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 ライラとジェーリンの舌打ちに青年の肩がすっかり震えなくなった頃、ルティアたちの卒業までのカウントダウンが始まっていた。

 卒業後の進路も無事決まり、後はお気楽な日々を残すだけだ。


「あ〜!後2週間で自由になれると思うと校庭を走り回りたい気分になるわー!!」


「ジェーリン、やって来ていいよ。私は止めない」


「…私、ライラとジェーリンが居たからこの学園生活、本当に楽しかったわ」


 脇腹を突き合う2人を見ながら思わず漏れたルティアの本音に、ライラとジェーリンは目を丸くする。


「なーに言ってんの!私だって最初平民のくせにって虐められたらどうしようってすごく緊張しながら入学して、そしたら横に座ってたお姫様みたいな子に気さくに話しかけてもらえて!あの時どれだけ感動したと思う!?」


(お姫様な子、はだいぶジェーリンの贔屓目が入ってるわね…)


「私人見知りだから。どうせぼっち確定って思ってたけどルティアが話しかけてくれた。私が嫌がらないようちゃんと距離を測りながらじわじわ近づいて来てくれて嬉しかった」


(懐かしい。最初ライラは警戒心で一杯の猫のような顔をしていたわ)


「ライラは怯えた猫みたいだったもんねぇ!」


(あら、同じこと思ってる)


「…ジェーリンは犬。わんわんうるさい」


(ジェーリンが犬属性なのも共感だわ)


「なによぉー!!コミュニケーション能力が高いって言ってよ!動物に例えるなんて!」


「先に猫って言った」


 きゃーきゃーと途切れない応酬にこの2人も最初は犬猿の仲だったのにな、仲良くなったものだなとルティアが感慨深くなっていた時だった。


「……ルティア。少しいいかな?」


「ダメ」

「いやよ!」


 ルティアが答えるよりも早く、ライラとジェーリンが返事をする。

 そんな様子に思わず笑みを溢しつつも彼女は目の前に立つ男の顔を見上げた。


 彼の瞳の中に暗い後悔が、ずっとあったのをルティアは気づいている。

 覚悟を決めていることも。



「…まあ、最後に言い訳を聞いてあげましょうか」


 やれやれ、とルティアは重い腰を上げる。


「いいの?ルティア」


 心配そうなライラに少し笑って答える。


「えぇ、私この学園のことを思い出す時に、胸が痛む様な事は何一つ残したくないの」


 ルティアの言葉に元婚約者ーーロイ・タージスの顔が曇る。


「何悲しそうな顔してるわけ?最初に傷つけたのはあんたじゃない!」


 それが癪に障ったらしいジェーリンが怒り。


「うざ。被害者顔しないで」


 ライラは短いながらに棘の詰まった言葉を吐き捨てた。


「ありがとう2人とも。ーー行ってきます」


 そんな2人をなんとか諌めて、ルティアとロイは中庭に移動した。








「お話って何ですか?」


 簡潔な問いにロイは言葉を探すように、目線をあちらこちらへと動かす。


「ーー……最初は単純に可哀想だと思ったんだ。昔からそれなりに仲がいい子だし、あんなに落ち込んでいる姿は見た事がなかった。屋敷にも閉じ籠りっぱなしで、彼女の親も、僕の親もすごく心配していたーーなのにクルト様がいらっしゃる気配が無かったから…愚痴を吐く相手くらい、欲しいかと思ったんだ。彼に何が起きたのかも知らず、浅はかで…」


(…珍しい。いつもは結論からお話しするタイプなのに、まとまらない言葉が零れ落ちているみたいだわ)


「…彼女は貴方に落ち込んでいる理由を話したのですか?」


 ロイがこくりと頷く。


「そう、この国の重大な秘密を幼馴染の貴方に話したのですね」


「…っ!君も知ってるのか?」


「本来なら知らなくて良かった事でしたわ」


「……すまない」


 事情を察しただろうロイは心底申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。

 体のすぐ横で握り締められたその手は細かく震えていた。




 唐突な婚約破棄に、半年以上他人から注がれ続けた好奇の視線。

 彼女の尊厳を大いに踏み躙った自覚が彼にはあった。



「ーー貴方たちは婚約するんでしょうか?」


「…今すぐじゃない、けど君に迷惑がかからないタイミングで結ぶ事になると思う。ーー本当に、すまない。こんな言葉じゃ何にも意味をなさないのは分かってる。違約金なんかで解決するような問題ではないことも。…君と、君の家の尊厳を傷つけてしまったこと、君が僕と婚約していた3年間築いてくれた誠実な時間を壊してしまったこと。本当に…すまない」


 すでに迷惑はだいぶ被ってる。

 だが、それはロイが一番よくわかっているだろう。

 彼のしたことに何も潔白さはないが、それでもできる限りの誠実を今此処で返そうとしているのはルティアにも分かる。

 例えば、今ここで髪を剃って丸坊主にしろ、などとルティアが言っても彼は素直に応じるだろう。

 目の前に立つ男の目は真っ直ぐにルティアを射抜いている。

 その空色の瞳には覚悟がよく見えた。


(私、この空色の瞳が結構好きでしたわ。よく晴れた日の青空の色だもの)



「ーーこの中庭であの2人がお話ししてる姿を見るのが好きでした。

絵本の挿絵がそのまま抜け出て来たみたいで。

ーー彼女の金色の髪と貴方の紺色の髪も並び立ったらよく似合うかもしれませんわね……でも私、主役を引き立てる嫌味な令嬢を演じるつもりはありませんわ。貴方のために流す涙を私は持っていないもの」


「……僕が言える事でないのは百も承知で、それでも君の幸せをずっと願ってる」


「……そう、そうですわね。貴方は私の幸せを……ステラ様はクルト様の幸せを永遠に願っていてくださいな。私たちの関係ないところで」


 ルティアの物言いに、ロイは笑うようで泣いているような複雑な表情をした。


「…君はいつだって真っ直ぐで、ーー…僕は君のそう言うところに何度も救われていた……本当にすまない…」


 つむじが2個あるのが分かるほど頭を下げたロイ。

 彼は割と真摯な人間だった。

 恋ではないけれど、人としてルティアは好ましく思っていた。


(言いたい事は沢山あった気がするけれど…けどもうそれを全て伝えようと思う程の関心はないですわね)


 そう思ったルティアは簡潔な本音だけをロイに伝えた。


「貴方と婚約してる間、ーーー…私、楽しかったわ。ーー3年間、ありがとう」


 こんな終わり方をしたけれど、彼との時間は有意義だったと今も彼女は思っている。


 笑顔で伝えたそれはロイには残酷な優しさだった。


「ーーっ君は…」


 ロイの絞り出したかのような声は震えていた。

 そんな彼を中庭に置いてルティアは踵を返す。

 後ろから涙交じりにありがとう、すまないと何度も何度も声がした。




「すみません、本日よりこちらでお世話になりますルティア・フェストニアと申します」


 卒業したルティアはアルトネアからの紹介で王宮内で侍女として働くこととなった。

 婚約破棄となった令嬢にそうすぐには良い縁談など湧いてこない。

 さてどうしようか、とルティアと彼女の父が頭を悩ませている中、あの日声がかかったのだ。


(ありがとうございます…!アルトネア様…!)


 王宮の、西庭園を進んだその先にある少しこじんまりとした、けれど上品な作りのその屋敷が今日からルティアの職場になる。


「あの…ご主人様、いらっしゃいますか?」


 玄関扉を開け、薄暗い室内に声をかける。

 灯の付けられていないエントランスに響くのはルティアの声だけだ。


 ーーここに居るのはただ1人の男性だとルティアは聞いている。

 王家より特殊な仕事を任されこの屋敷に住んでいるが、ここ最近体調を崩したため侍女として仕えて欲しいとアルトネアから説明があった。

 食事などは王宮から運ばれてくるとのことで、ルティアの仕事は屋敷の清掃や主人の体調管理といったところだ。


「誰?」


「ふわぁっ!!」


 不意に後ろからかけられた声にルティアは淑女らしかぬ声を出した。


「あ、も、申し訳ございません!私本日より配属されたーーー」


 慌てて振り向き声の主を見る。

 そうしてルティアは数秒固まってしまった。




 真っ黒なローブに身を包み、その黒いフードを目深く被っている。

 手には黒い手袋をつけていて、その全身ーーー上から下まで一切の肌の露出がなかった。

 そしてなんといっても、その顔面だ。

 真っ白い、穴ひとつ空いていないつるりとした面を付けているその人は、はっきりいって異様だ。

 童話の挿絵に出てくる死神の様な出立ちをしたその人は、固まるルティアに慣れたように声をかける。


「ここに何しに来たの?」


 嗄れた声。老人のようにも、声変わり途中の少年のようにも聞こえる。


「あ、私、その、ルティア・フェストニアと申しまして…本日よりこちらで侍女として「そんな話誰にも聞いてないんだけどーーいや……フェストニア……あぁ、貴女が」


 ルティアの発言を遮った割に何か納得したらしいフードの男は困ったように一つ、大きなため息をこぼした。


「アルトネア様辺りが貴女に声をかけたんだろう?ーーその、色々合ったようだから」


 自身の婚約破棄の件は王宮でも知られているのかと少しルティアは恥ずかしくなった。


「はい…アルトネア様からお話をいただきまして。不慣れな点も大いにあると思いますがよろしくお願い致します」


「…ちなみに仕事内容は何て聞いてるの?」


「屋敷の清掃と…ご主人様の体調があまり優れないと聞いておりますので…」


「……俺の体調は何一つ問題ない。アルトネア様め…謀ったな」


「?…お元気なのですか?」


「…そうだね、貴女に世話をしてもらう必要がないくらいには。ーーそう言われても困るだろうし、屋敷の清掃だけ頼むよ。あぁ、中を案内するけど俺の私室は入らないで。掃除もそこは自分でするから」


「…かしこまりました」


(この方は、私がここに居るの嫌そうね…)


 居心地悪いなと思いながらも、男について屋敷の中へと足を踏み入れる。


「…貴女は俺に聞きたい事はないの?」


「えぇと、お名前はお聞きしても?駄目でしたらこのままご主人様と呼ばせていただきますわ」


「…名前は教えられない。他は?」


(すごく聞きたいことが一つある。でも…)


「……不謹慎かもしれませんわね…」


「別にいいよ」


「え!声に出てしまっていましたか?心の中で呟いたつもりでしたのに……でも良いと仰っていただけるなら…あの」


 ごくり、と喉を鳴らしたルティアは覚悟を決めて疑問を口に出した。



「そちらのお面は呼吸が出来るのですか?」




 ルティアの質問に数秒…数十秒程の沈黙が続いた。





「……これは特別製だから、息もできるし目も見える」


「そうなんですね!凄いわ…!酸欠にでもなってしまったら大変だから安心しました」


「……ご心配ありがとう」


 拍子抜けといった様子で再び歩き始めた男に続いてルティアは屋敷の中を歩く。


 2階建てのその屋敷はそれなりの部屋の数があったが、2階部分はほぼ物置として使われているから立ち入らなくて良い、との事でルティアが掃除をすべき部屋はそこまで多くはなかった。


「厨房もあるのですね」


「まあ食事は運ばれてくるから使った事はないけどね」


「休憩のお茶などのご用意は?」


「いらないよ。喉が渇いたら水を飲むから。あぁ、貴女の分はここを使って自由にどうぞ。茶葉なんかは置いてあるはずだから」


(お水…美味しいけど、温かい飲み物が欲しくなったりはしないのかしら)


 淡々と案内する男に付き従いルティアは屋敷の間取りを確認する。


 最後に案内されたのは南向きの陽当たりの良い部屋だった。


「貴女はこの部屋を使って。そんなに広くはないけど浴室なんかも付いてるから」


 案内された部屋は貴族の部屋としてはこじんまりしているが侍女の部屋としては十分過ぎる待遇のものだ。


「こんなに良いお部屋を使っていいのですか?」


「うん。ここには俺と貴女しかいないし。ただずっと使われていないから掃除はした方がいいと思うけど」


「はい!ありがとうございます!」


「……ふっ」


「?どうされました?」


「いや、ごめん。さすがあの王都学園を卒業しただけあって肝が座っているなと思って」


「ーー…確かにあの学園での生活が無かったら私はカーテンひとつ自分で開けられない令嬢だったかもしれませんわね」


「自分のことは自分で、の方針が強いからねあそこは」


「……もしかして、ご主人様も王都学園に?」


「ーー…うん」


 その後すぐに男は仕事があるからと早足で自室に戻って行った。


(…あまり自分のことは詮索されたくないのかも知れないわ)


 素顔も、名前も明かさないところを見るにルティアに求められていることは淡々と踏み込み過ぎずに仕事をする事だろう。


(ーーアルトネア様のお顔に泥を塗らないためにも、頑張りましょう)


 こうしてルティアの侍女生活は始まったのだった。


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