと言うのに文句も言わず毎日屋敷の掃除をして、鼻歌を口ずさむ彼女に、男は極力接触しないようにしていた。

 自分なんかと接触しようものなら恐ろしいだろうと思ったから。


(ーーーなのに)


「おはようとおやすみを言いたい、なんて」


 小さな背中は震えていて、髪の間から覗く耳は真っ赤に染まっていた。

 ルティアには見るなといったのに自分は彼女の姿をしっかり見ている事に男は多少の罪悪感はあったが、それよりも驚きが勝ってしまった。


(多分、いや、とんでもなく勇気を出してくれたのだろう)


 この屋敷に来たルティアに対する自身の態度が良くないものだと男も思っている。

 けれど、そう、男は少し疲れていた。


(後悔は今もしていないーーーけど、)


「おやすみ、なんて久しぶりに言ったな…」


 

(それにしても令嬢が夜中に食べるには随分重たいものを…)


 先ほど食べた美味しい夜食に、けれど笑いが込み上げてきた。


(……思ったよりよく食べるんだな。あんなに細い体のどこに…)


 その日男は眠りにつくその時まで、ルティアのことを考えていた。

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